小さな鉢植えの
ちっぽけな花

クラスにあるそんなものに
心寄せるものは少なくて
いつかその花弁が花開き
大輪の花を咲かせると歌っても
蕾みすらまだ色づかぬそれは
未だ誰の関心も引き寄せはしない

それでも
その小さな腕だけは
守りたいのだと、差し出された

か細く弱々しい
その腕だけ、は……………



30.異議あり!



 昨日の学級裁判のせいか、自分の周囲は好奇の視線が集まる割合が増えた気がする。
 小さく息を吐き出す。その鬱陶しいとも煩わしいともいえる、ただ絡まるだけの一方的な視線に辟易とした。
 声を掛けるならまだいい。正面切って目を合わせるのも構わない。けれどそれらはただ、遠慮がちに躊躇いながら、それでもはっきりとした意志で好奇心を自分に向ける。
 対処の仕方が解らないからこそ、困惑した。
 自分に顕示欲はあまりない。ただ事実を事実として証明する事だけを行った昨日の行動によって、物珍しい人物という印象を更に与えたのか、少々厄介な事になったと溜め息を落とす。
 椅子を引き、自身の席に座ると、しんと、一瞬教室が静まった。何事かと思って視線を動かせば、開け放たれたままの前方のドアから、彼が入ってきた。
 冤罪で周囲に責め立てられた昨日の哀れな生け贄だ。教室内の反応に気づいていないのか気にしていないのか、その手に持った植木鉢を大切そうに抱き締めながら教壇の前を横切っていく。
 それを見ながら、今日の日直は彼なのかと、少しだけ同情した。昨日の今日では、さぞ日直の仕事もやりづらいだろう。せめて相手が彼を責めないタイプの人間である事を祈りながら、黒板に書かれている日直の名前を確認した。
 …………そこには、彼の名前はなかった。
 一瞬彼を排除しようとした動きの一種かと勘ぐるが、そうではない。よくよく思い出してみれば、彼はまだ日直当番ではない筈だ。それなのに何故日直の仕事である筈の花の水やりを彼がやっているのか、眉を顰める。強制であるなら、止めさせなくてはいけない。彼に罪はなく、責められるいわれもない者を糾弾した周囲にこそ罪があるのだから。
 思い、立ち上がる。所定の位置に植木鉢を戻している彼が振り返ったところで、自分と目が合った。
 一度大きく瞬きをした彼は、ふにゃりと子犬のように表情を崩し、満面の笑みを浮かべた。いままでの自分の周囲では味わった事のない、それは本当に喜色だけをたたえた純粋な笑顔。
 一瞬だけそれに飲み込まれて問いかける言葉が霧散するが、それに気づかなかった彼が首を傾げて、朝の挨拶を口にした。それに倣うように自分も返し、ちらりと彼の背後に見える植木鉢を窺う。
 どこか萎びれた様子のする花は、まだ蕾もつけていない弱々しいものだった。彼も自分の視線に気づいたのか、少し身体をずらして、植木鉢が見えるようにしてくれる。
 「御剣も花好きなの?」
 「いや……そういうわけでは……。君は、今日は日直では………?」
 「?違うよ。ほら、僕の名前ないだろ?」
 躊躇いながら問う自分の言葉に、あっけらかんと彼は黒板を指差して答えた。残念ながら自分が問いたい意味では理解されなかったらしい。もう一度改めて黒板を確認したあと、彼に向き合った。
 「では、何故君が?」
 「??だって、枯れちゃいそうだったから」
 このところ誰も水をあげていないみたいで土が干涸びていたのだと、不思議そうに首を傾げた。そこには疑問は一切ない。ただ花が枯れそうだから水を与えた、その事実だけだ。
 …………日直に注意すればいいとか、自分がやる必要はないとか。そんな意識はなく。ましてやそんなクラス中から忘れ去られた花の存在を覚えていた事を誇示する意識もない。
 ただ花が嘆く声を聞き取ったかのような、極自然な動作。与えたかったものを与えられた充実感だけが、いまの彼の声には響いていた。
 このクラスは、決して彼にとって居心地がいいわけではないだろう。昨日の出来事はしばらくは尾を引く筈だ。そんなことはどれほど愚かな子供でも解る事で、普通であれば縮こまり何事もなく過ごせる事を祈りながら大人しくしているものだというのに。
 彼は、自身以外の、しかも意思の疎通も出来ないちっぽけな枯れかけの花を、気にかけたのか。この朝の時間から、周囲がこれほど顕著な反応をしているというのに。
 ………何も知らないわけではないのだろう。こちらに向けられる視線たちに、僅かだけれど彼の肩は震えている。
 何ももの言わぬ視線であっても、時に人を追い詰め屠ることが出来るのだと、本の知識ではなく実感で、思い知る。
 それでも、彼は、それらを浴びながら、その手を伸ばし花に笑むのだろうか。
 ……………ただ枯れそうだというそれだけで、動けば動いた分、絡まる視線が増えるだろうに。
