珍しいほどの雪を見上げて
寒さに身体が凍りそうになる

この辺りはいつもだと
豪快に笑う住職を見下ろしながら
それでもはしゃぐ二人を放って置けなくて
ダルマのように着膨れしながら
そっと、駆け出した


こっちだと無邪気に振られる手のひら
差し出される小さな指先


もう二度と、悲しみになど染まりませんように

祈りながら、二人が促すまま、雪の中を駆けた



15.雪だるま



 「…………………………寒い…………」
 思わず低い声で呟いてしまう。それを聞き咎めて、隣にいた真宵が呆れた顔で返した。
 「なるほどくんって、本当に寒いの駄目だねぇ。大人は風の子っていうのに!」
 「それをいうなら子供は風の子だよ」
 相変わらずの豪快な間違いを素っ気なく指摘してまたマフラーの中に顔を埋める。風が皮膚に触れるだけでも痛いくらいだ。こんな気温の中でコートも着ずに素肌のままの足を晒している真宵の体調の方がよほど気にかかる。が、慣れてしまったのか、来た当初のように震えることはなくなった。
 ………むしろそれよりもひどい場所に籠って修行した成果だろうか。これくらいの寒さは暖かいくらいだと、低体温症にでもなったかのような皮膚の冷たさで修行から戻った真宵はいっていた。
 そこまでしてしなくてはいけない修行なのかと途方に暮れるほど凍え切った彼女に付き合って丸一日を過ごしたが、回復した真宵の行動は早かった。
 こんな場所で遊べるのはそうそうないと、動けるようになってすぐに春美を連れて外に駆け出してしまった。
 呆気にとられたのは勿論だったけれど、かといって放って置くわけにはいかない。本当に真っ青だったのだ。それこそ、この葉桜院で倒れた時の自分と遜色ないくらい。
 思い出して目の前で元気に跳ねている少女を見つめる。恐ろしいほどの回復力だとしみじみと感心してしまうのは、恐らく自分だけではないだろう。
 「なるほどくん、あの、これはなんでしょうか」
 そんな自分たちの会話を聞いてか聞かずにか、少し離れた場所で春美がソリーを手にして首を傾げていた。きっと邪魔をしてはいけないとか、そんなことを考えての距離なのだろうけれど、自分たちとしては春美が傍にいてくれた方がいい。
 それは決して二人では気まずいとか、そんな話ではなく、出来ることならこの小さな女の子に沢山の喜びを与えたいと、お互いに思ってしまう。
 小さな身体で懸命に生きているのに、ことごとく痛みを背負わなくてはいけない彼女は、それでもいつでも愛らしい笑顔を自分たちに向けてくれるから。………多分、自分も真宵も守りたいと、自然な意識で思ってしまうのだろう。
 「ハミちゃん、それはソリーだよ。ね、なるほどくん」
 「そりー……ですか」
 「坂の上からそれに乗って滑るんだよ。やってみる?」
 じっと手にしたソリーを見ながら怪訝そうに悩んでいる春美に提案してみる。彼女は小さいけれど大人並みに気を使うので、自身の我が侭をあまり口にしない。こちらから問いかけて、やっと躊躇いがちに頷いてくれるのだ。
 いまもそうで、興味を持っていながらも自分たちに遠慮してそれを戻そうとしていた。
 きょとんとした顔で自分を見上げた顔が、さっと紅潮していく。ソリーに乗ってみたい、と思ったのだろう。その興奮が浮かんでいる。それを愛でながら、隣の真宵と目線だけで笑い合う。
 「ほらほら、ハミちゃん、寒がりダルマのなるほどくんが重しになってくれるから、飛ばされないよ!やっておいで!」
 「誰が寒がりダルマだよ!そもそもソリーは空を飛ばないし!」
 楽しそうな声で春美に言う真宵に思わずツッコミを入れながら、ふと自分自身を顧みる。………数枚の服とマフラーと厚手のコートを着ているいまの状態は、確かに二人の軽装と比べるとダルマのように肥えて見えるのかもしれない。
