柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



enter






呟く言葉には必ず意味を
そんな途方もないこと、出来るはずがない

それでも彼は些細な言葉に
万感の思いを込めて、告げるから
そっとそっと、
気付かれないことすら頓着せずに
告げたりなどするから

一つでも取りこぼさないようにと
不器用なこの心で、すくいとるのだ


………未だそれは、完璧ではないけれど





舞い落ちた一葉の音



 目を瞬かせた相手に首を傾げた。………驚かれるとは思っていなかったからだ。
 そんな自分の様子に彼もまた。首を傾げる。いい年をした男が二人、首を傾げて向き合っているなど間抜けな姿だ。小さく息を吐き出し、相手を見遣った。
 「………なんで君がここにいるんだ?」
 少しだけ戸惑ったような響きで彼がそう呟いた。少し掠れて聞こえるのは彼が寝起きなせいだろう。
 相手の言葉の意味を少しでも理解するのを遅らせるように、そんな現実逃避を図った。もっともそんなことは無意味で、すぐにでも現実は舞い戻ってくるのだが。
 先程よりも若干大きな溜め息を吐き、睨むように視線を眇める。小さく彼の肩が揺れたが、それには気付かない振りをした。
 自分がここに来ることを知らなかったとすれば、原因は一つだ。少なくとも何の連絡もなく来訪するほど、自分は常識がないわけでも礼儀知らずでもないのだから。
 「携帯はどうした?」
 「…………………………………………」
 淡々と問いかけた言葉に彼が僅かに顔を顰め、そっと視線を逸らした。…………おそらくは正しいだろう予測は、その瞬間に確信へと変わった。
 弁護士であった頃は依頼人との連絡に不可欠という、義務上の理由が彼を拘束し、必ずそれを持ち歩く習慣があった。が、それが消えると途端に彼は無頓着だ。持ち歩いていても邪魔だと、忘れることも珍しくない。
 本日三度目の溜め息は、盛大なものだった。これ見よがしなそれに彼は逸らしていた視線のまま顔を顰めた。…………気まずそうな顔は、どこか不貞腐れているようで幼くも見える。
 「君は少々色々なことに無頓着が過ぎるのではないか?」
 窘めるように呟けば、そのことに自覚があるのか微かに彼が肩を竦める。実際、彼は物事にあまりこだわらない。関心がなければほとんどのことを気にもかけない。………執着心が薄いのか、おおらかなのか、非常にその境が微妙だ。
 もっともだからこそ、今現在の彼の生活状況も成り立つのだろう。少なくとも、依頼人の子供であったとしても、普通引き取ろうなどとはしない。国に保護をさせ、たまに面会にいくのが関の山だ。
 諸々の面倒ごとも、自身にかかる負担も、世間の目も気にしないからこその、暴挙ともいえるそれは、確かに小さな命を輝かせるためには不可欠なことだっただろう。もっとも、解っているからといって通常それを敢行する覚悟を持ち合わせている者は少ないのだけれど。
 「事務所にいたから、つい………」
 奥の所長室の方に顔を向けた彼が小さな声で呟いた。おそらくそちらの机の上にでも携帯電話が転がっているのだろう。急用や学校からの電話であれば事務所にかかるはずだからと、そのまま放置していたに違いない。
 彼の思考回路の中には自分が電話をかけるということは、欠片ほども加わっていないのだろう。
 それは多分、関心がないという理由ではなく、忙しいはずの相手が暇な自分に時間を割く意味はないという、彼にとってはひどく単純極まりない理由からだ。合理的な思考を持ち合わせている彼にとって、忙殺されかねない相手が暇を持て余している自身に電話をかける理由など想像も出来ないのだろう。
 仮に会いたいと思うことがあっても、それを律してしまうだろう。自分にそれを告げれば無理をしてでもやってくると、彼はよく知っているから。
 多分……とても彼は我慢強いのだ。殊更に、自分に関わることに関しては。
 その理由の大半が、過去の自分の浅はかな行為によって培われた経験による耐久であることは否めない。そうでなければ耐えられなかったということも、解っている。
 それでも出来ることなら我慢などせず、晒してほしいことは数多い。…………一度としてそれが明確に叶ったことはないのだけれど。
 会いたいと思えば連絡を取る自分とは違い、彼はこちらの状態をまず慮る。自身の欲求よりも相手の疲労を考える。
 問いつめれば白状するそれは、けれど自発的に告げられることはない。告げることがこちらの負担と思っている節のある彼に、それをいくら説いても理解は出来ないのだろう。………時折、自分が彼に押し付ける感情の切れ端たちも彼にとって負担だからこその認識かと、そんな穿った見方をしてしまいそうになるほど、彼はそうしたことに鈍い。
 「もう少し、些事にも目を向けたまえ」
 大事の前の小事と軽く考えていると痛い目を見ると、若干のやっかみを込めて呟けば、彼は不思議そうな顔をして首を傾げた。
 いつ叶うかも解らない彼の願いは、真相を手にすること、だ。この先それが手に出来るまで、彼はいくらでも無茶も無理もするだろうし、自分に知らせることなく、危ない真似だって行うだろう。そうと自覚があるかどうかは別として。
