柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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さらさら流れる空気の音

躊躇うように恐れるように

さらさら さらさら

柔らかく響く音

それは 近く 遠くで響く音

それを知っているよ
何よりも欲しがって 願って
沢山の傷と一緒にやっと掴んだ音

だから、逃げないでよ…お願いだから





満ちる甘露



 頬に触れ、髪を梳き、吐息が掠める。
 くすぐったくて愛おしい。………これはよく見知ったぬくもりだ。そう思い、それを確認したくて微睡みに落ちる意識を必死に奮い立たせた。
 間近な呼気。彼の、匂い。間違えようもないそれに、自分が待ちぼうけて眠ってしまったことも何となく思い出す。
 そうして目を開けようとした時、不意にぬくもりが遠ざかる。
 おかしいと思いながらも、目を開けるという行為に集中していて腕が動かなかった。きっと気のせいだと思いながら、明るい室内に眉を顰めながら薄らと睫毛を持ち上げた。
 「………やっと起きたか」
 声が落ちて来た。それは近くからではあったけれど、吐息に肌が震えるほどではない。やはり心地よかった気配がなくったと、焦るように目を開ける。
 途端、目を射るのは人工的な電気の光。唐突な光量に目を瞬かせてしまう。思わず目を開けてしまったが、おかげですっかり眠りから覚醒してしまった。
 上方からは仕方がなさそうな笑い声が聞こえる。失笑、と言うべきだろうか。
 それを追うように横を見る。隣に立っているらしい相手の指先すら見えない。どうやら彼は腕を組んでいるらしい。
 先程まで、確かにそれは間近にあったはずだ。
 頬を辿り髪を撫で、囁きかけるような呼気が肌を震わせていた。ほんの紙一重の距離にぬくもりがあることを教えるそれらは、微睡みの中、心地よかった。
 それが、何故か遠く離れている。距離としてはいまもまだ近くと言うべきだろうけれど、先程に比べれば果てしなくそれは遠いように感じた。
 何となくそれが不満で、彼を見上げる。
 唇を意地悪げに吊り上げて、なにやら嫌味をいっているらしい彼を見つめて、彼がよくやるように唇を引き結ぶ。
 応えない自分を訝しんだのだろう、彼はさして間を置かずに自分を見下ろした。………そうして、驚いたように目を見開いた。
 「………成歩堂?」
 戸惑うように名を呼ばれて、少しだけ満足した。わざとではないということくらい解ってはいたけれど、何となくおあずけをくらった気分だったのだ。けれど優しい彼はきっと、普段の自分のことを慮ってくれたのだろう。
 だから笑んで、腕のすぐ傍にある彼のスーツの裾を引き寄せる。
 座るように促されたと思ったのだろう、彼は抵抗もなく膝を折る。少しだけ、先程感じた距離に近づいた。
 それに機嫌を良くして、にっこりと笑うと間近な彼にまず初めにいうべき言葉を捧げる。
 「お帰り、御剣」
 「ム。…………ただいま」
 眉間に皺を寄せて彼は応える。恐らくは照れているのだろう、少しだけ目元が赤い。
 それに小さく笑い、スーツを掴んでいた指先を解くと、そのまま彼の腕に寄り添わせ、手首を捕らえた。
 きょとんと、彼が目を瞬かせる。
 どうかしたのかと不思議そうに軽く首を傾げる仕草が愛しい。思い、捕らえた手首を自分の傍に誘導して、頬を寄せた。
 「でもちょっと、遅い。お陰で寝ちゃってたよ」
 すっかり聞き流していたが、先程たっぷり嫌味を言われていただろう事柄への言い訳を口にする。
 これでも自分も彼がいない間、それなりに忙しかったのだ。これくらいの言い訳は許されるだろうと笑う。
 「……………ム、それはすまない…ところで、成歩堂?」
 躊躇いがちに指先を揺らして、彼は問う声音で名を読んだ。
