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柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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悲しまないで悲しまないで
この腕が君の全てを守れたなら
そう出来たなら、どれほどいいか

悲しまないで悲しまないで
痛みすら飲み込んで笑わないで
泣いて喚いて罵って
それでも君を、思うから

悲しまないで笑わないで

信じることが全てなんて
そんな絵空事に縋らないで
この腕に、縋ればいいのに





君の祈りと私の祈り



 ぼんやりと天井を見上げる視線は力ない。
 成歩堂の前に紅茶のカップを置き、少し逡巡して、隣に腰掛けた。振動で顔を向けるかと淡い期待を持ったが、無駄だったようだ。見事なほど成歩堂の視線は天井に向いたままだった。
 小さく溜め息を吐く。彼には気づかれないように。
 あまりにも駆け足で終了した、重々しい裁判はつい先程終わった。直後はまだ気もしっかりしていたのだろうが、関係者が帰り始めた頃から、ゆっくりと彼は疲労を覗かせ始めた。
 当然だろう、体調とて、まだ万全ではないのだ。
 一人帰すのも忍びなくて、誘ったならあっさりと彼は付いて来た。あるいは電車に乗ることが面倒だったのかも知れない。自分の家であれば、車の送り迎えが付いていることは明白だったのだから、おそらく正しい推理だろう。
 そもそも、今の彼が通い慣れた路線であっても間違わない保証はなかった。むしろ乗り過ごしたり乗り違えたりする公算の方が高そうだ。
 自分の分の紅茶を口に含みながら、琥珀に微かな波が立つ様を眺める。溜め息は、飲み込み切れなかった。
 歯痒いものだ。………目の前にいて、自分は昨日、確かに彼の手助けをしたというのに。今日の結末を弾き出すことは出来なかった。
 裏切りを何よりも厭う人間が、それを眼前に突きつけられ、もう二度と同じ光景を見ることも味わうこともないと思っていた現実を与えられて、苦しまないはずがない。
 可能であれば、自分が代われれば、良かった。一日などと言わず、最終日も、自分が。
 …………そんな、彼の性格を考えたならあり得るはずのないことを思い、眉を顰めた。
 「御剣、眉間……ヒビ、入っているけど?」
 小さく、久しぶりに彼の声が響いた。車内では眠っていた彼は、その後ずっとぼんやりとしていて声など聞いていない。
 弾かれるように彼に視線を向ければ、ソファーの上で膝を抱えていた幼馴染みは、緩やかな笑みを浮かべながらこちらに顔を向けている。
 ほっと息を吐き出して、口元を引き締めた。
 「先程まで放心状態だった人間に言われる覚えはないな」
 「僕はヒビなんて入れないよ。痛そうだしね」
 嫌味には軽やかな返答が返される。少しは納得がいったのだろうか。そう思い、安堵の吐息とともに彼を見つめた。
 それが解ったのだろう。彼はくすぐったそうにはにかんで、顔を逸らす。今度は天井ではなく、彼のためにいれた紅茶を見つめていた。
 けれどその眼差しは先程のように胡乱ではない。しっかりとした輝きが灯されていて、彼の意志が定まっていることが見て取れた。そのことに小さく笑みを浮かべ、そっと紅茶を飲む。ようやくその滋味が喉を潤した気がした。
 「……とりあえず、暫くは休むといい」
 すぐに無理をする友人を窘めるように告げてみれば、沈黙が返された。片眉を上げて横目で彼の様子を窺う。
 頷かないということは、休む気はないと言うことだろう。これ見よがしに溜め息を吐いて、彼の名を呼んだ。返事は、ない。
 もう一度呼ぶと、彼は困ったように首を傾げながらこちらを見遣る。子供のように抱えた足に頬を乗せて、小さく小さく丸まりながら。
 「だって、それは無理だよ」
 緩やかに首を振り、身体が丸まった分見上げる形になる大きな目が申し訳なさそうに瞬いた。
 それに片眉を上げ、顰めた表情を返す。彼は、苦笑していた。
 「成歩堂、休息の重要性を今更私に説かせるつもりか?」
 「違うよ、御剣。解っているから、止まりたくないんだ」
 力なく笑って、彼はそんな事を言う。疲れていないわけがない。心も身体も、疲弊しているはずだ。
 首を振り、理解の及ばないことを示す。休むべき時が解らないほど彼は愚かではない。休息の重要性とて、解っているはずだ。それだというのに、今を休まず過ごすつもりなど、理解出来るはずがない。
 その思いの滲んだ表情は険しく顰められていたのだろう。彼は困ったように眉を垂らして、少しだけ逡巡するように視線を逸らした後、真っ直ぐに自分を見上げた。