 そんな時に疎外されていたなら、自分とて黙っていられるわけがない。彼ほど気も長くなければ度量も狭い自覚くらいはあるのだ。……………彼の崇高な意志の先にあるものに比べれば、確かに自分の感情など、些末なことでしかないと理解はしているけれど。
 拗ねた子供のような声の響きに、自分自身で舌打ちをしそうになる。実際にしてしまえば明らかにばれてしまうそれをなんとか押さえ込み、不機嫌さを装って彼を睨みつけた。
 彼はまた、首を傾げる。目を瞬かせ、睨む自分を見上げた。
 「………………あれ?もしかして、まだ気付いていない?」
 そうして開かれた唇が告げたのは、まるで今までの会話とは繋がらない、そんな一言。
 一瞬の沈黙。思考が停止するという感覚を味わいながら、じっと見遣る彼の視線を浴びた。何をいわれているのか解っていなければ、おそらくは彼のいう通り、まだ気付いていない、ということなのだろう。
 だが最もいま自分を悩ませているのはそれ以前の点、だった。
 ……………彼が気付いていないと問いかけるそれ自体が、解らない。
 沈黙の中、必死に思い出す。彼の言葉を脳裏に蘇らせながら、それらを紐解いていった。無表情とも憮然ともとれる表情の下、フル稼働された思考は、それでも彼の示す先を見つけだせない。
 「いいよ、そこまで悩まなくても。そっか、やっぱり解ってなかったか」
 しばらくの沈黙の後、何をいうでもなく事実を突き止めたらしい彼が、仕方がなさそうな苦笑とともに囁いた。どこか甘やかすようなその表情は、彼が最近できた娘に向けるそれに似ている気がして、少しだけ落ち込みそうになる。
 法廷であれば同等にやり合うくらいの真似は出来るというのに、ことプライベートでの応酬となると惨敗気味だ。反撃の糸口すら見いだせないのだから、情けないと思える状態にすらいない。
 「前にいっただろ? いつだったかな……ああ、僕が弁護士辞めたって説明したときだ」
 困ったような顔で考えながら教えられた日のことを一瞬で脳裏に蘇らせる。忘れられるはずがない、その日のことを。
 彼が法曹界を去ったその理由を教えてくれた日。彼がこの先何を目指すか、自分にも分かってくれた日、だ。
 思い、顔を顰める。………彼が何を言いたいのかは解ったが、それに繋がる言葉が見つけられなかった。これでは彼がまだ解っていないと言っていた言葉の通り過ぎて、反論の余地もない。
 じっと彼を見遣り、言葉を促す。開かれない唇に自身の予想が当たっていたことを確信したのだろう、苦笑を深めて彼が口を開いた。
 「いっただろ、君が」
 「……………………?」
 「僕が、譲れないことは絶対に手放さないって」
 どこか不敵にそう呟いて、彼は嬉しそうな笑みを浮かべた。屈託のない、無邪気ともいえる笑みは弁護士を辞めて以降はあまり表に出さなくなった表情だ。今現在彼が演じるキャラクターには似合わないからだとあっさりと告げられた言葉に、彼の役者としての意地のようなものを垣間みたのはつい最近のことだなどと、現実逃避に近い意識が流れていく。
 彼の言葉には覚えがあった。自分は確かにいった。が、それが何に繋がるのか、それが解らない。
 「君は相変わらず自信がないよね?」
 にっこりと、柔らかく細められた瞳がほころぶように笑みに変わる。………二人の時に見せる、彼の笑み。
 惹かれるように視線がそれに注がれ、息が詰まる思いがした。自分にだけ向けられる意識と表情。誰にでも優しい彼だからこそ、どんな関係を結んでいたとしても彼が自分にだけ向けるものは、身を痺れさせるほどの歓喜を呼んだ。………もっとも、それを与えてくれる相手にそんな意識は露程もないのだが。
 見遣った彼は、笑んだまま、そっと自分に向けてその指先を差し出した。突き付けるのとは違う柔らかな仕草に、目を丸める。
 くすりと小さな笑い声が耳に響く。惚けた脳には、エコーがかかったような奇妙な響きだった。
 「手放さないよ?」
 そうして彼は、唐突に、何の脈絡もなく、そんなことをいうのだ。いつだって求めても口になどしないし、態度にだって出さないくせに。
 それでも不意に、こちらが油断してるその時に、告げてくれる。


 自分のことを、確かに思っているという、思いの証を。



 沸騰するような思いに頬が熱くなる。

 逸らした顔を嬉しそうに見つめる彼を睨みつけて、
 いっそ抱きしめてもいいだろうかと、手を伸ばす。





 微かな逡巡の後、受け入れられた指先に、小さく小さく安堵の吐息を落とした。





 以前書いた『記憶の中の君で5つのお題』の4話にリンクします。いや、すっかり書こうと思って忘れていました。
 さり気なく携帯着信気付かなかったこと有耶無耶にされていますが、全くもって御剣は気付いていないですよ。駄目だな……ちゃんとその辺は確約させなきゃ(笑)
 うちの成歩堂ははっきりとした言葉でも態度でも絶対に好意は示しませんが、妙なところで頓着なくすっぱりと示すようで。本人に自覚もなければそのつもりもないのですがね。当然のことを当然に告げただけ。
 …………それなのになんで普段は示せないのだといわれてもとても困るのですがね。本当になんでだろうか。

07.7.31