高くに登る白い雲。
君の羽根を映えさせる青。
ほら………駆けにいこうよ、この空の先。
いつも真面目に真直ぐで、馬鹿みたいに前しか見ていない君に教えてあげる。
ちょっと息を抜いた先にはこんなものだってある。
知らないだろ?
………知れないだろ?
お前はいつだって前ばっかり。空の先にあるものも、
その背の後ろに控えているものも………隣で腕を伸ばすものだって知らない。
ただ前だけを。
悲しいくらい………ただ前だけを………………………
掴んだ腕を離さない理由くらい、気づいて。
「空になにがある?」と君が聞くから。
チクタクチクタクチクタク………………
耳の奥にまで響く音に辟易とする。
溜め息にもならない退屈なあくびを落とし、金の髪を揺らした子供は机にぺったりとうつぶせた。
目の前にあるのは真っ白なテスト。
…………修行中はこんな退屈な真似をしなくてもいいと思っていたというのに、なにが悲しくてこんなものと対面しなくてはいけないというのか。
ちらりと盗み見た先に佇むのは幼い顔に無表情をのせて真面目に本に対面している馬鹿な子供。
たった二人しかいない子供同士、二人っきりでやっぱり同じテストに向き合っている。
パラパラとめくられる小さな紙の音とともに微かに眇められた視線が疲れてきたいることを教えた。
誰も監視員だっていない、小さな個室。与えられた課題を解けるようにと揃えられた書斎のなか大きくはない机に並べられた椅子は動かされもしない。
なんで監視員がいないかなんて、考える必要もない。
…………この子供こそが監視員。他のどの大人のいうことだってききはしない自分をなんとか制御出来るのなんてこの子供くらいなのだから。
だからこそ利用されている。知らないうちに、互いに無意識に。
自分にとって好都合なそれは多分この子供にとっては不利益以外のなにものでもない。
漆黒の短い髪が揺れる。………風のない室内で揺れた髪は本人も気づかない疲労に首が傾いたから。
視線の先では眠気と必死になって戦っている子供。こんなもののためにそんな風に無理をして一体なんになるというのか。
別に必要なことなら覚えてもいい。それはいつか自分の血となり肉となる。けれどこんな古人の墓だの遺跡のありかだの……覚えていたところで価値もないと金の髪はくだらなさに目眩さえするというのに。
「なあ…シンちゃん」
瞑りかけた瞼を起こすように目を擦る仕草を眺めながら金の髪が小さく漆黒の髪の名を囁く。
どこか憔悴した感のある子供はきょとんと見下ろしただけで声はかけない。ずっとここに居続けたのだからあるいは喉が渇いて声が出づらいのかもしれないけれど。
眠そうな視線を起き上がりながら受け止め、金の髪が呆れたように答えた。
「……そこまでやる必要あんのか?」
「課題……だしな…………」
やらなくてはいけないだろうと困ったような顔をして応えた黒髪に金の髪はどこか苛立たしそうに視線を向けたあとに窓を見やった。
青い空がどこまでも続いている。………白い雲が怖いくらい遠くに見える。どこまでもどこまでも…………
まっすぐと見上げたその視線に黒髪がどこか郷愁を感じるように小さく囁いた。
「……………なにが…あるんだ?」
どこか物憂げな金の髪が見つめた先、一体なにが広がっているのかわからないと呟くその声に僅かに顰められた眉の動きさえ彼は気づかない。
気づく筈がない。気づかせないように自分はしているのだから。
意固地で愚かで幼い彼は、自分が意識して隠したものに気づくことはない。
…………自分でさえ気づかなかったものは、恐ろしく鋭く核心をついて受け止めてしまう癖に……………
深い赤が…静かに紺碧を見据えた。
思慮深さを思わせる深紅に息を飲んだなら意地悪げにその口端が歪められる。
はぐらかす仕草に不平を漏らそうとした唇は、開ききる前に躱される。ゆったりとした所作で立ち上がった金の髪が微かに揺れ、整った…未だ少しだけ丸みを帯びた頬を隠す。
一瞬の、美。
刹那に生まれ刹那に消える瞬くほどの微かな……けれど神々しいとさえいえる儚い絵画に子供は驚いたように目を丸めて息を詰めた。
それに気づいてか……気づかずにか、金の髪は僅かに視線をずらしたまま歩き始める。覗けるのはその頬と揺れる金糸だけ。
長い睫が退屈そうにゆったりと揺れ、魅せられたままの黒髪の子供は金の髪がどこに向かっているのかを一瞬考えることを放棄してしまった。
