それは、遠い日の記憶

まだ誰とも出会わず
愛される事も知らず
不貞腐れ、ただ生きていた頃

それでも、注がれていたのだと
今更ながらに思い知る

 

あなた達に、感謝と祝福を




雪へ願った子守唄



 呼び鈴が鳴って、子供は慌てた。
 もう少年がやって来てしまったらしい。といっても、もう約束の時間なのだから、当然だ。
 慌てて玄関に向かい、ドアを開けた。そうして挨拶と謝罪を口にしようと彼を見ると、目を瞬かせた彼は、すぐに苦笑してポンと子供の頭を軽く叩いて掻き混ぜるように撫でてくる。
 「アレーン、ゆっくりでいいさ。髪、凄い寝癖って気付いてる?」
 「へぇ?!う、うそ?!」
 グシャグシャと、むしろそのせいで悪化しているのではないかと思える程遠慮なく少年が髪を掻き混ぜる。それを首を振って払いのけ、隠すように頭を両手に乗せる。
 ………顔も洗ったし、歯も磨いた。ただあまりに慌ててやったせいで、きちんと鏡を見た記憶がない。赤茶けた髪がどうなっているか解らず、手で撫で付けてみるが、結局そんな事ではどうなっているか解らなかった。
 困ったような子供の顔に、少年はクスクスと楽しげに笑う。そうして子供の顔を覗き込みながら、また頭を撫でた。
 「本当。ほら、中入れて?俺、適当に休んでっから、身支度くらいのんびりするさ〜」
 「ご、ごめんなさい。折角遊園地に連れて行ってくれるっていったのに、寝坊しちゃって……」
 慌てた様子で少年を招き入れながら、申し訳なさそうに子供が言う。それを聞きながら、ふと気付いて少年が問い返した。
 「ん?何さ、もしかして寝れなかった?」
 聞いてみれば、あからさまにしまったと子供が顔を引き攣らせた。
 ………きっと、遊園地程度ではしゃいだ事が恥ずかしいのだろう、先を急ぐ振りをしながら顔を逸らしたけれど、その顔が真っ赤だった事はしっかり見えた。
 「…………はい、なんか、寝付けなくて。マナに子守唄歌ってもらって、やっとでした」
 もうそんな年齢でもないのに、それでも養父の子守唄を聴くと、いつもよく眠れるのだ。だから眠れない夜は、いつも養父と一緒に寝ていた。
 それは今まで幾度も聞いた事のある話で、少年は苦笑しながら子供の小さな背中を眺めて追いかけるように勝手知ったる彼の家を歩いた。
 「な〜んだ、それならいっそ、うちに泊まりにくればよかったさー。そうしたら俺も一緒に寝坊したんに」
 残念そうに、未だ一度も遊びには来ても泊まりには来ない幼なじみに言ってみる。
 戯けた調子の中でなら、この子供も気遣って言葉を飲み込む事はないと、ようやく知った最近お馴染みの仕草だ。
 思った通り子供はクスクスと楽しげに笑い、自分の髪の跳ねを気にしているのか、両手で必死に撫で付けながら答えた。
 「ラビの家じゃ、寝坊出来ないでしょう?ブックマン、叩き起こすっていつもいっている癖に」
 だから朝が苦手な少年は、それでもいつも朝早くに起きて動き回っている。その癖、夜も遅く、子供ならば疾うに寝ているような時間まで起きて本を読んだりもしているのだ。
 どうやら家系的に元々睡眠時間が短い家らしく、ほんの数時間寝るだけで事足りると言われた時は、呆気にとられたものだ。そのせいか、少年は本が大好きで、夜中に起きている時間の大部分をそれを読む事で潰しているらしい。
 「アレンがいれば平気さー。ジジイ、アレンに甘いし」
 「そんな事ないですよ。あ、ラビ、飲み物、何がいいですか?牛乳かジョースですけど。紅茶も煎れれば……」
 パタパタとまた動き始めた子供を見遣りながら、少年はその後を追い、カップを手にとったその手を包みながら、笑う。
 「あー、自分でやっから、慌てんなって。ん?あれ、これ、アレン宛じゃね?ここって親父さん宛の手紙入れだろ?」
 なんとなく掴んだ手が照れ臭くて視線を泳がせたなら、ふと気付いたレターラックの中の、子供の名前。
 子供の手を包むのとは逆の空いた指先でそれを摘み出せば、目を瞬かせていた子供の視線が動き出した。
 …………どうも、この子は人に触れる事に慣れていない。
 初めて出会った頃を思えば、少しくらいの躊躇いを見せる可愛らしさはまだマシだ。…………あの頃は養父の事を悪く言われただけで蹴りつけるような、外見には似合わない激しさが表に出ていたのだから、喧嘩っ早さの方が前面に出ていてヒヤヒヤしたものだ。
 「え?あ、本当だ。昨日マナが受け取ってたから、多分間違えちゃったんだ。ありがとうございます、ラビ」
 「親父さん……相変わらず天然さねぇ」
 苦笑して受け取る子供に、同じように苦笑して少年が言う。
 子供を持つ大人に対していう言葉でもないかも知れないが、彼の養父にはぴったりの言葉だ。決して愚かではないけれど、妙なところでまったくの無知を見せたり、驚く程無防備だったりと、大人らしくない無邪気さがある。
 「それがマナのいいところですよ」
 クスクスと、嬉しそうに子供が笑う。本当に、彼は養父が大好きだと思い知らされる、そんな笑顔だ。
 それがなんだか悔しくて、けれどそれが何故かは解らず、少年は視線を逸らすように子供が向かおうとしていたキッチンの方に視線を向けた。そこから覗くテーブルの上、弁当箱が置かれている事に気付く。
 それは、子供用の弁当箱だ。養父用ではないのが、大きさで十分解る。何よりも、今この家に子供以外の気配がないのだから、既に養父は仕事に出掛けている筈だ。
 「………あれ?アレン、もしかして弁当作って遅かったん?」
 「実は………、だってラビが貰ったチケットで遊びに行くんだし、それならお昼ご飯くらいは用意しないとって」
