柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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強くなりたい
悲しませないくらい
不安にさせないくらい
寂しく思わせないくらい
強く、なりたい

大丈夫と笑いかけて
頷いてもらえるくらい
平気だと断言して
笑いかけてくれるくらい
強くなりたい。

だから、内緒
絶対に、内緒
彼にだけは、弱味なんて、見せたくないんだ

…………だから、強がらせてよ





橋の渡し人



 見上げた先は見慣れた事務所の天井だった。ぼんやりとそれを認識して、そのまま瞬きを数度繰り返す。
 周囲を見ようと首を巡らせた。ソファーに横になっているせいだけでなく、それは少し困難だった。
 ………ひどく、身体が重い。ぼんやりとした思考が緩慢に動き、ようやくそのことを自覚する。視界の端に映った時計はそろそろ午後3時を回る。どうしても耐えきれなくて仮眠のつもりで眠ったのが確か11時過ぎ。昼食を抜かせばいいだろうと思っていたが、随分と寝過ごしたらしい。
 小さな吐息を唇から落とし、起き上がろうとした瞬間、グラリと世界が揺れた。
 地震かと思い咄嗟にソファーに縋る。………その感触のあまりにも頼りないことに不信感を持ったのと、そのままソファーに倒れ込んだのはほぼ同時だった。
 「…………………………」
 たっぷり10秒ほど思考を停止させた後、喉奥が少し痙攣して自分が笑っていることを知る。
 地震でもなんでもない。純粋に自分だけが揺れていた。ようは………貧血か、あるいはそれに似通った症状だろう。医者ではない自分に判断はくだせないけれど。
 そんなこと、起きた後に首を巡らすだけでも億劫だったことを考えれば自ずと、推察できることだ。相当身体が弱っているらしいと、思考力の低下で理解した。
 机に手を伸ばし、引き摺るようにしてそこに転がっていた携帯電話を引き寄せる。それだけの仕草がひどく疲れた。
 なんとかそれを手にし、ソファーに寝転がったままのだらしない姿勢で、なんとか通話に持ち込むことの出来た携帯電話をソファーに転がした。そのすぐ傍に顔を寄せ、身体を本格的にソファーに沈ませる。眠りに落ちる前に出てくれることを祈っていると、それは存外すぐに叶った。
 『おう、成歩堂!どうしたよ?』
 珍しいなと真っ昼間からすぐに携帯電話に出ることの出来た友人が明るくいった。それに苦笑しながら、ホッと息を吐き出す。
 「…………気持ち悪くて起き上がれないんだ」
 『なんじゃそりゃ?』
 「何か食べるもの、持ってきてくれ」
 『はぁ?』
 「昨日の昼辺りから、食べた記憶がない」
 『…………………………………』
 端的な言葉で現状を伝えてみれば、怪訝そうな声はすぐに沈黙に変わった。これ以上しゃべるのは正直つらいと思い、頼んだよと小さく告げるとすぐに、通話を終了する。
 その後何度か携帯電話は存在を主張するように震えていたけれど、自身の震動で勝手にソファーから滑り落ち、そのままになった。それを拾うのも気力は残念ながらなかった。あるならば初めから落とすようなへまもしない。
 回転することを放棄したらしい思考を持て余しながら、そんなことを思い目を瞑る。………このまま眠っていれば楽だけれど、胃が軋むように痛かった。
 蹲れば少しはましかもしれないと身体を丸めるけれど、あまり効果はなかった。今朝から考えてみると、あまりお茶も飲んでいない。脱水にでもなりかけているのだろうか。………どこか冷静な部分でそんなことを考えていると、思ったより時間が潰せたのか、それともどこかで意識を失っていたのか、事務所の外、聞き慣れた乱雑な足音が響いた。
