柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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不思議なことを彼はいう
自分と彼は違うのは当然で
感覚も意志も何一つ重なりはしない
それは当たり前のことで、
別個の命なのだから、悲しむこともない

それなら、そう
アパテイアとアタラクシア
そんな風なのかもしれないと
笑って告げれば
不貞腐れたように刻まれた、彼の眉間のしわ


それに微笑を浮かべるのは、人が悪いだろうか………?





アパテイアとアタラクシア



 「…………あ…」  無意識に身体を逸らした瞬間、つい声が漏れた。失敗したという、そんな音。
 視線の先では苦虫を噛み潰している真っ最中の相手が、睨むようにこちらを見ている。その右手は真っすぐに自分に向けられていて、抱きしめる目的を持っていたことは明白だ。
 気配を感じて、つい後ずさってしまっていた。たまにはちゃんと受け入れなくてはと思った矢先の出来事で、少し冷や汗が浮かぶ。そろそろ彼の堪忍袋の緒が切れる……なんてことにならないことを祈りながら、じっと相手を見遣った。
 僅かな逡巡が沈黙を呼び、間の抜けた、差し出されたままの彼の腕が微かに指先を揺らしてから、諦めたように戻された。
 せめてそれくらいは握りしめてやるべきだっただろうか。心中で首を傾げて考えるも、もう相手はそれを止めているのだし取り立てて異議を申し立てることもないだろう。墓穴に繋がるような気がするという点でも、あえて主張しないでおこうという意志が勝った。
 「君は……いつになったら慣れるのだ?」
 不機嫌そうに顰められた眉とは裏腹の、寄る辺ない子供のような声で彼が言う。目を瞬かせて彼の質問の先を模索した。
 もっとも考えるまでもないことだろう。たったいま意識してではないとはいえ、彼の腕から身を逸らしたのは事実なのだから。
 極まり悪げに目を逸らし、頬を擦るように掻いて表情を隠す。あまり意味のない行為だけれど、気持ち的には落ち着いた。
 「これでも一応……慣れたつもり、なんだけど?」
 「逃げなくなった、というだけだろう」
 反論を予感して告げた言葉にはすぐさま異議が返された。もっともな言葉に反証すべき材料は持ち合わせていない。言おうと思えばいくらでも言い包められるけれど、それをすると彼が落ち込むことは目に見えているので、する気にもなれない。
 もしも彼がもう少し執着心というものを自分に示さないでくれたなら、もっとずっと素っ気なく斬りつけることも出来た。けれど、無心に差し伸べられる腕はあまりに無垢で、戸惑いを覚えていても無下に出来なくて、困る。もっとも彼にしてみれば十分自分は素っ気なくて淡白な人間なのだろうけれど。
 小さく息を吐き出し、自分とは逆に息を詰まらせたような顔でじっとこちらを見遣る相手に笑んだ。
 嫌だと、もし自分がいえば彼は悲しむだろう。それでも無理強いは出来ないからと、我慢してくれる。自分がそれに甘えていることくらいは知っているのだ。もっとも、それと同等程度には彼の願いを撥ね除けられないでいるけれど。
 何と言えばいいのか言い倦ねて、そっと視線とともに顔も逸らして、戸惑ったままに言葉を差し出す。
 「嫌じゃ、ないんだけどね?どうしてもこう、なんか……身構えてるみたい?」
 「…………自分自身のことに疑問系を使うのは止めたまえ」
 小さく溜め息を落として彼はいい、仕方なさそうに隣のソファーに腰を下ろした。それすら少し苦手だと一瞬だけ表情が強張ってしまう。もっともそれは顔を逸らしたままの状態の一瞬だったので、彼に気付かれることはなかったけれど。
 「うーん、僕ももうちょっとこう、エピキュリアン的になるべきなのかな………」