 それなのに寝坊したと、ますます恐縮するように縮こまる小さな肩が、ひどく愛しい。この子供は、誰かから与えられた好意に、とても素直に同じように返すのだ。
 その尊さを、少年は彼に出会って初めて実感した。養父の為、泣き出す程の激情で怒りを向ける子供は、ひどくいとけなく……綺麗だと、思ったものだ。その感想の奇妙さは、今をもってしても紐解けないけれど。
 「アレン真面目さ。貰ったって言ったって新聞屋のだし。あ、それ詰めんの俺がやるさ」
 もうおかずも冷めているようだしと、キッチンに向かおうとすれば、その背中に子供の窘めるような響きの声が届いた。
 「別に真面目じゃないですよ、ジャンクフードばっか食べてちゃ駄目なんですからね、ラビ!」
 よく買い食いをしているのを知られているせいか、子供は容赦なく叱る声でそう言った。
 それに喉奥で含み笑い、少年はからかうように歌う音程で子供に返す。
 「アレンお母さんみたーい♪」
 「ラビっ!!!まったく!」
 叱るように呼ぶ声も、母親のようだ。こんな愛らしい母親がいたら、きっと子供は親離れなど出来ないだろうけれど。
 そんな事を考えながら、少年は手早くおかずを詰めていく。肉が好きな少年を考慮してか、意外とボリュームのあるおかずが多い。それでも忘れずにきちんと緑黄色野菜も入れてある辺り、やはり母親のようだとつい笑いが洩れた。
 そんな少年の耳に、封筒を見詰める子供の、取り零したような声が滑り込む。
 「あれ……これ、施設からだ」
 「へ?………アレンがいた?」
 不思議そうなその声に惹かれてキッチンから顔を覗かせれば、調度封筒を開けているところだった。
 子供は施設から今この家に住む養父に引き取られたのだ。勿論、その時点で縁が切れても不思議はない。それでもアフターケアなのかどうか知らないが、時折子供の元にその施設の職員が顔を見せるのは知っている。
 ………多分、あれはアフターケアでもなんでもなく、たまたま近くに引っ越した子供を可愛がるように、様子を見にきているのだ。あるいは、この家主の気難しさや奇人ぶりを聞き及んで心配してかも知れないけれど。
 「はい。あ、シスターからだ。そっか、そろそろハーブを分けてくれる時期だから、お知らせかな」
 中身を確かめながら、子供が呟く。嬉しそうな声に、少年は子供の持つ封筒に目を向けた。
 極普通の、業務用の封筒だ、色気も素っ気もないし、確かに施設の職員の誰かからの、お知らせのようなものなのだろう。
 「そんなんまであるんか」
 そう考えて告げてみれば、少年は軽く首を振った。
 「いえ、これはそのシスターの趣味ですよ」
 「?でもそれ、シスター一同って」
 「はは、実はこのシスター、名前が無いんですよ」
 封筒の裏側、調度少年が見えるところに、住所と施設名ともに、そう署名があった。それを指摘してみれば、苦笑するように子供がそんな事を言う。
 ………この時代、この国の中に名前を持たない人間はいないだろう。かといってそんな下らない嘘を吐く子供でもなく、怪訝そうに少年は首を傾げた。
 「はい?それはないさぁ?」
 「ええ、まあ、きちんとあるにはあるんですが、誰も呼びません。みんな、シスターって言うんです」
 「?嫌がらんの、その人」
 それはヘタをすればイジメだ。職員がそんな目に合うのか解らないが、当人が厭っているのなら、なんであれ、それは改善しなくてはいけない事だろう。
 そう告げるような少年の声に、子供は説明が難しいというように首を傾げて視線を揺らした後、ゆっくりと言葉を探しながら言った。
 「名前が、記号にしか思えない人、らしいです。昔、彼女の事を名前で呼んだら、いつも一緒の人に叱られました」
 多分、それはそのまま彼が言われた言葉、だ。そう思い、少年は呆れたように息を吐き出す。
 「過保護なヤツさねぇ。男っしょ、そいつ」
 同時に、子供の言うシスターがかなり歳若い人であろう事も、読み取る。そうでなければ、この子供相手にそんな事、言う筈もない。
 「そうですよ。カッコいい人でした。今頃は特待生で街の学校に行っている筈ですよ、確か」
 「ふーん。そりゃ優秀さ」
 楽しそうな声。憧れも滲むその音に、少しだけつまらないものが胸に湧くが、それを滲ませたなら子供は話す事を止めてしまう。そんなところばかり、彼は聡く、敏感なのだ。
 「その人達がいたからね、僕、多分マナと出会えたんですよ」
 なんとか声には滲まなかったらしい不快の念は、子供から新しい情報を零させた。それに驚いたように少年は目を瞬かせ、どういった意味かを瞬時に考える。
 「?なんさ、親父さんの知り合い?」
 シスターというからには、おそらくは年上で、働ける程度の年齢な筈だ。
 それでも、子供の養父と繋がりがある年齢には満たないだろう。何が縁で繋がりを持つか解らないのは、自分と子供との出会いを考えれば頷かざるを得ないけれど、それでも少々繋げるには難しい対象だ。
 「いいえ。まったく」
 「???よく解んないさ、アレン」
 キッパリと言い切る子供の言葉に、少年は首を傾げる。疑問ばかりが湧いて、一つも解決が出来なかった。
 知りたがりの少年の目は、もう既に好奇心に輝いている。子供はちらりと時計を見てから、遊園地に行ったらすぐにお弁当を広げそうだと思いつつ、口を開く。
 「んー、ちょっと昔話になりますよ?」
 それでもいいのかと問えば、パッと輝く少年の笑顔。………本当に彼は、色々な事を知りたがる人で、自分のささいな思い出話さえ、喜んで語る事を願うのだ。
 「ん、聞かせて。聞きたいさ」
 「あれは………多分、5歳くらい……だったかなぁ」
 思い出しながら、子供は小さく笑んだ。
 …………懐かしい、今となっては擦れて恥ずかしいくらい尖っていた、幼い頃の自分を、見遣った。

