今ここにある何一つでも
欠けていたならばきっと
この手の中の幸せは
なかったと思う ありがとう
やっと手にした幸せを
見つめていた顔を上げて
愛おしむように周りを
見回した後君はそう言った

この空も風も雑踏も
見慣れた椅子も何もかもが
幸せそうにしている君を
笑顔で見ている気がした
もしもこの世界のすべてが
言葉をはなせるなら
君の事を大事に思っていると
口を揃えてみんなが言うのだろう

歩む力もなく途方に暮れて
ただぼんやりと見ていた
景色の中に君を見つけた
あの日の事を思い出している
何かを追い求めがんばる
君をただ見ていただけで
心にいつの間にか勇気や
希望が戻ってきていた

ひたむきに生きるその姿に
心動かされたすべてが
みんな同じだねと僕に
笑いかけている気がした
もしもこの世界のすべてが
言葉をはなせるなら
君の事を大事に思っていると
口を揃えてみんなが言うのだろう

君の事を大事に思っている
君に聞こえない言葉で
We love you.

槇.原敬.之『W.E LO.VE Y.OU.』




WE LOVE YOU.



 パタンと分厚い革の表紙を閉じ、青年は伸びをした。
 ようやく師に言われた今日のノルマが終わった。その解放感にホッとして、青年は室内を見回すように視線を辿る。
 それは迷う事もなく当然のように一点へ吸い寄せられていくのに、青年自身苦笑した。
 ………数冊横に積まれた、たった今記録を終えた本と同じ程の厚みの背表紙の奥。書籍に埋もれるような室内で、唯一スペースが確保されている二段ベッドの下に、真っ白な少年が座っている。見出すべき存在を見出した視線は、柔らかく綻んだ。
 間違いなくそこに彼がいる、その事実に小さく安堵の息を落とす。大分待たせたけれど、怒るでもなく彼はそこにいてくれた。
 どうやらゴーレムと話でもしているらしい。感情豊かな彼のゴーレムは、言葉がなくても通じ合える存在だ。
 それを眺めながら、青年はこっそりと溜め息を吐いた。
 ………記録する事を厭いはしないけれど、流石に今日くらいは勘弁してほしかった。
 今日は珍しく二人とも任務がない、休日だ。愛しいと思う相手とずっと一緒にいられるのは、自分達エクソシストには貴重すぎる時間だ。
 もっとも、そんな我が儘を言ったなら、師どころか、この少年にまで己の記録の意味を軽んずるなと叱られそうだ。
 なかなかそうしたところで我が儘など言わない愛しい人は、思いを告げる事も躊躇いがちだ。もっとも、その大部分が照れや恥ずかしさなら、こちらとしても安堵出来るけれど。
 ………初めの頃のような、自身の価値を卑下するからこその黙秘や怯えでなければ、なんだか全て許せる気がするから不思議だ。
 「あ、ラビ、終わりましたか。ご苦労様です」
 ようやく視線に気付いたのか、顔をあげた少年がねぎらいの言葉をくれた。
 「お待たせしたさ」
 それに嬉しそうに笑い、青年は立ち上がりながら答えた。もう机にかぶりついている必要もないのだから、早く彼の傍に行きたかった。
 「…………てか、何見てるん?」
 けれど、こんな時ならば必ず真っ直ぐに笑いかけてくれる少年の視線が、微妙に定まらない様子に、青年は首を傾げた。
 見てはいけない情報など、彼が来る時はきちんと隠してある。彼がここに来る事を躊躇わないでいいように、出来る努力はしているのだ。
 だからこそ、こちらをしっかり見ない少年が不思議だ。何か気にかかるものが自分のベッドにあるだろうか。思い出してみても、そんな物は何もなかった。
 それともあまりに汚いベッドメイキングに呆れているのだろうか。今日の自由時間をなんとか確保するため、ほとんど徹夜で、明け方に仮眠をとっただけだったため、彼の指定席であるそこを綺麗に整え損ねたのは、確かに自分の手落ちだ。
 どんな理由だろうと目を向けた自分の顔は、かなり情けなかったのだろう。少年は柔らかく目を細めて笑った。
 「ティム、ですよ」
 クスクスと笑い示したのは、彼の膝に乗るゴーレムだ。
 それが解答と差し出されるが、いまいち納得がいかない。青年はそれにまさかと思い、つい眉を顰めて問いかけてしまった。
 「ティム?………なんかまた悪戯したさぁ?」
 以前は本の山に飛び乗って雪崩を起こし、その前は食事の真似事を披露したかったのか、重要書類を牙で切り裂いてしまった。
