柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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えっと、ちょっとだけ注意をば。
なんといいますか、普段以上に痛々しいです。いや、お互いに感情としては相手を思っているのですがね。
そのベクトルも違ければ幸せの定義も違うので。
そんな感じにすれ違っちゃっている感じです。
それでも大丈夫、という方はどうぞ。普段の小説でも痛々しいという方は引き返しておいて下さいませ。
………まあ冒頭部分読んでいただければ嫌でも内容の予測がつくかと………














伸ばされる腕を見て
少しだけ、悲しくなる

その腕は、自分だけのものじゃ、ないのに
誰か他の人にだって指し示されるべき
優しさが、あるのに

柔らかくあたたかなその部分を
全て自分にだけ捧げて
それだけが望みなのだと
何も知らない無垢な赤子のように、微笑むから

差し出される全てを見つめて
そのことに喜びを思うことこそが

この上もなく、悲しく、なる





君の知らない思いの行方



 自宅に招かれることは、珍しくもない。彼の自宅のリビングのソファーに身体を添えることも、もう慣れた。あまり他人のテリトリーは好まないけれど、そこに溶けることを願われるから、拒む理由も思いつかずに足を向けた結果だろう。
 与えられた香り高いダージリンと、相性がいいからと勧められたチョコレート。見たことのない英字の箱から出されたそれが高級品であることは自分でも解る。眉間に皺を刻んだ彼がどんな顔をしてチョコレートショップでそれを購入したのかと想像すると、少しだけ微笑ましかった。
 ティーカップの扱いが苦手だからと渋る自分にはマグカップで、彼は普段から使用しているのか、慣れた仕草でティーカップで紅茶を飲んでいる。そんな様子を眺めながら、口の中にチョコレートを放り込んだ。
 カカオの味が舌に広がり、ほろ苦さの中に滋味が溢れる。普段口にするような、量産のチョコレートとは似ても似つかない味を楽しみながら、紅茶も口に含んだ。
 彼は出したチョコレートには手をつけていない。おそらく、これは自分用に用意してくれたのだろう。
 妙なところで気配りの利く彼は、自分が喜ぶだろうことは抜かりなく実行する。そんな真似しなくてもいいといっても顔を顰めて憮然とするばかりで、自分の真意は伝わる様子を見せたことはないけれど。
 ………出来ることなら、自分だけに示されるその心配りを、他の人たちにも示してほしい。
 多分そんなことを彼に言えば、憮然どころか睨み据えられるのだろう。他の人間に示す意味が解らないと。………それこそ浮気を奨励するつもりかとか、そんな勘違いをして。
 ただ、自分は彼を雁字搦めに縛っている自分という存在が、怖いだけだ。それをどれほど言葉に換えて彼に訴えても、彼は解らず途方に暮れるだけなのだろうけれど。
 言葉を重ねても、思いを告げても、どれほどの努力と尽力を尽くしたとしても。どうしても伝わらないものがあることを、自分は知っている。それは多分、自分が彼のその意志を奨励出来ず、憂いを持って見つめてしまうことに重なることだ。
 愛しいと、伝えることは容易くて。触れることを願うことだって、同じくなのだろう。…………この根源的な怯えさえ、なければ。
 思い、こっそりと溜め息を落とす。持っていたマグカップの中で薄い琥珀の水面が揺れる。
 小学生の頃、どれほど周囲とは異質であっても堂々と己の正義を貫いていた彼は、大人になって踞り怯えていた、から。…………周囲の誤解を解く事も出来ず、それに身を差し出して皮肉に笑い、その噂のままのような姿さえ、晒すから。
 彼の中で蓋をされ、禁忌のように厳重に封じられた、出会った頃のあのしなやかな正義の思いを、自分はもう一度解放したかった。それを身に宿し、法廷の中、陰など背負うことなく堂々とその声を響かせてほしかった。
 ただ、彼が彼として生きてほしかった。周囲の思惑も運命の残酷さも無関係に、彼が望み選べる道を、自身で決めて進んでほしかった。
 それだけを願って無茶な真似までして、彼の前に立ちはだかった自分は、確かにあの頃の意志を彼の中に芽生えさせたのだろう。少なくとも、今の彼は憎しみだけに捕われず真実こそが重要なのだとそれを追求してくれる。…………若干の強引さと冷徹さは相変わらず込められてはいたけれど。
 一口紅茶を飲んで、浮かびそうな苦笑を隠す。半ば伏せた睫毛の先で、じっと自分を見つめる視線を感じたから。
 「………成歩堂」
 思った通り彼は自分の名を呼んだ。一度伏せた睫毛を持ち上げて、マグカップをテーブルに戻す。カタンと、小さな音が自分たちの間だけで響いた。
 顔を彼に向ければ、少しだけ困惑した表情が見える。
 …………それに、小さく笑いかけた。不安を与えないように身に付いた癖は、願いのまま、彼に安堵の息を落とさせた。