 

 陽射しが柔らかく降り注いでいた、春も終わる頃だった。
 手伝いとして駆り出されていた畑の雑草抜きも終わり、やっと人心地と、与えられた麦茶を一気に飲んでいた。
 傍らには、この畑の監理を任された少年が座っていた。この頃からもう、彼は院の中では異色な程有能さを見せていたのを覚えている。
 でも、苦手だった。否、彼だけではなく、人が苦手だった。
 彼は人当たりもいいし、頭も切れる。運動は人並みだけれど、瞬発力と機転のおかげか、喧嘩は強かった。………多分、相手を打ちのめす事に遠慮をしないせいで強かったのだろうけれど。
 自分にも幾度かその手解きをしてくれた。細くて弱々しそうに見えたのだと思う。利用出来るものは何でも吸収しようとしていたから、素直にそれに従った。けれど別に、彼の傘下に入ったわけでもない。
 ………もっとも、彼は傘下など求めてはいない、一匹狼タイプだ。群れの長にされやすくとも、実質彼は群れを嫌い忌避している感がある。
 だからまだ、彼の傍は居易かった。そのせいだと、思う。自分が彼女をよく見かけるようになったのも。
 「アレン、大分力ついてきたな。って言っても、まだヒョロいけど。もっと力仕事するか?」
 ニヤリと、からかう声音で言う彼は、それでも自分を心配しているのだと思う。それは押し付けない程度の、ささやかなものだったけれど。
 けれどその頃の自分にそんな事は解らず、顔を背けて拒否を示すだけだった。
 …………院の中、いつも隅に居るような、子供だった。輪の中に入る事が苦手で、どうしても差し出される腕を掴めなかった。
 ここに来た理由が、多分大きく影響しているのだという事は、自分でも解る。
 捨てられた、事は解る。けれどその過程がどうしても受け入れられなかった。
 院に併設された聖堂の前、倒れていた自分。深く眠り続ける様を訝しみ検査したなら、大量の睡眠薬の反応があったらしい。
 おそらくは、無理心中。けれど親は死に切れず、先に薬によって昏睡状態にあった子供を持て余し、そこに捨てていったのだ。
 そんなものかと、受け止めたつもりだった。それでも、差し出される腕がいつかは同じように自分を殺そうとするのだろうと、どこかで思ってもいた。
 だから、人の輪は苦手だった。いつも一人で居れば、これ以上傷付く事もない。そう、思っていた。
 それでもこうして何故か傍らに人は居て、お節介を焼くような真似もする。ただ、それでもそれに反発せずに居られるのは、彼がその引き際をきちんと見極められる類いの人だったからだ。
 受け付けないと解れば、それ以上その話はしない。後腐れすらなく、まるで何もなかったかのように全てを流してしまう。
 今もそうで、これ以上は誘っても無駄だと気付くと彼は空を見上げて、何も話していなかったかのように呑気に麦茶を煽っていた。
 それに小さく息を吐いて安堵すると、傍らで微かな舌打ちが聞こえた。
 「あ……、のバカ、また」
 呟きに彼を見遣ってみれば、顔を顰めて院へと続く道を睨んでいる。その先に居るのは、大きな真っ黒の日傘をさす、小柄な女の子だった。
 彼はすぐに立ち上がり、女の子に駆け寄った。気付いた女の子が立ち止まり、彼に声を掛けるのが見て取れる。
 「お前こんな時間にどこ行く気だよ。また倒れるだろ?!……、なら、飲みもんくらい持ってけ。途中で脱水起こす。あー、いい、俺がシスターに言いに行くから、お前は日陰にいろっ」
 所々相手の言葉を聞いているらしい間はあるけれど、女の子の声は1つも聞こえなかった。ただ彼がしゃべっているようにしか見えない会話が終わると、彼は何も言わずに駆け出してしまう。
 その背中を見送る女の子は、彼の背が曲がり角で見えなくなるとそっと歩んだ。…………そのまま、日陰にいる自分の傍までやってくる。
 ちりんちりんと、鈴の音が響く。女の子の日傘についた、鈴だ。彼女が歩けば必ず響くその音は、彼女がどこにいるかをすぐに周囲に教えた。
 それを見上げた。真っ黒な日傘に、真っ黒な長い髪。その先の青空も見てから、眩さに顔を顰めてそっぽを向く。
 何を言うでもなく、女の子は隣に座った。
 日傘を畳み、丸まるように膝を抱きかかえ、小さく緩く呼気を繰り返す。………院からここまで、たいした距離はない。それなのに、女の子はもう既に息を切らし始めている。
 彼女は体力がないし、身体が弱い。だから彼はいつもそんな彼女を気に掛けて、怒鳴ってばかりだ。
