手にしたのは一枚のチケット
初めての福引きで
初めての大当たり
目を瞬かせてオドオドと周囲を見る

ここに連れてきてくれた彼は
凄いね、と笑って
優しく頭を撫でてくれた


それに、俯いてしまうほど、胸が締め付けられる

大きな手のひら 優しい仕草 あたたかな体温
ぎゅっと彼のズボンを握りしめて

多分、初めての我が侭を、

小さく小さく、囁いた



3.切符



 「あ、あの、なるほどくん!」
 少し素っ頓狂な声で、少女が叫んだ。
 それにきょとんとしながら首を傾げる。繋いでいた手のひらはそのままだから、自然と彼女が止まれば自分の足も止まった。
 道路の途中で立ち止まっても、車通りどころか人通りもまばらな道だ。たいした邪魔にはならないだろう。思いながら、そっと足を折って彼女と視線が合うようにした。
 どうしたのだろうと笑いかけると、少女は戸惑うように視線をあちらこちらに彷徨わせて、ぎゅっと自由な方の手のひらで自身の着物を掴んでいた。まるで何かを耐えるような仕草に、知らず眉が寄る。
 「春美ちゃん?」
 問うように名を呼んでみると、はっと気づいたように彼女の視線が戻ってきた。
 少し垂れ下がった眉が戸惑いを示しているようで不思議だった。今は商店街への買い出しの帰り道で、彼女はそこの福引きで当たりを引いたのだ。喜んではしゃぐならまだしも、こんな顔で思い悩むなど、想像もしなかった。
 これが彼女の従姉であったなら、帰り道の間中ずっと自慢されていることだろう。そしてきっと、仕方がないからと笑って、自分も一緒に来ていいとか言われるのだ。
 ………もっとも付いていったところで、全て自腹であることに変わりは無いので、結局彼女の我が侭を叶えるだけの意味しかないのだけれど。
 そんなことを思いながら、目の前の少女を見つめる。小さな身体が、精一杯何かを表現しようとしているけれど、それがなかなか形にはならなかった。
 苦笑して、そっとその頭を撫でる。
 時間をかければ彼女はちゃんと自分の言いたいことを言葉に換えられる。多分、まだそれがまとまっていないのだろう。
 それならばそれまでの時間を待とうと、少し肌寒い季節ではあったけれど、しゃがんだまま頷いてみせた。
 それを見つめて、彼女は頬を染める。羞恥心を持っている幼い子供は、自分に見透かされたことを恥じているのだろうか。気にしないでいいのだというようにそっと彼女の頭を撫でた。
 そうしたなら、小さな指先が、その手に添えられた。
 躊躇うようにあちらこちらを見ながら、こくりと少女が息を飲む。
 「あ、あの、なるほどくん、その……ですね!」
 「うん」
 「先ほどの、でずにーらんどの切符なのですが!」
 「うん、ディズニーランドのペアチケット、どうかした?」
 「その……ああは言いましたが、やはり、真宵様と行って下さい!!!」
 のんびりと少女の言葉に頷きながら先を促していれば、唐突に大声でそんなことを叫ばれた。
 キンと痛んだ耳とともに目を瞬かせて少女を見遣る。あんなに、喜んでいたのだ。戸惑うように周囲を見ながら、それを手にしていいのかと問いかけるように自分のズボンを握り締めた少女の小さく震えていた手を思い出す。
 それを手にして、本当に嬉しそうに笑って、頭を撫でた自分に、小さな声で、いったのに。
 ……………出来るなら連れて行ってほしいと、いったのに。
 今更それが嘘だなどあり得ないだろう。苦笑して、首を傾げて彼女に問いかけた。
 「それなら、春美ちゃんが真宵ちゃんといっておいで?」
 「いえ!これは大人の方お二人用の切符のはずです!」
 食い入るようにチケットを見ていたと思ったら、どうやらそこに書かれている文字もきちんと読み取っていたらしい。
