別にどってことはなかった。
だってもう随分会っていない時間は長かったから。
会わないまま、このまま過ぎていくんじゃないかってどこかで思っていた。
それもまあ、またありじゃないかな、とか。

でも、違った。

会ってしまえばどうすることも出来ない。
忘れることを、忘れる。
諦めることを、諦める。

鷲掴んで離してなんかやらない。
それはかわいらしい感情なんかで出来ていない。
ずっとずっと醜悪でおぞましい。
それでも。
お前はまるで子供でも見るように苦笑するんだろうけれど。





視野の中の影



 小さく、息を吐いてみた。
 白く色づいて口元を過った空気が風に乗って後ろへと流れる。
 ………あまり寒さというものに自分は縁がないからか、その程度のことに軽い感動を覚える。空気が色を帯びるというその現象自体が不可解でもう一度、今度は大きめに息を吐く。
 それを数度繰り返しているとくつくつの喉奥で笑う声が突然背後に湧いた。
 低い、そのくせ甘い少し掠れた音。まるで気配はなくその音さえなければきっと誰も気づかない幻のような声。
 それが誰かなど、すぐに解る。
 気配もなく忍び寄る悪趣味な友人などその人物以外持った記憶などないから。
 「…………アラシ、遅い」
 憮然とした声で呟く。正直、寒さというものに免疫のない自分にはかなりこの寒さは堪えるのだ。
 気を張っている最中とか、先頭の最中とか言うのであれば気にも止めないが、さすがにそんなことを常日頃からなどしていられない。当たり前の毎日の中では、案外寒がりな方なのだ。そのせいか幼なじみに雪を見にいくのだと言ったら異様なまでの防寒具を手渡されたのだが。
 その格好から大体の事の経緯を想像したのだろう、アラシが喉奥の笑いをニヒルな笑みに変えて唇に浮かべた。
 ………目の前の自由人は普段の露出の多い腰布だけの姿ではなく、極普通のズボンに上着、更にその上から数枚のチョッキやらを着込まれているらしい。仕上げと言わんばかりのコートは、彼にちょうどいいはずの大きさだが少々小さく見えるほどだ。その上マフラーに帽子、手袋までの完全装備。
 いくら慣れていない寒さといえど過保護な反応だと見知った鳥の顔を浮かべかけて、消す。わざわざ面白くもないものを思う事もないと思って。
 しっとりとコートに寄り添っているマフラーの毛先を指先で弄(もてあそ)び、アラシはにやりと笑う。どこか、それはいたずらを思い付いたような子供の笑み。
 「言っておくがな、シンちゃん。俺が言った待ち合わせ場所は、あっちの柳だぜ?これは枝垂れ桜」
 「は? 何言って………」
 今回こそは間違わないようにと近くの村に人間たちにだって聞いたのだ。そんなわけはないと頭上高くにそびえている樹齢何百年と思われるその樹を見上げた。
 ………見上げようと、した。
 「…………………っ?!」
 油断、していたのだろう。すっかり失念していた。いま自分の首に巻かれているマフラーの先端を、この物騒極まりない男が握っていたと言う事を。
 意識が樹へと向いた瞬間を逃さずその指先はマフラーを手繰った。それは当然自分の首さえ巻き込み、一瞬軋んだ音が聞こえるほど強く、締め付けられる。
 発されるはずだった声が飲み込まれ、嫌な音が体内で響く。いつの間にか両端共に掴まれていたらしい。締め付けがきつくなり、絞殺されるのかとふと頭を過る単語は、あまり笑い事に出来ないくらい真実味を帯びている。
 …………さすがにこんなところで殺されるのは嫌だとは、思う。
 というより、殺される覚えが全くない。自分が彼を殺したいと思う方がよっぽど周りは納得してくれるはずだ。
 抵抗しようかと伸ばした指先は震えている。酸素が欠乏していて、手袋をしていながらもひんやりと感覚が薄い。
 掠れ始めた視界でそれでも金の髪を映してみれば、ゆうるりと息が戻ってきた。
 「………なにむくれてんだ?」
 どこかからかうような、声。
 まるでなんて事はないじゃれあいのあとの睦言のような響き。
 …………眉を顰めて掠れている視界の原因を拭おうとしてみれば熱い感触が目蓋を侵す。
 舐めとる仕草さえ、獣のようで。屠る事こそが最愛の証とでも笑って言われそうな予感がひたひたと忍びよる。
 「殺されかけてむくれる程度で済むと思うのか?」
 呆れたように、言ってみる。小さな笑みさえ灯るのは多分、余裕があるせいなのだろう。