 「………鬱陶しく、ないの」
 「………………?」
 不意にそっぽを向いたまま呟いた声に、女の子が頤を上げたのが解る。
 けれど答えは返らず、その沈黙に堪えきればくて、また言葉を継いだ。
 「和也。………いつもあんたに怒鳴って、いらない世話焼いてばっか。邪魔じゃないの?」
 「………和也、は、優しい、から」
 呟き、呼気を繰り返している気配。もしかして喘息の発作だろうか。怖くなって女の子を見遣った。
 数度浅い呼吸を繰り返したあと、女の子は自分を見た。真っ直ぐな、何も不純物を孕まない眼差しだった。
 「怒るの、は、悲しい、の。出来る事、出来なくて。いつも、和也は、助けて……くれて。でも、私は、返せなく、て」
 「和也のせいでいつも倒れる癖に、なんでそんな事言うのさ」
 「違う、わ。和也は、ね、助けて…くれる、の。私が、それを…………掴まない、の」
 咳きはしていないけれど、多く話す事で息が切れるのか、ますます呼吸が荒くなる。
 それを不安そうに見遣り、拳を握り締める。早く、和也が帰ってこないかと、祈るように思った。
 「掴んで………いいか、解らなく、て。だから、和也は……悲しく、て、寂しくて…怒る、の」
 囁く声は固く小さい。掠れていて、聞き取りづらかった。それでも聞き取ってしまうのは、意識の全てを女の子に集中していたからだ。
 いつ倒れるか解らない。早く和也が戻ってこなくては、自分には何も出来ない。………不意にそんな風に誰かに助けられる事を祈った自分に気付いてしまい、それを押さえ込むように、唇を噛み締める。
 「そんなん、勝手なだけじゃん。嫌なら無視しとけば?」
 吐き捨てるように、呟く。人間なんて身勝手で、自分の都合しか考えないものだ。現に、今自分は自分が怖いから、和也にそれを押し付けようとしか考えられていないではないか。
 それに女の子は、目を瞬かせるように睫毛を上下させた。じっと見上げる眼差しは、静か過ぎて幼くも老齢にも見えた。
 「アレン、も………悲しい?」
 呟いた、血色の悪い唇。……チアノーゼだろうか。元々肌が青白くさえある女の子では、よく解らなかった。
 「……………なに、それ」
 掠れたように呟いたのは、無意識の言葉。
 「アレンも、和也と……同じ。寂しくて、怒るの、ね」
 「違うし、勝手に決めないでくれる。寂しくなんて………っ」
 「うん、私がそう、思った…だけ。でもね、覚えてて」
 心臓が高鳴る。怖い。この女の子が、その声が、見透かすように静かな大きなその目が、怖い。
 「寂しいって、誰かに……何かに、伝えると、ね?」
 掠れた小さな高い音。それなのに、優しく響く、不思議な音。
 自分でも片腕で弾き飛ばせるような、細く小さな女の子だった。それなのに、その時本当に自分は女の子が怖かった。
 「欲しかった…もの、くれるの」
 突きつけられてしまう。自分の弱さ。
 まるで紡ぎ糸のようにさらさらと、女の子は途切れ途切れの音を繋げていく。
 「私は、小手鞠に、言ったら………和也を、見つけたの」
 ふうわりと、女の子が笑った。初めて見せた、それは笑みだ。
 けれどそれは少しだけ、寂しそうだった。その目に映る自分の顔が、泣き出しそうに歪んで見えたせいだろうか。
 「だから、いつかアレン、も、何かに…言ってみて………?きっと、欲しいもの、見つかる、わ」
 「…………………」
 そんなもの、戯れ言だ。解っている。解っている、けれど。
 泣きたい衝動を堪えられなくて、それでもそれを見られたくなくて。和也がこちらに声を掛けるのが聞こえるのと同時に立ち上がり、駆け出した。
 逃げるように走ったその先で、青空は歪むように溶けて、零れた。
 欲しいものがある。当たり前だ。この院にいれば、誰だって欲しい物だらけだ。
 でも、それを言え、なんて。言葉にして、形作れ、なんて。
 怖くて一体誰が出来るというのだろう。一番初めに、一番大事にしてくれる筈の人に、裏切られた自分達なのに。
 嘆くように嘔吐(えず)くように泣いた、春の終わり。
 ……………それから幾度か春が来て、夏が過ぎ、秋を迎え、雪の降る冬がきた頃。
 何年も二人を見詰め、彼らが育てる拾った赤子を見詰め、おずおずと、自分は雪に願ってみた。
 自分の為に子守唄を歌ってくれる人。この手を握り、一緒に帰ってくれる人。その人が欲しいのだと。その人がいないから、寂しいのだと。
 空を見上げ初めて、泣きながら願い続けた祈りを告げた。