 慌てているのだろう、足をもつれさせるような間の抜けたその音は、それでも大急ぎで扉の前まで辿り着いた。
 その勢いのまま開けられたドアが盛大な音をたてた。…………壊れていないよな、などと考えているのは多分、胃の痛みから逃れたいがための現実逃避だろう。
 「ってオイ!お前、顔真っ青だぞ!」
 挨拶など無視をした、ぎょっとした彼の声を聞きながら、やっぱりそんな顔色をしているのかと苦笑した。多分、表情は動いていないけれど。
 心配そうな顔でそっと足音を忍ばせるように彼が近付いてくる。ぼやけた視界でそれを眺めながら、起き上がることもなく待った。
 「とりあえずほら、葛湯持ってきたぞ」
 冷たいものは胃を刺激するだろうと、彼は紙コップに注がれたそれを自分の横たわるソファーの傍でしゃがみ込みながら覗かせてくれた。コンビニの袋から察するに、紙コップもそこで買って、お湯を注いでもらったのだろう。あれだけ盛大な足音を響かせておきながら、よくこぼすことなく持ってこれたと妙な感心をしてしまった。
 眠った態勢のままの自分の肩の下に腕を入れて、軽く起き上がらせて、そのまま肩に凭れかけさせてくれる。そうしていなければまたソファーに沈みそうで、身体を支えることもなかなか力を使っているのだと、冷静な自分が分析していた。
 「飲めるか?少し飲んでから、何か食った方がいいぞ?」
 「……………」
 彼の言葉に小さく頷いて、差し出された紙コップに顔を寄せる。口を付ければそっと傾けてくれた。数口をなんとか飲み下したが、それ以上は無理だった。胃が受け付けないのではなく、疲れてしまう。
 首を振って無理だと示してみると、困ったような気配を感じた。
 唐突に呼び出されて看病をさせられて、しかもその相手がこんな状態では、確かに困りもするだろう。そのうえ彼はお人好しで、こんな状態の人間を放っておくことは出来ない。
 「少し……食べ、る」
 困り果ててどうすることも出来なくなった彼がパニックになる前にと、小さく呟いた。それは掠れていて、自分の耳にすらざらついて聞こえる。こんな声なら出さなければ良かったかと思うが、彼は気にしなかったらしい。それ以上に前向きにものを食べる気になった自分に安心したのだろう、コンビニの袋を探る音が耳に響いた。
 意識が浮遊したような状態でそんなことを考えながら、唇に当たったプラスチックの感触に小さく口を開く。ぬるめの粥らしいものが口腔内に広がる。おそらくインスタントの粥を温めてもらったのだろう。
 きっと泡を食った彼の無茶な要求を、店員は目を点にして聞いたに違いない。それでも購入しているものから病人がいることを理解し、聞き入れてくれたのだろう。………まさかこんないい年をした男が病人だとは考えていなかっただろうが。
 数口を口に含んでなんとか胃に送ることに成功すると、軋むような腹痛はおさまってきた。代わりに体内が蠢くような、そんな感覚に眉を顰める。体内活動は無意識が司っている運動だけれど、意識してしまうと気になって仕方がない。ましてそれが普段以上に顕著であれば尚更だ。
 首を振ってその感覚から逃れようと試みるも、何の意味もなかった。仕方なしに情けない顔で隣を伺ってみれば、目を瞬かせた彼が首を傾げた。
 「眠い………」
 呟くと合点がいったのか、頷いてソファーに横になるスペースを作ってくれる。倒れ込まないように肩を支えられてゆっくりとソファーに身体を横たえれば、すぐ頭の先に座る彼の指先が背中をさすった。
 子守唄のようにそれは心地よかった。うとうととすぐに襲いきた眠りに逆らうことなく目を瞑る。遠くで小さく彼がなにか問いかけたけれど、自分はなんと答えただろうか。
 意識が眠りに覆われた唇は、開かれただけであるいは答えなかったのかもしれないけれど。
 …………ゆっくりとさざ波に攫われるようにして、そんな考えも埋もれ、眠りについた。