 無骨な指先が笑みさえ深めたままマフラーを取り除く。細いとは言い難い、鍛えられた首筋が現れるが、コート類の襟などが邪魔をしてあまりはっきりとは伺えない。
 それを確かめるように指を滑らせれば、くすぐったいのか眉を顰めて唇が引き締められる。伸ばされた爪がいつ切り裂こうと力を込めるか知れた物ではないのだから緊張もしているだろう身体は、硬く竦んでいる。
 「言っておくけどな」
 別段抵抗を見せるでもなく自由にさせていた指先が更に我が物顔で内側へと誘われるよりほんの少し前に、声を落とす。
 牽制、とは少し違う意味を伴って。
 「年越しと正月とか、そういう特別な日に一緒になんていられないからな」
 自分には待っている家族がいる。なによりも大切に思っている彼等を残しておくわけにもいかない。それくらい十分知っている相手は、だからいっそと伸ばす牙を携えているのだが。
 微かな溜め息。
 可憐に零されるとは言い難い歳の男は、けれど苦笑を乗せて微笑む。やわらかく、溶け込むような静かな笑みで。
 少しだけ大きくて、少しだけ力を携えて。少しだけ、自分に対しての情が深過ぎた哀れな子供はそのまま変わる事なく大人になってしまった。
 何となく予感はしていたのだ。出会った当初からなどではなく、関わりあい自分に寄せられる純粋な好意が転換してしまった、あの瞬間から。
 「それでも」
 好意を憎悪に変えて、憎み嫌う事で平静を保つことしか出来なかった繊細な少年。それはゆっくりと歪んで定着して、愛しさを捩じ伏せてしまうものに変換させてしまうようになったけれど。
 自分が関わる事で帰られた性情。………だから、再び関わる事でまた変えられると思う事は傲慢だろうか。
 小さく笑ってみる。彼が好きだと感じてくれていた、幼い頃の笑み。笑う事が不器用で甘える事の下手だった自分が、それでも零せるのはほんの少しぎこちない、小さな笑みだった。
 それを零せば細められる瞳を知っている。刺々しかった気配が和らぐ事を、幼い自分は知っていたのだ。
 少しだけ、ずるかったかもしれない。中途半端な優しさしか捧げられなかった小さき頃。
 今もどれほどの物が与えられるかなど解らない。それでも、思うのだ。
 一度は手放した生、還りきたのならまた、華咲かせる事が出来ると。
 笑みを乗せたまま、瞳を交わらせる。不貞腐れたように逸らされたのは、多分は彼の中の昔が、まだ根を残しているから。
 「他の時なら、一緒にいられる」
 無関心を装って遠くを見ながら、その実聞き漏らす事ないように耳に神経を集中させる仕草。真剣に睨むようにどこかを見つめながら聞き入っている。
 ………だから手放せない。
 切り捨て、おぞましいのだとその命を刈るには、彼の中の闇は純粋過ぎる。
 「雪も花も、見に行くくらい出来るだろう。これが枝垂れ桜かどうか、また春に見にくれば、いいし…………」
 そばにいられると、約す事は出来ない。それでもいいのであれば、未来の約束くらい取り付けられるのだ。
 誰よりもそばになどいられない。今はもう、昔と立場が違うのだから。
 けれど時折交わるその時に会う事を、厭う気などないのだと示してみれば皮肉を見つめるようにアラシの唇が歪む。
 ……………それはどこか泣き出す赤子のようにさえ、見えたけれど。
 「後悔…………するぞ」
 そんな甘い事を言えばまたこの腕がお前を切り刻むと言葉にはせずに呟いてみればふうわりと舞う、雪。
 白い花弁のような雪華が頬を過り唇に触れる。それを溶かすようにあたたまる笑みがこぼされた。
 「お前が?」
 自分は後悔などしないと、そう囁く深き笑み。
 顰められた眉は溶ける事なく歪んだまま。それでも構わないと受け入れる穏やかさは、一度自分が壊したが故に培われた性情。
 それに救われるなんて、思いたくはないのに。
 ゆるゆると降る雪の合間、伸ばした腕は落とされた目蓋に抱きとめられる。

 与えられる事を厭いながらも願う仕草で捧げられた口吻けは、冷たい雪がしっとりと抱きしめていた…………………






 なんだか久しぶりにこの二人書いた気が。
 むしろアーミン系ではジバクキャラ以外が久しぶりと言うか。

 今回は新年のちょっと前、辺りで。クリスマスも終わって大晦日の前かな。
 そういう行事の時はパーパはヒーローたちと一緒だから。
 ちょっと拗ねているのか独占欲燻っているのか理解しかねますが(笑)とりあえず寂しさは感じているのでしょう、この馬鹿でかい子供は。
 私の中でアラシの精神年齢は幼稚園児ですよ(笑)