 「どうかした?」
 「いや、君が悩んでいるような気がしたのでな」
 気のせいならいいと、彼が笑った。優しい、笑みだろう。眉間の皺のない穏やかな笑みは、通常の彼しか知らない人たちにしてみれば、いっそあり得ない姿なのかもしれない。
 それが、悲しい。………自分が与えられているものは、自分にだけ、与えられているもので。
 他の誰にも差し出されることがない。自分以外の全てを拒んで、彼はひたすら自分だけに感情を与える。優しさも慈しみも好意も憂いも悲しみも、心動かされる全てが、自分を起因として、自分だけに帰着してしまう。
 もっと自由であればいい。そう、思うのに。
 彼はこの小さく不自由な腕だけでいいのだと、盲目的なほどの一途な好意を向けるのだ。
 そうして自分に与えられる感情も眼差しも優しく心地よくて、余計に遣る瀬無い。
 もしもそれがほんの少しでも周囲に与えられれば、彼の世界はどれほど安らかになるのだろう。自分が彼を思うように、彼を慈しみ思うものとて、数多くその手を差し出してくれるだろう。
 ただ、彼はその可能性の全てを初めから拒んで、自分だけでいいのだと目を瞑り耳を塞いでしまう。
 自分が彼のためにしたことが過ちだったとは思わないけれど、こんな風に捕らえてしまうことも縛り付けてしまうことも、望まなかったのに。
 「悩んでは……いないよ」
 原因も結果も解っているのだから、悩みにすらならない。この先どうしたならいいかを思い悩む時期すら過ぎてしまった。
 ……………ただ悲しいだけ、だ。遣る瀬無いだけだ。
 そのくせ、彼から離れることも出来ず、彼を解放するための最も有効な手段を選べない自分を、疎ましく思うだけだ。
 どれほど悲しんでも寂しく思っても、結局自分は彼が消えてしまうことだけは、嫌なのだ。
 自分以外の可能性を与えたいなら、自分こそが彼の前から消えればいいのに、彼以外を選べば恐らくは、彼は永遠に自分に顔を見せてはくれなくなるだろうから。…………それこそ、存在自体を忘れ去られるのだろうから。
 ………………思い、想像だけで痛んだ胸に、顔を顰めた。
 この執着心こそが、彼を自分だけに留めてしまう原因だろうに。それでも手放せないと解っているのだから、笑う気にもなれない。
 「成歩堂?」
 戸惑いの声が彼から与えられた。おそらく顰めた顔に何らかの痛みを感じたのだろう。彼が立ち上がる気配がする。小さな足音が、少し足早に近づいた。
 俯いていた視界にそれは写らなかったけれど、怯えたような躊躇いで差し出された両手が頬を包むために近づいたのは、見えた。小さな呼気を飲み込んで、それを受け入れる。間近で安堵の吐息が落とされて、そっと額に口吻けられた。
 ………優しい仕草。自分が怯えたり拒めば、決してそれ以上は求めず己の欲求を留めてくれる。
 甘えて、いるのだろう。その腕は優しくて、自分を傷つけることだけはないと、知っているから。
 ………………………自分だけは傷つけないことを知っているから。
 遣る瀬無く唇を噛み締めて、振り払えない彼の手から離れるように、隣に座った彼の肩に額を埋めた。戸惑うように揺れた肩。ついで頭を撫で、身体を抱き締められる。
 受け入れるべきではない優しさ。自分だけにしか向かない、その感情。
 悲しい寂しい遣る瀬無い歯痒い。………何よりも、彼の全てを奪っている事実が、痛い。
 もしもそれを訴えて、離れようと願ったなら、彼はどうするだろうか。戸惑いと困惑と………何よりも与えられていたものを奪われる恐怖で、憤るだろうか。自分とはあまりに違うベクトルで人を思う彼の意識の向かう先は、どれほど考えても結論が出せなかった。
 彼を傷つけたいわけではなく、ただ幸せになってもらいたいのに。
 ………自分だけがそれを与えるのではなく、降り注ぐ日差しのように向けられる好意の優しさを知ってほしいのに。
 彼はひたすらに自分だけにその眼差しを向けて、他の何も視界に入れない。
 君を解放したいのだといったなら………そんな物思いをする必要はないと、きっと彼は笑うだろう。自分だけがいればいいのだからと、その言葉の悲しみも知らないまま、最上の睦言のように、囁くのだ。
 「………珍しいな」
 嬉しそうな響きで、彼が小さくそんなことを言い、背中に回した腕を愛おしむように強めた。
 甘えたわけではないけれど。…………ただ、悲しみを知られたくなくて隠し込んだだけだったけれど。
 愛しいのだと囁く声が、縋るように自分を抱き締める腕が、絶えることなく注がれる感情が、喉を塞いだ。
 どれほど言葉を尽くしても、意味はないのだろう。
 …………自分が彼を手放す覚悟がない限り、結局は堂々巡りのままの問答。
 解っているくせに諦めることの出来ない自分こそが最も醜いのだろう。思い、彼の全てを与えられる価値などないと、顰めた眉を隠すように俯いた。
 彼は身を寄せられたと思ったのか、自分の肩に頬を寄せ、嬉しそうに笑んでいた。その唇の柔らかさが、切なくなる。