 それはそれで度が過ぎるかと混ぜっ返すように告げてみると、彼は目を瞬かせてこちらを見ていた。…………まさかとは思うが本気にとられていないだろうかと顔を引き攣らせかけた時、先ほどよりもずっと長い溜め息が彼から漏れた。
 からかうわけでもなければ同意するわけでもない彼の反応に疑問符を浮かべる。何かおかしなことをいっただろうかと思い返すが、冗談を言ったに過ぎないのだから、溜め息を落とされるような覚えもない。
 何事かと見遣った先の彼は、どこか苦笑するような笑みでこちらを向き、視線を合わされる。一瞬息を飲んでしまったのは、じれるような焦がれるような、そんな色を垣間見たせいだろうか。
 「君は……十分エピキュリアンだと思うが?」
 「…………それはからかっているのか、バカにしているのか?」
 言われた内容に一瞬脳内が停止する。まさか快楽主義者だろうと確認されるほど好き勝手な振る舞いをしていると思われていたとは、考えていなかった。
 自然と険を孕んだ目つきに、相手は慌てはしなかった。ならば口を滑らせたのではなく、なにかしらの意見の元の、発言なのだろう。
 憮然とした面持ちのまま、とりあえず相手の言葉を聞くことを許諾するように口を噤む。睨むような目つきになってしまうのは、この際許されるべきだろうと気付かないふりをした。
 「エピキュリアンは理想の境地であるアタラクシアに至るために、ストア派以上のストイックな生活をしていたのだ。君らしいだろう?」
 「?快楽主義者なのに、ストイックって変じゃないか?」
 矛盾していると顔を顰めて問いつめれば、彼は首を振った。どこか…やはり寂しそうに見えるその顔で。
 「何を快楽とするかは個人の思想だろう。エピキュロスは死を恐れ、心の平安を侵す外界との接触を避け、最低限の食料と水のみで生きることを選んだのだよ。彼にとっての快楽は、アタラクシアにあるのだろう」
 「何だよ、アタラクシアって?」
 専門的な知識などあるわけではないと疑問を挟めば、じっと彼が自分を見つめる。そうしていなければどこかに逃げ出すとでもいいそうな、必死な彼の視線に目を瞬かせた。
 逃げるわけがないのに。…………自分が追いかけ続けて、ようやく掴んだその腕を、今更手放せるわけがないのに。
 それでも彼は時折こんな目で自分を見ては、不安をなくしたいというように手を伸ばすのだ。隣にいて、言葉を交わせて、意志を溶かすことだって、出来るというのに。
 「アタラクシアは……いうなれば心の平穏が叶う場所、だ。至高の状態に至る場所。それを求めていたのが、元はエピキュリアンなのだよ」
 快楽主義という語感のために曲解されやすいと彼はいい、変わらない視線で自分を見つめて……手を伸ばしてきた。
 じっとその指先を見つめながら、ゆっくりと呼吸をする。逸らしてしまう視線を隠すように目蓋を落とすと、引き寄せるように抱きしめる相手の体温を、感じる。……………身体が撥ねなかったのは、せめてもの救いだろうか。
 「心の平安をもたらすって………アパテイアのことだと思っていたよ」
 必死になって脳内を検索して、ようやく出てきた会話の糸口を口に乗せる。若干口調が早まったことに気付かれないことを祈りながら。
 確かアパテイアは禁欲主義者の理想の境地………熱情(パトス)を完全に抑制した世界のことだったと思う。………間近すぎる体温に混乱してきている思考で正しい答えが出ているのかは、少しだけ疑問だったけれど。
 「同じなのだよ」
 告げた言葉にはすぐに返ってきた答え。どうやら間違ってはいなかったらしい。思いながら、微かに震えて感じる相手の肩を見つめた。
 彼の額は自分の肩に埋められていて、その表情は見えない。存外声を彩ることに長けている彼は、その分表情から自分に看破されることを避けるために、こんな態勢を押しつける。もっとも、求める理由の大半は、純粋に体温を感じたいというそれだけのようだけれど。
