柴田亜美作品 逆転裁判 NARUTO 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
いつだって前を見ているよね 手を伸ばせば届く涅槃 電車に揺られながら、ぼんやりと前を見ていた。流れるように変わっていく景色も、物寂しい雪景色になった。 あと少しで目的の駅だ。思い、ぱっと顔を上げる。それにつられるようにして隣に座る相手が、そっとこちらの様子窺っていた。 「なるほどくん、あと何駅かな」 「あと……3駅、だね」 彼も正確なところは覚えていなかったのだろう。開閉扉の上部にある紙面で駅数を確認しながら答えてくれた。 それを同じように確認しながら、そこにいるだろう小さな女の子を思う。 「………泣いていないといいね」 同じことを思っていたのだろう、彼も少し寂しそうにいった。 頷きながら、それでもきっと、自分たちは泣きたければ泣きたいだけ泣いていいと、彼女にいうのだろう。ただ、独りぼっちで泣くことだけはしないでほしいと、そう思いながら。 脳裏に浮かんだ幼い従妹の姿に、不意に隣に座る彼が重なる。たった一人で毅然としようとする幼い女の子と、どこか抜けた大人の男性である彼が重なるのは不可解なことだ。 ちらりと見上げるようにして彼を見てみれば、特徴的な眉を垂らして窓の外を見つめている。雪景色は一人で見るには薄ら寒い。心まで凍えていないかと、きっと心配しているのだろう。口に上らせるよりもずっと、彼は心配性な人だ。 「ハミちゃんもだけどさ、なるほどくんも………泣きたければ泣いていいんだからね?」 不意にそんな言葉がこぼれてしまう。なんの考えもなくするりと落ちた言葉は、それ故にずっと言いたかった言葉を見つけ出したような爽快さを醸した。もっとも、いわれた相手は胡乱そうにこちらを見やって、同じ言葉をそのまま返したいとその視線だけで異議を唱えていたけれど。 それに笑い、ずいっと近づいて、彼の鼻先に人差し指を突きつけた。法廷で彼がいつもやる仕草の真似をして。 「だってなるほどくん、ずーっと泣きそうだよ?」 やっと言いたかったことが解ったと、すっきりした自分とは逆にもやもやとしたものを飲み下しているのだろう、彼は憮然として首を傾げている。 「あーでも、仕方ないか、なるほどくんだもんね」 泣きたくなることが多くてもそれは当然だと思い直し、頷きながら追求を止めようと再び窓の外の景色に視線を向ける。 するとそれに待ったをかけたのは、誰よりもこの話を続けたくなかっただろう彼だった。 「って、真宵ちゃん………なんで僕なら仕方ないんだよ」 春美ちゃんならの間違いだろうと揶揄する音にきょとんと目を丸める。 そのまま自分を窘めかねない相手をじっと見つめるが、目を瞬かせただけで自分の言葉を受諾する様子はうかがえない。 呆れたように溜め息を吐き出して、ポンと彼の肩を叩く。労るためではなく、疲れ果てたという心境を教えるために。 「なるほどくーん、お姉ちゃんもいっていたけど、本当に自覚ないんだね」 「な、なにが?っていうか、千尋さんも??」 唐突な自分の態度に狼狽えたように冷や汗を浮かべている。おそらく彼にとっての師匠である姉の名が出たことが一番ダメージだったのだろう、そわそわと辺りを窺うように視線を彷徨わせていた。もっとも、霊感のない彼にはどれほど周囲を伺っても姉の姿が見えるはずはないけれど。 「そうだよー。なるほどくんは般若を持っているっていってたもん」 「……………………般若?」 胸を張って褒めるようにいった自分に、彼は顔を引きつらせて単語だけを繰り返した。その単語にこそ異議があるのだろう、顔を顰めてこちらを睨む様は、拗ねた子供のようだ。 決して本気では怒らない彼の背中を威勢よく叩きながら、違うよ、と誤ったものを想像しているだろう相手に告げる。 「お面のやつじゃないよ。ほら、般若心経ってあるでしょ?