昔からずっと憧れていた。
初めて会う前からその人の話を聞くだけで心躍っていたのだ。
たった4歳しか違わないのこんなすごい人がいるのだと。

憧憬。思慕。好意に敬慕。
そして、渇仰。

ただひたすらに傾斜した。
彼が彼であらしめる為ならなんでもする。
ただその笑顔が、好きだったのだ。

少しだけ寂しい、力強い彼特有の彼だけの笑み。

自分に向けられる幼さを混ぜた笑顔。

 

だから、願わせて。

あなたを支える事を―――――





理由を与えて



 ごろりとベッドの上で寝返りを打って外に見える月を眺めた。
 まだ満月には至らない不格好な月が覗け、それに晒されない位置に眠る間近な赤子の顔も視界に入る。
 健やかな寝息。夜泣きとは無縁の赤ん坊は育児になど携わった事もない自分にはとても有り難かった。ぼんやりとそんな事を思いながらもう一度寝返りを打つ。
 ………しゃらり……
 微かな音を立てて、何か冷たいものが肌に当たった。
 なんだろうかと寝ぼけた脳に問いかける。普段では考えられないほどの間をあけて、一人頷いた。
 そう、だったのだ。いま首にかけられているのは、笛。
 この地域に初めて引っ越して、なにをどうすればいいのかもよく解っていなかった。幼なじみのアマゾネスはなにかにつけてはやって来て色々文句をいいながらも世話を焼いてくれて、なんとか人並の生活空間を作り上げる事が出来たけれど、もともと生活能力というものが欠けていたからその後が問題だった。
 もっともさすがに自分と同じく赤ん坊を抱えている彼女にそこまで世話になるわけにはいかないので後は大丈夫と念には念を入れて十分に言い聞かせてあるのでその訪問回数は格段に減り、彼女への負担は大分軽くなったかと思う。
 と同時に、今度は別の人物に寄りかかってしまった。
 やっぱり小さい頃から慣れ親しんでいる青年。何でもそつなくこなして器用貧乏だとよく周りの友達に苦笑されていた。
 一途で一生懸命で、自分への好意に輝く瞳で走り寄る、小さなひなだったのに。
 会っていなかった月日の間に随分変わっていた。鮮やかな成鳥となった彼は、けれど変わらない思慕を讃えて旧交を温めに足繁く通ってくれる。
 不器用な自分に丁寧にゆっくりと……それこそ幼児に教えるように根気強く寄り添って生活する為の能力を与えてくれた。
 そのときに冗談のように笑ってくれた笛。
 なんの変哲もないそれは、けれど自分には聞こえない音域の音を鳴らす笛だった。鳥にしか聞こえないそれは、だから自分にしか解らないと彼は笑う。
 人間界だから他の鳥人は少ないし、この辺りは自分の縄張りだから心配する必要はないと。………遠慮なく、助けが必要なら呼んで欲しいと、言った。
 それはまるで乞うかのような瞳で。
 …………呼んで欲しいのだと、せがまれたような錯覚に落ち入ったのは記憶に新しい。
 そんな真似はしなくてもいいのにと困ったように笑った自分の手の中に強引に握りこまされた笛。まるでそれを拒まれる事が命にでも関わるような切羽詰まった顔。
 時折、こんな顔をするのだ。
 遠く遠い何かを求めるように、自分に美しい幻影を被せてしまう。そんなにも大それた命でないのに、過大評価だと幾度苦笑したか解らない。
 そしてその度に、むっとしたような膨れっ面で自分の考えなんだからいいのだと、拗ねるように顔を逸らす。………もうずっと、幼い頃から変わらないそのやり取りは、やはりまだ晒されているのだけれど。
 まだ一度も吹いていない笛は、けれどだからといって彼と会わない事を指すわけではない。
 毎日、否、もうそれは毎食といってもいいのかもしれない。何かこじつけた理由を口にしながらやって来ては、自分が失敗しないように近くで指導してくれるのだ。あるいは彼が来る前にと必死で作ったがために負った火傷や切り傷の手当をしてくれたりも、する。
 これでは幼い頃と立場が逆転もいいところだと笑うと奇妙に顔を歪めて苦笑する。青い羽根が寂しそうに揺れて、小首を傾げても返答は得られないのだけれど。
 そういえば………と、思い出す。
