柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



enter






涙の数だけ 強くなれるよ
アスファルトに咲く 花のように
見るもの全てに 怯えないで
明日は来るよ 君のために



ねえ、だから、その手を…………





とある日の夕刻



 忙しいだろうな、とは思っていた。自分もまた、それなりに忙しかったのだし、裁判所で擦れ違った彼がイライラしていたのも見かけた。
 受け持った事件は違ったけれど、彼の相手弁護士が知り合いだったので情報収集の手伝いなどもしていたし、彼が苦戦することは何となく解っていた。
 それでも、きっと、彼が最後に笑むだろうことは解っていた。何故なら、自分にも腑に落ちない部分がいくつかあったからだ。
 それでもその証拠があるかといえば直感に近いものでしかなく、立証することはなかなか難しい。
 だから、きっと無理をするだろうな……とは思っていた。
 …………だから、顔を合わせないようにと、避けてもいた。
 小さく息を吐き出して、自分の事務所のソファーを占領している図体の大きな男を見下ろす。何の意味もなかったなと、ちらりと脳裏で思い、霧散させた。
 「…………まったく、馬鹿だなぁ…」
 微笑むほどの微かさで笑んでそんなことを呟いても、うたた寝から熟睡に移行したのか、相手はいっこうに気付かない。それならそれで邪魔をすべきではないと解っているけれど、さりとてもう自分もやることがなく、彼を起こして自宅に帰るか否かの選択に差し迫られている真っ最中だった。
 彼とてこんな場所で窮屈に眠るよりは、自宅でベッドにでも横になった方が疲れはとれるだろう。解ってはいるけれど、なかなか起こせるものでもなかった。
 そもそも、この事務所に彼が押し掛けてきた時点で、この結果は想定すべきことだったのかもしれない。そう思い、小さな溜め息を仕方のなさそうな笑みに溶かして吐き出した。
 相変わらず生真面目な面持ちは、深く刻まれた疲労のあとと眉間の皺のせいで少しだけ憔悴して見える。…………あるいは、鬼気迫って、だろうか。
 眠るときくらい安らげばいいものを、彼はそんな顔で眠ることは珍しくない。その自覚の有無は解らないけれど、そのせいかあまり人前で眠ることはなかった。もっとも、この事務所ではたまに見かける光景ではあったけれど。
 それは安らげるとかそんな理由ではなく、おそらく単純に眠らなければならないほどの疲労を溜めた状態でここにやって来ることが度々ある、というそれだけの事実だろう。
 ちらりと時計を見遣って、眠る彼の肩を見て、また落とした溜め息の後、そっと所長室の方へと足を向ける。
 あと一時間したら起こせばいい。ちょうど夕食の時間になるし、問題もないはずだ。彼にかけるタオルケットを手にしながら苦笑を漏らし、ソファーの足下へと舞い戻ってきた。
 足音を殺して近付き、そっと彼の身体にタオルケットをかける。その微かな感触に気付いたのか、彼の眉間がぴくりと動いた。
 起きてしまったかと目を瞬かせて彼を見遣るが、ぼんやりと薄く開いた目蓋の奥の瞳は、まだ眠りの淵にたたずんでいるように見えた。知らず浮かんだ笑みのまま、彼の前髪を梳くようにして撫でる。
 「……もう少し、寝ておけよ」
 小さく囁くようにして告げた言葉に、ぼんやりとした視線が揺れる。覚醒するというよりは、何かを探すような仕草だ。
 首を傾げて彼の顔の近くで膝をつき、その顔を覗き込む。
 目が合えば、ほっとしたような吐息が聞こえた。………ついで、頬に伸ばされた、彼の指先。
 微かに揺れた頤だけで拒否をせずに受け入れた体温は、確認するように頬を撫で、顎を辿り、鼻先を覆う。まるで幼子が母の顔にいたずらをするような仕草だ。
 くすぐったさに小さく吐き出した吐息さえ楽しかったのか、彼の唇が僅かだけれど笑みを象った。珍しいと思いながら、自分の顔を辿る指先に触れる。
 途端に揺れる、瞳。………微かな音を紡いだらしい、唇。
 何と言ったかなど解らないけれど、解ることは一つだけあった。
 ………この顔は、落ち込んでいるときの、それだ。あるいは、思い悩んでいるというべきか。
 時折自分に向けるその顔の、大元となるべき感情の存在を、知らないとはいわない。けれど、いわれてもいないのにそれを暴く気もない。
 疲れきっていて休息を必要としている身体で、それでも足を向けてしまう先にいる人間が自分だなど、彼にとってみれば予定外もいいところだっただろう。自分としてもまさかそうした感情を向けられるとは夢にも思わなかったけれど。
 それでも彼は何もいわない。どれほど疲れていても出来る限りは平常どおりの姿で振舞うし、こちらに何も気付かせないようにと努めてもいる。………それが彼の望みどおり自分に効いているかどうかは別として。
 気付いていても、いえるはずもない。抱いた人間とて、思い悩まない感情な訳がない。知られたくないものなのかもしれない。あるいは、自分のために告げずにいるだけなのかもしれないけれど。
 そのどれであったとしても、たとえそれが向けられるべき対象であったとしても、本人以外が好き勝手に踏みにじっていい領域ではないだろう。
 そもそも、自分が彼に向ける感情と、彼が向けるその感情は、重なりながらも少しだけ、形が違う。
 それならばあえて暴いても、彼に苦痛を強いることもあるだろう。飲み込んだ方が、きっと彼のためでもある。
