鮮やかな青空
その下に、真っ白な君

手繰り寄せこの腕の中
空からすら隔絶させて、閉じ込めたい

それでもきっと君は

いとけなく優しく微笑んで
この背を抱き締めながら
全てを愛おしいのだと、言うのだろう

こんな子供じみた我が侭な悋気、足元にも及ばない

雄大な君の、空にも負けない慈しみ




君と歩む道程



 なんでこうなったのだろう。
 身体に重みを感じながら、ちらりと見上げたのは、見慣れない宿の天井だ。
 カーテンは無理矢理開けたので既に明るい陽射しが降り注いでいる。今日は汽車の時間がまだ先で、それまでの時間、折角なのだからと街を歩く筈だった。
 昨夜の夜食を食べながら老人とそんな話で盛り上がっていた事を、確かに青年も聞いていた筈だ。………随分、不貞腐れたようなつまらなそうな顔をしていた気はしたけれど。
 「あの……ラビ?」
 天井を仰ぎ見ながら、少年は呆れた声で呟いた。
 まさかとは思うが、これは拗ねているとか、そんなところから発露しているのだろうか。…………単に寝ぼけているだけかも知れないけれど。
 「んー?なんさー」
 それに答えた青年の声は、だらしなく間延びしている。やはり寝ぼけているのかも知れない。
 溜め息を吐いても、間近にある青年の頬が笑みを象るばかりだ。微かに眉を上げ、困ったようにベッドの上、青年に押し倒されたままの態勢で傍らにいる老人を見上げた。
 それに気付いたのか、青年は少年を巻き込むように毛布を手繰り視界を塞ごうとする。
 流石にそれは片腕で阻止して、毛布との隙間、真逆に映った老人を見遣る。相変わらずの無表情の中、老人はその隈取りの奥の眼差しに呆れに彩らせていた。
 それに苦笑し、老人が怒らない内にと、起こしに来た人間を巻き込んでまで寝ようとする青年の背中を叩いた。
 「寝惚けてないで、いい加減起きてもらえませんか?」
 「起きてるってー」
 冷静なままの少年の声に被さるようにして、青年の声がくぐもって響く。
 肩が熱く感じるのだから、きっと彼はのし掛かったまま人の肩に口を付けている筈だ。
 毛布が邪魔でよく見えないけれど、噛みつかないだけ動物よりはマシだと己を慰め、まったく人の話を聞かない青年の背中をもう一度、今度は強めに叩いた。
 「ならなんですか、この態勢」
 引き剥がそうかと、背中を叩いた腕をそのまま服を掴むように力を込めた。同時に、意図を悟った青年が少年を抱き抱えるように両腕でしがみついたせいで、身動きがとれなくなってしまう。
 …………………この体勢もどうだろうか。どうせ青年はちょっとした意趣返し程度のつもりで悪ふざけをしているのだろうが、そんな意識がなくなって冷静に今の現状を思ったら、真っ赤になって慌てふためく癖に。
 青年の顔が埋まっていない方に顔を倒し、軽く息を吐き出す。これはもう、自分がどうしようと悩むより、老人に助けを求める方がいい。
 それに気付いたのか、ベッドの上、二人が固まり動かなくなると、ようやく静観していた老人が口を開いた。
 「………小僧、左手を発動して捨ててきてよいぞ」
 呆れ果てたような乾いた声は青年など見向きもしないで少年に届けられた。この状態自体、馬鹿らしそうな声に苦笑してしまう。きっと老人は、青年の意図くらい解っていて、昨夜ほとんど少年と話が出来なかった事を根に持っている事も、解っている。
 とはいえ、それを当事者同士ではなく、少年を巻き込んで意趣返しをするのはいただけない。子供ではなく、ましてやこの青年は老人の後継者だ。もう少し頭を使った行為で反撃をするべきだろう。
 老人の言葉に、少年は目を輝かせて左腕をもがくように動かす。
 毛布の下、しがみつかれて肘から下をどうにか動かせるだけだけれど、発動したならそれを振り払うくらい、出来る。
 「あ、本当ですか、ブックマン!」
