柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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大泣きを、した

どれほど振りかなんて、考えられないくらい
ただ泣きたかった
ずっとずっと溜め込んでいたそれを
吐き出してしまいたかった

あまりにも多くの事が重なって
きっと自分の中は、ぐちゃぐちゃだった


どうして どうして どうして


疑問符しか浮かばない脳みそが疎ましい
自分が欲しい言葉は
浮かべたい言葉は、これじゃないのに…………



ねえ、だから、その手を…………





その腕の中の、



 何もかもが終わった。
 ………たった一人尊敬していた師の終焉を、この腕で感じた、あの悪夢のような夜。
 その後の怒濤のような裁判も、今終わった。全ての真実は明らかになり、悪事は露見し、失われたものは取り戻せなくとも、彼女の成したかった事は、遂げられた。
 せめてそれだけでも供養になったと思っていいのだろうか。優しく微笑んで礼を告げてくれた人を脳裏に浮かべ、否定したくなる。
 生きていてほしかった。ただ、傍にいてほしかった。傍にいる事も叶わないなら、連絡を取り合えればそれでいい。
 …………………………ただ、消えてなくならないでほしかった。
 ぽつりと浮かんだ意識。幼い頃から繰り返される、喪失という名の恐怖。
 被告人席から退出する自分の前を颯爽と歩んでいく、かつての親友。今もまだ、自分は友達だと思っている、人。
 失われたなんて思いたくないのに、彼は全精力をつぎ込んで自分を拒む。忘れてしまったのならそれでいいのに、自分を覚えていながら、否定するのだ。
 忘れたいと、頑なに全てを拒む。
 ぼんやりと法廷内を見回す。先ほどまでいたはずの真宵は、どうやら先に控え室に帰ったようだ。自分の周囲は空虚な程、何もない。
 これから自分が一人前になるまで、ずっと一緒にいてくれると思っていた人は、あっさりと姿を消してしまった。そしてもう二度とこの手は届かない。
 探し出せばきっと昔のように笑ってくれると思っていた人は、顔を顰めて近づくなと拒む。再会などしたくなかったと吐き捨てながら。
 どうしてだろう。自分が願った事は、いつだって叶わない。そんな大それた事は願わないようにと思っているのに。ただ、隣で笑ってくれればそれでいい。失われる事だけが、自分は恐ろしい。
 それなのに、いつだって運命は過酷で、自分に喪失ばかりを突きつける。
 「なるほどー!」
 虚ろな目でまだ動かないでいた自分に、傍聴席から声がかかる。策越しに見えたのは、幼い頃からの友人。いつもと変わらない間の抜けた表情で、でも……その目だけは、労るように揺れている。
 彼は、恐らくこの世で唯一自分の弱さをよく知っている人だ。
 拒まれる事、失う事、消え失せてしまう事。この手ではどうしようもない事を自分がこの上もなく恐れ、それ故に怯えている事を、知っている人。
 ふらりと揺れるように彼に近づく。係官の静止の声が聞こえた気がした。それでも、止まれない。
 彼の揺れる目が自分を通り越して、警察関係者の出入り口を見る。もしかしたら、見えたのかもしれない。幼い頃から自分が探し続けていた相手がそこにいる事を。
 けれど裁判の傍聴など、彼にとっては子守唄のようなものだろう。きっと内容など知らない。それはそのまま、自分が争った相手検事が誰であるか、気づいていなかった事も指し示す。まだ、彼は知らない。知らないなら、知らないまま、いつもの言葉が欲しかった。
 ………彼までもがその言葉を否定してしまったら、自分は本当に何も見えなくなってしまう。
 「お前、すげぇ顔、してんぞ。おい、平気かよ」
 間近に寄った自分の顔のひどさに彼が呟いた。げんなりとした顔を見る限り、相当嫌な顔なのだろう。
 苦笑しようとして、唇が動かない事に気づく。笑う事さえ億劫だ。………思い、俯きかけた頭を、彼が撫でる。
 公衆の面前で子供扱いをするなと怒鳴ろうと思った瞬間に、ボロリと、目から雫が落ちる。
 ぽたぽたと次々に頬をたどり床を彩るそれに驚く暇もない。それを眺めて、ようやく自分は気づいた。
 …………ずっとずっと、泣きたかったのだ。あまりにも目紛しくあらゆる事が変化して、自分の心は追いつけなかった。大切な人ばかりが消えていく現実が、この上もなく悲しかった。
 揺れ動く自分の思いこそが、疎ましかった。
 「………うっく……う……」
 最初は留めようと、震わせた肩でなんとか深呼吸をしていたけれど、結局は無駄だった。ぐしゃぐしゃと髪を掻き混ぜる彼の指先がセットを崩して、自分の顔を隠すように髪が舞い落ちる。
 視界に揺れる短い黒い髪。歪んだ映像の中ではそれすらぼやけてはっきりとはしなかった。
 恥も外聞もなく、泣きわめいた。大声で、それこそ昔同じように被告人としてここに立たされたあの日のように。
 周囲がざわめく。係官の驚いたような声。裁判長の素っ頓狂な慰めの言葉。遠い場所では刑事の慌てふためいたような足音もする。