 それでも彼は、手を伸ばすのだろう。枯れかけた花を生かすために。そして、同じように、一緒にいればより悪化する視線に気づいただろうに、自分に笑いかけて離れずにそこにいてくれる。
 彼がなにを思っているのか、自分には解らない。
 ただ、きっと、この子供はとても希有なのだ。…………弱々しく守らなければいけない生き物ではなく、あるいは、このクラスの中の誰よりもしなやかでしたたかで力強いのかも知れない。
 そんなことを思いながら、苦笑するように、小さく息を吐き出した。彼は不思議そうに自分を見つめながら、語られるだろう言葉を待っている。存外、勘が悪いわけではない彼の間の取り方は、自分には話しやすいテンポだった。
 「それでは、せめて放課後まで待つといい」
 「?」
 そっと、笑みを浮かべて教えた言葉に、彼は更に首を傾げた。なにを伝えたいのか解らないと困惑している様は、きちんと知りたいのだという意志を真っすぐに教えている。
 どうでもいいと流す事のない誠実さに、胸が暖まる。
 「日直が、それでも忘れるなら、君が与えてあげればいい」
 告げてみれば、きょとんとした大きな目が瞬く。
 余計なお世話かと一瞬だけ後悔したそのあと、彼はほころぶように満面の笑みをその顔に染めた。
 「そっか!うわー、やっぱり御剣、頭いいね!」
 植木鉢を顧みるようにそちらに視線を向け、彼は心底嬉しそうにそういった。一体何がそこまで彼を喜ばせたのか、自分には解らなかったけれど、少なくとも彼にとって過ちではない発言を与えられたようだ。
 微かな困惑を胸中に秘めたまま、無邪気に好意を示す彼の言葉と視線に、それでも唇がほころんだ。
 「そうすれば、みんなもこの花のこと、好きになってくれるね!」
 そうしたら、花も喜んでくれる、と。
 まるで意志を持つ生き物であるかのように、彼はいった。干涸びた土をたたえて、枯れかけながら、それでも浅ましいほど貪欲に生きようとしている、その花を。
 答える言葉が見つからず、苦笑して彼を見つめていれば、彼はその植木鉢に咲く、まだ茎と葉だけの弱々しい花をそっと撫で、また自分に向き直った。
 それから、真っすぐに見つめる瞳を柔らかくほころばせて、花開く花弁のように、笑う。
 「僕が一人で大事にするより、みんなで大事に育てた方が、きっと綺麗な花が咲くもんね」
 それこそが幸せだ、と。
 もの言わぬ、意志も示さぬ、ただそこにいてじっと耐え忍び枯れ逝くだけだった花を愛しそうに、彼はたたえた。
 間近にいたクラスメートが、躊躇いがちにこちらに視線を向けたあと、顔を伏せるのが視界の端に写る。
 きっと彼らもまた、日直の際、花に水をやり忘れたことがあるのだろう。そしてそれを大して気に留めることもなく、適当に過ごしたに違いない。
 こんな風に、ちっぽけでどうでもいいことを心に留め、些細な幸せを喜びに変えられる子供は、少ないものだ。
 …………それをつい先日、このクラスは糾弾し、この植木鉢の花のように枯れさせようとした。
 その多大なる罪を認識して、消沈したのだろう。思い違いと決めつけで、ただの遊び感覚で人を追い詰めることの出来る、集団という冷酷さ。それをこの幼く無知な、それでも誰よりも英知を身にまとう子供はただ誠実に生きるその行為の中で知らしめる。
 それはなんという奇跡のような、生き物だろうか。
 …………尊いその命を愛でることの出来る位置に立つ自分の、なんと幸せなことだろうか。
 思い、浮かんだ笑みは、微かな寂寞と至上の喜びに染まる。
 答えるように彼は笑んで、手を差し出し、席へと自分を導いてくれた。きっと、見つからぬ言葉に躊躇っていた自分を彼は知らないのだろう。それでもただ当たり前のように、彼は手を差し出し、好意に染めて、花開いてほしいのだと、願える人だ。
 ちっぽけな枯れかけの花にすら、心寄せる彼だから。
 傷まぬままにその蕾を花開いてほしいと、願った。


 その蕾を悲しませ打ち拉がらせる凶暴な腕が
 この拙い腕なのだと、まだ知らない頃

 ただ尊い命を守れた充実感と
 それすら本当には理解していなかった傲慢さを
 思い知っていた


 ただ一人の腕で咲く花ではなく
 人々に愛しまれて花開けと

 彼は、願う人なのだ……………







 本当はもう少しお題に添って成歩堂の行動に異議を申し立てさせて、クラスメイトの愚かさを糾弾させようかなーとも思ったのですが。
 それはそれで成歩堂が悲しいだけだから止めました。別にクラスメイトを叱ってほしくてした行動ではないし、ただ花を大事にしてくれるならそれ以上は望む気もないのだしね。
 なのでさらっとした話になってしまったなぁとプチ後悔。まあいいのですが。最終的にラスト部分に繋げる事が出来れば私的には書いた甲斐がある。

07.10.7