 一応騒ぎを起こす事も、青年に怪我を与える事も遠慮していたけれど、老人が構わないというならば大丈夫だ。なんだかんだ言って、この一行の中、老人が責任者として自分達子供を統括しているのだから。
 「アレン、声弾ませ過ぎさ。ヒデー」
 あまりに明るく答えられた少年の返事に、青年が苦笑しながら言った。その声は全く眠気に侵されてなどおらず、とうに彼が起きていた事を少年に教えた。
 それには流石に少年も顔を顰め、責めるように声が尖ってしまう。
 「いえ、流石にこの態勢を維持するのはどうかと思いますよ」
 現状を理解すれば退くかと思い指摘してみれば、それはもう理解していたのか、見下ろした肩に乗せたれた唇が楽しげに笑っている。………………慣れたのか、それくらい昨夜老人と意気投合していたのが気に入らないのか。
 どちらにせよ、そんな悋気じみた真似、される謂われも関係もないのだけれどと、胸中で溜め息を吐き出した。
 「いいじゃんか。汽車の時間まだ先さー」
 クスクスと楽しげな声が、まだこのままだらけて過ごすつもりである事を教えた。しかもそれに強制的に少年まで巻き込むつもりだ。
 このままでは本当にまた青年は寝始めてしまう。それくらい、彼は朝に弱くて、その上、それを少年に隠す気が無いのだ。………本当ならば、眠って椅子姿を誰かに晒す事自体、彼ら師弟は有り得ない筈なのに。
 「ならラビは寝てていいです。僕はブックマンのお使いに付き合う約束しているんです」
 若干、青年がのしかかるせいで話しづらいが、なんとか普段通りに声が出た。青年が平気な顔をしているのに、自分だけが慌てるなどプライドが許さない。そんなささやかな負けず嫌いで返した言葉は、昨夜老人と交わした約束だ。
 …………この町はそんなに大きくはないけれど、その代わり街独自の文化がある。芸術品という程ではなく、民芸品の領域を出はしないが、それらは骨董品としても名高いらしい。
 それを楽しげに語って聞かせてくれた昨夜の老人の様子は、古く燻る埃に埋もれたものを、一つずつ手に取り愛しむ事を知る、優しさだった。
 それが嬉しくてつい青年を放っておいたのは事実だが、だからといってそれを反故して青年に付き合わなくてはいけない話ではない。
 「……ジジイと俺と、どっち優先するんさ」
 案の定ムッとしたような青年の物言いに、少年はさして慌てた様子もなくにっこりと笑い、答える。
 「約束したのはブックマンの方が先で、しかもあなたの方はどう見てもただの我が儘なので、ブックマン優先ですね」
 「……冷静に言われると凹むさ」
 苦笑に声を彩らせながら答えた青年は、少しだけ腕の力を緩めた。
 おそらく、圧迫に話しづらい事に気づいたのだ。そんな気遣いが出来るのであれば、ただ起き上がり着替えてくれれば何よりなのだが、それを実行する気配はなかった。
 いくら汽車の時間がまだ先でも、今日一日をこの町で過ごすわけではないのだ、もう日は昇り、街は活気づいている。
 出掛ける時間が遅くなればなるほど、老人が見たがっている全てを網羅出来なくなる可能性が高くなるのだ。
 「なら、起きてください。折角ですからラビも行きましょうよ」
 焦れるように少年が言えば、少しだけ悩むように肩の上、青年が首を傾げるようにしてこちらを窺ったのが解る。
 「うー、二人きりなら」
 答えたと同時に、青年が少年の上から消えた。
 起き上がったのではない。証拠に、盛大な落下音がベッドの下で響いた。
 「小僧、捨て置いて行くぞ」
 手を叩きながら足元には見向きもせずに老人が言う。その足元には、予想に反す事なく。青年が転がっていた。
 それに呆気にとられながら、少年は感嘆するような調子でつい声が洩れる。
 「ブックマン、意外に力持ちですね」
 「痛いさ、ジジイ!普通、人をベッドから摘まみ落とすか?!」
 少年の声に引きづられるようにして、起き上がった青年が師に噛みついた。子供のようなその響きに、少年は青年を振り返ってしまう。