 恐らく、だからこそ、今更そんなことを言いだしたのだろう。自分と真宵とを恋人同士だと思い込んでいる少女のことだ。デートに行ってきてもらおうとか、そんなことを思ったのか。
 自分だって、行きたいに決まっているのに。それでも彼女はいつだって他の誰かの………もう一人しかいない、大好きな従姉のために、自分はいいのだと首を振ってしまう。
 幸せになってほしいと、こんな幼い子供が願うのだ。幸せに自身が身を浸している時期の、はずなのに。
 戸惑うように目を揺らし、困った顔で首を傾げる。なんといったなら、彼女は納得してくれるだろうか。出来ることなら、自分は彼女と真宵とが一緒に遊びにいってくれた方が、よりいいと思うのに。
 少々思い込みの激しい意固地な少女を言いくるめるのは、なかなか大変な仕事だ。彷徨った視線を覚悟を決めて少女に移し、真っすぐに目を合わせたまま、そっと彼女の身体を抱き上げた。
 「な、なるほどくん?!」
 ぎょっとした声で名を呼ばれる。それにこっそり微笑み、腕に負担がかからないように少女の身体の重心を移しながら、歩き始めた。
 「うーん、ちょっと話を聞いてほしいかな、と思って」
 「あ、歩けます!わたくし、ちゃんと歩けますよ?!」
 「うん、だけど、寒いしね?」
 混乱したような驚きに染まった声で返される返答に静かに答えながら、すたすたと何事も無かったかのように歩く。景色が緩やかに流れていくのを、彼女は後ろ向きで感じていただろう。
 一瞬惚けたようにそれを眺めていた少女は、思い出したように相手の肩に手を置き、身体をおろそうと力を込める。それを遮るタイミングで、そっと声を掛ける。
 「大人二人分、なら、僕と真宵ちゃん。でも、そのチケットは春美ちゃんが当てたんだよ?」
 「…………?」
 「だから、僕らが行くなら、春美ちゃんも行かないと、僕らが楽しくないよ?」
 誰かが独りじゃ寂しいと、困ったようにいってみれば、しゅんと彼女は俯いた。恐らく……自分と少女が二人で行けば真宵が寂しがると、そう思ったからこその発言だったのだろう。予測が当たったとほっと息を吐き、言葉を繋げた。
 「それならさ、三人で行こうよ」
 「…………え?」
 「二人じゃ、誰といっても寂しいよ。それなら、みんなで行こうよ」
 そうすればみんなが楽しいだろうと、子供のように告げてみれば、少女は目を瞬かせたあと、ほころぶように笑った。
 「わたくしと、真宵様と、なるほどくん……みんなでですか?」
 「うん、折角だしね」
 どうせ子供一人分の料金しかかからないのだ。それならみんなで遊びにいってもいいだろうと、そんなことをいってみれば、はしゃぐように輝いた瞳が細められ、幸せそうに笑みを溶かす。
 きっと……ずっと、彼女は寂しかっただろう。
 もう誰も家族のいない少女。ただ一人の従姉を危うく奪われそうになり、それに加担するところだった事実さえ、ずっと嘆いていた。
 もう全てが終わったと告げても、そんな言葉で救われるほど、人は単純ではない。終わったこと全てが無かったというなら、人は過去というものを持つはずが無い。
 幼くても痛みと傷を見据えて生きた子供だ。それを噛み締める胆力を持ち、笑むことさえ出来るけれど。…………それが、悲しみに繋がらないわけが、無いのだ。
 「あのさ、春美ちゃん」
 ぽつりと、取りこぼしたように彼女の名を呼ぶ。
 きょとんとした目でこちらを見遣った少女の視線は、僅かに上だ。それを見つめて、目に寂しさを浮かべないように微笑んで、告げた。
 「春美ちゃんがいることは、嬉しいよ」
 「?」
