見上げた瞳のあどけなさに驚いた。

知っているのは弛まない背中。
小さいくせに、一度も俯くことを知らない。
強固な鎧でもつけているように痛みさえ知らないかのように……………

壊したかった。
………痛みさえ飲み込んで笑う顔を。
本当を、自分に与えないこの子供を。

偽物だらけで凝り固めて、それで騙されてやるほどお人好しじゃない。
そんなもので満足出来るなら、初めから求めたりしない。

そうして伸ばした腕を抱きとめたのはあまりに無辜なる魂。

 

騙しているわけでも、知らないわけでもない。
………ただ大丈夫なのだと、泣けるほど純粋に自分に言い聞かせているただの吾子。

その背を抱いて堕としたなら…お前は煌めくことを止めるのだろうか………………?





雲の合間に見える星



 溜め息を落としても詮無きことだと、わかっている。
 これは自分の不注意だし…不可抗力でもある。
 それでも見上げた先に広がる紺碧の空と微かに霞みながらも煌めく星に飲み込みかけた溜め息がまた零れた。
 自分の周りを見たなら岩岩岩岩。……岩壁に覆われた広くもない落とし穴。
 自然の悪戯でできたらしいそれは特に狩猟用というわけでもないらしく罠は張っていなかったことがせめてもの救いだった。
 それでも深さはたとえようもなく、突然のことに驚いて羽も出せなかったせいで体中が痛みを訴えている。もっともなんとか受け身はとれたけれど……………
 「これじゃあ……登れねぇよな…………」
 腫れ上がった自分の足首を見て零れかけた溜め息を男は苦笑に変える。
 いっそ羽で外まで出られないかと計算しても、やっぱり無駄なことだと溜め息が零れそうになる。
 狭くはないといってもさすがに自分の羽を思いっきり羽ばたけるだけの広さはない。ある意味驚いて羽を出せなくてよかったのかもしれない。………そうでなければまた怪我が増えていただけだっただろう。
 いくら英雄であってもその力を十二分に発揮出来る状況下にいなければなにも出来ない。手も足も出せない状態に陥ってそれが身に染みた男は家で心配しているだろう子供と虎を思って落ち着かない心を持て余していた。
 こんな遅くまでかかる仕事だとは誰も思っていないから、きっと今頃大騒ぎで捜しまわっていることだろう。あるいは方向音痴の定評のある自分だから慣れた顔で幼馴染みの鳥が空中捜索に乗り出してくれているかもしれない。
 どちらにせよ誰かが見つけてくれるまでここにいなくてはいけないと諦めたように空を見上げる視線を情緒の欠片もない岩壁にむけた時……音が聞こえた。
 小さな小さな謳う声。
 幼い頃に自分が教えた、子守唄。…………一度きり寝込んだ時に掠れた音で謳ってくれたそれは記憶のなか埋もれることなく刻まれている。
 見知った……といっていいかを一瞬悩む相手ではあるけれど藁にも縋る思いで男は叫んだ。
 「おいアラシ! 聞こえるか!?」
 男の叫び声に綴られていた子守唄が一瞬途切れる。微かな逡巡のあと、足音が醸される。先程までは気配さえ消えていたはずなのに……………
 それを感じ苦笑を零した男は確実に自分の落ち入った穴へと向かっている勘のいい男の顔が覗くことをまった。
 そうしてほんの少しのまつ間、見上げた先に佇んでいた月が掠れた雲に顔を隠される。
 視界が暗くなり、覗き込んだ影の顔がよく見えはしなかった。
 ………それでも淡く発光するように煌めく金の髪。
 見愡れるほどに鮮やかなその色に口元が綻び、自分の耳の確かさに満足したように男は笑った。
 もっとも、もしその表情さえ読み取れる光のもとであったならその意地悪そうに歪められた口元に眉を顰めたのだろうけれど………………
 穴の奥底、見下ろす金の髪から見たなら闇しか広がらない先に佇む男のそれでも確かに感じる気配。
 この程度の穴であれば自分や男の跳躍力で充分飛び越えられるはずといぶかしんだなら闇の底から妙なる声が紡がれる。
 聞き惚れていたい、たったひとつの音色。
 …………堕として穢して…そうしてもいだ羽を屠ってこの腕の中、2度と飛び立てないように…………………
 考えても実行など出来ないそれに瞬く朱が微かに澱んだことをきっとこの視線の主は知らない。
 月さえ巻き込むように赤く染めたそれを、知る筈がない。
 そうでなければこんなにもまっすぐ…自分を見る筈がないから………………
 「悪いが縄かなにかもってきてくれないか? 出れねーんだ」
 その言葉の意味に顔を顰める。………出られないわけがない。彼は羽を携えた希有なる戦士。
 まして自分に負けない実力を持つ男なのだから……………
 だから呆れたような大袈裟な溜め息を落とし、めんどくさそうな声を穴の中に零す。
 「はぁ〜? そんなもんなくたってテメーで登ってこいよ。この程度ひとっとびだろーが」