 思い、揺れた彼の瞳が閉ざされていく様を見つめる。
 「……御剣」
 眠りに落ち行くその瞳の光を繋ぎ止めるように………あるいは、そっとその背を押すように、彼の名を呼ぶ。
 答えない相手の目蓋は落とされ、微かな吐息が唇から漏れた。
 「…………僕は、ここにいるよ…?」
 たとえどんな感情を向けられたとしても、きっとそれに変わりはないだろう。それだけは、彼に答えることの出来る、唯一の解答だ。
 自分の存在に怯えてばかりいる彼は、過去の罪科故に、伸ばしたいその腕すら、伸ばさない。
 ………それを悪いとはいわないけれど、ただ囚われないでほしいとは、思う。
 彼の中、自分が自由に美しく飛ぶ鳥のように、その手におさまらない存在だというなら、彼もまた、同じ空を駆けることの出来る羽を携えていることに気付いてほしい。
 重荷じゃない。負担じゃない。………共に飛べる相手であるなら、そこに何の問題があるというのか、自分には解らない。
 それでも彼は自分が振り返ったなら、先ほどと同じような顔をして、伸ばしかけた腕をそっと隠すだろう。
 眠りの淵では幼子のようにその腕を伸ばすくせに、現実の彼は依怙地で頑なで……少しばかり、思考回路が素っ頓狂な方向に進んでいる。
 いつになったら気付くのか、いつになっても気付かないのか、それは自分にも解らない。
 ……小さく笑んで、捉えていた彼の指先をそっとソファーに添えた。
 まだきっと、彼は歩み始めたばかりなのだろう。肉体年齢よりもずっと幼い感受性は、右往左往と迷うばかりで方向を定める術を知らない。
 そのせいで歩みも疎らで時に間違える彼のその先に、きっと自分はたたずんでいるのだろう。自分のその先に、自分の仰ぐべきたった一人の女性がたたずむように。
 彼の中の自分は、とても清らかで美しいのだろう。手を伸ばすことさえ躊躇うほどに。
 ………切なく痛む胸に苦笑して、彼の髪を撫でるように梳く。さらりとした感触を指先に痛いほど感じた。
 沢山の傷を一人で抱えて、きっと彼は今まで生きてきたのだろう。自身の罪すら誰にも晒せず、ただ己を責めて、己を苛む悪夢に心を疲弊させるように差し出して。
 自身を痛める以外の道では生きられなかった、愚かな人だ。………愛しい、人だ。
 だからこの先も、自分はどれほど彼に傷つけられてもこの手を離すことは出来ないのだろう。頑迷で鮮烈で、時に過ちを選んでしまうそんな彼を自分は知っているから。
 そんな彼をこそ、愛しいと思っているのだから。もう仕方のないことだ。
 この先も彼は自分に手を伸ばさないかもしれないし、いつかはその感情が他の誰かに向かうかもしれない。それはそれであり得る可能性を否定出来ない未来だ。
 それでも自分はその時をじっと静かに見つめているだろうし、その先も彼の傍にいるだろう。
 「覚悟……しておけよ?」
 ふと、面白そうに笑んで、そんなことを呟いてみる。妙に性悪な気持ちが湧いた。
 思い悩んでばかりで自分を真正面から見ることの出来ない彼が、いつそれに気付くかなど解らないけれど。
 ずっと一人きりで、戦うことさえ出来ずに踞っていた彼が、戦う舞台とそのパートナーに自分を選んでくれただけでも十分だけれど。
 それでもいつか彼が自分を別の意味でもまた求めるのならば、応えることの出来る自分でありたいと、思うから。
 健やかな寝息と、相変わらずの眉間の皺を見つめて、そっとその耳元に唇を寄せる。
 「僕は……君の傍に、いるからな」
 どれほど呆れ返ろうと、嫌だと拒まれようと、そんなことは関係ない。自分の執着は、彼のそれとは違う形で、確かに存在するのだから。
 伊達や酔狂で15年もの歳月をかけて失った人を取り戻そうとなんて、しない。
 そのことを想像も出来ないのだろう彼に、きっと教えてあげることはないだろうけれど。それでも眠るその鼓膜をささやかな振動で揺する程度のいじわるは許されるだろう。
 一方的な約束は、叶わないことさえ気に止められていない、ささやか過ぎて取り留めもないほどの、単純な願いだ。
 いつか彼もその願いを知ってくれればいい。どんな感情からでも、それを願ってくれれば必ず叶うだろう。
 たった一つの願いが、口にするだけで二人分叶うのだ。安いものだろうと、眠る彼の頬を撫で、そっと立ち上がる。
 まだ彼を起こそうと思った時間まで大分ある。飲み物でも入れて、得意ではないディスクワークに勤しんでみれば、すぐに時間も経つだろう。

 軽く伸びをして、給湯室へと向かう。


 それは他愛無くいつもどおりの、とある夕刻の出来事。





 冒頭の歌詞は……えっと……誰だっけなぁ。タイトルすら知らないや。でも有名な奴だからみんな解るよね!(汗)そういうことにしておいて下さいな。
 いやはや、本当は今月はもう小説書かないでいるつもりだったのですが、冒頭の歌が何かテレビで流れていて、ふと思い付いちゃったので書きました。
 たまには………というか、初めてに近い気がしますが、御剣のことちゃんと好きな成歩堂ですよ。こう書くと普段の報われないっぷりが顕著すぎて哀れだな、御剣。
 いや、普段もこれくらいのことは思ってくれているのですよ?口にしないだけで。態度にも出しているけど気付かれないだけで。
 まあ大部分は恥ずかしいから嫌だ、というそれだけなんだけどね、うちの成歩堂がアピールしないのは(笑)なので相手の意識なければ結構好き勝手していたりする。うん、相手の記憶には一切残らないけどね。意味ないとかいわないであげておくれ。

07.8.22