 時折このゴーレムは、まるで小さな子供がいるように、予測不可能な惨劇を招き寄せるのだ。
 そんな心境が滲んだ青年の声に、少年は破顔した。その膝の上、抗議するような大音量で鳴くゴーレムが、まるで地団駄を踏むように跳び跳ねている。
 「違いますよ。……ティム、お前も怒らない。お前がいつも悪戯するからだろ。もうっ」
 窘めながら、少年は膝の上の丸い金の球体を包むように手のひらで撫でた。優しい感触に機嫌が治ったのか、不満そうな唸りは漏れたが、ゴーレムは大人しく膝の上に鎮座した。
 そうして、少年はゴーレムの羽根の生え際を撫でながら、ねだるようにその口元をつついた。きっと一緒にいる時間の中、そうする事は珍しくもないのだろう。ゴーレムは特に不思議がるわけでもなく、その指先を受け入れている。
 あどけないその指先に少し擦り寄る真似をしたあと、ゴーレムはパカリとその口を開け、ねだられたものを写しだした。どうやらすっかり機嫌は治ったらしい現金さに、青年は苦笑した。
 …………映像機能の中、写されるホログラム。一画面毎に切り取られたそれは、色々な国にたたずむ少年の姿だ。
 「ほら、コムイさんがね、昔の画像を写真にカットして、スライドショーで見れるようにしてくれたんです」
 音もなく流れるように静止画像が映っていく。笑う顔が多いが、時折遠くを見つめて何かを噛み締めるような顔や、打ち拉がれたように沈む姿もある。
 明るい写真だけではない、彼が生きてきた数年をそのまま映し出したような、そんな写真の数々。
 それを見遣り、青年は目を瞬かせるようにして画像の輪郭を辿った。
 「昔の?………あ、ほんとだ、会った時よりちっこい」
 「よく解りますね。一年くらいの差ですよ、これ」
 本当に解っているのかどうかを疑う事もない声は、呆気にとられたような顔をして青年を見上げた。
 その声にクスクスと笑いながら、青年は触れる事の出来ない立体映像を突つくような振りをして、その理由を答えた。
 「周囲との比較で身長割り出したん。あと、顔もちょっと幼いかな。うん、今のが引き締まってるさ」
 「僕、成長期ですから。だからね、コムイさん、忙しいのにやったんだって、リーバーさんがこっそり教えてくれました」
 全然そんな素振りを見せずに、いつもの気軽さで渡された、メンテナンスの終わったゴーレム。何故か上機嫌のゴーレムに理由を問いかければ、返ってきたのは優しい眼差しに溶けた室長の声だった。
 ちょっと手直しをして、映像を見やすくしたよ、と。労り深い眼差しが告げたその優しさに、戸惑って首を傾げてみれば、笑んだその人の目元は、なんだかひどく疲れて見えた。
 …………じっと見つめてみれば、目の下の隈がいつもよりなお濃い気がして心配すれば、大丈夫と笑われ、いつものようにはぐらかされしまったけれど。
 その後ろ姿を見送っていれば、こっそり近づいた班長が教えてくれた、優しい気遣いと慈しみ。
 「……記念、に?」
 「はい。昔があるから今がある、これからも、今があるから未来に繋がるよって」
 思いを邪魔しないように静かに落とされた青年の声に、少年はゴーレムを撫でながら、ポツリ小さくそんな言葉を落とす。
 そうしてようやく顔をあげた少年は、鮮やか微笑んでいた。それは何もかもが愛しいと囁くような、幼い微笑みだ。見ている自分の方がいっそ幸せなのだと、そう教えたくなるような、そんな笑み。
 「こっちは、ジョニーが、リーバーさんに叱られながら、言ってくれたんです」
 クスクスとその様子を思い出したのか、少年は笑みを漏らしながら教えてくれた。
 想像したそれは、ひどくあたたかな情景だ。青年は先程まで記録していた内容の凄惨さなど忘れて、少年のくれたその甘く穏やかな笑みに染められるのを感じた。
 いつも、どんな事にも一生懸命な少年は、それを知るものに希望を灯してくれる。そんな事、まるで知らぬままに咲く、静かな優しい花だ。
 「うん。あいつら、みんなアレンの事、大好きさ」
 ニコニコと上機嫌なその声は、自身が選んだ相手が愛される喜びを知る音だ。
 誇らしげな翡翠の煌めきに、少年は困ったような恥ずかしそうな躊躇いで笑いかけた。こんな風に真っ正面から愛しいと囁くような眼差しは、今もまだ恥ずかしくて受け止め切れない。
 ………どうしたって、気持ちの方が先に一杯一杯になって、同じ言葉を捧げる事が出来なくて戸惑ってしまう。