 その笑みが、もっと多くの人に与えられていたのなら。

 そうしたなら、こんなにも、自分だけに溺れるように腕を伸ばさないだろうに。

 優しく愛おしむその腕も。
 包むように慈しむその声も。
 他の一切を求めず差し出されるその感情も。

 涙が出るほど幸せで
 心が引き裂かれるほどに、悲しい。



 ………ただ嬉しそうな彼の意識だけが、軋む胸をあたためるように、響いた。





 ぐるぐるぐるぐる、ただひたすらに御剣の幸せを願っている成歩堂。
 でも面白いくらい二人の意識に違いがあって、どっちにとっても『幸せ』が違っている(遠い目)
 たった一人の全てが欲しいのと、多くの人の腕に祝されてほしいのと、そりゃまるで違う意味での幸せなのだからすれ違うのは当たり前なのですがね。
 幸せの定義など個人のものだから、それを変えろなどということは出来るはずもなく、さりとて自分が変わることも出来ないから、相手の願いも望みも解っていて、それを覆すはずがないと解っている成歩堂がぐるぐるするのは仕方がないのかな。
 それでも自分から離れることも出来ないし、他の誰かを選んで御剣がいなくなるのも絶対に嫌なのだから、傷つくばっかりだね、成歩堂。少しは成歩堂のこと思い遣ってやれよ、御剣(でもきっと彼は十分思い遣っているつもりなんだろうな………)
 自分だけに全てを差し出されるのは、悲しいと思うのですけどね。感覚の違いは難しいものです。

07.10.2