逢瀬という言葉の意味を、どれほど焦がれたか。

欲しいものは奪えばよかった。
気に入らなければ壊せばよかった。

そんな当たり前のことが……出来ない相手を知っているけれど…………………

掴んでもいつのまにかこの腕から消えているそれは泡沫。
焦がれるほどに祈っても届きはしない。
………悔しくて噛み締めた唇さえ、きっとそれは知らないのだろうけれど。

抱き寄せて口吻けて。この腕に溺れさせて…………
それでも自由に羽撃く翼は消えないままに。

目隠しをして。
鎖で繋いで。
………自分以外の何も感じることのないように閉じ込めて。

無駄とわかっていることさえ、願ってしまう。
それでも向けられる笑みに溺れるのは……自分で。

くだらないと吐き出した吐息さえ甘いのだけれど………





たった一度の…………



 空には煌めく星の大河。
 昨日降った雨のおかげか、澄んだ空気は夜空を飾る美しい灯火をよりいっそう輝かせている。
  自然綻ぶ口元とついこぼれる少しテンポのずれた鼻歌で男は陽気に水辺を歩く。
 少し寝苦しくて水を汲みにきただけだったけれど、思いの他いいものが見れた。
 虫の音すらない静寂の中、自分一人のために用意されたような景色はなんとなく優越感を刺激してくれる。家に帰って虎と息子にも見せてやりたいが……時間を考えるならそんな非常識な真似も出来ない。
 少し残念に思いながらこれを一人占めしている喜びと、共有出来ない寂しさに自分の我が侭を思って男は微かに苦笑を零す。
  一歩進めば足元から響く水音。楽しげにそれを数度響かせたあと、涼しくなった肌に満足して男は川辺へと足を向けた。
 …………耳を澄ませば聞こえてくるような気がする、星の囁き。
 吸い込んだ空気の中にさえしっとりと含まれるやわらかさにいっそこのままここで野宿でもしようかと考え始めた男の背に、風が吹き掛ける。
 頬に触れるそよ風とは違う向きから吹いたそれに訝しげに振り返ったなら………星屑を纏った影に目を見開く。
 空にかかる月がそのまま落ちてきたのかと思うほど星の光を従えた髪がやわらかく風に舞う。
 しなやかな筋肉に包まれた男がどこか軽薄な笑みを浮かべながら自分を見ていた。いつからそこにいたのか、河原の傍にある岩の上、男よりも幾分高い位置に座ったままやっと気づいたのかと嘲笑うような雰囲気に微かに顔をしかめる。
 …………そんな男の反応に喉奥で笑う気配。
 意地悪げなその仕草に呆れたように息を吐き、男は佇む影に声をかけた。
 「こんなところで野宿か、アラシ?」
 自分も少し考えたことだけれど、それでも人がやっているのを見れば呆れたような声を零してしまう。
 からかいを微かに含んだ声に金の髪が微かに笑う。………言葉に答えるわけでもなくゆっくりと立ち上がり、岩から舞い降りた。
 音すらしない……風すらその動きに気づかない。
 優雅とさえいえるその所作に一瞬見愡れてしまう。性格を考えたなら粗暴としか言い様のない男の、それでも隠し持っている細やかさに時折この視線は奪われて逸らすこともできない。
 惚けたように自分を眺めている漆黒の髪が緩やかに風に揺れている。いつもは軽く束ねられている毛先はいまはただ風に嘗められるように揺れるだけ。
  無骨な指先がやんわりと揺れる。……風に乗った男の黒髪を追うように。
 そうして捕らえられた毛先は抵抗されることもなく指の中に眠る。
 意地悪げだった笑みは仄かに楽しそうな子供の笑みに変わって。
 優しく引かれる。まるで乞うような仕草で招き寄せられた。紫闇の瞳が瞬く様さえはっきりと見て取れる満天の星の下、色素の薄い金の髪は妖艶に煌めく。
 吐息が……頬に触れる。
 ………深められた笑みに……一瞬引き込まれて、忘れていた。
 これほど間近に寄ったのなら予想してもいい筈なのに…………………
 掠めた熱にそう思い至っても身体が動かない。
 一度この身が滅んでから時折零されるようになった少々過度のふれあいは、けれどどこか切実な指先に有耶無耶にされてつい流されてしまう。
 吐息の溶けた頬が風に晒されて微かに冷たく感じる。
 その感覚に僅かに身を震わせれば細められた紫闇が楽しげに揺らめいた。そのくせ……どこか不安そうな指先はほどくことを畏れるように力を込める。