あれのことだよ」 「ますますもって訳が解らないよ…………」 顔を引き攣らせて彼はこちらを伺う。知らない事を彼は隠したりはしない。年下の自分にも、解らない事であればちゃんと尋ねてきた。そのせいか、時折自分の目には彼が身体の大きな弟のような、そんなイメージがつきまとってしまう。 そんな彼の顔を真っ正面から見つめながら、悪戯を思いついたように笑いかけ、とんと彼の胸元を指先で押した。 「ここ。なるほどくんはね、持っているんだよ、般若」 羨むような声の響きをせめて押し隠して、そっと教える。からかうように伝わればいい。そうすれば、少なくとも彼が躊躇いながら笑む事はなくなるだろうから。 見つめる先の彼は戸惑いに目を揺らしていた。その時、がたんと電車が揺れて、駅に着く。あと、自分たちが目的とする駅まで、2駅だ。 そんな事を考えながら、凍えるような寒さの中でたった一人打ち沈む小さな従妹を想像する。 もしも自分が、彼のように般若を携えていたなら、何かが違っただろうか。………詮無き事を思い悩む性質ではないけれど、さすがに今回の事件は色々な意味で、自分に重くのしかかってきた。 「般若っていうのはね、うーん、言葉にならない教えみたいなものなんだけど………」 「………?」 「なんていえばいいのかな。……偉い人が悟りに至るでしょ、それを促す直感的な知恵って感じかな」 疑問符を飛ばすばかりで把握しきれていない彼に、同じように首を傾げながら説明する。元来この言葉は明確な文章としての教えではなく、言葉にならない重みある教えともいえるものだ。自分にそれをうまく説明する術はないのだし、これくらいの説明で何となく解ってくれればいいとちらりと彼を見やった。 彼は数度瞬きをして、慮るようにじっとこちらを見つめる。そうしたあと、小さく笑って、ポンと頭を叩いてきた。 「それはつまり、はったりの事?」 「んー……そうともいうかもしれないね!」 困ったような声でいう彼ににやりと笑って答えると、もう一度ポンと軽く頭を叩かれる。じゃれるような軽さのぬくもりに、小さく笑った。 彼のはったりは見ていて驚くほど適当にしか見えないのに、それでも必ず最後にはそれが真実を指し示すのだ。どうして解るのだと問いかけても、彼はいつも首を捻る。理由は解らないけれど、それでも彼はそれを見つけ出し突きつける。躊躇う事のない態度は、揺るぎない自信さえ持っているかのようだ。 そんなものあるはずがないと苦笑する彼は、その時の自身の姿を知らないからこそなのだろう。 「………なるほどくんはさ、答えだけは解っちゃうんだよね、いっつも」 目を細めて、眩そうに彼を見る。視線の先、不思議そうに瞬きを繰り返して見つめる彼は、きっと何も知りはしないのだろう。 「だからね、なるほどくんは何かあると、いっつも泣きそうだよ」 「…………これでも一応成人しているんだよ、僕」 胡乱ともいえる眼差しで辟易とした声がいった。そうした意味ではないと教えてあげることは出来るけれど、敢えてそれ自体も否定はしない。どちらにせよ、彼の基準の中ではきっと幼いものとして括られそうだと小さく笑う。 「だって、解っちゃうから泣きたくなっちゃうの…解るよ、あたしだってさ」 降り積もる雪のようにささやかに告げてみれば、少しだけ瞠目した彼が、そっと目を伏せた。おそらく、痛みを見つけたのだろう。見遣った視線の先…………自分の姿に。 それを知られる事を願っていないと、一言だっていった事はないのに、それでも彼はそれを汲み取り目を伏せる。何も知らないはずなのに、その理由だって解らないはずなのに。 ただ見つめたというその先に、一体何があるのだろう。彼に見える、感じ取れるそれは、何なのだろう。 思いながら、感じたのは……途方もない寂寞とともに去来する、遣る瀬無さだ。それを飲み込むように顎を引き、明るく弾んだ声を紡いだ。 「だからさ、なるほどくん」 「……………?」 