 「………それから、どれくらいかな。次の年の初雪の日にね、マナに出会ったんです」
 凄い偶然ですけれど、と、子供はにっこりと笑った。まるでお伽噺のような、それは出会いだったと。
 「へっ?マジで?」
 まさかそんな風に彼に繋がるとも思わず、驚いたように少年は目を丸めて、素っ頓狂な声を落とした。
 「はい。でもね、きっと、あの時そう言ってもらえなかったら、マナと出会っても、僕はマナの傍に近づかなかったと思うんです。出会いって、結局自分から一歩を踏み出す勇気が無いと、見つけられないんだって。きっと、シスターはそれを言っていたんです」
 そっと……囁くように噛み締めるように子供が言う。それは、まるで導き手の囁く言葉の深淵を見出したような、そんな囁き。
 それを見詰め、年齢こそ教えられはしなかったが、それでも紡がれた言葉達から推察するに、そう今の子供と歳の違わない女の子の言葉に、それ程の含蓄が含まれるとも思えず、少年は首を傾げて苦笑した。
 「流石にそれ、子供が言わんっしょ」
 「言い兼ねない、人だったんですよ、シスターは」
 同じように苦笑して言う子供は、流石にそこまでの深みをあの年齢で携えるかは解らないと首を傾げる。……………ないと、言い切れないような女の子だったらしい。
 「…………なんつーか、アレンの周りって、凄いのばっかさ」
 「そうですか?うん、でも、あの院で育てられた事、今は誇りに思いますよ」
 そう、いって。子供は嬉しそうに微笑んだ。
 きっと、数多い傷も背負っただろう。それでも、愛しいものを手に入れて、愛され、愛す事を知った子供は、その全てを慈しみ抱き締めるしなやかさを手に入れた。
 とんだ夢物語を語る女の子がいたものだと、鼻で笑えるような事なのに。それでも、信じてそれを口にして、願い……勇気を持って踏み出した一歩が、最上の一歩だった。
 その幸運こそを、祝したい。
 ………そのおかげで、こうしてこの子供と出会い、同じ時間を共有出来るようになったのだから。
 「そっか。俺も、アレンがここに来た事、嬉しいし。その女の子には感謝かな♪」
 上機嫌にそんな事を言ってみれば、キョトンとした子供は、幸せそうに笑った。歳相応の、子供の笑みだ。
 「今度シスターに貰ったハーブで、クッキー焼きますね。シスターにレシピ教えてもらったんです」
 好きな人達を褒められる事を喜べる、そんなその心こそが愛おしい。
 そう、幸せそうな子供を見詰め、少年もまた幸せな気持ちに綻ぶ笑みを落とした。