 それに対峙するように、手にしていたカップをテーブルに置く。澄んだ硝子の音が、響いた。
 「今、休むとさ………信じることが怖くなりそうなんだよ」
 だから休めない。そう、彼は言う。
 …………それは、あまりにも今回の裁判が彼を傷つけたということだろうか。憂いに染まりかけた眼差しを引き留めるように、成歩堂が言葉を付け加えた。
 「もうあんな思いはしたくないからさ。信じられるままで、いたいんだ」
 「君は、少しくらい疑うべきだろう。義務として信じるなど、不要だと思うが?」
 負担ならば、信じるという行為を続ける必要はないだろう。たとえそうであっても真実を導けるし、弁護士であることも出来る。
 むしろ彼のように一片の懐疑心もなく依頼人の無罪を信じるものなど、いない。それはある種偏った意識であることも否めない。
 だから彼が負担であるというなら、それを少し緩めるくらい、誰もが認めることだ。彼が心苦しく思うことはないし、辛く思う必要もない。
 踞るように膝を抱く、幼い頃のような成歩堂の姿に零された言葉を、彼は寂しそうに受け止めて、首を振った。なにが違うというのか。なにが受け止められないというのか。それが、自分には解らない。
 「ダメだよ、それじゃあ……」
 「何故だ。それで誰が君を責めるというのだ。少しくらい、肩の力を抜きたまえ」
 「責めるよ。…………僕、自身が」
 困ったように笑う彼が、小さく捧げた音は、ひどく弱々しい。その内容もまた、奇妙だ。
 詭弁ですらあり得ない。言うなれば、戯れ言にも虚言にも近い。彼の言葉により一層眉間の皺を色濃くしたなら、彼の眉もまた、申し訳なさそうにより垂れた。
 彼が自身を責める必要など、ないだろう。疑うに足る理由があるから、疑うのだ。それを責めるのはおかしなことだ。
 この世に疑うべき点のない生き物などいるわけがない。嘘を吐かない人間がいないのと同じことだ。それ故に、疑問を持つことを責める必要性は、ない。それを晴らすまでは疑われるべき点があるのだから、当然のことだ。
 また、そうでなければ、人というものは平気で嘘を吐き保身を図る。疑うということは、信じることと表裏一体だ。それは彼とて知っているはずのこと。僅かに睨む仕草で彼を見遣り、言葉を綴った。
 「疑うべき点を疑うことのなにを恥じる。責めることなど、不要だ」
 切り捨てるように、言い切る。冷たい物言いでもいい。彼は時に無用な傷を背負うのだから、それを回避するためなら、自分が悪役になるくらいは構わない。
 法廷で見せる鋭利な眼差しの先にいる彼は、けれど法廷の時のように冷や汗など流さず、真っ直ぐに自分を見て、緩やかにその目蓋を下ろした。
 「いっただろ。……もう、あんな思いは嫌なんだ」
 だから信じることを止められない。そっと、彼の閉ざされた目蓋が自分の言葉に頷かないことを教えてくれた。
 先程も告げていた言葉に顔を顰める。それがなにを示すのか過去を手繰るが、解らなかった。考えてみれば、自分が知る彼は、ここ数年だけだ。彼という単体を知るには十分な密度だが、彼を彩る経験を知るには、あまりにもその情報量は少なすぎる。
 「あんな………?」
 情報が少なすぎると、そう示すように呟けば、落とされた睫毛が頷いた。目は、開かれない。それが少しだけ、寂しい。
 「………もう、気にしないでいいんだけどね?」
 そんな言葉を言いおいて、少しの間の後、彼の顔ごと逸らされた。
 「君に裏切られたって思っていた頃、さ」
 そっと、彼の右手が左手首を摩る。彼は相変わらず、膝を抱えて丸まったままだ。
 「手首を眺めるの、癖だったんだよ」
 「手、首?」
 ごくりと、息を飲む。その箇所は、あまりに意味のある場所だ。
 ………命を、操れる。それは無意識に人が手繰る、生命の分かれ道。
 「まあちょっと切ったくらいじゃ死ねないけどね。それくらいは知っているよ。切ったことなんてないけどね」
 精々狂言自殺程度の騒ぎで収まるだろうと、あっさりといってのけたその声の明るさの裏、彼はなにを思い生きていたのだろうか。
 彼は、時折ひどく上手く感情を隠す。法廷でのバカ正直な表情を包み隠してしまう。こんな時は、彼が役者を目指していたという事実がひどく間近に迫って来た。
 ……………裏切られたと思う度、同じ強さで死を思う。他者に向けた憤りと同じ重さで、自分自身を屠ろうとする。
 誰かを批判することは、自分自身の首を絞めることだと、彼は言う。
 そんな風に思い生きることは、苦痛以外の何ものでもない。この世に、正しさだけで生きる人間などいないのだ。………優しさだけを与える人間など、いないのだから。
