柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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願うように乞うように
彼に腕を伸ばして
触れることを許してほしいと、幾度告げただろうか

抱擁にすら怯えて
口吻けなど途方もなく遠い行為だ

それでも飽くることなく
幾度も幾度も繰り返す


いつか、彼が慣れて
笑んでくれる日を思いながら





その理由



 手のひらの下、彼の二の腕が震えている。そっと彼の顔を伺えば、固く閉ざされた瞳の代わりに震える睫毛は伏せられたまま、微かに水を帯びて煌めいた。
 自分の影で見えはしないけれど、おそらくは怯えて顔色とて悪くなっているのだろう。微かな溜め息を落として、そっと問いかけるように囁いた。
 「…………怖い?」
 端的な問いにびくりと面白い程彼の身体が跳ねる。至近距離の囁きは吐息すら肌を震わせるのだろう。怯え方も、普段以上だ。
 「解っているなら、止めようよ」
 それでも彼は気丈ともとれるしっかりとした口調で答えを返した。
 視線は未だ彷徨うこともなく隠されたままである点さえのぞけば、いつもと変わらない程だ。その様子に、この距離にも慣れてきたのかと淡い希望が頭を擡げる。
 怯える彼を追い詰めることはしたくないと、諦めている欲求は数多い。大抵の場合、それを慮った彼が、多少の融通を利かせて僅かながらも昇華してくれるけれど、圧倒的に絶対量が違う。
 触れたいと思う思いと、叶えられるそれとは、天と地程の差があることを………おそらくは彼は知る由もないのだろう。
 彼の中、僅かな触れ合いだけで、十分に事足りてしまうというのなら、それが解らないとしても仕方のないことなのかもしれないけれど。
 「しかし……少しは、慣れたのではないか?」
 そっと、希望を滲ませて問いかける。
 躊躇いながらの声に、彼がいつもこちらの希望を叶えようと必死の努力をしてくれるから、それに甘えるように囁いた。
 それでも申し訳なさがなくなる訳もない。自分の不器用さを思って抱き締めるように慈しむ相手の心情を利用するような、浅ましい真似だ。出来ることなら、彼には永遠に知られたくない醜悪さだろう。
 彼は微かに逡巡するように頤を揺らし、睫毛を震わせた。目を開けるのさえ、躊躇われるのだろうか。乞うようにそっと、唇を目蓋の上に落とせば、逆に怯えさせたのだろう、息を飲む喉の音が、悲鳴のようなか細さで鳴った。
 その事実に幾分落ち込みかけながら、いつの間にか込められていた彼を拘束する握力を緩める。その強さが彼の恐怖を煽ることが解らない程、愚鈍ではない。………ただ、そこまで気を回せるのが、とても遅くなってしまうだけで。
 振り払おうと思えば振り払えるように添えるだけに変えた手のひらに、僅かながらも彼の身体から緊張が消えた。それに内心安堵の溜め息を吐きながら、何かを告げようと蠢く唇が開かれるのを待った。
 暫くの沈黙。こちらがそれに押し潰されるより数瞬だけ早く、彼の音が響く。
 「どれほど慣れても、ね?」
 躊躇う口調でそっと囁く掠れた音。……………打ち拉がれたような、寂しい音色。
 ぎょっとして、身体が凍り付いた。恐らく、思考回路さえも。
 彼を悲しませるつもりなどなく、無茶な要求をしてはいるけれど、無理をさせたい訳でもない。それでも、自分は時にその見極めを誤って、彼に傷を与えてしまう。
 …………その傷さえ、一体何故に与えたのか、解りもしないというのに。
 「きっと、君は……君に触れることは、怖いんだよ」
 君のせいな訳じゃない、と。恐らくは泣きそうな顔でもした自分を慰めようとしたのだろう、彼が付け加えるように呟いた。
 自分はいつも己の感情や事象に手一杯で、彼を思い遣ることが不得手だ。誰よりも大事にしたいと思うのに、いつだって空回りしてしまう。
