些細な言葉を覚えている
きっと、彼はとても自分を大事にしているだろう
どんなことも与えたがり
どんなものも欲しがる
まるで幼子が母を求める様に
ひたすらに腕を伸ばし自分へと引き寄せる
ねえ、そんなにも必死になって
たった一人に腕を伸ばして
君は、この先どうするの?
………………その腕は、どこまでだって伸びるのに
求める腕に歓喜と絶望を思い
与えることに躊躇いを見せるのは
罪、なのでしょうか
12.トノサマン
「はぁ?!なんだよ、これ!!」
「見て解るだろ………僕に説明させないでくれる?」
自宅に招いた幼なじみの愉快な声に、半ば遠い目をしながら返答する。彼の言葉はそのまま自分の言葉にもなっていたのだから、何も答えたくないのは事実だ。
軽い溜め息を吐き出して相手がまた喚きそうなその瞬間を狙い、近くに転がっていたテレビのリモコンを投げた。投げて渡した程度のそれに、けれど彼はあぶねぇな!と怒ったような声でまた喚く。
呆れたような目でそれを眺めながら、取り合えず席を立ちながら彼に指示を出した。
「一応飲み物くらいいれてやるから、DVD再生しておいてくれる?」
「ってこれ、見るのかよ…………」
「………………見ないで済むと思うのか………」
げんなりした声で答える彼に同じようにげんなりした顔で答える。お互いに同じ心境だけれど、それだけに解っていることがある。それは目の前にあるDVD-BOXを制覇しない限り、小言を与えられるという確実な未来だ。
「大体よぉ、俺はDVD貰ったから一緒に見ようってんで来たんだぜ!」
「DVDだろ、どうみても」
「なんでトノサマンなんだよ!訳わかんねぇよ!!」
「………それ、御剣と真宵ちゃんの前でいってみな。軽く数時間説教と説明で捕まるから」
再び遠い目をしながら溜め息とともに告げてみると、その光景を思い浮かべたのだろう、彼は顔を引き攣らせた。実際、危うくそれを見舞われそうになった身としては、彼の反応は解らないものではないので敢えてツッコもうとは思わない。
ぶつぶつとまだ小さな文句を言いながら、それでもこれ以上は無駄な足掻きと悟ったのか、彼は大人しくテレビをつけた。それを確認してから台所に向かい、冷蔵庫の中から麦茶を取り出してコップに注いだ。
それを両手に持って戻ってくる頃には、あの耳に残って離れない軽快なオープニングの音楽が流れ始めている。
麦茶を彼に渡し、隣に座る。ほぼ同時に、ストーリーが始まった。
「しっかし、何だってまたこんなもん貰ったんだよ」
テレビ画面を見ながら、それでも呆れたような声で彼が問いかけた。麦茶を口にしながらその時のことを思い出し、鬱屈とした溜め息が漏れてしまう。それに気づいたのか、にたりとあまり質の良くない笑みを浮かべた彼がズイッと近づいてきた。
「はっはぁ〜ん、お前が強請ってあいつが甘やかしたんだろ!」
「馬鹿だろ、お前。なんで僕があいつに甘えなきゃいけないんだよ」
断定の口調で指まで突きつけて言われた内容を即座に切って捨てた冷たい声に、相手は不満そうに顔を顰めた。拗ねたような顔で、そんな切って捨てなくてもいいじゃねぇかと喚く相手を睨めば、からかう目で笑われる。
………確信犯かと顔を引き攣らせて殴ってやろうかと拳を握るが、それに慣れている相手はその矛先を躱すかのようにまた口を開いた。
「でもよ、あいつだってさすがに欲しがらなけりゃ押し付けないだろ。…………多分」
「まあそうだとは思うけど。……………多分」
あるいは真宵同様に楽しいからと薦めてくるだろうかと一瞬お互いに考えてしまい、断定出来ない響きの会話がなされてしまう。目を合わせてその点を忘れようと確認し合うように頷き合う。こうした時、長年の友好関係は有り難いものだと実感した。
「いや、真宵ちゃんがさ、欲しがってたんだよ、これ」
「へ?お前じゃなくて?」
ならなんでここにあるのだと素っ頓狂な声と顔で彼が答える。もっともなその答えはそのまま自分が手渡された時に言いたかった言葉だ。軽い溜め息でもう一口麦茶を飲み込んで、苦笑を浮かべる。
「ほら、やっぱり結構高いだろ、これだけセットだと。だからさ、安く手に入らないかなぁと思って、情報持ってないか聞いたんだよ、あいつに」