 「なんだかなぁー」
 呟きながら、横たわった友人を見下ろす。身体が丈夫な彼は、たまに酷使し過ぎてこんな状態になることがあった。前回はいつだったか、覚えてはいないが、とりあえず弁護士になるべく勉強し、その試験が終わった後は看病をした記憶がある。
 集中し過ぎると碌なことがないと、いくら言っても聞かないのだ。実際、食事を採らないとか睡眠が不足しているとか、それだけの状態で、風邪すら滅多に引かないのだから厄介だ。これで体調不良も頻繁ならもう少し体調に気遣うのだろうけれど。
 思いながら、時計を見る。そろそろ4時になるところだ。定時にきちんと上がれるのであれば、あと2時間もしないでもう一人の幼馴染みがやってくるだろう。もっとも、それは確信があるわけではないけれど。
 考えてみれば自分がそう思い込んでいるだけで、彼が呼んだとはまだ聞いていない。まさかとは思うが、連絡をしていないということは………あり得る。
 否定しようと思いながらも肯定してしまった事実に冷や汗を流しながら、じっと目を瞑っている相手を見下ろした。自分には遠慮などない我が侭を平然と言うが、彼はもう一人の幼馴染みにはいわない。どこか依怙地に毅然とした姿を見せることを願っている。
 小さく溜め息を吐き、眠ってしまったらしい彼の顔を覗き込みながら、答えないだろうと思いつつ、声をかけた。
 「なあ、御剣はいつ来るんだ?」
 「…………6、時…………矢張……メール、断って、おいて…………」
 間を開けて、彼の口が動いた。文章としてどうかと思う内容は、どうやら自分が呼び出したのではなく初めから約束していたらしい。…………しかもそれを断るメールを依頼するかと、軽い目眩を覚えた。
 そんな真似をして次に自分が会った時どれだけ恨まれるか解ったものではない。相手の執着心を理解しているようで理解していないこの男は、時折かなりずれた思考でもって相手を気遣う。
 多分、具合が悪いのだから約束は取り止めないといけないとか、相手に迷惑だとか、あるいは………こんな情けない姿を見られたくない、とか。そんな理由だ。相手が看病をしたいとか、迷惑をかけてほしいとか、どんな姿でも晒してほしいとか。そんな風に考えていることを想像もしていないだろう。
 昔から鈍感な部分は鈍感だと思っていたが、自分とは全く違う場所ばかりが鈍く出来ていて、日常生活はそつなくこなせるから、たちが悪い。
 自分の携帯電話を手に取りながら、御剣のメルアドを呼び出す。本文を書いている途中、不意にひらめいた。
 自分が来いというよりも、成歩堂が呼んだ方が、嬉しいに決まっている。ポンと手を打ち、早々に自分の携帯をポケットにしまって、彼の携帯電話の所在を探した。……………まさか自分の足下に転がっているとも思わず、危うく立ち上がる際に踏みつけるところだったけれど。
 その点は目を瞑り、小さな声で成歩堂に携帯を借りる旨を伝え、頷く様を確認する。少なくともこれで、彼からの叱責は免れるだろう。メールを依頼したのも、使用を許可したのも彼だ。たとえ彼に記憶がなくとも。
 こっそり詫びの言葉を心の中でだけこぼして、アドレス帳を探す。『出来るだけ早く来てくれ』と少し素っ気ない感じに書き込んで、自分が書いたことがばれないようにした。もっと甘えるような言葉を書いたら、何があったのかと即電話でもかけてきかねない。そもそも、眠っている彼が常時にそんな言葉を送るわけがない。確実に。
 断言できるのは相手が哀れな気がしないでもないが、それはそれで一つの形だろうと無理やり納得する。彼が苦労していた15年間を間近で見ている身としては、少しくらいの苦労は背負ってやれとエールを送るに留めたいところだ。
 送信終了の表示を見て、携帯電話を机に転がす。



 さして間を置かずに震える携帯電話が、やはり素っ気なく端的な了承の言葉を告げた。


 たったそれだけの文字を書くのさえ、
 きっと喜びを噛み締めているのだろう不憫な友人を思いながら、

 まだ顔色の悪いまま眠る友人の頭を、撫でた。





 『涙にまつわる5つの綴題』の3の前に当たりますね。矢張を呼び出した話です。なんで私の書く矢張&成歩堂はミツナルより甘いのだろうか。不思議だ。
 上記の話の方でもメール云々を入れようかと思い、止めました。でも成歩堂は矢張にいわれて御剣が来る旨は了承しています。だからなんと言い訳するかをちゃんと考えようとして失敗していましたけど(笑)具合悪い時に脳みそ使おうという方が間違っている。
 しかし、どうかしたのかな〜とのんきにやってきてみればドアの先では矢張と眠っている成歩堂、という、ある意味爆弾が待ち受けていること自体、メールを送った意味を半減どころか相殺してしまいますがね。バカだな、矢張。

07.7.25