 約束もしていないのに、彼は律儀に謝ってくれる。勝手に家に入り込んでいたと怒られることも覚悟していたというのに、彼は相変わらず自分に甘い。
 そう思い、どこか満たされる思いで頬を寄せていた手のひらに唇を押し付ける。同時に、彼の手と言わず、身体全てが硬直した。
 なんて解りやすい動揺の現れだろう。けれどそれには気づかぬ振りをして、素知らぬ風に声を掛ける。
 「さっき、いい夢見たんだ」
 少しだけ微睡みを引き摺るように睫毛を落とし、ぎこちなく固まったままの指先を見つめる。近すぎる焦点に視界がぼやけてしまい、思わず笑う。
 居心地悪そうに視線を逸らしていた彼は、けれど自分の発言に興味を向けたのか、特に咎めはせずに唇を引き結んでいた。
 「優しく、撫でられた。すぐ近くに大好きな匂いがして、嬉しかった」
 夢の話といってしまえば、目の前の人間がその対象であってもなんとなく照れを軽減出来る。何とも好都合な言い訳だった。
 それでもいつだって不安そうに自分に触れる彼が、言葉の意図を掴むなど不可能だろうと思い、口吻けていた手のひらにもう一度頬を寄せて、目を瞑る。そうするだけで微睡みが頭をもたげて近づいてくる。
 ………あるいは、これはまだ夢の続きだろうか。
 そんなことを思うのは、どこまでも素直でない強情で欲張りな自分が、こんなにも素直に言葉を捧げられるせいだろうか。
 それは確かに、現実感がないような気がして、自分自身でも笑ってしまいそうだった。
 「君に……似てたよ」
 それでも嘘ではないのだと、そう祈るように久しぶりに感じるぬくもりを愛おしむ。
 頬を寄せた指先が揺れる。それはきっと、何かしらを我慢して飲み込むように力を込めたせいだろう。
 いつもいつも怯えて逃げ腰になる自分を彼は知っていて、だからこそ決して傷つけたくはないのだと、そうひたむきに告げてくれるから。
 いつだって自分のことばかり慮ってくれて、我慢や無理ばかりの、彼。
 それを告げることも出来ない、不器用な仕草は愛おしくて。躊躇いがちに腕を引こうとしている彼を見上げた。
 困惑に揺れている気難しそうな顔。引き結ばれた唇は不機嫌そうで、きっと今ここにいるのが自分でなければ、そんな彼を見た相手は即逃げ出すに違いない。
 「触らない方が、いい?」
 いつも自分が拒むのだから、と。選択権を彼に託す。
 少しだけ彼に問うのは狡いだろうなと、そんなことを思いながら、掴んでいた腕の力を抜き、ただ添えるだけに変えるた。
 戸惑いに、彼の視線が揺れる。からかわれているのかとか、試されているのかとか。妙なことでも考えて答えられないのだろう彼に、仕方なさそうに眉を垂らして笑った。
 いつだって怯えるのは自分だ。ぬくもりは安堵よりも戸惑いの方が多かった。それは今だってさして変わらないけれど、それでも時折くらいは、勝るものがあるのだ。
 「あの、ね?」
 そっと睫毛を落とし、自身の座るソファーに視線を落とす。直に目を見て言うには、今はまだあまりにも照れ臭い。
 彼の視線を頬に感じる。否、首筋か、それとも添えたままの腕だろうか。どこだかまでは解らないけれど、彼の意識が自分に集中していることだけは、解った。
 それが、ひどく恥ずかしくも思う。触れたいと祈る自分が浅ましいとも、思う。………いっそ何もなかったことにしたいけれど、それでも指に触れるぬくもりは失い難い。
 「本当にたまに、だけどさ。………僕だって、人恋しい時くらい、あるんだよ?」
 だから抱き締めたいと思う時も、抱き締められたいと思う事もあるのだと。途切れ途切れになりながらも必死に紡ぐ。
 彼は伝えなければ情報が更新されない。そんな少しばかり意固地で困った性情をしている。与えられた情報を歪めないかわりに、そこから発展することがない。
 それには、新たな情報の提供というものが必要不可欠で、しかもそれは、決して曖昧なものでは許されないのだ。
 言葉にすることは覚悟が必要で、覚悟を持つには自分はあまりにも臆病で。