 それでも、自分の頭を撫でてくれるのは彼だけで、被告人として立ったあの日、自分を心から信じてくれた人はもういない。幼い日、たった一人クラス全員を敵に回してまでも自分を庇ってくれた人も、その腕を差し伸べてはくれない。
 失ったのだろうか。もう二度と、帰ってこないのだろうか。
 その心が自分に寄り添ってくれるなら、自分はこんなにも悲しくなどならないのに。
 …………ぬくもりなんていらない。言葉だって交わせなくてもいい。ただ、知らしめてほしいだけだ。自分を信じてくれる、その意志を。自分を認め受け入れてくれる、その心を。
 そんな小さなものさえ、自分は掴めない。
 ずっとずっとそれだけを求めて歩んできたのに、差し出した信頼も友情も何もかも、彼は踏みつけて(ないがし)ろにする。見たくないと、顔を背ける。
 それならいっそ忘れてくれればよかった。
 覚えていないというなら、あのほんの一年にも満たない日々を忘れたというなら、また一からやり直せもするのに。
 覚えていて、その上で、拒むのだ。自分という人間をいらないと、不要なのだと、否定する。
 「久しぶりだなーお前が泣くの」
 前はよく泣いていたのにと、からかうように彼はいって、楽しんでいるみたいに笑った。それでも指先は優しくて、袖口で涙を拭ってくれる。多分、ハンカチなんて気の利いたものは持っていなかったのだろう。
 大分落ち着いてきて、涙の量も収まってくると、彼はまたぐしゃぐしゃと頭を撫でた。そっと俯かせて、顔が見えないようにしてくれる。どうやら自分の後ろにはそれなりの人数の人間が控えているようだ。
 ………考えてみればもう退廷の時間だ。係官たちだって自分を外に出そうとするだろうし、先ほど声をかけていた裁判長たちだって気にかかって離れられなかったのだろう。
 随分と迷惑をかけたようだ。もっとも、そんな冷静に考える以前に、この状況の居たたまれなさの方が上で、いい歳をした大人がこれだけ盛大に泣き喚いたあと、どんな顔をすればいいというのだろうかと悩んでしまう。
 「何年分だろーなぁ。泣き溜めると爆発するから止めとけっての、バッカだなー」
 ひらひらと揺れるように彼はそんな事をいって、一応のフォローをしてくれた。擦られた頬が少しひりひりする。目元はさぞかし赤くなった事だろう。顔でも洗い、きちんと冷やさなくては腫れてしまう。
 「大丈夫だぜ、なるほどー」
 そんな事を考えていると、能天気な声が降り注ぐ。ぽんぽんと頭を叩いて、肩を叩いて、背中を撫でる手のひら。
 きょとんとして、彼を見やった。まだ少しだけ滲んだままの視界で、彼はヘラリと笑って口を開く。
 「目一杯泣いたなら、まだいけるって」
 「……………?」
 「信じたいなら信じとけよ。大丈夫、お前だしな!」
 泣くくらい凹むより、笑って信じると言い切る方が自分らしい。そんな風に笑って、彼は肩を叩いた。何もまだ知らないだろうし、なんとはなしに勘づいていても、知らないままでいてくれるだろう。………自分が言うまでは。
 彼は、信じろとは言わない。ただ、自分がしたいようにすればいいという。
 信じたいなら、疑う事なく信じればいい。現実の辛さも苦しさも全部飲み込んで、それでも信じたいという希望が消えないなら。
 愚かでも滑稽でも何でもいいから、信じてしまえばいい。どうせ心に嘘はつけないのだ。
 彼はそんな風に笑って、最後に気合いでも入れるかのように自分の頬を両手で思い切り叩いてくれた。
 「……………ったー!!!」
 「さっさと顔洗ってこいよー、かなり間抜けでかっこわるいぞ、その顔」
 叩いたせいで赤みも増量した頬を撫でるように庇いながら、あっけらかんと言い放つ相手の言葉を睨む。
 無言で背中を向けて帰ろうとする自分の背中に、なんの気負いもなく不意に、彼がもう一言付け加えた。
 「でもよ、たまには泣いとけよ。その方が、楽だぜ」
 昔みたいにとは言わず、彼は笑った。多分、それは苦笑だっただろう。
 思い切り泣いて、ぐちゃぐちゃになった思考は流された。防ぎ止めて抱え続けたものが、まるで全部消えたかのように。
 ずっと怖かった。変わろうと決めた日から、泣く事を押さえ込んでいた。
 泣いたなら、涙と一緒に決意も流されそうで。揺れ動く自分の意志を留める事への不安が、ただひたすらに飲み込む事だけを奨励して、いつの間にか自分の中は許容量を超えていたらしい。
 自分では気づかないそれも、間近にいた彼には解ったのだろうか。あるいは、ただ単に適当にいった言葉がたまたま正しかっただけか。
 どちらでも、この際よかった。真意はどうであれ、自分にのしかかっていた重しが軽くなったこの事実だけは、確かだ。
 係官たちの戸惑いの視線や裁判長のいたわりの言葉が降り注ぐ。それに、小さく笑いかけながら頷く。
 大丈夫。まだ、自分は歩ける。もう歩む先は一人になってしまったけれど、まだ諦めないでいられる。
 こっそりと拳を握りしめ、決意を新たに、あらゆる真実が芽吹いたこの法廷を、あとにした。



 ずっとひっそりと向けられていた、再会したばかりの友人の視線に気づかないまま……………