 昔、こんな夜更けに一緒に外を駆けた事があった。
 なにが理由かはよく覚えていないけれど、彼が家出をするのだとやって来て、だから一緒に来て欲しいとせがまれるままに、空を飛んだ。………いま思えば自分の部屋がある人王の城の警備がそんなにも甘いわけがないのだから、親同士の連絡がきっちりと行き交っていたのだろうと想像するに難くないけれど。
 それでも初めて言い付けをやぶって、夜中に外に出た。月の下羽を伸ばし夜風に乗ると夜気が肌を突き抜けてひどく自分の存在が軽く感じた。
 そのまま夜に飲み込まれそうで、震えた。けれど自分よりも小さな鳥を連れているのだからと気を張って震えをおさめたら、小さな指先が自分の指を包んだ。
 『だいじょうぶだからな』
 ほんの少し震えた声で、必至な顔で、彼が言う。
 自分だって本当は怖いだろうに、それでも相手を気づかい強がる彼が愛しくて、包まれた腕を自分もまた力強く包み返した。微笑んでみれば、安心したように彼も笑う。
 夜通し空を駆けて朝日が見える頃に遊び疲れた自分達は寄り添うように木の上で眠っていたはずなのに。目が覚めれば一緒のベッドに横たわっていて、あっさりと見つかって何事もなかったように連れ帰られていた事を知ったけれど、たった一夜の家出はとても心温まる思い出だった。
 そんな親友が、この赤ん坊にも出来ればと思う。
 ……微睡むときに微笑んで思い出せる、そんな友達が。
 視界のなか安らかに眠る赤ん坊は穏やかな気配のなかでしあわせそうに笑っている。
 それが泣きたいくらい、嬉しい。自分の腕でも安らぎを与えられるのかと思うと、涙があふれそうになる。
 多くの人に支えられて、やっと立ち上がれた。もう一度、生きる事が出来た。
 それを知っているから、感謝が尽きない。
 優しい幼なじみ。変わらない幼い親友。………何もかもが愛しい世界。
 むくりと起き上がれば、思い出したように月明かりが頬を過った。それを流し、ぼんやりと外を見つめる。
 なんとなく月をもっと間近で見たくなって立ち上がった。足下の赤ん坊を見遣り、起きそうにない事を確認する。
 寝息の規則正しい様を耳を澄まして聞き入り、安堵の溜め息とともに一歩外に歩を進めた。
 冷たい感触が胸元で揺れ、笛の存在を明らかに示す。
 月明かりのなか銀に光る笛。………なんとはなしに、口づける。
 ゆるゆると息を吹き込めば、音が鳴ったのか。聞こえるわけもないのだから自分には解らない。
 月光に染められた洞穴の入り口に腰を下ろし、ゆったりと空を見上げる。
 不格好な月は柔らかな光で見下ろしていた。…………いま吹いた音色さえ、誰も知らない。
 本当はこんな笛が必要ない事くらい、彼だって知っている。自分が吹くわけがないと解った上で、それでも与えられたのは信頼の証。
 いつ何時どんな用であっても駆けつけるのだという、彼の思いの証。
 それくらいには心許され、甘える権利があるのだという、如実な言葉。
 相変わらず不器用で、そのくせひどく人の核心をつく鳥だと苦笑する。…………気づかれて、いたのだろうか。
 もう二度と誰にも心許してはいけないのだと、戒めていた。
 悲劇を起こさない為に、自分一人生きる覚悟を持っていた。
 それなのにそんなものは無用なのだというかのようなプレゼント。
 銜えたままの笛に吐息をひそませ、ゆっくり瞼を落とす。
 細かな月光は降り注ぎ、月色に染まる一人の男を宵闇は鮮やかに浮き上がらせる。


 まだもう少し、微睡んでいる。
 あと少しだけで、大丈夫。

 約束を果たす為に飛んでいる鳥を眺める月は、それまでのしばしの時間肩代わりするかのようにその瞬きを濃くする。



 寂しさをあらわす術をなくした男をあたためるように………………








 笛を渡したあとの話、という事で!(逃避)
 うーん、鳥が見事に出ていないわね!(パーパすらあまり描写されていないよ!)
 ………もしかしてまともに名前出てきたのって、アマゾネスだけ………?(汗)

 奇妙な感じに出来上がりましたが、どうぞ受け取ってやって下さい!!