 それ故にいつか彼が愛想尽かすことがあるのではと、恐れて。触れられない恐怖がそれを助長して、悪循環ばかりを繰り返す。
 「………やはり、私のことが……」
 「君を選んだのは僕だよ。それを後悔は、しない」
 疎んじているのかと問う言葉を紡がせることなく、彼はきっぱりと言い切った。真っすぐに向けられた眼差しは、純粋に輝いていてその言葉がどんな打算も介入することのない真情であることを教えてくれる。
 怯える自分に彼はいつだって好意の存在を示してくれる。どれほど怯えようと腕を受け入れてくれるし、その心を差し出してくれる。
 それは事実で、偽りのはずはない。解っているからこそ、途方に暮れてしまう。
 触れることを恐れている彼が、いつかは慣れてくれればと、腕を伸ばし続けた。繰り返されるそれが、彼の怯えを溶かしてくれることを祈るように。
 それでも、彼は言う。
 ……………触れることに慣れ、怯えることさえ無くなったとしても、それでも………自分だけは怖いのだ、と。
 もしもそれが特別な存在としての、羞恥故の怖さだと言うなら、まだ解る。あるいは、睦言とさえ思えるだろう。
 けれど、彼の言葉の重さは、そんな甘やかな響きを含んでいない。
 恐れて、いる。心からそれに怯えている。その日が来ることさえ、躊躇うような、音。
 そっと、彼の二の腕に添えられたままの手のひらを、持ち上げる。逃れることの出来る時間をかけて、彼の頬に寄せた。
 微かに頬が揺れて怯えただけで、彼はそれを受け入れる。
 泣きそうに揺れる瞳。…………まるで、罪悪かのようだ。
 「…………何故?」
 問いかけることは許されるのかと、唸るように言えば、苦笑するように彼が首を傾げた。窘める響きを持って、彼の唇が開かれる。
 「出来れば僕は言いたくないし………聞けば誰もが答えてくれる訳じゃ、ないよ?」
 「…………………ム」
 「解らないから聞くことは勇気があるけど、初めから考えずに聞くことは、勇気じゃないよ?」
 包むように、こちらを気遣うように、ゆっくりと彼が言う。噛んで含めるような、抱き締めるような、声。
 戸惑いを孕んで彼を睨み、何か反論しようとしながらも……結局は、反証に値する論拠を見つけ倦ねて口を閉ざした。
 「……本当のことを教えるとは限らないし、嘘だとしたら……解らないと、困るだろ?」
 だから自分で答えを探すようにした方がいいのだ、と。彼は困ったように笑って、頬に触れる指先を見つめるように瞳を揺らめかした。
 「それでも、私が考えることは、いつも頓珍漢なのだろう」
 「そうだとしても、考えることは大事だよ」
 どれほど苦手な分野で、正解のない問答であったとしても。
 泣きそうな声で告げながら、彼は笑んだ。………見惚れる程、優しく。
 その表情を自分が作らせているとするならば、自分は悲しむべきか喜ぶべきか。それすら、解らない。
 そんな人間に、彼の思う先を正確に把握など、到底出来るとは思えない。それでも彼は、考えろというのだ。間違ったとしても、それによって彼を傷つけることがあったとしても、その努力を絶やすなと。
 「君を……傷つけることは、したくない」
 考えることを厭いはしない。けれど、それ故に彼を悲しませたり苦しませたりするのならば、それらを無くすために、彼の答えを乞う不様さくらい、飲み込める。
 顰めた顔で告げた言葉に、彼はそっと頤を沈め、俯いた。頬に触れていた指先が滑り、耳を過って彼の髪に埋もれる。
 惑うような、間。どんな時も快活のよい返答を自分に与えてくれる彼にしては珍しいことだった。
 彼は彼に関わる事実を告げることを、そうは躊躇わない。躊躇うとするなら、それは晒したくはない傷、だろうか。
 思い………抱き寄せたなら、その傷を癒せるのか抉るのか、その判断すら自分には難しい現実に、眉間に刻まれた皺が深まるのを感じた。
