柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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多分きっと、今までも
そしてこの先も
ずっとずっと、それだけは変わらない

確信とともに、
それを思う。


あの日だけは、永遠に…………





たった一度きりの



 互いに同じ資料を見合いながら、過去の事件の討論をしていた事に、たいした意味はなかった。
 たまたま彼の事務所に来て、たまたま彼の手が空いていて、たまたま夕食までの時間があった。そんないくつかの偶然が積み重なり、ちょっとしたゲーム感覚で、既に判決の下った資料を元にそれを再現していた。
 こうしたやり取りはそれなりに法廷でも役に立つ。数をこなしていない新米弁護士には、特に。
 それを彼も理解しているのだろう、食い入るように紙面を睨み、こちらの出す証拠や弁論を一つずつ噛み締めて飲み込んでいる。
 何故そうなったのか、どうしてその結果が現れたのか。過去の事件であっても、結果が出ているものであっても、それでも幾度でも人は考え直し思い直す。
 それは自分自身の軌跡に関しても同じだろう。振り返り、その道の中の要所、選びとった理由、その結果、あるいはあったかもしれない仮定の未来の想定、現実との比較。数限りなく人の脳は考え出していく。それを繰り返す事だけが、ディベートの練習だ。地道な上、個人で行うのは困難なものでもある。
 だからだろう、この事務所唯一の弁護士である彼は、時折このゲームを持ち出してくる。座学よりも実践学のタイプである彼にしてみれば、法律書と睨めっこをするよりもずっと有意義で身になるのだろう。
 思い、ふと振り返る。自分は彼と同じ経験値の頃、なにをしていただろうか。なにを目指し、なにを思い描き、なにを想起して己を律したか。
 今であれば、おそらくはあの裁判。…………自身が被告となったあの法廷での、出来事だろう。 
 どんな人間であっても罪を犯す現実を突きつけられ、同時に、それすら飲み込み前を目指す生き物がいる事への、感嘆と恐怖と羨望。
 まだ幼く殻に籠っていた自分はそれらを昇華しきれず、結局は全てから逃げ出すなどという愚かしい真似をしてしまったけれど。
 「……そういえば…」
 「ん?」
 そんな事を考えていたなら、不意に呟いていた。ちょうど3件目の疑似法廷が終わったところだった。
 脳裏に引っかかっただけで、特に告げるつもりもなかった言葉だが、漏れてしまったものを彼が聞き逃すはずもない。
 きょとんとした目でこちらを見やった彼に苦笑し、持っていた資料を机に乗せて、紅茶の入ったカップを引き寄せた。一口それを飲み込み、そっと戻してから、再び口を開く。
 「いや…たいしたことではないのだが」
 「気になるから言えよ。どうかしたか?」
 この公判についてかと紙面とこちらの顔とを交互に見やるが、自分が資料を机に置いた事で繋がりがないだろうと推察したのか、彼も同じように資料を机に乗せた。
 真っすぐに彼がこちらを見る。
 何でもないともう一度言えば、おそらくは不可解そうな顔をしながらも退いてくれるだろう。
 彼は不必要な介入はしない。相手が自分で答えを出すと決めた事に、干渉しない。それは相手への信頼であると同時に、けじめでもあるのだろう。
 互いに大人だ。立場もある。不要な詮索を好む性質でもない。許されている範囲でならば図々しい彼だが、その見極めは見事なものだった。同時に、一線を引かれている事も確かで、彼は自身の内面にある痛みを決して人に晒さない。
 痛みを、誰かと分かち合う事を知らないかのようだ。否、恐らくは、固定された人物にしか、それを晒せないのだろう。親しみや信頼などといった範疇とは別の、積み重ねる事でしか築けない時の絆を得たものだけにしか。
 思い、憂鬱な溜め息を寸でのところで飲み込んだ。
 思い出してしまう。彼と争った、初めての法廷を。彼自身が被告とされ、自分は彼を有罪にするためにだけ、戦った。彼を信じるとか、無実を垣間見ようなどとは一切考えず、ただ目の前の被告人を断罪するためだけに、見出された証拠品を並べ、論述し、追い詰めた。
 それはどれほどの痛みだっただろうか。…………悲しみだっただろうか。
 もしもいま自分が同じ事を彼にされたとしたなら、それこそ死を選んだとしても不思議はない。自分が彼にした事は、それほどまでに卑劣な事だっただろう。
 彼が振り返る過去があるなら、それだろうか。
 ……………裏切りと痛みと絶望と。あらゆる汚濁だけがあった、あの法廷。それを二度と再現させない事を思い、彼は日々を生きているのだろうか。
 「いや……君ならば、今までの法廷のどれを基盤とするかと、思った」
 言い淀みそうな声をなんとか押し出し、苦笑する。まるで今のゲームとは無関係だろうと、そういうように。
 ………だから、答えたくなければ答えないでくれと、祈るように。
 彼が選ぶなら、きっとそれは重しだろう。…………自身を奮い立たせるための、傷だろう。楽な法廷や自身に有利な法廷を基盤にするはずもない。
 彼が何を思い何を見つめ法廷に立っているのか。それは根源は自分と同じではあるのだろうけれど、やはり彼にしか解らないものがあるはずだ。
 それに、自分が立ち入っていいとは限らない。
 ……………自分だからこそ、立ち入るべきではない部分とて、あるはずだ。