…………そうして見つめた先、金の髪は閉ざされたままの窓に手をかけ、器用に開けるとその階(きざはし)に足をかけた。
「って待てーーーッッ! どこ行く気だよアラシっ!」
ようやく彼がなにをするつもりか合点のいった子供は慌てて叫んだ。勢いよく立ち上がったせいで傾いた椅子が哀れな悲鳴を残して床に転がった。
それさえも無視をして子供は駆けた。小さな部屋だけれど本が多く、どうしても障害物に気をとられて走ることがうまくいかない。
だから、本当は知っていた。自分が叫んだところでこの子供がその気なら止めることなど出来ないと。
金の髪が風に揺れる。かけられた足先は未だ動かない。
気配が近付く、愛しいたったひとり同い年の小さな子供の。
それを待っていたのか、それとも予想していただけだったのか、金の髪は楽しげに揺れて振り返った。
…………どこか含みを持ったままの笑みに一瞬子供が怯んで駆け寄っていたはずの足先が止まる。
「なんだ………? いってもいいのかよ」
それ以上は近付かない気配が気に入らないのか苛立った声が不機嫌そうに響く。
射すくめるような視線がまるで黒髪を責めているようで居たたまれない。それでも自分は悪いことはしていないし、責められるいわれもないと励まし、金の子供を真直ぐに見据えるとどこかくぐもった声で小さく反論した。
「………まだ課題テストが終ってないだろ。お前なんか白紙じゃないか」
まるでそれが最後の防壁とでもいうように子供は不貞腐れたような仕草で囁いた。
それを余裕の笑みで躱し、金の髪は近付いた子供の腕をとった。……あとたった一歩の防壁が、崩れる。
触れた熱が強引に引き寄せる。歪めた眉は解かれないまま。拒むように一瞬躊躇ったなら……金の髪の足先はその階を飛び立った。
息を飲む。まるでスローモーションの景色。
ゆっくりと落ちていった金の短い髪。伸ばした腕がそれに追いつくわけがない。
「…………ッッッッッ!!!!」
悲鳴なんかあがらない、言葉を発することだって惜しい。
…………………考えるより早く、子供の背には羽があらわれる。蹴った窓の感触さえ気づけない刹那の衝動。
青と緑を透かした張りのある羽が空に溶けたなら……深紅の瞳が楽しげに瞬いた。
「ア……ラシ……………?」
ふんわりと宙に浮いている子供を見やってがっくりと力の抜けた黒髪が太陽の下美しくその色を落とした。
失念……なんていうことすら笑われる。
海人界の生物は空気中の水でさえ泳ぐことができることをすっかり忘れていた。優雅なその様はまるで空を飛んでいるようだと憧れた過去もあるけれど……いまはこうして悪用する子供を知ってすっかりその質の悪さに辟易するのだが。
慌てた自身を恥じるように視線を逸らした黒髪を喉奥で笑いながら金の髪はその腕をとった。
しっかりと、逃げることのないように。
そうして幼く微笑む。まるで似合わない……優しささえ彷佛させるその笑みに息を飲んだなら金の髪は悪戯な声で空を指し示した。
「ほら、行こうぜ。……空の先、見たいんだろ?」
「………いや、だから課題…………」
「なにいってやがるもうサボリの格好じゃねぇか。今更今更。な、共犯?」
意地の悪い笑みにどこか楽しげな響きをのせて金の髪が笑う。
屈託ないそれを拒めるはずもなくて……黒髪は自分の飛び出した窓を一瞬だけかえりみた。
………帰ったなら、きっと先生は怒るだろう。
もしかしたら悲しむかもしれない。
それでもいま、この空の先を見に行きたいから。
小さく謝罪の言葉を残し、子供は金の髪の導くままに羽撃いた。
まだ見たことのない、その空の色を探りに………………
子供の頃の方がなんだかアラシは素直ですねー。
パーパは鈍感だけど(オイ) でもこんな二人だからまだなんとかうまくいっていたかなーと。
気に入っている、をねじ曲げてしか表現出来なくて、それをそうだったんだって気づくのはなかなか難しい。子供なら特にね。
大人になってふざけた面も持つようになったパーパなら気づけても、意固地に真面目な子供時代には嫌われてるなーくらいには思ったかもね。
そういう微妙さがあるから、うちのパーパ。子供時代のたまーに見せるアラシの無邪気さを邪険に出来ないのでした(笑)
なんだか微妙に魔の永久運動再開気味な気もしますが……受け取っていただけますかね(汗)
どうやら小説部門を担ってしまったようですし!(笑)