柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



enter






憎しみは憎まないことで乗り越えよ、悪を善をもって乗り越えよ。

貪欲を寛大さで乗り越えよ、偽りを真実をもって乗り越えよ。

真実を語れ、怒りに身を任せるな、求められたら与えよ。




この三つの段階を通じて、あなたは神に近づくであろう。





それは偽ることさえ知らず



 傾けたグラスからは仄かなアルコール臭。
 テーブルに置かれたシャンパンは既に空だ。自身が飲んだ量を思い起こし、視線の先でソファに身をもたれさせている男の酒量を逆算する。
 「流石に、酔ったかも」
 そんな思考が解ったわけでもないだろうに、普段よりものんびりとした口調で彼が言う。
 それに軽く鼻で笑うような仕草で息を吐き、飲みきったグラスをテーブルに置いた。澄んだ高い音がそのグラスの質の良さを物語るようで、嫌いではなかった。
 「当たり前だ。ほとんど君が飲みきっているぞ」
 「だって御剣、あんまり飲まないじゃないか」
 「当然だ。翌日に差し障りのある飲み方などするものか」
 それくらいは常識だと揶揄を含んでいってやれば、顎を晒すようにして天井を見ていた彼はのっそりと首を巡らせこちらを見遣る。
 睨んでくるかと思いきや、その顔はどこかからかうような悪戯心に満ちている。
 「僕は君よりずっと強いからね、これくらいなら差し障りにならないよ♪」
 機嫌のいい声音で子供のような理屈を差し出す彼は、確かに酔っているようだ。呆れるよりはその無邪気さに微笑ましさを感じる。
 普段の彼はどうも自分を前にすると背を正し、真っ直ぐにただより良き道を歩むもののように惑わず美しい歩みを見せる。このような幼さを見せないわけではないが、それにはバツの悪さや躊躇いが必ず含まれる。
 酒に強い彼が酔う量は流石に把握出来ないが、それなりの度数をほぼ一本空ければ流石に酔いは回るらしい。酔うこともないかと思っていたから意外ではあるが、彼とて生身の人間なのだから当然の摂理だろう。
 思い、苦笑が浮かぶ。
 どこかで、自分は彼を生身とは違う生き物として想起する癖があるらしい。
 それを彼が好まないことも、彼という人生を冒涜しかねないことも理解しながら、それでもそのあまりにも躊躇わぬ正しさに、溺れるようにそんな物思いに捕われる。
 「御剣?………どうか、した?」
 例えば、こんな時に。
 …………自分がこんな風に懺悔に捕われるように澱みに足を吸い寄せられれば、まるでそれを見て取っているかのように彼は自身へと引き寄せる。暗がりに、闇に、その身を浸すことはないと知らしめるように。
 「いや、ふと思いついただけだ」
 「ん?………僕、本当に平気だからな」
 これくらいなら気持ちいいくらいで二日酔いにはならないと、彼はなんらかの二日酔い対策を用意されることを警戒するように、心持ち目つきを拗ねたように睨ませている。
 そんな様子が愛しくて、無意識に腕が伸びる。それだけでは距離が足りず、腰を浮かせた。
 じっとその動きを見詰める彼は少しだけ唇を開いて………制止の言葉は発さなかった。ただ恐らくは、受け入れるための覚悟を示すように小さく吐息を落としたのだろう。
 眦に触れ、耳に沿うように髪を梳く。その流れのまま項に触れれば、ひどく熱い。確かに酔いが回っているらしいが、明日辛い目に遭わないのかと一抹の不安を抱く。
 それすら霧散させるように彼は瞳を細めて笑んだ。………普段は照れや怯えから間近な距離でそれを見せてくれることはあまりない。愛おしさに浮かした腰を更に進め、不自由な体勢のまま額に口吻けた。
 朱色の頬が紅に変わるように更に色を増す。そんな初心な反応に笑みを浮かべ、そっとその耳に囁いた。