そして、それならばと頷き承諾してくれた相手が、次に会った時に持っていたのはこの商品そのものだったのだと、溜め息を吐き出しながらいった。…………目の前の相手の視線がバカらしいと言わんばかりに呆れていることが手に取るように解るだけに、居たたまれない。
こちらとしても買って欲しいというニュアンスでいったわけではないのだ。
そもそも人にあげるものを他の人間に強請るなど、倫理に反することだろう。にもかかわらず、相手はそんなことを考えもせず、欲しがっているなら誰が買っても同じだろうとあっさりと与えるのだ。金銭感覚の問題なのか、価値観の違いなのか、あるいはもっと根本的な部分での差異なのか、残念ながら判断が出来ないけれど。
あるいは、いっそ彼がそれを相手に与えたいと思ってくれたなら、良かったのだ。それなら自分が口出しなどせずに、彼から手渡せばいいだけなのだから。それを申し出てみれば、不可解そうな顔をして、彼は更に不可解で難問な言葉を返してきたけれど
「だけどさ……あいつだって悪いと思うよ」
「今更だと思うけど…なにがよ?」
「だってさ、君が真宵ちゃんにあげなよっていったら、あいつ、自分が渡すより君が渡した方が喜ぶなんて言うんだよ」
相手の好意をぞんざいにするような、そんな子ではないのだ。お互い共通の趣味でもあるのだし、きっととても喜んで好感を持ってくれるだろう。彼はそうした部分がひどく鈍いから、真宵や春美くらいはっきりとしたものを示してくれる相手は、とても貴重なのだ。
だからこそ、彼から手渡してくれればいいと思ったのに、彼は首を振り、自分がいらないのなら捨てるまでだとまで言うのだ。…………あんまりな言葉につい叱りつけるように声を荒げて彼が消沈したことも思い出し、小さく溜め息を吐き出してしまう。
自分の溜め息で大体そんなやり取りを理解したのだろう、トノサマンがアクロバットな動きをしている画面を見ながら、楽しそうにもつまらなそうにも見えない顔で麦茶を飲んで、矢張がのんきな声を出した。
「そりゃお前、御剣にゃ無理だろ」
高望みしちゃいけないぜ!なんて軽い調子で言われた言葉に顔を引き攣らせて睨んでしまう。
………そんな大それたことを願った覚えなどまるでない。ただ、知って欲しいだけだ。彼の周囲にある、優しい人たちの腕を。
それが彼に差し出されている事実を、認めて受け入れて欲しい。たったそれだけだ。
そんなことさえ出来る筈がない、なんて。…………どれほどの憂いを思えというのだろうか。
「僕、そんな凄いこといってないだろ」
「御剣にゃ、世界を逆回転させろっていっているくらい難しいんじゃねぇの?」
憮然とした声にはやはりあっさりとした解答。腹立たしいことに、長年の付き合いのせいか、あまり深く物事を考えない彼だというのに、自分たちのことに関してはひどく明確な指摘をしてくる。
そしてそれは、大抵の場合、正しいのだ。
………思い、鬱屈とした溜め息を喉奥で押し込めて苦笑した。
「だけど僕は、そんなの嫌だよ」
呟けば、彼はちらりと視線だけをこちらに向ける。画面を見つめながら、まるで戯言のような軽さで、もう一度呟いた。
「僕だけでいい、なんて………絶対に嫌だよ」
「嬉しいくせに嫌なんて、あいつに解るわけねぇと思うけどな」
首を傾げてそう呟く彼の勘の良さに苦笑が深まった。彼を見ないまま、テレビ画面を見つめる。画面の中、トノサマンの口上が響いた。アクダイカーンが追い詰められ、最大の見せ場と続くのだろう展開が予想出来た。
それを見つめながら、本当には見つめず、視野の中とは別の映像を脳裏に浮かべる。
一途に、ただ自分にだけ差し出される腕。与えられればそれが至上の喜びだと笑む、どんなものよりも自分を必要とし、求めてくれる、腕。
溺れそうになるほど、それは、自分に生きる意味を教えてくれる。
誰かのために何かが出来る喜びは、自分に幸せを与えてくれる。その人のために生きられることは、ある種依存だからこそ、自分はそれを律しなければいけないけれど。職業倫理にも基づく思いは、それを自覚した時からずっと、自分の中でたゆたい消えることはなかった。
……………だからこそ、自分は彼の求める腕に、首を振ってしまう。
「解っているよ。でも僕は、あいつを僕だけに縛り付けたくないよ」