 若干………一枚くらい脱ごうかとも思ったけれど、寒さには勝てず、敢えて気づかない振りをした。
 「えっと……そりーというものは、子供が乗っては吹き飛ばされてしまうものなのでしょうか」
 ぎゅっとソリーの紐を掴んだ状態で覚悟を決めるように春美がいう。真宵の言葉にあっさり感化されてしまう思慕の深さに苦笑しながら、しゃがみ込んで春美の頭をそっと撫でた。
 躊躇いがちに自分を見上げるその顔に、出来るだけ優しく笑んで、隣に立つ真宵を指差して告げた。
 「違うよ。これは雪の上を滑るだけ。僕も春美ちゃんと同じくらいのとき遊んだけど、飛んだことはないから。真宵ちゃんがからかっただけだよ」
 「えー!なるほどくん、飛ばなかったの?!」
 「えーって…真宵ちゃん、飛ばされたことがあるの?」
 「うーん、飛ばされたっていうか、ソリーが勝手に飛んじゃったんだよ。ピョーンって。お姉ちゃんが驚いていたなぁ」
 「それは滑る場所がでこぼこだったからだよ!ちゃんと安全な場所選びなよ!!」
 冷や汗が出る思い出話を聞かされて思わず目の前の春美を庇うように小さな肩に手を置いて自分の方に引き寄せてしまう。真宵の豪快さはいつものことだけれど、こんな小さな子にそれを付き合わせたら壊れてしまうのではないかと危惧してしまう。
 もっとも、彼女も春美を大事にしているのだから、危険なことはしないのだろうけれど。ただ少しだけ常識はずれな言動が心臓に悪いことは否めなかった。
 疑いの眼差しを向けられた真宵はむくれたように頬を膨らませ、ポコンと軽い音がする程度の力で頭を叩いてきた。もしかしたら、拗ねたのかもしれない。
 「あたしだってそうしたかったけどさ、修行も出来るって思って頑張っちゃったんだよ」
 あの頃は若かったから、なんて、そんな台詞を口にする年齢でもない真宵が言い、思わず深い溜息が漏れる。
 「…………春美ちゃん、遊ぶのと修行は別々にしようね」
 「真宵様がなさっていたのなら、わたくし、頑張ります!」
 「頑張らないでいいから!!」
 思わず真宵と二人で言葉を重ね合わせて叫んでしまう。さすがに真宵もそれはしないでいいことだと学習していたらしい。それにほっとして、思わず三人で顔を見合わせて笑い出してしまった。
 ひとしきり笑うと、何となく身体が温まった気がして、ようやく雪の中で動き回る覚悟が出来た。
 そっと小さな手に指を寄せて、春美の持っていたソリーを小脇に抱え、立ち上がる。しっかりと小さな手のひらを握り締めたまま。
 「じゃ、行こうか、春美ちゃん」
 「え?」
 「お、やっと動く気になったね、着膨れダルマくん!」
 「………ついに名前もなくされたよ…。まったく………ほら、真宵ちゃんはゴールに立っててよ」
 そこに向かうようにするからといえば、彼女は大きく頷いて嬉しそうに春美に手を振った。本当に仲のいい従姉妹だ。まるで姉妹のようだと思いながら、きっと二人にとってはそれ以上の重みのある絆なのだろうと、小さく遣る瀬無さを思う。
 幸せだけがこの雪のように優しく降り積もればいいのに、現実は残念ながら降りしきる雪の冷たさばかりを反映してしまう。
 ………それでもこうして降り積もったそれを、楽しめるならきっと悪いものでもないのだろう。そう沈みそうな思考を振り切り、必死についてくる小さな身体が転ばないように気をつけながら坂を登った。
 振り返れば坂の下、真宵が指先に息を吐きながら見上げている。視線に気づいてか、軽く手を振ってくれた。それに笑顔と会釈だけで応えて、握り締めた小さな手のひらの存在を思う。
 こんなに凍えそうな中でも、誰かを思って駆け出せる。二人の少女はきっと、とても強い人たちなのだろう。多くの逆転無罪を勝ち取る弁護士だと囁かれる自分よりも、ずっと。