 それでも、と。不意に覚悟を決めるように彼は噛み締めるような声で呟き、その顔を上げる。眼差しは清楚な程、透明だ。それは……あるいは称えられたその水面の揺れ故に、思ったことだろうか。
 「言ったら君は怒るだろうし、悲しむだろうし、…………何より、自分を責めるだろうから」
 寂しそうに泣きそうに彼は顔を歪めて、笑んだ。どんな表情でもその言葉は表現しきれないと、諦めたかのように。
 「………………?」
 彼の言葉の真意が、解らない。
 触れることに恐れるのは、過去における経験故だろう。幼少期のトラウマはそう容易く払拭されるものではない。笑い飛ばせる程に舌に乗せられるとしても、現実に受けた傷は少しのことで傷口を主張し疼くものだ。
 今もまだ克服出来ない地震への恐怖が、鈍い自分にもそれを克明に知らしめる。
 だから、怒ることはあるだろう。理不尽な痛みを与えられた過去の事実に。
 だから、悲しむことはあるだろう。今もまだ彼の中疼く傷を。
 けれど………己を責めはしないだろう。求めることを悔いることなど出来ないのだ。彼が恐れることも怯えることも解った上でこの手を伸ばすというのなら、せめて後悔せずに躊躇うことなくその意志を差し出すのが、礼儀だ。
 だからこそ、彼の言葉が解らない。…………彼は人の感情には聡く、揺れ動く機微を容易く看破するけれど、それがどんな事実に貫かれたモノであるのかを、時に教えず覆い隠してしまう。
 …………気づいたなら、相手が傷つくのだと、言うかのように。
 「だから、怖いってことに、しておいてよ」
 真っすぐに向けられる視線。痛みに、微かに揺れている。
 何が、彼は怖いのか。
 …………何が、自分は理解出来ていないのか。
 解るはずのない問答を胸中で繰り返しながら、途方に暮れた瞳で彼の顔をのぞいた。
 彼の髪に埋められた指先を恐れるように揺らし、髪を梳く。怯えることなく目を細め、彼は笑んで受け止めた。
 何を彼は恐れるのだろう。何に、彼は怯えているのだろう。
 過去の事実以外に、彼の傷はあるはずだ。解っているのに、自分にはそれが見えない。
 「それでも……私は、触れたい」
 その遣る瀬無さを埋めるように、絞り出したような苦渋の声で、彼に乞う。
 理解したくとも理解の及ばない、彼の深淵。晒すことを拒み、癒されることさえ彼は願わず、自身でその傷を舐めて独り克服するのだろう。
 その助力になりたいのに、自分は到底力不足で、ぬくもりを与えることすら、痛みに繋げてしまう。
 とんだ、悪循環だ。彼のためになる部分が一つとしてない。
 解っていて、それでも願うこの浅ましさ。……………悔いるように噛み締めた唇に、彼の指先が触れて、いっそ泣き出したくなった。
 「大丈夫、だよ?」
 なんの根拠もないはったりを口にして、彼は微笑み………そっと、自分の頭を抱き寄せて、その胸に抱きとめた。まるで心音を与えるような体勢に、幼子に舞い戻った気分になる。
 いつだって彼は、自分の前に立っていて…………踞り途方に暮れる自分に手を差し伸べ、こちらだと光りある場所を教えてくれる。
 自分も彼にとってそうありたい。ずっと、彼の元を離れた過去の時間にも思ったことを、痛切に願う。
 自分を抱き締める身体を、失われることを恐れるように………その背を掻き抱いた。

 痛みさえ与える抱擁を、それでも彼は厭わず、小さく小さく謝罪の言葉を口にして。



 そっと、掠めるように自分の髪に、唇を落とした。





 これは……成歩堂視点も書かないと解りづらいなぁ(汗)
 でもそっちも書いちゃうと逆に明け透けでつまらない気もするしな…………。まあ今までに幾度か匂わせてきたことなので、ちょっと他の小説と比較してみればある程度解るはずです。
 形にすると成歩堂が哀れなのか御剣が哀れなのか解らなくなるだろうしなぁ。難しい境ですよ、感情論は。

07.9.11