 「……………………………………」
 意地悪な響きを乗せた音に言葉は返らない。
 それに眉を顰めたなら立ち上がっていたのだろう男の座りこんだ小さな音が耳を打つ。
 違和感を感じる。いつもの彼ならもっと食い下がってくるはずなのに………………
 顰めた眉の皺が、よりいっそう濃く深くなる。思い至った答え。………食い下がりたくとも立つことが出来ないのであれば…………?
 血の匂いはしない。………多分命に別状はないのだ。
 それでも焦燥が身の裡を駆けた。小さな舌打ちはきっと男には聞こえない。
 馬鹿な自分へと向けた冷めた自分の囁き声だから………………
 足が地面を蹴る。音すら醸すことのない仕草はそれでも穴の底にいる男には充分感じ取れる気配の流れ。
 そうして見上げた視線の先、遅れることなく舞い降りた月は不機嫌そうな目つきで座り込んだ自分を見下ろしていた。
 …………別に悪いことはしていない。だから逸らさなくてはいけない視線なんてない。
 それでも責めるようなその雰囲気に息が詰まる。
 知っている。……彼が怒っていることを。
 自分の状態を語ることなく仕方ないと諦めた事実を。
 そうされたって仕方ないいつもの行動さえ彼の中には組み込まれていない。ただ自分から逃げるように逸らした視線が気に入らないと囁く視線だけがいまもこの身を貫く。
 視線だけで追い詰めるように言葉を投げかける。口を割れと強制する気配はもう幼い頃から。
 頑固な自分が、自分から弱味を晒せないことを知っている月明かりは冷たくこの身を凍てつかせ、吐き出すことを覚えさせようとする。
 不器用で歪んだ優しさはあまりにも拙くて………拒めないのだけれど。
 「落ちた時に足挫いちまったんだよ。あんま立っていると辛いし…登れそうにない」
 小さな声で伝えた事実に冴えた月は少しだけ色をやわらかくした。
 雲に覆われた本物の月明かりは注がれることなく、闇夜よりも濃い闇に晒された瞳に写るのは仄かな金の髪と如実に突き刺さるその視線だけ。
 溜め息のような吐息が闇の中空気を震わせる。それを探るように立ったままの男は足を折って岩壁に凭れた男の正面に座り込んだ。
 ………見えるはずのない視線が絡む気配。
 それに息を飲めば……足首を掴まれる。
 「…………………っ!」
 瞬間走った激痛に息を詰めて脳に直に響く警報のような刺激を耐える。そうしたなら………腫れていたはずの足首に触れる指先は凍えるほどに冷たい氷の気配に変わる。
 訝しげに顰めた眉はすぐに解かれ、男がその指先の体温を自身で調節して冷やしてくれていることに気づく。 不器用で…決して晒したがらない彼の優しさ。
 わかっている。だから……なにもいわない。
 ……………ただその伸ばしてきた指先に瞼を落とすだけ。
 微かに触れる唇のぬくもりは頬を辿ってそこにいるはずの男を探すように震えている。
 それに微苦笑を落としたなら耳元に囁かれる睦言のような響き。
 「………こっから出てぇんなら、抱えてでてやろうか?」
 微かな意地悪な響きは本気まじりの冗談。
 ………女のように抱かれて家に連れ戻されるくらいならここに座り込んでいた方がましだと答えることを知っている月は眉を顰めた男の唇が開かれる前に覆い隠す。
 溶けた熱に震える肌を慰めて、怯えるように逃げる身体を凍えた指先がやんわりと抱きとめる。
 月は未だ隠されたまま。
 …………………だから、いまこの時だけは解きあかされる。
 普段は晒されない微かな優しさ。隠しこんだまま見せないように躍起になっている指先。
 それに包まれ、男は苦笑を微笑みに変えて不器用な月の背を抱き締めた。

 幼い頃に囁いた子守唄。
 ……真似るように口ずさみ、いつの間にか覚えていた月は熱にうかされた自分のために拙い唇で謳ってくれた。
 ぬくもりを求める月にささやかな唄を捧げ、男の指先は優しく流れる金に搦められる。

 

 月明かりが注がれるほんの僅かな時の間、我が侭を許す腕に溺れて…闇の底に落とす衝動さえ溶かす。
 …………雲に隠された月を誘うように瞬く星に、現れるなと願う金の髪は静かに男の吐息に揺れた………………………






ふふふふ………実習前にいただいてしまった40000HIT祝いの返礼さ!(落ち着け)
本当はあの服は無理でもお姫さまだっこくらいは……と思っていたんですが、ネタにはされても実行はされなかったです。
やはり無理か……この子たちじゃ。
ギャグだったら即アラシはして下さいますけどね☆(オイ)

微妙に子供時代も書きたくなる話になってしまいましたが……まあ忘れて下さい。
ちなみに私は最後まで子守唄謳ってもらった記憶ないです。ワンフレーズがずっと繰り返し…………(しかも必ず最後は笑わせていたよ……)