 「ウダナヴァルガの一句を、だ。君は知らないだろうが」
 「………それ以前に、頭回らないよ」
 この体勢で講義かよと、困ったような声音で彼は呟きながら、小さく身じろいだ。それを拒むようにもう一度、今度は顳かみに唇を寄せる。唇にさえ、彼の鼓動が伝わるようで嬉しかった。
 酔いも手伝ってか、普段のように怯えが見えない。それを考えると、彼の怯えは物理的な意味とはまた、違うものなのかも知れない。そんなことを思いながら、これほど近くにいることを許されながら知り得ない自分の無力さを思い知る。
 きっと、彼ならば。………この目の前の人であるならば、自分の物思いも愚かさも理解して、その上で微笑むであろうに。
 「君もブッダくらいは知っているだろう。ウダナヴァルガというものは、初めの警句集のことなのだよ。勿論、経蔵の一部を元に更に経を集めたものだが」
 「………御剣ぃ、もう現時点で意味が解らないよ」
 まったく話が見えないと既に音を上げた彼の頬に口吻け、そっと身体を起こす。距離は近いままだが、幾分彼にも冷静さが戻るかも知れない。………戻らなくとも一向に構いはしないのだが。
 真っ赤に染まったままの顔で首を傾げ、彼は自分が伝えようとすることを必死に理解しようとしている。まだひとつとして彼が解る情報を差し出していないというのに、健気な仕草だ。
 …………自分には、ひどく身に余る、所作だ。
 思い、彼と同じく眉を顰めるように笑み、彼の髪を梳くことで震えそうな指先を誤摩化した。
 「その中で、『賢明で確固としていて純粋な友がいれば、その者と一緒になり、すべての堕落を乗り越え、情け深くかつ感謝することを知る人間になれ。確固としていて純粋な友がいなければ、広大な王国を捨てた王のように、たった一人で、すべての罪を避けて生きよ』という言葉がある」
 呟く声は幸いにも震えていなかった。ただ無機質なその音が自身を律した結果であることは、容易く目の前の彼には伝わったことだろう。
 一瞬惑うように揺れた眼差しは、垂れそうな眉を一度閉ざした眼差しで留め、軽やかな笑みを唇に浮かべた。
 「…………なんか、前に矢張にもいわれたな…なんか、サイの角がどうのってやつ」
 誤摩化すように彼は顔を逸らしてそんなことを呟き、小さく息を吐く。
 それでも髪を撫でる指先を拒まず、好きにさせている。だから自分のような人間に付け込まれるなど、彼は思いもしないのだろう。
 そんな意識、恐らくは持ち得ていないのだ。自分を許した、あの日からずっと。
 「別に私は、この言葉で自身を正当化するつもりはない」
 「知っているから、腹が立つんだよ。どうせ君、くだらないこと考えているだろ」
 呟く言葉に、彼は鋭い眼差しでもって切り返してきた。
 恐ろしく澄んだ大きな瞳。同じ時間を生きている筈のその眼差しは、自分では成し得ない純乎さに讃えられている。祝されている。
 彼に捧げられる腕は多いだろう。情の深い彼はなかなか多くの人と友好を保つことはなく、代わりのようにその思いを捧げる相手には際限なく与えてしまう。
 枯渇を知らぬ湧き水のように、飢えれば差し出すのだ。それは遠い縁であっても関係はなく、願われれば応じてしまうお人好しの魂。
 ………それはまるで、求めるものには与えよと、分け隔てなくあらゆるものへそれを知らしめた遥か昔の聖人たちのように。
 「僕は、別に宗教になんか興味ないよ。神様だっていらない。………まあ、千尋さんがなってれば別かも知れないけどさ」
 彼女だけはまったく別だからと、てらいも何もなく、後ろめたさすらないあまりに純朴な思慕で彼は告げ、大きく息を吐き出した。
 瞬間、身が竦むような思いで指先が凍る。