「ハミちゃんにもあたしにも、遠慮しないでばんばん泣いちゃっていいからね」 戯けるようにそんな事をいって、笑う。嬉しいと教えるように。………幸せなのだと教えるように。 戸惑うように首を傾げる彼は、否定はしない。彼は、本当に願って差し出されるものを否定しない。……困った事に、拒否も、しない。それがいつか彼を傷つける要因になりはしないかなど、自分が思うのは少し、お門違いだろうか。 優しい彼は、相手の事ばかりで、自分の傷に気づかない。 「それなら、さ」 そっと彼は窓の外を見つめた。駅が見え、いつの間にか停車している事に気づいた。次が、葉桜院へと赴くための最寄り駅だ。あと少しだけ、彼と話が出来る。 それを彼も解っているのだろう。この会話が、この電車という限られた空間内でのみ続けられる、あとにも先にもないものだという事を。 真っすぐに注がれる視線。初めての、死を介しての出会いのときから当然に与えられてきた、見守るものの視線。 いつかはそれも、自分ではない誰かに与えられるだろう。これからの事を考えたなら、自分はもっと本格的に修行に励まなくてはいけないだろう。彼の傍にいる時間は、格段に減る。…………それはそのまま、彼を一人にしてしまうという事でもあるけれど。 それでも寂しがり屋の彼は、笑って背中を押してくれるだろう。自分の信じる道を行けばいいと、喜んで。 扉が閉まり、電車が発車する。駅が遠ざかり、雪景色が窓を占めた。 そうしたなら、彼が先ほどの続きを口にするように、こちらに顔を向けた。 「………真宵ちゃんたちも、遠慮しないでいいよ?」 温かい声で彼はいい、ポン、と頭を撫でてくれた。まるで自分が小さな子供のようだ。これから迎えにいく従妹のように。 彼から見れば同じようなものなのかもしれない。見えてしまっているそれがあるなら、いまの自分は確かに幼い子供のように揺れ動いている。 それを飲み込む覚悟を、持たないといけないのだ。自分が守りたい物が、確かにあるのだから。 きっとそれは困難で、いつだって泣き言を言いたくなるくらい大変だろう。だからきっと彼は、いうのだ。自分の言葉に乗るような振りをして、この先の労苦を思い、手を差し出してくれる。 はにかむように笑って、頤を横に振りかけて………止める。 代わりに大きく頷き、小さな我が侭を何気ないままに差し出した。とてもとても、自分たちにとっては大きく重い、その我が侭を。 「じゃあ、ハミちゃんの事、抱き上げてあげてね?」 「………仰せのままに」 仕方がないというように彼は笑って、それでも心からそれを願うように、頷いた。 父親を知らない子供に与える腕の重みを彼は知らないくせに、解っているのだ。晴天の中、ひと雫こぼれ落ちる雨露に気づくような、そんなあり得もしない奇跡のように。 車掌のアナウンスが聞こえる。もう間もなく、駅に着くだろう。そうしたら、彼の腕を引いて、駆け足で迎えにいこう。きっと……そこにいてくれる。その可能性を縋るように祈りながら、どこかで確信もしていた。 彼がいうのだから、きっと大丈夫。 「じゃあ、行こうか」 立ち上がる彼を追い越すように駆け足で、扉に向かう。 開かれた扉。少しだけ、眩かった。踏み締めるようにしてホームに降り立ち、隣に立つ彼を見上げる。 肌を刺すような寒気の先、きっと笑顔を取り戻そうと、思いながら。 葉桜院に春美ちゃんを迎えにいくときの二人でした。 ゆらゆら揺れながら、それでもちゃんと前を見つめる真宵ちゃんは凄いなーと思うよ。あの年齢で全部を背負うのはどれだけの負担やら。 そんな真宵ちゃんには甘いうちの成歩堂。そして春美ちゃんには更に無条件で甘い。 葉桜院から帰るときはきっと成歩堂の背中ですよ、春美ちゃん。存分に甘えておくといい。ちょっとばかり若い父親だとでも思ってね! 07.9.2 |
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