 そして彼の職種はそれらをより凝縮して彼に与えるだろう。負の部分をこそ、覗かなくてはいけない仕事なのだから。
 それでも、それらは無くならずにいるというのか。幾度となく、それは彼の首を絞め息を掠れさせたであろうに、繰り返し与えられるのか。仕方がないと、忘れればいいというのに。
 「君は少々、潔癖が過ぎる」
 苦々しく呟けば、膝に埋められた唇から明るい音が響く。
 「君ほどじゃないと思うよ、御剣検事」
 「………止めたまえ。無理をして欲しいわけではない」
 自分のことまで気遣うなと告げれば、こちらを覗こうと少しだけ首が揺れて………そのまま、戻されてしまった。
 きっと、その顔は笑っていたのだろう。自分の望む物を捧げられないと解っているから、彼は顔を晒せない。………もっとも、泣いていたならなお、意固地に見せはしないのだろうけれど。
 「だからさ、僕は、信じないと生きていられない」
 「…………」
 「これは、もう、僕の一部だ。それを裏切ったら、息の仕方が解らないよ」
 ぎゅっと握り締められる拳。おそらくは彼自身、そんな性情の在り方に疑問はあるのだろう。それでも迫り来るものを、知っているのだ。
 与えられなければ動き出せない人間はいる。………それを、自分はよく知っている。
 踞る人間を見過ごせない彼が、それから目を逸らすことなく生きるということは、そうした道しか残されなかったからなのだろうか。
 自分には解らない、感覚だ。あるいはこの理解自体、誤っているのかもしれない。彼がなにを思いそれを受け入れているのか、自分には見えない。
 見えない、けれど。
 「ならば、私を信じたまえ」
 悲痛さを押し隠して、そっと言葉を紡ぐ。解らないことが苦しい。彼と同じものを、自分は見られない。
 互いの立ち位置が違うからこそ高め合えるのだと、解っている。解っているけれど、彼の痛みも苦しみも、その本質を知り得ないことが、痛い。
 「……………?」
 不思議そうに顔を上げた成歩堂が、小さく目を見開いた。その目に映っていたのは、泣き出しそうな自分の顔。
 …………苦笑も浮かばない。その目を覗き、そっと髪を梳く。視界に入った己の指先は、滑稽なほど震えていた。
 「休んでも、君は怯えなどしない。私が呆れ果てるほど、また、次の依頼人を信じ抜くだろう」
 いっそ疑えと罵りたくなるほど、一途に。それしか知らない木偶のように。
 純一の生き物は、それ以外の方法を知らない。おそらくは………彼は憎しみの本質すら、知らないのだ。
 自身を責める意識を織り交ぜた憤りなど、憤りにも入らない。そんな人間が、厭う意識を携えられるわけがない。
 自分のような罪深い命にすら腕を伸ばし続けたくせに、彼は彼自身のことを知り得ていながら、知らなさすぎる。自戒ばかりの、聖職者のように。
 「御剣…………?」
 話が噛み合ないと困ったように笑う成歩堂に、泣き笑うように笑んだ。震える指を動かして、肩を抱くように腕を回し、その頭を引き寄せた。
 こつんと、少しの痛みとともに互いの顳かみが当たった。小さなぬくもりに、飲み込みかけた息を吐き出して、囁く。
 「君の言葉ではなく、私の見解を信じたまえ。君よりも余程、君のことは知っている」
 その、愚かな純正も。滑稽な至純も。詰るに値もしない、尊い意志も。
 自分は知っている。そしてそれらが数度程度の絶望で潰えてくれる程脆弱ではないことも、知っている。
 ………ゆっくりと、幾度も告げる。信じろと、告げる。
 それだけが、彼の意識を動かすだろう。自分の言葉で彼を休息に導けない情けなさを噛み締めながら、それでも根気強く繰り返した。
 ゆっくりと、彼が頷くその時まで。
 彼が自分に差し出してくれた腕にかけた時間に比べれば、微々たるものだ。そう、自嘲で笑みを染めながら、繰り返す。

 重なった顳かみが、互いの血流を教える。

 彼が眠りを思える時まで、もう僅か。
 自分の言葉を信じてくれるまで、繰り返す。


 せめて言葉を捧げられることを、感謝しながら……………





 正しいのか間違っているのか。そんなことは誰にも解らないし、否定される謂れもないけれど。
 人を疑って生きるくらいなら、一人になった方がマシだし、それすら許されないなら、さっさと幕を引きたいと願う。
 それでも生きなきゃいけないから、人は人を理解して、疑問を解いて、出来る限り、心寄せて生きるのだろうと。
 まあそう思うのですが、言うと大抵私らしいと苦笑されて終わります。
 同じように思って欲しいよ、という祈りは、多分この先もそう簡単には受け止めてもらえないのでしょう。ま、死ぬまでに誰かが受け止めてくれればいいことです。気長に気長に信じていきましょう。

08.5.14