 言い出しておきながら、それを彼が勘づいていることを知っていながら、その癖その声が同じ言葉を綴ることは恐ろしいなど、どれほどの浅ましさか、自分でもしれないと嘲笑う。
 その頬を叩くように、彼の手のひらが包んだ。小気味いい音が短く響き、ついで痒いような鈍い痛みを頬が訴える。
 「………ム、」
 「いい加減、マイナス思考止めろよ。僕は君が思う程いい奴じゃないし、正しくもないよ」
 「…………、しかし…」
 「僕はそんな教義だか真理だか知らないけど、誰かの決めた決まりなんてどうでもいい。僕が一緒にいる相手は僕が決める。それのどこが悪いんだよ」
 嫌なら君が同じ理由で拒めばいい、なんて。拒むべきは清らかな君自身のくせに、醜い自分にその選択権を与えてしまう。
 手放せるわけがない。だから、いつだって君にその選択肢を提示してしまう。たった一人自分が跪く相手は、神でも仏でもなんでもなく、恐らくはこの目の前の男なのだ。
 幾度も幾度も同じ過ちを繰り返しては彼に裁きを求めて。けれど彼は裁くことすらなく、ただ許し受け入れて。
 この問答すら幾度と繰り返され、いい加減憤りとて感じるだろうに、それすら飲み込みただ讃えられるのは澄み渡る空のような静謐の優しさ。
 自分を許し救い清めようとする、人。そんな意識すらなく自然にそれらを与え、包んでくれる人。
 ………与えてもらうばかりで返すものもなく、自分が与えてきたのは傷と痛みと悲しみばかりで。
 何をもって自分は報いいれるのか、解らない。与えられるものはなく、自分自身に彼程の価値はなく、彼を手放せる程潔くもない。
 彼の望みを叶えることだけが出来ることで、それすら、彼は傍にいること以外を願うことを知らない無垢さ。
 「僕は、一人で生きるのは嫌だよ。そんなの、当たり前だろ」
 だからそんな風に自分を貶めて逃げるなと、彼は視線を逸らすことすら許さずに頬を包む指先を解く事なく告げる。
 それはまるで、ゆるしの秘跡のようだ。ただ彼に告げ彼が聞き入れたなら清められる、そんな美しい音。
 「…………私、も」
 それを告げることが正しいのか、解らない。手放すことこそが彼の美しさを讃えることなのかも知れない。
 惑い揺れる自分の歩みを正すのは、いつだって彼で。それ故に彼の歩みを躊躇わせ束縛する可能性も知っている。
 それでも。………たとえ、そうであっても。
 幾度同じ物思いに取り憑かれ怖れ戦慄いても、それを告げる先にたたずむ彼が微笑むのであれば。
 「君の傍が、いい………」
 告げることを許されると、願いたい。



 偽ることなく。

 憤りに任せることなく。

 ただ願うままに腕を差し伸べてくれる、君。


 君に寄り添う資格を失わぬように。
 ただそれだけを祈り、この盲者の足を進めよう。


 君という光だけは、確かに見えるこの瞳のまま。








 冒頭部分は『ガンダーリ・ダルマパダ』という経典(?)からの引用です。
 読んでいた本に引用されていたものの引用なので(汗)これの日本語訳があるのかどうかも謎ですがね。ちなみに仏教ですよ。

 多分、以前書いた奴は小乗仏教系統だと思うのですが。これは修行僧のためみたいな教義らしいので。一般に知られているのは大乗仏教。こっちの方が広く慈しみ深い、菩薩的なイメージですねー。
 しかし、宗教の本を読んでいて思うのですが。(哲学や思想的な意味では読むの好きです。無宗教ですが、私)
 基本的に当たり前のことなんですよね…『こうあるべき』みたいな姿は。まあ私も常にずっとそうあれるか、と言われれば難しいので口を塞ぎますけど(笑)
 結構私がこうありたい!という姿に近いので。私の書くキャラたちのイメージに近い。
 それはそれでどうだろう。私の書くもの俗物過ぎる(笑)

09.11.7