 「なるほどくん?」
 きょとんと不思議そうに首を傾げて自分を見上げる春美に笑いかけ、坂の天辺まで来ると、ソリーを雪の上に乗せた。期待に胸を高鳴らせているらしい春美が、無意味にぴょこぴょこと跳ねていて、坂の下でそれを見ている真宵が楽しそうに笑って声をかけた。
 大きく手を振って春美がそれに応え、そのあと、早く真宵の元に行きたいというかのように自分を見上げる。
 そんな春美に座る場所を教えて、その後ろに自分も座る。ソリーの紐を一緒に掴んで、腕の中に抱きかかえる形で、眼下の真宵に手を振った。
 それを合図に、ソリーが滑り始める。すぐ近くから沸き起こる甲高い歓声。少し遠い場所で同じようにはしゃぐ声がする。…………目を細めて、楽しい音を響かせる音叉に耳を澄ませた。
 少しぎこちないながらもなんとかソリーを手繰り、途中で転ぶこともなく真宵の近くまで滑り降りる。紐から手を離すと、ひょっこりと腕の中から春美が立ち上がって、真宵の元に跳ねとんだ。そうして捲し立てるように、彼女にいまソリーで滑った感想を告げている。
 微笑ましい光景を笑んで眺めていると、あ、と真宵が小さな声をあげた。きょとんとその声を聞いていたのと、どさっという音と、冷たい衝撃を受けたのは、ほとんど同時だった。
 ……………二人がはしゃいで飛び跳ねていたせいではないだろうけれど、タイミングよく、傍の大木に降り積もっていた雪が落ちてきたらしい。見事に、自分の頭の上に。
 驚きに呆然としてしまった自分を眺める二人は、一瞬あとに大爆笑をした。憮然とそんな二人を睨むけれど、そんなものは意にも介されない。
 ただ楽しい音が響く。真っ白な雪に覆われた世界の中、高く清らかな少女の声が重なって、谺した。
 それを聞いていて、寒いとか、痛いとか、いい加減笑うなとか、言いたいことは沢山あったはずなのに、どうでもよくなってしまった。
 雪をなんとかかいくぐって身体を震わし、コートについたそれも落としていると、にんまりと笑った真宵が、法廷さながらに自分を指で指し示して、春美にそっといった。
 「ね、ね、ハミちゃん!着膨れダルマが雪だるまになったよ。折角だから、なるほどくんダルマ作ろうか!」
 「それは名案ですね、真宵さま!」
 「…………あんまり聞きたくないけど、なにそれ」
 目を輝かせて意気投合しているらしい二人に水を差すようにしていってみれば、むうと膨れた頬で二人が同時に応えてくれた。
 「勿論、ギザギザとんがり頭の雪だるま!」
 楽しそうな音は相も変わらず響いて、恐らくその雪だるまを作るための大量の雪は、自分に任されるのだろうと辟易とした溜め息を吐いた。
 それでもはしゃぐ二人を眺めていると、仕方がないなと、苦笑が浮かぶ。
 どこに作ろうかと駆け出しながら話す二人の後ろ姿を眺めながら、取り残されたソリーを小脇に抱え、追いかける。
 追いつかない自分に気づいて、二人は振り返り、雪の煌めきに負けない笑顔を浮かべて、名前を呼んだ。


 こっちだと無邪気に振られる手のひら
 差し出される小さな指先


 もう二度と、それが悲しみになど染まりませんように


 ………………祈りながら、二人が促すまま、雪の中を駆けた






 女の子を書くのは楽しいなーとか。思ってしまう。
 それを眺めてほのぼのしている視点が一番幸せだね。そんなわけで珍しくほのぼの目指しました。
 なるほどくんダルマ……かなり相当厄介な代物だろうな………。真宵ちゃんの手先が器用であることを祈ろう。恐らく途中参戦で成歩堂も手伝わされます。ぶつぶつ言いながらも二人には逆らえないでお手伝いしますよ(笑)

07.9.29