柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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触れれば息を飲む

そっと伏せられる睫毛
逸らされる視線
微かに顰められる眉
閉ざされた唇
凍り付くように緊張した、肢体

恐れていることくらい知っている
触れること
触れられること
そのどちらもに怯えている

その要因がなんであるかも
ずっと自分は知れなかったけれど


ああ……彼、は。

……………悼み続けているのだろうか。





繋がる、



 きょとんと自分を見上げる相手の視線が忌々しく感じてしまう。
 いつだってこちらの意図に聡く、すぐに気づくくせに、こういったことに関してはまるで鈍感な相手は、間近な自分との距離に不思議そうに首を傾げた。
 「…………?御剣?」
 距離が近すぎると不思議そうに問うように彼が名を呼ぶ。会話をするには不適切な距離であることは確かだ。肩をこそ掴んでいないとはいえ、十分その身体を抱き寄せることに困らないだけの至近距離に居座っていた。
 触れれば警戒する彼は、それでも触れないで傍にいる分には、許容する。
 拒むための範囲を掴みかねているのかもしれないが、図に乗れといっているようなものだと、幾度溜め息を落としかけたか知れなかった。
 「……………成歩堂」
 そっと彼の名を呼ぶ。喉奥で唸るような声に、彼が眉を顰めた。
 気分を害したというよりは、寂しそうな、不安そうな顔だ。このシチュエーションで晒すにはあまりに不適切な表情だろう。思いながら、そっと彼の頬に手を滑らせる。
 途端に跳ねそうな肩を、彼は息を飲み込むことで留めた。努力、しているのだろう、彼なりに。怯える度に自分が傷つくからと、受け入れることを懸命に自身に言い聞かせていることを知らない訳ではない。
 「えっと……あの、さ、少し…怖い、かな?」
 躊躇いながらも視線を逸らして、彼が小さく呟く。逃げないでいようと心掛けているせいか、身体ごとどこかに行くことはない。………あるいは、単に身が竦んで動けないだけなのかもしれないけれど。
 触れている頬を撫でるように指先を動かせば、肩が揺れる。答えない自分に疑問を持っているのは明らかだ。
 せわしなく動く視線は、それでも自分の方にだけは向けられない。他意などないと解ってはいるけれど、こうした態度が自分に対しては顕著であることを知っているだけに、時折その真意を探りたくなる。
 自発的にその目が向けられないかと、頬を撫でた指先をそのまま動かし、髪を梳くようにして優しく撫でる。が、目的は達せられず、驚いたのか、彼はその目を固く閉じて身を竦めてしまった。
 それに焦れて、もう一度彼の名を呼んだ。間近な声に睫毛が困惑げに揺れる。微かな逡巡のあと、躊躇いながら開かれた瞳が、戸惑うように揺れて自分を映した。
 困り果てた顔で、それでも逃げずにそこに留まる相手に、小さく息を吐き出す。
 「………君は警戒心が強いのか、ないのか。どちらだ」
 「………………?」
 問いかけの意味が解らないと微かに彼の首が揺れる。
 困惑を深めるばかりで解答を得られないと感じ取り、小さな溜め息と一緒にすっと身を寄せる。鼻先が触れ合うほどの距離で、射竦めるように相手を見据えて、囁く。
 「この距離で、頬に手を添えられて………普通、キスを想定しはしないか?」
 彼までの距離はあとほんの5cmほどだ。触れようと思えば簡単に触れられる距離の中、相手は目を瞬かせて、きょとんとしたまま惚けていた。
 暫しの沈黙。………………ついで目に見える勢いで赤くなった彼の顔。それだけで十分このあとを予測出来てしまい、溜め息も出ない。そっと唇にぬくもりが触れる。指先に触れていた髪は、遠ざかったというのに。
 眼前の真っ赤になった相手を見下ろしながら、仕方なく腹の内に息を落とす。唇に触れたのは………彼のそれではなく、押し返すために伸ばされた、震える彼の指先だった。
 「無理強いはしない。そう怯えることはないだろう」
 おそらく無意識に近い応対なのだろう。彼の指先を掴んで溜め息を落とすと、目を瞬かせて自身の指先を見つめる彼の視線が見えた。
 掴んだ指先を握りしめたまま、憮然と彼を見つめる。戸惑った視線が申し訳なさそうに揺れて、しゅんと俯いた。
 「………ご、ごめん………、つい…………」
 視線の先に俯いた彼の後頭部と首筋が晒された。落とされた肩が決して線の細くはない彼の体格を幼く彩ってみせる。
 小さいはずのない肩。自分と同等程度の力は内包しているはずの四肢。それらが、ただ体温を感じるというそれだけの理由で、萎縮してしまう。
 驚くほど顕著なその反応に反して、本人はその理由を告げることに躊躇いがなく、平然と話してはくれた。が、だからといって傷がない訳ではないはずだ。現にこの反応を見て、何のトラウマもないなど、誰一人として信じるはずがない。
 それが、何故か、を。自分は本当には把握していない。彼は、いつだって乗り越えたことしか教えてはくれず、まだ癒えていない傷口はとても上手に人の目から隠してしまう。
 歯痒いほどの無力感を感じるというのに、それを告げれば彼は自分をいたわるだけで、結局は何の意味もない。彼は、望んでも願っても、自身からその傷を差し出すような真似は、してくれない。