 躊躇いながらにしか、求められない。彼の負担にならないように、足枷とならないように、…………自分だけに捕らえない、ように。
 細心の注意を払って、導くように育てるように、接した。
 それ、でも。………時折ひどく、心細くだって、なる。
 「………君、が?」
 躊躇いながら落ちた彼の声には、微かな疑惑。久しぶりに帰国した彼を慮って無理をしているのではないか、なんて。どこまで彼は自分を美しく彩るつもりなのだろうか。
 苦笑して、首を傾げる。彼の手のひらに頬を寄せるようにして。
 「僕だって、人間だよ。…………寂しいって、思うのは…やっぱりいけないかな?」
 だからいつだって自制しているのだと、揺れそうな瞳を押さえ込み囁く。
 やはりらしくないかと、彼の戸惑いを長引かせないために手を離そうと、した。どうせなら久しぶりの逢瀬くらい、笑顔で埋め尽くしたいではないか。
 自分の我が侭で彼を戸惑わせるのは本意ではないと、いつものように笑おうと目を向けた先、彼はいなかった。
 同時に、包まれた。愛しい、そのぬくもりに。
 その事実に目を瞬かせ、首を傾げながらもその背に腕をまわす。躊躇いながら、力の限りに抱き締めてくる広い背中を撫で、問い掛ける。
 「………嫌じゃ、ないわけ?」
 きっと彼の中にある美しく清らかな自分という偶像とは掛け離れた、それは浅ましい願いを口にしているのに。
 彼の中の自分は、こんな風に弱々しくぬくもりに縋りはしないだろうし、人恋しがったり寂しがったりも、しないだろう。
 普段の自分は確かにそんな淡白な所が強いし、あながち間違ってもいない。それでも、ちょっとしたことの積み重ねで、どうしようもない寂しさが募ることもある。
 それを彼に告げることはまるで彼の思いを裏切るようで躊躇われて、飲み込み続けたけれど。タイミングよくか悪くか、そんな時に彼は帰国して、自分に触れるのだから質が悪い。
 寄り添うように身体の力を抜いて拙い抱擁を受け入れていると、肩に顔を押し付けたままの彼のくぐもった声が間近で響いた。
 「嫌なわけが、あるか」
 「………だって、僕らしくないだろ?」
 「どんな君であっても、君であることに変わりはないだろう」
 遠い月日を経ても変わらないのだと。それを先に示したのは君だろう、と。
 彼は泣き出しそうな声で、それでもひどく満たされたように囁いた。その音は柔らかくて、ぬくもりと同じくらい自分を温めてくれる。
 本当に、らしくない。遠く離れている事だって、会えない月日だって今更なのに。
 それでも帰ってきたという連絡のあと顔が見れない事が寂しいなんて、どこまで自分は彼に毒されているのだろうか。
 ぎゅっと、縋るように抱き締めてくる彼の背中を抱き締める。なんとはなしに、彼が自分を抱き締めたがる理由が解る気がした。
 人恋しい時に愛しい人に触れたいと思うのは、きっと当たり前なのだろう。どこか躊躇いと後ろめたさをもってそれらを感じてしまう自分には、相手を堕落させる不埒さを想起させるけれど。
 腕の中の人を細めた視野に映しながら、小さく小さく息を吐く。

 ………きっと、そうではないのだろうと。
 やはり躊躇いをもって感じる。

 支えるための抱擁もあって、思いを捧げるためにも、あって。
 別々の命だからこそ分け与えられる、そんなぬくもりもある。
 それはきっと当たり前で、後ろめたく不道徳に思う意味すらない事なのだろう。

 深く長く晒される安堵の吐息を肩に感じながら、そんなことを思う。


 愛しい愛しい、たったひとりの人を腕に抱き締めながら。





 本当にたまに、人恋しくなる事くらいはあるのです、うちの成歩堂も。
 普段は周囲が騒がしくてそんなことも感じないし、感じる必要なもないのですが。
 これといった理由も解らないのに、なんだか寂しかったり。まあそれでも口になど出しませんが(笑)
 だからたまに甘えてみるといっそ異様に感じる。困った子だ。

09.6.27