 …………いつも年上風を吹かせて余裕を見せる人だけれど、こんな風にたまに、老人には幼い声を投げ掛ける事があるのだ。
 「油断する方が悪いわ」
 しれっと答えた老人は悪びた様子すらなかった。老人もまた、青年に対しては砕けていて容赦ない。それは多分、心を許せる唯一の弟子だからだ。
 そんな様子を楽しげに少年は眺め、青年は忌々しそうに睨んでいた。
 「こんの人外ジジイー!」
 「まだ寝ぼけておるな。仕方ない、ツボ刺激でもしてやるか」
 噛み付く子供じみた青年の言葉に、同じく大人げない言葉で老人は応酬し、懐から堂々と武器ともなるイノセンスの針をちらつかせた。
 ギクリとその仕草に青年は肩を跳ねさせ、顔をひきつらせると、老人との距離をとるようにベッドに背中を押し付けた。
 「あからさまに殺ル気満々な殺気さー!?」
 焦ったような声は、けれど危機感など欠片もない。まるで仲の良い家族の他愛ない喧嘩だ。
 お互い、あるいは本気かもしれないけれど、少年にはじゃれ合うようにしか見えなかった。
 だから、つい、笑ってしまった。嬉しくて、楽しくて。
 ………未だ言葉の応酬をしていた二人を余所に、その傍らで花咲いた、柔らかな笑みの気配。
 それに惹かれ、青年の視線が傍らの少年に向けられる。
 「……アレン?」
 「あ、すみません。二人は本当に仲が良いなぁと思って」
 クスクスと楽しげに笑む唇と、柔和に細められた大きな瞳。
 自分達の会話を聞いている割に、それは酷く優しく、喜びに満ちていて………少しだけ、寂しかった。
 「見ていると、僕も嬉しくなるんです」
 楽しそうな明るい声。この旅の最中、決して良い事に溢れていたわけではない。むしろ過酷だった筈なのに、その声は明るさを失わなかった。
 彼の生きた時間の中、ささやかな喜びが彼を支えたように、多くの傷すら厭わず歩むその足先と同じ、弛まぬ柔らかな声音。
 「だから、早く起きて着替えて、一緒に行きましょうよ、ラビ」
 手を差し出し、楽しそうに声を弾ませた少年を見上げる。まるで自分達とともにいる事が幸せだというような、そんな顔。
 ……………裏歴史の記録者など、厭われる事の方が多いのに、この少年はいつだって嬉しそうにその手を伸ばすのだ。
 「ブックマンも待ってくれますよ?」
 ね?と、微笑み顔を向けた先、老人は何とも言い難そうに片目を眇めた。それでも、微笑む少年に否など唱えようもなく。
 …………仕方なさげに溜め息を吐いた老人は、近場の椅子に腰掛け、懐から煙管を取り出した。
 それを吸う間は待とうという、無言の許諾。
 少年はそれに嬉しげに笑うと、未だベッドの下に踞る青年の手をとった。
 「朝御飯はホットドッグでも食べ歩きましょう。勿論、僕も付き合いますけどね」
 もう朝食も済ませた筈の少年の言葉に破顔しながら、青年はその手を掴みながら立ち上がる。
 自分よりも小さく細い、その手のひら。それでも、きっと自分達よりもしなやかに力強い、慈しみの手だ。
 「じゃあ急がないと、腹空かせたアレンに全部食べられちゃうさね」
 「そうですよ、急いで下さいね!」
 明るく弾む少年の声。花開く、幼い微笑み。
 ずっと師弟二人の声しか響かなかった空間に、いつの間にか馴染んだその音色。
 ………その心地良い調べに目を細め、老人は煙管の煙を吐き出した。

 願えるならば、この仮初めの穏やかな日々が続けばいい。

 

 

 微笑みが消えぬ事を祈り、紫煙に目を伏せた。

 








 携帯でポチポチしていた小説ですよ。てか、こちらの方が『旅立ちのその時に』より早くに書き始めていたのに、すっかり存在忘れていたという。
 連載を3作くらいいっぺんに書いているせいで、その他の短編がその合間に埋もれていて見落とされるのですねー。
 …………すみません、気をつけます(汗)

11.1.10