 そのアンバランスさに微かに笑い、男は寄せられた唇を遮るように囁きかける。
 「……なにかあったのか………………?」
 緩やかに流れるその旋律に金の髪は不満そうに顔をしかめる。
 その音は心地よくて、いつまでだって聞いていたいものだけれど……いまは触れていたい。自身の欲求を妨げた音を睨めば広がる笑み。
 それに圧倒される。……悔しくて唇を噛むように顔をしかめれば子供をあやすように頬を撫でられる。
 どこか自分を子供扱いすることを常とする男の仕草に苛立たしげにしなやかな髪を力任せに引き寄せる。
 指が捕らえた、ぬくもりのない男の一部。それを頼りにその肢体を腕の中におさめれば、不意にわく安堵。
 我ながら単純だと思うけれど……………
 それでもこのぬくもりが心地いと認識してしまった自分の肌。かつては切り裂きその熱を奪うことしか願わなかったくせに。
 知ってしまった。自分の願い。………気づいてしまった、自分の浅ましさ。
 約束なんてできる間柄じゃなくて。
 ……………求めたからといって与えられるものでも、なくて。
 何も知らないこの潔癖な男が自分の身の裡を駆ける欲望を知る筈もなくて……………………
 それが許されるとも思わなくて。
 腕の中居心地悪そうに身を捩る肢体を願うままに貪ったならこのいら立ちから解放されるのかも判らない。
 このぬくもりに包まれたまま眠ることができたなら少しはおさまるのか、あるいはよりいっそうひどくなるのか。
 ………たとえこの餓えがよりいっそう悪化しても、いまその腕を落としたいと思うことは愚かだろうか………?
 微かに瞬いた紫水晶は月の光さえ隠し込んで目の前の健康的な肌に埋めるようにすりよった。
 訝しげに揺れた髪先を、指先は静かに地面に縫い付けた。
 唐突な男の動きは、けれど漆黒を優雅に舞わせるだけでなんの衝撃も起こさせない。見上げてくるきょとんとした男の顔に苦笑を零し、金の髪は呆れたような溜め息をその額に溶かした。
 あまりに優しいその触れ方にいよいよ不可解に思った男の顔が問いかけるように見つめる。……鈍過ぎる反応に溜め息も勿体ない。
 言葉で教えたなら、判るに決まっているけれど。………そんな素直さを自分が携えているわけもなくて。
 その問い掛けに答える唇がやわらかく男の零す息を盗んだなら大きく瞳が見開かれる。
 「ア、アラシ!?」
 戸惑いに濡れた声が哀れに響くけれど、今更だ。逃げるように突っぱねる腕を掴み、より深くその唇を味わったなら息苦しいのか顰めた眉が色濃い影を生む。
 熱く熟れた唇を舐めあげて、その舌先が頬をくすぐりながら低く囁く。
 「……天の川にでも括られてりゃ……いいのにな…………」
 どこか切実な囁きに視線を向ける余裕もなく、肩で息をしていた男は頬を包む指先に抗うように首を振る。
 揺れる長い漆黒は緑の溶けて逃げられない。寄せられた熱い吐息におびえるように跳ねた肢体を抱き締めて、金の髪が闇夜に蠢く。
 いっそ……年に一度の逢瀬でも構わない。
 互い以外に会えないように括られて、その日だけを願って生きるなら……この魂は自分の元に堕ちてくるだろうか…………?
 神話に託つけて物思うなど自分に不似合いだと嘲笑いたい衝動も眼前の肌に溶けて消える。
 抵抗しきれない抵抗など、自分には無意味であることくらい知っているくせに。
 切り捨てられない甘い男は戸惑い混乱するだけで逃げられない。
 ……もしも本気で抵抗したなら、いくらだって自分を止めることができるくせに。
 その魂こそが捕らえたこの身を自在にできるくせに……………

 寂しいと泣く自分の心に気づいて逃げられない哀れな生け贄の肌を辿る。




 …………………………寄せた唇の熱を模した肌の印に、祈るようにもう一度……口吻けた。








なんつう恥ずかしい話でしょうか………(汗)
というか久し振りだな……それらしいシーンを書いたのは…………
相変わらず端切れ悪いですね、こういうのが入るとパーパは。苦手なのです。傍にいるだけで十分じゃん、とか。
そして珍しく余裕がなさげなアラシ。こういうのも嫌いではないけど♪

そしてさり気なーく七夕伝説を組み込んでみました。
ほら、川をまたいで対峙していたところからv(ちょっと待て)
だって……真面目なの書きたくなっちゃったんだもの……………