 「真宵ちゃんだって、春美ちゃんがいなかったら悲しいよ?」
 だから独りになろうとしないで、と。寂しさを思い出した瞳が揺らめくように彼女に告げる。
 大好きな人が失われるのは、悲しいのだ。手を伸ばしても届かないことは絶望に他ならない。そんな思い、誰もしない方がいい。まして、彼女たちの絆は確かに存在し、断ち切れぬほど深いのだから。
 「だから、いつだって遊びに来ていいよ」
 真宵ちゃんだって好きなときに勝手に来るのだから。そんな軽口をいって、戯けるように笑んでみれば、目を丸めていた少女は困ったように顔を崩し、ぎゅっと、その指先を抱き上げる相手の首に回した。顔を隠すように肩に埋め、丸まるように腕の中、小さくなる。
 その小さな背中を静かに撫でながら、そっとそっと嗚咽を飲み込む少女を遣る瀬無く見つめる。
 もっとうまく伝えられればいいのに。彼女の存在がどれほど救いであるか、なんて。自分にすら解る事実なのに。
 そっと歩く。彼女の身体に振動が伝わらなければいいと思いながら、頬を寄せて。
 あまりにも目紛しく世界は脈動する。普段は穏やかで、時に油断をすれば、それに巻き込まれてしまうのだ。………それは、大人も子供も無関係の、残酷な法則。
 それでも、せめて自分の手の届く範囲の人だけでも、幸せでいてもらいたい。そう願うことは、愚かではないはずだと、微かに震える背中を撫でた。
 「三人で、行こうね」
 声に、彼女は小さく頷く。
 「帰っても、また遊びにきてね?」
 願うように問いかけてみれば、大きく幾度も彼女は頷き、掠れた小さな声で、約束です、といってくれる。
 ぎゅっと小さな手のひらが首に回され、肩には埋められた幼い顔。こんな子供を持った親の歳では無いけれど、それでも少しだけ、そんな気持ちが解ってしまう。
 きっと、愛しいだろう。
 きっと、何物にも代え難く思うだろう。
 そうして、必ずその命だけは守ろうと、誓うだろう。この拙い腕しか持ち得ない自分でも。
 「楽しみだね、ディズニーランド」
 沢山遊ぼうと、弾んだ声でいって、歩を進める。あと少しで、事務所に着く。
 目が赤くなっていないか確認して、彼女が望むなら、腕からおろしてあげなくてはいけない。あと少し、次の角を曲がる頃、声をかけよう。
 それまでの短い距離を、ゆっくりゆっくり、惜しむように歩む。
 こんな単純な仕草でどれほどの祈りが伝わるのだろう。解らないけれど、せめて彼女が悲しみ打ち拉がれるその時間を、ほんの少しでも減らせればいい。

 そっとそっとその背を撫でて
 小さく丸まる身体を思う




 どうかどうか

 幸せで、ありますように………………








 ………春美ちゃんが好きなんですよ。だからあまり書けないのです。同じように理想が先行して千尋さんも書けません。困ったものだ。
 そしてこの話の数ヶ月後、本当に子持ちになる成歩堂。そして更に実感することでしょう、子供がどれほど愛しいかを。

 で、これの後日談として、事務所に戻ったら御剣までいて、真宵ちゃんにチケットの話をしたら御剣検事も一緒に行こう!と言いだして、思いっきりたじろいでいる中、ついでだから冥さんもという話に進んでしまい。彼がなんの発言もしない間に全て決定事項に変わって途方に暮れるという話もあります。
 その間ずっと成歩堂は敢えて発言せず、助け舟も出しません(笑)真宵ちゃんたちなら安心だしね。むしろ真宵ちゃんたちの希望蹴るような真似はしないよね?と思って見遣っていると思う。
 …………あれ、いっそ断ったら怖い笑顔が向けられそうな感じになったのは、何故?(それは女の子は大切にしなきゃね、という意識が強いからだよ)

07.9.18