 「あの、ね。ラビ」
 そんな事を思い、ふと、思い出したかのような声音で少年が青年に呼び掛けた。
 「ん?」
 その、何かを伝えようとする幼い響きに、青年は微笑む仕草と共に首を傾げ、彼の隣に腰かけた。
 間近になった体温に、あどけなく少年が笑う。彼に笑いかければ彼が喜ぶ事も、想いを包み隠さず伝えられる事に戸惑うくらい喜びを感じる事も、知っている。
 囁くだけでも十分声が届く距離を、彼が密かに気に入っている事だって、全部知っていた。
 …………もっとも、一度だってそんな事、口に出す人ではないのだけれど。
 それでも伝わるのだから、不思議だ。自惚れでもなんでもなく、確かに彼が喜びほころぶ気配を青年はいつも感じていた。
 「ずっと、僕は、そんなの駄目って思ってたんですよ」
 それなのに。…………折角心地よかった甘いぬくもりを、小さな音色がヒタヒタと忍び寄って凍えさせようとする、そんな予感。
 そんなものまで感じ取ってしまい、青年は胸中で顔を顰めた。どうにも物思いに陥りやすいこの少年は、時折思い出したかのように面倒臭く寂しい事に捕われるのだ。
 「そんなの?」
 …………問う声が低く落ちたのは、少年の言葉がどこか否定的な響きを持っていたからだ。
 まるで初めて口吻けた時に寂しそうに泣いた、それに近似した音色。
 最近は見せなくなってきたのに。腕の中、躊躇いながら身を固める事も、なくなったのに。
 ……まだ、何か彼の中、忍び寄り覆いつくすような痛みが、残されているのか。
 見極めるように見つめた銀灰は、残念ながら俯いてゴーレムを見つめていて覗けなかった。
 ただ小さくその頤が揺れる、その気配だけ、解った。
 「………誰かに、大切にされたり。幸せになったり」
 続いた言葉は思った通りの自己否定だ。誰よりも大切に、大事に思っていると告げる相手の隣で囁く言葉ではないだろう。
 「……アレン」
 呟いた少年の名に、微かな苦味を感じる。それを口にするよりも、柔らかく彼を包み、その唇にこそ、触れたいのに。
 「あ、勘違いしないで下さい!ちゃんと、今はそっちが駄目だって、解ってますよ?」
 微かに低くなった青年の声に、叱られる予兆を感じ、少年は慌てて首を振って彼らに教えられた事を理解している事を示した。
 ちゃんと、全部、解っている。教えてもらった。戸惑い揺れて躊躇って、そうしておずおずと差し出した腕を、みんなが当たり前のように笑んで掴み引き寄せてくれたから。
 望みもせずにひっそりと差し出していた指先を、青年はまるで初めから知っていたかのように見つけ、包み抱き締めてくれたから。
 それらを知らない、なんて言わない。自分を支え生かす、笑顔を与えてくれる源達。
 「ただね、そう思った事も、必要だったかなって、思うんです」
 「必要?悲しい、のに?」
 まだ納得しかねているのか、青年の声はどこか素っ気ない。拗ねたようなその声に、少年は困ったように首を傾げた。
 見上げた青年は不貞腐れた風で、顰めた顔の中、優しい緑が揺れている。
 それが自分が痛む事を嫌って険しさを宿す事を、もう随分前から教えられた気がする。そう、思い。少年は柔らかく唇で弧を描いた。
 「だって、僕は、あなたを好きになった事も、好きになってもらえたのも、ありえないと思いましたよ」
 「……まあ、俺もでしたけどね」
 少年の声が明るくからかう色になったのを感じ、やれやれといった風な青年のその声は、つられるように笑みが滲んでいた。…………それは笑える過去でよかったと、喜ぶ響きだ。
 同じ笑みに染まる瞳を柔らかく細めて、少年はそっと間近な青年の肩に額を寄せた。
 珍しい、仕草だ。甘える事に躊躇いがちな少年の、きっとこれは精一杯の努力だろう。
 擦り寄るような仕草まで加えられ、眼下でさわさわと柔らかく揺れる白穂の波に、青年は鼻先を埋めた。………甘い、彼の香りが鼻孔を満たすのが心地好かった。
 そんな仕草がくすぐったかったのか、少年は肩を竦めながら、静かに音を紡いだ。柔らかな薫風のような優しい音色で。
 「だけど、そう思って逃げて戸惑って泣いた日があるから」
 囁き、少年は睫毛を落とした。…………青年には見えないその仕草は、過去の日を思い微かに震えた。が、すぐにそれはほころびを思い出し、あどけなく微笑むように瞬いた。
