机の上から見上げた顔
整った容姿を彩る眼鏡
微かな陰影
…………隠される、意識
ねえ
知っているかい?
君は、いつもいつも如実なまでに
はっきりと、教えている
隠して見せないようにしている
その
眼鏡の奥の薄闇の中の
震えるような、感情を
2.机
「あれ?もう時間だった?」
「………………………」
きょとんとした顔で自分の服を整えている相手はそんなことを呟きながら室内を見回し時計を探している。
そして時間を確認したのだろう、少しだけ沈黙して、小さく苦笑した。
「相変わらず時間にきっちりしているね。でも少し…早いかな?」
そういって身支度の終わった相手は手近な机の上に散乱したカードを整えようと腕を伸ばした。
溜め息を吐き、それを眺め、そっと冷静さを呼び戻そうとするように眼鏡のブリッジを軽く上げる。その間も彼は何も気にせず鼻歌さえ歌いながら適当にカードを寄せ集めていた。
「…………訴えますか?」
なんなら弁護を担当しますよ、と。淡々とした声で告げてみれば、相手は驚いたような顔でこちらを見た。
意外だったのは自分が弁護を申し出たことか、訴えろと暗に仄めかしたことか、気づいても相手が何も言わない事柄に敢えて踏み込んだことか。
………どれだかは判断がつきかねるが、彼は驚いていた。
そうして、まるで猫のようにしたたかな笑みを浮かべて、手を振った。
「やだよ、面倒くさい」
心底そう思っているのだろう。かなり軽い口調で彼はいった。
また、溜め息を吐く。彼はこうしたことに少し、無頓着だ。自分が守ろうなどという意識は欠片も無いが、告訴し勝利した事実があれば今後の牽制にはなる。
思い、苦いものを含みながら告げる。
「……………強姦は未遂でも十分犯罪ですよ」
「別に実害ないよ」
ヘラリといつもの掴み所の無い顔でそんなことをいって、集めたカードを揃えるようにまとめる。かなりぶ厚く、色が混じっていることから、二組のカードが混在していることは容易く解った。
それを見遣りながら、足音を消して彼に近づく。何か彼はまた軽口をいって、この会話を終わらそうとしているが、耳はその情報を捕らえていなかった。
近づいた気配に勘づいたのか、不意に彼は口を閉ざし、振り返ろうとする。
その瞬間を狙って、その肩を掴み、机に押し付けた。
押し倒される体勢は、恐らく先ほども味わったのだろう。微かに手のひらの下で硬直しかけた筋肉でそれを知る。もっとも、緊張したかと思った次の瞬間には彼は唇だけで笑い、自分を見上げていたけれど。
「…………なに?」
そのままなんのアクションも起こさない自分に訝しむようにからかう声が与えられる。少し弾んでいて、楽しげだ。この体勢ではあり得ない話だ。………まして彼も自分も男であり、彼は先ほど同じ目にあっているはずだ。不快さは一般のそれよりも上だろう。
にもかかわらず、彼は笑う。からかうように、自分を見上げたまま。
「…………いえ、こんな体勢に君をして、何が楽しいのかと悩んでいました」
「あー…それは僕も同意見だよ」
差し障り無く適当な返事をすれば彼は口の端だけを笑みに変えてそう返す。差し障りの無い解答には差し障りの無い返答を。そんな彼らしさが見えた。
「で、こんな状況にあっさり落ちるあなたはあなたで、少しは反省や対策を練ったりなどはしないわけですか?」
どれだけ愚かなのだと小馬鹿にした笑みで溜め息とともに言ってみれば、きょとんと彼が目を瞬かせる。
意外そうなその仕草は存外幼く、彼が青いスーツに身を包んでいた頃のことを彷彿させた。
「うーん…でもさ、これでも八割は躱してこんな状況にもならないよ?」
「…………二割あれば十分でしょう」
「でも一割は対処方法解っているし」
「もう一割が危険でしょう」
「そう?」
うーんと悩みながら楽しそうに有耶無耶な会話を彼は続ける。何が言いたいのか、まるで解らなかった。
苛立ちが指先に伝わったのか。彼を押さえつけた手のひらがその肩を机に押し付けた状態から、縫い止めるように拘束するものに変わる。恐らく痛みが増しただろう。にもかかわらず、彼は笑んだままだ。
そっと、その余裕を切り崩そうと顔を近づける。本気ではないその行為に少しは慌てれば可愛げもあるだろうと思った。が、それは、やはり平然とした瞳に射抜かれるだけで、なんの意味も成さなかった。
「なに?君にそんな趣味があったっけ?」
「ありませんよ」
からかう声音に変化は無い。こちらの動向など解りきっているのだろう。こうした状況下で彼と駆け引きしたところで、普段以上に鋭利な相手の思考はある種法廷以上に厄介なものだ。
軽く息を吐き出し、身体を持ち上げる。机に縫い止められていた彼はその隙を逃さず、するりと滑るようにして上体を机に上げ、そこに腰掛けた。
目線の位置が変わる。先ほどまで見下ろしていたそれが、自分を見下ろすものに。
不快さを感じ、微かに顰めた眉に彼が気づいたのか、目を細めて笑んだ。いっそ、妖艶とでもいってやれば彼も顔を顰めただろうか。
「あのね、あと一割は、君だよ」
「……………話が見えません」
「だから、君のいっていた、『もう一割』、だよ」
自分が危険だと言い切ったその一割。それがまさに告げた本人のことだと、彼は愉快そうにその笑みを変えずにいった。