 「アパテイアもアタラクシアも、至る過程が違うだけで……求めるものは同じなのだ」
 肩の下から聞こえる、少しだけくぐもった彼の声。首を傾げて、その言葉を吟味する。………寂しく打ち震えているように、思えたから。
 どうして彼は唐突に、寂しがるのだろう。傍にいてもそれは消えない。触れることに怯えれば、それは増すばかりだ。拒んでいるのではなくて、彼とは違う形で、自分は相手の存在を認知してしまうからこそ、慣れることが出来ないのだけれど。
 思い、ふと、気付いた。
 肩に乗せられた彼の頭を撫でるようにして、髪を梳いた。小さく揺れた彼の肩。それを宥めるようにそっと逆の腕を添える。
 「君は、こうしていないと不安ばっかりだね」
 先ほどまでの話とはまるで違うことを口にすれば、腕の下、彼の肩が面白いように撥ねた。自身が抱擁を求めている理由に勘付かれたと、きっと恥じているのだろう。
 意固地に肩に押し付けられる額。離さないとでもいうような、縋る腕。怖くないといえば、嘘になるけれど。
 「でもさ、君がいったように、同じなんじゃないかな?」
 宥めるように肩を撫で、髪を梳く。馬鹿なことばかりを考えて怯えている、いつまで経っても隣にいる自分が掻き消えることを恐れる人を、窘めるように囁いた。
 「違う方法だって、求める先は……同じなんだろ?」
 それはまるでアパテイアとアタラクシアのように。表現も手段もまるで違うものでも、その先に求めるものだけは、重なるのだ。
 自分と彼では表し方が違うだろう。気付かないことだってきっとあるし、理解しきれないことも幾多とあるはずだ。それは人間同士、仕方のないことだと思うし、完璧に理解したなんて、言われたいとも思わない。
 答えない彼は、きっと苦渋に満ちた顔でこ難しいことを考えているのだろう。自身と違う感性を慮るには、彼にはまだ少しだけ柔軟性が足りない。
 それもまた彼らしさなのだろうと許せる程度には、思っているのだから、ほんの少しくらいは通じてくれればいい。
 「……………君ばっかりが求めているって、思うなよ?」
 出来れば告げないでいたいと思っている言葉は多いけれど、携えていないわけではないのだと。
 不安と焦燥ばかりを浮かべる不器用な彼の背を、そっと抱きしめた。撥ねた肩とともに、彼の顔が浮かぶ。顰められた眉のせいでいっそう濃くなる眉間のしわ。…………結局自身がいたわられていると不貞腐れた彼を見つめて、ゆうるりと、笑む。

 そっと眉間に落とした唇に、彼が目を瞬かせる。


 それにより微笑が濃くなるのは、少しだけ意地が悪いだろうか。

 そんなことを思いながら、ゆっくりと熟していく彼の顔を見つめた。



 ……………熱を持って感じられる自分の耳さえ、きっと真っ赤なのだろうと、思いながら。





 アパテイアとアタラクシアに関しては、解釈は多分間違えていないと思うのですが……違っていたらごめんなさい。専門書など読んでいませんもので、意訳に近いかもしれないです。
 本当は成歩堂が説く役にしようと思っていたのですが、たまには御剣に頭いいところを譲ろうかと。にもかかわらず解釈間違っているかも?とかいっている内容ですまんな、御剣。一応調べたからきっと平気だ!(そしてだからこそ意訳になっていると思う!)

 いや、快楽主義者といわれていながら、その実、行っていたのはストイックな生活環境だったという、そのギャップが楽しくて。それならうちの成歩堂は快楽主義者で通るんじゃないか?という面白半分のノリで書きはじめたんです。ええ、内容こんなでも書きはじめるときはそんなノリ。
 まあ人間なにを基準にするかは人それぞれなので。その顕著な例だとでも思ってくれれば幸いです。

07.8.5