柴田亜美作品 逆転裁判 NARUTO 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
解っていた、おそらくは。 伏せた睫毛の揺れる先(前編) 一瞬、呆気にとられた。 何だろうか、あの生き物は。そんな解りきった解答を遅らせたくなる人間が歩んでいる。 無言で見やりながら、彼の前を胸を反らして歩みつつも背後を気にかけている少女の存在に舌打ちをした。 出来る事なら話すのはあの男と二人きりがよかった。余計な情報を他者が持つのは望ましくない。そう思いつつも、今を逃せば彼と話す機会は法廷内となってしまうだろう。 それはどうしても避けなくてはいけない。どのような審議になるか自分にも予測はつかないが、なんであれ、少なくとも一つの結果だけは避けなくてはいけない。 この奥の院にいた人物に容疑がかかる事だけは免れなくては、意味がない。小さな幼い少女すら、心細さを押し隠して真っ先に心寄せた存在だ。それだけはなにがあろうと守らなくては、いま自分がこの世界で息をしている意味がない。 ………思い、喉奥で詰まるような笑いが唇に浮かんだ。 生きているのか死んでいるのか、自分でも解らない。目的を遂行するためにだけ生きる事を決めたというなら、それは少なくとも人間と定義される生き物ではないだろう。 愚かしい生だ。それでもそれを手放すわけにはいかない。無様に生き残った自分にも出来る事があるはずだ。そう考えて、息を飲む。 ………奇妙な動きをする生き物は真っすぐにからくり錠の前に立ち尽くした。どうする事も出来ずに途方に暮れた視線で。 それを見据えて、彼の前に立ち塞がった。 言いたい事だけを一方的に言って話を打ち切った自分の腕を、弾くようにして何かが触れた。鋭い痛みともいえる感覚を肘に感じ、背後を振り返る。自分に視線をぶつけているのは少女だ。…………名前くらいは知っている。今回の事件で自分の代わりを務めた、狩魔冥。 ゴーグルの奥から彼女を確認し、にやりと笑う。 視線の先では少しだけ息を飲み言葉に詰まる少女が佇んでいた。おそらく、無意識の行動だったのだろう。真っ青を通り越して緑にまで変色している顔色の悪さで、それでも気丈に一人歩んでいる男を罵る自分を断罪したかったのか。 言葉を発さない相手を笑んで見つめたまま、また背を向ける。今度はムチは飛んではこなかった。代わりに、声が投げつけられる。 「待ちなさい!」 鋭くよく通る声だ。法廷で聞いたならさぞ心地いいものだろう。思いながらも、振り返る事なく片腕をあげ、返答の無意味さを示した。 恐らく苛立ったのだろう、ビィンとムチが張る音がした。が、それは再び襲い来る事はなかった。 「ゴドー…検事、少しだけ、いいですか」 少女に守られるように立ち塞がれていたその背後から、男の声が響く。静かな声だ。先ほどまでの狼狽ぶりからは想像もつかない。………否、自分は幾度かそれを見ているはずだ。追いつめられ圧倒的に不利で身動きも取れない法廷で、彼は唐突にその顔をのぞかせる。 そうして、いつだって逆転劇が始まるのだ。 伺うように横目でその様を見つめる。ゾクリと粟立った肌は、なにを思っての事か、解るはずもなかったけれど。 彼の声の質を相手検事を務めた事のある少女も知っているのだろう。微かに肩を跳ねさせ、息を飲んでいた。驚きに振り返らないだけでもたいした胆力だと褒めるべきだろうか。 「………負け犬は家に籠る事だ。悪化したくなければ、な」 暗に話をする気はないと告げれば、畳を踏み締める音がする。彼が、一歩近づいたらしい。 前に立ち塞がっていたはずの少女は、戸惑いに目を揺らしながらも毅然としたものだった。止めるべきか否かを思い悩みながらも、進む彼を留めようとはしない。 「僕は……昨日、決めました」 こちらの返答を無視した声が響く。狭く小さな部屋の中、奇妙に反響して聞こえるのは、からくり錠の奥に潜む闇色の相乗効果か。 背を向けたまま視線だけで彼を伺うには限度がある。仕方なしに振り返り、彼と真っ正面から対峙した。 思ったよりも距離はあった。それこそ肩でも掴まれるかと思っていたが、腕を伸ばしても届きはしないだろう。