 それはまだ出会ったばかりの頃の、幼い記憶だ。

 出会い頭に祖父並のローキックを喰らわせたくせ者は
 それでも日毎鮮やかに花開く、愛しい種を携えていた

 まだ少し、自覚までに時間が掛かる頃

 

 それでも、この子供が笑う日々に、感謝を捧げた






 クリスマス小説で書いた現代パロの過去のお話でした。
 大体ラビが13歳、アレンが10歳くらいのイメージで。中学に行っちゃったせいで疎遠になるのが嫌で、足繁くアレンに構いに行っている日常の一コマですよ。
 アレンは普通にブックマンに会いに行ってるけどね。
 クロスに拾われてどっかに預けられるとかの時間は無視したいので、このお話でマナが亡くなるのはアレンが12歳の時です。ので、今は健在。ちゃんとラビと面識ありますよ。一応ね。
 そしてアレンの左手も普通の左手です。あれはマナを亡くした時の事故の後遺症なので。
 まあそう言う事は説明するのではなく、その内小説で書きたいところです。…………とはいえ、子供に辛い思いさせる話を書くと凹むので、多分ダラダラ避けますけれど、事故の部分(遠い目)
 その辺は他の話で補完しつつ想像していただければ幸い。いや、まずは書かなきゃだけどね!

11.1.11