 過去を思えばそれは明らかで、愚かな事を口にしたと、微かに悔やんだ。
 「んー、と?真っ先に思い浮かべる法廷ってこと?」
 端的だった言葉では深みまでは伝わらなかったのか、彼は首を傾げて問いかけてくる。
 それに少しだけ安堵して、頷いた。この際、多少の読み違いは奨励してしまいたい。
 自分は彼の事を知りたいけれど、それはそのまま彼を暴く事にもなりかねない。傷を抱えている生き物を捕らえ観察する事は、決してその生き物にとって望ましい事とは限らないのだ。…………たとえその腕が、傷を癒そうと差し出されたものだとしても。
 「そうだな。それならやっぱり、初めての法廷だね」
 呟く彼は、懐かしそうに目を細めていた。
 それは、優しい笑みとも泣き出しそうな笑みとも言える、不可解な笑顔。
 目を瞬かせて、その顔を見つめる。…………彼のいう法廷の事ならば、自分も知っていた。調書も読んだし、何より共通の友人である矢張が被告人だったのだ。彼が幾度もそれを話していたし、それを修正する意味で、成歩堂自身も経緯を話した事は数えきれない程だ。
 それは真っ先に思い浮かぶ法廷というには、随分とお粗末なものだ。確かに初めての法廷で殺人容疑の弁護をするという点を鑑みれば、十分インパクトはあったのかもしれないが。
 そんな思いが顔に出ていたのだろう。彼は苦笑して、こちらを見やった。そうして、微かに首を振る。
 「いっておくけど、初めての法廷だったから、なんて理由じゃないからな」
 矢張の事もこの際関係ないよ、とあっさりと彼はこちらが想定した理由を否定した。
 けれどそれ以外の要素で、彼にとって重要な点などあり得ない。事件自体は単調で、安易なものだった。他に何があるのかと思い悩む自分の目に、彼が映る。
 静かな、笑みだ。微かに細められた瞳が揺れる。そのくせ、ひどく幸せそうな、笑み。
 どの感情に彩られているのか自分には解らない。ただ、ひどく静かな笑みだった。
 そうして、ゆったりと唇が開かれる。それは先ほどまでのディベートとはまるで違う、そっと囁くような、小さな音を紡いだ。
 「あの裁判だけ、だったんだ」
 「……………?」
 「千尋さんが、千尋さんとして、ずっと僕の隣にいてくれたのは………あの日だけ、だったんだよ」
 最初で最後の裁判だったと、彼は微笑んだまま、囁いた。どこか厳かなものを称えるような、静謐に沈んだ音。
 彼は、彼の師を慕っていた。それは……対峙したあの日に十分知れていた事だ。その人の死さえも弄ぶようなあの法廷は、どれほどの絶望を彼に投げつけたのだろうか。
 だからあの日、全ての決着がつきたった一人笑うべきはずの彼が、あんなにも泣いていたのか。
 どれほど願おうと彼はもう二度と、その人とともに法廷には立てない。他者の肉体を使う事で束の間ともにいる事は出来ても、その人に教えを請う事も時間を共有する事も出来ない。
 あの日、おそらくは実感したのか。
 もう二度とその手に還らない命がある事を。どれほどの奇跡の中、その意志だけを舞い戻らせる事が出来ても、失った命は永遠に失ったままだ。
 現実は頑なで容赦などしてくれない。
 「………バカだな、御剣」
 俯き、なんと言葉をかけるべきかを考えあぐねていれば、不意に彼はそう呟いて、そっと伸ばした指先で目を覆ってきた。視界が影に覆われ、彼が見えない。
 振り払うべきかを躊躇い、じっとしていれば、差し出された指先と同じ程の静けさで、彼が囁く。
 「僕は大丈夫だから、泣くなよ?」
 苦笑するような気配。机を間に置いている状態なのだから、彼にとってはあまり楽な体勢ではないだろうに、指先は揺れず、離れはしなかった。
 惚けたように小さく口を開いたまま、彼の言葉を咀嚼した。
 悲しかっただろう。辛かっただろう。絶望しか、見出せなかっただろう。
 それでも彼は一度として立ち止まる事なく歩み続け、前を進み、正しさを具現する事だけに勤しんだ。それこそが供養であると思ったのか。それしか出来る事がないと嘆いていたのか。真意など、自分には解りはしない。
 ……………ただ、揺れる彼の声と、隠されたままの視界が、寂しかった。
 「君が、泣かないのなら…………」
 自分も泣く理由はない、と。子供じみた言い訳をして、そっと彼の手のひらに自分の手を添える。
 揺れた肌。戸惑いに少しだけ彼の吐息が漏れた。それでも覆い隠されたまま、視野は彼に奪われ、隠される。
 今はまだ踏み込めない、小さな距離。

 あの再会の法廷で、彼が泣いたその理由すら、自分は知らない。
 それでも、もう二度と繰り返したくはない。


 ……………聞く者の耳さえも打ち震わせる、幼子のようにいとけない、悲しみの慟哭を。





 昨日アップした『その腕の中の、』とリンクしています。
 私はゲームは基本的に1度しかプレーしないのですが、1−1だけは2回プレーしたのですよ。千尋さんがそこにいるっていうのが、なんだか嬉しくて。
 その時は、これからだって一緒なんだなぁとわくわくしていたのに、その一回きりで。
 だから法廷を思い浮かべると、最初に出てくるのが隣に千尋さんがいる、その時ばっかり。審理としてはあっさり風味で単純なストーリーだったけど。他の嫌になるくらいインパクトのある事件や法廷も一杯だけど。
 んで。独り立ちするために羽の使い方を教わっていたら、唐突に親鳥がいなくなった。イメージ的にはそんな感じだったな、あのあとは(遠い目)あの頃の御剣は思い出しただけでも紅茶ぶつけてやりたくなるしね!(オイオイ)

07.9.6