 すぐ間近にある青年の肌。こんなにも近付く事が出来るなんて、思いもしなかったのに。
 叶う筈のない自分の祈りは、彼が捧げてくれた手のひらの中、優しく開花し実る事を知った。
 「今、こんなに自分が幸せだって、解るんだと」
 少年の喜びに満ちた柔らかな音色が、耳に心地好かった。滅多に見せない、いつも隠してしまう少年のあどけない囁きは躊躇いながらも彼の中、確かに自分が植えて育てた種が花開いてくれた事を教えてくれる。
 それに酔いながらも、青年はそっと鼻先を埋めた白い髪の中、含み笑うように問いかける。
 甘える仕草は愛しいけれど、それ以上に今こぼした彼の告白の方が、余程甘く舌に転がりそうだ。
 そう思い告げた声は、もう初めからひどく甘さを孕んでいる。
 「待った。……アレン、泣いたん?」
 「へ?」
 その唐突な音色の違いに、驚いたように少年が目を瞬かせた。
 青年が何を言いたいかが解らずに困惑した眉で見上げれば、うっとりと自分を見下ろす優しい翡翠が、嬉しそうに細められている。
 何をどうしたらそんな眼差しに溶けてしまうのだろう。解らずに、困って首を傾げてみれば、青年は答えを教えるように、そっと額に口吻けてきた。
 「俺の事、好きで。泣いちゃうくらいどうしようもなくなったん?」
 そうしてそのまま、ペンタクルの上、囁くように吐息が触れる距離で告げた青年の甘い言葉に、少年は目を見開いた。
 「あ……っき、気のせい、ですっ」
 しまったという顔で少年は口を覆った。顔を逸らそうにも既に腕の中でどうしようもない。せめてと俯いてみたけれど、きっとそんな仕草、なんの妨害にもならないだろう。
 じっと見下ろした真っ白な肌は、みるみる間に鮮やかな朱色に染まっていく。
 それを見つめて、嬉しそうに隻眼の垂れ目が細まり優しく笑んだ。自分の言葉に確かに反応してくれるその事実が、ひどく愛しかった。
 「そっか。ん、よかったさ。アレン、俺の押しに落とされたんかと思ってた」
 喜色に染まった声で、青年はそっと額から頬へとその唇を滑らせていく。それを感じ、少年は慌てた。俯いた視線の先、膝の上、今もまだちょこんと自分を見上げるように座っている、ゴーレムがいるのに。
 「あの、聞いてますか!?ちょっ、こら、ダメですよ?!」
 「ほっぺにチューくらい許すさぁ」
 相変わらずガードの固い初な少年の反応に苦笑して、少しだけ強引に唇を寄せる。
 それに慌てて少年は腕を突っ張って抵抗した。もうきっと、色々と自分のゴーレムの中には記録されてしまっていて、それだけでも思い出して羞恥に息が詰まりそうなのに、これ以上なんて、無理だ。
 珍しく厳しい抵抗を示す少年に目を瞬かせてみれば、俯いた少年が困ったように顔を顰めさせて、そっと自分の膝に今だ佇むゴーレムを指差した。
 「……ティム、見てます!記録、されちゃいます!」
 定期的に記録されたものは科学班が調べるのだ。まさかこんなシーン、誰かに見られたい筈がない。バレている事くらい解っているけれど、それとこれとは別の話だ。
 それくらいの気遣いはしてくれてもいいだろう。科学班のみんなだって困るに決まっている。
 「ん?………あー、そっか」
 少年の抵抗の意味を知り、青年も少し悩み顔になる。触れたい、けれど。こんないとけない姿、他の誰かに覗き見られるのも嫌だ。
 それならば選べる選択肢は限られていると、青年は少年の膝の上のゴーレムを見下ろした。
 「じゃあ、悪いな、ティム」
 そう、言って。楽しげに笑う青年は、そっとその指先をゴーレムに向けると、その丸い身体をすっぽりと覆い隠してしまった。
 そうしてにっこり笑い、もう一度少年に向き合う。
 真っ赤になった少年の目元に、一度口吻けて。
 微笑みが返されるのを見つめると、そっと吐息を重ねた。

 

 青年の手のひらの中。
 ゴーレムは仕方なさそうにそっと、優しい闇を作る人肌を写していた。

 

 今しばらくは、彼らに時間を。

 自分の主に幸せを与えてくれた事に、感謝をしながら………

 








 サイトとピクシブ、合わせてD灰小説100作記念、ですよー。
 うん、ぶっちゃけコレ、95作品目だったんだけどね。その辺の順番逆にして、位置としては100作目に来るようにアップしてみました(オイ)
 だってこれ、100作目くらいは優しいお話にしよう!とちょっと頑張ったんですもの………

11.2.23