 信頼とか、好意とか、そんなカテゴリーとは無縁の、彼の潔癖な性質なのだろう。否定するわけにはいかず、侵すことも出来ない領域だ。
 それでも、そう解っていても。………手を伸ばしたいと、そういったなら。
 彼は、なんと答えてくれるのだろうか。
 「…………………まだ、蟠りが……あるのだろうか」
 無意味な問答だと思いながら内心首を振り、自身の欲求を押さえつけるようにしてつい先日の事件のことを口にした。
 彼が過去において愛しんだ人間たちの、不可解な相関図の集大成のような、事件。初めて知った事実の多かった、自分も学ぶべき部分を突きつけられた事件だ。
 気を逸らすための話題にしては少々重すぎるものだったかと、口にしたあとに思い至ったが、既に音に変わった言葉は戻らない。ましてそれをすぐに取り消して他の話題を取り繕えるほど、自分は器用でもない。
 どうしたなら一番いいのだろうかと眉を顰めて思い悩んでいると、そっと、眉間に彼の指先が触れた。突っつくような仕草で沈む思考を浮上させる彼を怪訝そうに見やれば、困ったような、泣き出しそうな、そんな顔で……………けれど、笑っていた。
 「そう…だね」
 躊躇うように小さな声。…………キンと、耳鳴りがした気が、した。
 「どうして僕が惹かれた人は………みんな……」
 呟きかけて、彼は口を噤んだ。吐息を飲むような仕草で、そっと言葉を飲み込む。
 そうして、真っすぐに自分を見つめて、困ったように細めた瞳を笑みに変えて、そっと自身の指先を掴む手のひらを包むように逆手を添えた。
 小さなぬくもりに、心臓が跳ねる。彼の言葉に集中していたせいで、彼が自分に触れてくるという可能性を欠片も認識していなかった。
 知らず硬直していた自分に苦笑して、彼は宥めるように手のひらを撫でた。優しい仕草だ。まるで幼い少女の頭を撫でるような、暖かいぬくもり。
 胸が締め付けられるような感覚に言葉が紡げない。…………彼がなにを告げるつもりだったのか、まだ自分は掴めていない。
 折角晒されるかもしれなかった彼の内の傷を、自分の拙さで霧散させたくはなかった。
 何か言葉を継ごうと口を開く。が、それはなんの意味もなかった。告げるべき言葉が解らないというのに、言葉が出てくるはずがない。
 開閉された唇は音を紡がず、何かそれでも告げたいという意識が顔を顰めさせる。それを見つめて、彼は静かに笑んだ。泣きそうな瞳が、どこまでもチグハグな笑みで。
 「…………ごめん、君にいうべきことじゃ、なかったよね」
 気にしないでいいと、彼は呟いて、そっと目を伏せる。諦めたのではなく、飲み込むために。
 その目に称えられた水滴を、自身の中に舞い戻すため、に。
 目の前に晒されるはずだったものが、消えてしまう。まるで、彼自身すら一緒に掻き消してしまうように。ぞっとして、自分が掴んでいた彼の指先を引き寄せる。
 バランスを崩した、さして差のない男の身体が、自分の腕の中に収まる。抱き締めるというよりは、縋るように必死に腕を伸ばした。
 彼は抵抗しなかった。腕の中にただ収まったまま、首を傾げている。
 息を飲むこともなく、怯えることもなく、震えることもなく。
 ただ、不思議そうに自分を見つめて、戸惑うようにその腕を中空に彷徨わせていた。暫しの逡巡のあと、その腕はそっと自分の背に添えられて、慰めるかのように撫で始めた。
 「………ねえ、御剣。ここにいるから、平気だよ」
 子供をあやすような穏やかな声で彼はいい、優しく背中を撫でてくれる。霞む視界の先で、彼は笑んでいた。困ったように、それでも、誠意を称えた瞳で。
 そっと彼は自身の頬を自分の肩に乗せて、その腕の中、この身体を守るように、抱き締める。
 「なにがあっても………」
 小さく、掠れるようにして彼が呟いた言葉は、きちんとは聞き取れなかった。それは、自分を守るのだという、そんな言葉に、聞こえた。
 沈み込み掻き消えてしまいそうな彼を抱き締めているのは自分だったはずだというのに、いつの間にか立場は逆転して、怯える自分を彼が癒すように抱き締める。
 傷を抱えているのは彼のはずだというのに、それでも彼は自分を思い他者を思い、自身の傷に振り向かない。
 優しくて、どこか淡白な彼は…………ずっと、悼んでいるのだろうか。
 関わることで増えゆく傷を、それでも悔いることもなく見据えながら。それが故に、自身がその傷の元とならぬように、一人立ち尽くしながら。
 …………あの事件の中、失われた命。あるいは、それに関連する人々の命を。それとも、儚い夢のようだった過去の記憶を。
 繰り返し繰り返し、悼み、想起し、消去することなく、記銘し続けながら、進み続けるのか。
 噛み締めるように唇を引き結び、漏れそうな嗚咽を飲み込んで、腕の中の肢体を強く掻き抱いた。そこにいることを、確かに確認するように。………縋るほどの強さで。
 「…………私も、だ」
 喉奥に響くような声で、そっと言葉を吐き出す。
 この腕の中の存在を失わないために、どんな努力だって重ねよう。………彼の悼むものがなんであるかさえ、まだ確定も出来ない身ではあるけれど。
 それでも、いつか彼がその傷に踞ることがあるならば、その隣で腕を差し伸べられるように。
 いまはまだ何も出来ないこの腕も、いつかは彼に安堵を教えられるように、なろう。