それでも振り切って先に進む気は起きない。 この感覚を、自分は過去にも味わっている。 物理的な拘束ではない、精神的な拘束。目を逸らす事を許さない視線。ただそれだけで相手を捕らえ、離さない。………しかも厄介な上たちが悪い事に、その自覚を相手に与えない至純さまで内包されている。 重なりそうになる面影。否定するようにゴーグルの奥で目を瞑る。見ては、いけないものだ。いまはまだ、それを受け入れる事は到底出来ない。 「信じると、決めました」 きっぱりと告げられる言葉は、前後の言葉もなく、流れもない、端的で幼いものだった。 耳に心地よく響くその音は、ただ本心のみを差し出した清廉さ。…………こんな声を持つ人間は、あまりいない。脳裏に浮かぶ、さらりと揺れる長い髪に、舌が苦さを思い出させた。 守ろうと思った。守るつもりだった。その結果がいまの現実だというなら、滑稽な道化は彼か自分か。考えたくもない問答が、一瞬明滅した。 「………………成歩堂龍一…?」 深まりかけた思考を遮断するように、戸惑う第三者の声が入り込む。告げるつもりもなかっただろうに、つい漏れたのだろう。少女は発した声に気づいて、唇を噛み締めていた。 それに振り返る事なく、男はこちらを見据えている。………腹立たしいほど静かな視線だ。 「一ついい事を教えてやるぜ、まるほどう」 真っすぐに見つめる視線。重なりかける、面影。また、目を閉ざす。どこまでも滑稽な一人芝居のようだ。自分一人だけが解っている、この反射。 眼差しを全て隠せるというその利点だけは、買っておこう。くだらないゴーグルの価値を一つ見つけて、それに縋らなくては何も見る事の出来ない自身を嘲るように笑った。 何一つ欠損のない目の前の若い男に、なにが見えるのだろうか。真実を知らず、闇雲に駆け回るだけの、いまは体調すら完全ではない愚かな男に。 どれほど罵っても詰っても貶めても、おそらくは無意味と解っていながら、それでも僅かほどもない可能性に縋るように、そんな事を思う。 ………舌を焼き尽くすような感情を腹に押さえ込み、閉ざした睫毛のまま、冷えきった声を紡いだ。 「砂糖とミルクだけじゃ、カフェ・オレは作れねぇんだ」 苦みを舌に感じながら、言葉を紡ぐ。 嘘は吐かなくとも、自分の舌はとうに穢れただろう。成せなかった約束があまりにも多すぎる。真実を語るものだというには、この唇は汚濁を啜りすぎていた。 それでも、だからこそ、告げる言葉が、ある。 「……………どれほど苦かろうが、必ずコーヒーが必要だ」 無垢なる白を残す事なく染め上げる、深く濁った闇色の液体。 優しい真実などこの世にはない。甘い結末などあり得ない。………全ては必ず、苦みと痛みを内包して、この世は成り立つのだ。 ………そうでなくては、あまりにも。 告げかけて、口を閉ざす。今度こそ話は終わったと背を向け、足早に歩き去る。 背中に小さく聞こえた、咳き込む音と………震える掠れた声。 「それでも、信じます」 一体何をそこまで信じるのだろうか。 ……………絶望的な、綾里真宵の生存か。 自身の依頼人の無実か。 自分が明日、被告人の無罪を勝ち取る事か。 それとも。 思いかけ、夢想じみた可能性に自嘲的に笑んだ。 自分を、など。 あまりにも馬鹿げた夢見事だ。 そっとゴーグルの奥から見上げた空は、弁護士席で見かけるあのスーツの色に、よく似ていた。 ゴドーさんでしたー。そして前編と銘打っていますが、それぞれ視点が変わるので特に繋がっているという認識で見なくても平気です。ゴドー視点は終了。 ひっそりこっそり冥ちゃんも出てきました。彼女はどうも成歩堂と一緒にいて好意を見せる、という感じではないので書くのに四苦八苦です。第三者視点から見て、本人に気づかれないところでこっそり優しかったりはするのですが(笑) ………あれ、御剣よりよっぽど男前だね。冥ちゃん。 次は冥ちゃん視点でゴドーさんが帰っちゃったあとのちょっとしたやり取りですよ。 07.9.2 |
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