「つってもよ、あいつ、それがいいって言いだすぜ。絶対に」
それ以外いらないくらい言いそうだと、彼は少し労るような声で…それでも隠さずにいった。嘘をすぐに見抜いてしまう自分に、彼は嘘を吐かない。………吐いたところで無駄だと諦めたらしい面もある。
そのせいか、最近はよりいっそう明け透けな言葉でざっくりと切り込んでくることがあった。それを好んでいるのだから、自分も奇特だと笑うしかないけれど。
「だろうね。だから………僕は、あいつが怖いんだ」
彼が差し出す全ては、自分が望むものだ。追いかけ続けた存在が同じように情を寄せてくれるその事実だけでも、自分は嬉しいのに。彼は自分が生きるために必要なことを、なんの策略も計算もなく願いとして与えてくれる。
それは、恐らくは、とても醜いものだ。
…………理解され難い、愚かなことだ。
それでもそれは、もうずっと自分の中に蔓延っていて、覆すことの出来ないほど根深く存在する。
「僕は、あいつに溺れるのも、あいつを溺れさせるのも、嫌だよ」
「そういう生き方もあるんじゃねぇの?」
「………あいつのこれからの全てを奪うような真似、僕は、僕に許せない」
だから幾度だって彼が求めれば、同じように願うだろう。もっと周りを見て、と。
自分だけを求めず、他の存在を愛しいと願って欲しいと、祈るだろう。
「あいつもだけど………お前もまぁ、厄介な奴だよなぁ」
呟いた言葉に彼は仕方なさそうに笑ってそんなことを呟いた。
欲しいなら欲しいと、それだけを求めてしまえばいいと彼は言うけれど、そう出来ない自分の心理をまた、理解してくれる。だからこそ、彼は御剣の味方にはならず、さりとて、自分の味方にもならない。
どっちもどっちなのだから、お互いが納得するまでぶつかってみればいいと、彼は容認して、自分たちの間をふらりふらりと行き来して、その度に巻き込まれては厄介ごとを引き起こすけれど。
それでも、その存在がどれほど自分にとって救いかを、きっと彼自身も御剣も、理解はしていないだろう。
「だって、僕は僕の人生に、あいつまで引きずり込みたくないよ」
きっと彼はそれを願うのだろうけれど。それでも自分は、彼には彼の道を歩んで欲しい。自分だけしかいらないと盲目的に全てを切り捨てず、もっと豊かに花開いて生きて欲しいのだ。
それが可能か不可能かなど、解りはしないけれど。
………いつか、もしも自分が消えてしまっても彼が彼として生きられる、それこそが、自分の願いだから。
「ま、最大限足掻きたけりゃ足掻きゃいいんじゃねぇの?」
それでも駄目なら最後は白旗振りゃいいんだ、なんて。
彼は戯けた声でいって、無遠慮なその腕を伸ばし、セットしていない自分の髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜてきた。
無遠慮な指先の優しさに、泣き笑うように顔を歪めて、それでもじっと、画面を見つめた。
隣に座る親友の顔は、見れなかった。
………きっと、いたわりを乗せただろうその目を見たら、泣けてしまう。
自分は泣きたいわけではなく、悲しみたいわけでもない。
ただ、祈りたいのだ。
彼がいつの日か、その思いを柔らかく溶かしてあふれさせる、その日を。
凍り付いた甘露が降り注ぐその日を、いつだって願っている。
惑う指先を見つめながら、受け入れることに怯えて、それでも、この上ない歓喜を覚えて。
…………遠い未来の優しさを、いつだって、祈っている。
御剣は目に見えての依存的な行動をしますが、成歩堂は成歩堂で依存的。
ただ意味がまるで真逆なだけで。
成歩堂は生きることの根源を人に求めていて、誰かのために尽くせることが嬉しい。御剣は自分が差し出そうと決めた相手のために全てを差し出して生きることが幸せ。
それに浸ってしまえばまあ、ある種閉鎖的ではあるけど盲目的に幸せに過ごせるのかもね。でもうちの成歩堂はそんな病的な幸福感には浸れないのです。
自分の人生に人を巻き込むことなく、自律した一人の人間として生を全うすることをこそよしとしているからね。まあこういう潔癖さも過ぎれば病的か(苦笑)
さーて、御剣と成歩堂、どっちが先に折れて相手に合わせるでしょうか。
………………………多分きっと、ずっとこのまま平行線?(エ)
07.10.20