 優しく優しく背を撫でる、彼のぬくもり。


 息苦しいだろうに文句もいわず
 ただあるがままにぶつけられる感情を受け入れて
 それで構わないのだと、彼は笑う



 大事な人たちをこれ以上失いたくないから、と。



 泣き笑う笑みで、彼は自分を抱き締めた。





 まあ、多分御剣が自分から気づくことはあまり期待しない方がいいかと思うのですが。3で成長しているよ、といわれたものの、むしろ成長していない姿が強調して見えた気がしなくもない彼ですので。
 それでも自分が相手を支えたい、という意識は常に持ってはいるのです。悲しいくらいそれが報われていないだけで。
 ちなみにしろ(まあ、あやめさんも含めて)千尋さんにしろ、大事にしたいと思った相手は自分の前から消えてしまうことを悲しいほど成歩堂は知っているので。
 …………まあ一番初めは親友と思っていた奴が連絡途絶えおったというところからですがね(遠い目)

 個人的見解で。21歳成歩堂がちなみを信じ続ける理由の一環に、自分と過ごした時間を信じたい、という点があって。それはそのまま、黒い噂塗れな検事のことを信じることに重なっているのです。
 ので、若干失うことも脳裏を掠めることがあるのがうちの成歩堂。生きてさえいてくれればいいという、どこか達観した望みしか持たないのはそのせいですよ。
 そして我が侭を叶えてもらえるなら、一緒にいられればいい。それ以上の願いなんぞ、おそらく想像もつかんだろうて。

07.8.30