彼の言葉を吟味し、整理する。話の筋道を探し、緩やかに構築されたそれに、また溜め息が吐き出された。
「つまり、10人、ですか」
「大体それくらいだと思うんだよね。数えていないけどさ」
よく解ったとにんまりと子供のような顔で彼はいい、先ほど押し倒されたせいで散らばったカードを指先で弾きながらそっと壁の一角を見遣った。その先には棚があり、他は何も見当たらない。
「で、僕を押し倒せるまで出来るのは、一人だけ。さっき君がからかったのも含めると、二人になっちゃうわけだけどね」
「そういえば」
苦笑するようにいう彼に、不意に思い出して、口を挟む。
自分はここに来るまで、誰にも会いはしなかった。一本道のここに、彼以外の誰かがいたとしたならば必ずすれ違うにも拘らず、自分は出会わず、彼は部屋に独りだった。
が、初め室内に足を踏み入れた時、彼は服を整えていた。明らかに、何らかの異変があったはずだ。未遂であったことは言葉のやり取りでも室内の状況からでも解るが、その犯人がいないことは説明がつかない。
「その『一人』はどこに隠れているんですか?」
まさかその棚かとあり得ない疑いを抱いて見遣るが、とてもではないが人間の入り込めるスペースは無いだろう。けれど彼はその相手を思い出したような瞬間に、そこを見遣った。ならば何らかの因果関係があるはずだ。
「ん?ああ……そっか、まだ君は知らないんだっけ」
不思議そうな自分の顔を見たあと、合点がいったように彼は頷き、悪戯を仕掛ける子供のように唇を歪めた。
「ここはね、隠し通路があるんだよ。で、表立って入り込むには不都合な相手は、そっちから来てもらうんだ」
「……………不都合?」
まさか警察関係者かと考え、警戒を込めて問いかける。もしも彼がまだあの事件を追っているならば、何らかの手段を講じなくてはいけない。自分はそのために彼の傍にいるのだ。………そのためだけに、この茶番じみた友情劇を演じているのだから。
思い、何かが疼いた。不愉快な感覚に指先を握りしめ、耐える。その数瞬の間に彼は首を傾げ、うん、と答えた。
「だって、みぬきに知られるの、嫌だろ?」
自分の恋人なんて、と。彼は艶やかに笑って、いった。
「……………………………………。まあ、敢えて何も言いませんが、一つだけ、いいでしょうか」
「うん、なんだい?」
「……恋人に押し倒されたのなら、せめて泣き喚くような真似だけは、よした方がいいですよ」
そっと眼鏡越しに目を細めて告げ、自分の目元を指先で擦る真似をして、教える。その仕草で解ったのだろう、バツの悪い顔で彼は顔を顰め、頭を掻いた。
数瞬迷うように周囲を見遣り、観念したように両手を上げて、問いかけてくる。
「もしかして、そんなにひどい?」
「いえ、先ほど押し倒したときに顔が近づいて解った程度です。まあ、この部屋は暗いですしね」
保証はしかねますが、と言えば参ったなぁとのんきな声で彼はいって、自分の目元を厄介そうな迷惑そうな顔で辿る。辿々しい指先の下の肌は、やはり僅かに朱を帯びている。それが擦ったせいなのか、今その色に染まったのか、判断は出来ないけれど。
ただ、不愉快さが、増した。
…………自分に関わり無いことだ。彼が誰を思い、その相手に思われようと、そんなものに自分は介入するつもりは無い。彼を監視するためだけに、傍にいるのだから。
それなのに、疼く。
……………なにが、か。解りもしない不透明さが手の甲を引き攣らせた。
彼は自身が座る机の上に散らばった赤と青のカードを一枚ずつ手に取って、小さく笑った。
「まあ、僕があいつにしていることよりは、よっぽど優しいよな」
そんな自嘲めいた言葉を吐きながら、そっとそのカードに口吻けた。
きっと、彼は、その一割の人間ならば
最後の最後、許すのだろう
己を傷つけるだけの行為でさえも
………裏切りであったとしても
そうして、最後の一割であった自分は
それに掠ることすら、無い
顰めた眉に彼は愉快そうに笑って
君は優しいね、と
少しだけ寂しそうに、いった
成歩堂と霧人さんだとニュアンスで会話したり推し量ったりばっかりだから意図したことが伝わるかどうか。でもそれを全部説明するのもこの二人の間柄だとあまりに野暮ってものですし。面倒な二人だなぁ。
そしてさりげに御剣出てきていますね。霧人さんとの面識は無いですよ。でもこの流れのせいで顔も知らないのに盛大に嫌われています(笑)意味も解らないけれど不愉快な相手、という感じに。
そしてこっそり霧人さんが隠し通路を知った話でもあったりします。御剣のせいで(いや、おかげで?)数年後犯罪が成り立ち、それが立証されたという。迷惑なんだかなんなんだか。
一応御剣のフォローを。決して押し倒したわけじゃないですよ、御剣。あんまりにもだらしない服装だからちゃんとしたものを着ろと勝手に服購入して押し付けに来たけど、趣味の違いに拒否されて(笑)口論になって、口で適わないから実力行使と(←情けない)強制的に着替えさせようとしたらシチュエーションがそうなってしまっただけで。
そしてそれに怯えて泣き出されてしまっただけで。
そのあと御剣フォローするのも泣かされたはずの成歩堂という、何とも理不尽な話。ギャグ以外でまとめられそうならまとめてみたいものだね。無理だろうけど(あっさり)
07.9.15