割れた鏡の中 映る君の姿
泣いている 泣いている
細い月をなぞる指

誰を呼んでいるの 消えた恋の背中
何度でも 何度でも
君の窓を叩くから

夜の加速度に 背中押されて
糸が切れる様に
ただ、君を 君を強く 抱いてた

アンバランスなKissを交わして
愛に近づけよ
君の涙も 哀しい嘘も
僕の心に 眠れ

昨日へのMerry-go-round 君を運んでゆく
止めたくて 止めたくて 僕は鍵を探してる
崩れ落ちそうな 空を支えて ひとり立ち尽くす
ただ、君の 君の側に いたいよ

アンバランスなKissで書かれた
ふたりのシナリオ
愛と呼ぶほど 強くなくても
君のすべてが 痛い

ただ、君の 君の側に いたいよ

アンバランスなKissを交わして
愛に近づけよ
君の涙も 哀しい嘘も
僕の心に 眠れ

君の心が僕を呼ぶまで
抱きしめあえる日まで

(高.橋.ヒ.ロ『アンバランスなKissをして』)





アンバランスなKissをして



 見上げた空には見事な満月が昇っていた。時刻は夜中というに相応しく、空は一面の濃藍だ。
 こんな時間まで外にいる事など、子供を持つ親としてあり得ない。そう溜め息を吐きながら、自分を連れ回している身勝手な男を睨み据えた。
 相手はそんな視線すら楽しげに歪めた唇1つで受け流し、手酌のまま酒を呷っている。
 それに深く嘆息しながら、微妙に保たれた距離を見定めつつ男は呟く。
 「で、何で俺は拐われにゃならんのだ」
 ………本当に、唐突だった。否、この男が現れるのは、いつだって突然だ。今日もいつも通り依頼のあった村に行き、それをこなし、森の平和と安全を守った帰り道だった。
 ゆらりと現れた金の髪が視界を過ると同時に、髪を鷲掴まれた。油断……と言われればその通りだ。が、まさか今の世界の安らかさで、理由もなく暴力を加えてくる輩に出会うなど、そうは予期しない。
 そして睨みつけようとした先の相手は、いつも通りに意地悪く嗤う唇を晒すと、こちらの抵抗など無視してそのまま猛スピードで移動しだしたのだ。
 羽で飛ぶ隙も与えないおかげで、男はほとんど引き摺られて空を飛んでいた。否、移動させられていた。強制的に。
 それを思い出し、随分と遠くまで適当に連れてこられた方向音痴の男は、ここがどこかも解らなければ、帰り道も解らなかった。……情けないが、それが今もまだ釈然としなくとも相手に付き合いこうして座って月を見上げている理由だった。
 それを理解している古馴染みは、金の髪を震わせながら愉快そうに喉奥で笑った。くつくつと喉が震える度、彼の持つ手の中の酒に映る月が揺れていた。
 「あん?俺が一人で月見酒がつまらなかったからに決まってんだろ」
 理由などそれで十分だとせせら笑う男に、嫌そうに歪めた顔を惜しげもなく晒して男は睨みつけた。その拍子に揺れる前髪が、男の深い赤の瞳を濃くするように陰を作った。
 「つまらないの一言で人を拐うなっ」
 「警戒心ないのが悪いんだぜ、シンちゃん♪」
 嬉しそうにそんな色を眺めながら、金の髪を月に晒して男は酒を呷った。喉が上下する度に消えていくのだろう酒の量は、先程からずっと一定で、それでも酔った素振りを見せない相手に呆れてしまう。
 もとよりアルコールの類いは好まない。そんな相手を晩酌に付き合わせて何が楽しいのだろうか。しかもここには特別酒以外の食べ物がある訳でもなく、男としては随分腹が減ってきて溜め息が漏れる。
 「オラ、お前も飲めよ」
 それもきちんと理解しているのだろう。クツリと目を細めて笑った金の髪が、さらりと流れ、黒髪との距離を縮めた。……あと少し身を乗り出せば、金と黒が交わるだろう。そのギリギリのところで留まる金糸は、相手の唇に手にした酒を押し付けるように突き出した。
 鼻先に漂う濃いアルコール臭。綺麗な月を写し取った湖面とは裏腹の刺激の強さに、男は顔を歪めて逸らした。
 「酒は好きじゃない。勝手に飲んでろ」
 ただでさえ腹を空かせている中、苦手なアルコールを呷ったら、普段以上に酔いが回る。それは避けたい男は、素っ気なく拒んだ。
 くつくつとそれを楽しげに見つめる紫闇が細められ、月に照らされ淡く輝いた。………まるで夜行性の獣だと、男は胸中で溜め息を落としてしまう。
 それをきっかけとしたかのように、するりと、酒を持たない指先が黒髪を梳いた。頬にかかるそれが邪魔だと言いたげな指先に、また男は顔を顰めた。
 「勿体ねぇな、極上品だぜ?」
 囁く声がよりいっそう近付いた。そのまま口吻けそうな雰囲気に、男は酒を拒む振りをして首を振った。
 「それでも好きじゃないものは好きじゃない」
 「………ふ〜ん?まあいいさ」
 それを理解しているだろう紫闇が、意地悪げに瞬いた。ひくりと、それに条件反射で男の肩が揺れる。………この眼差しを見た時、大抵は自分にとって迷惑な事態しか起こらなかった。何よりも自分の嫌がる顔を好む昔馴染みは、年を重ねれば重ねる程、その悪辣さを増していった。
 自然逃げる腰に、するりと滑った男の指先。………鍛え上げた自分の肉体を凌駕する相手の体格に、現状とはまた違うプライドを刺激されて眉を顰めてしまう。
 「シンちゃん?」
 それにやはり楽しげに嗤う声。ますます顰められた眉間のシワすら、相手の愉悦を誘うのだろうが、無くす事は出来なかった。
 「な、に………っ」
 邪険に睨んでその腕を振り払おうと尖った声を吐き出そうとした男の頬に、陰がかかる。
 月が見えた。と思ったその時には、既に文句を綴る筈の唇の自由は奪われている。
 相変わらずあらゆる手段を用いて、自分に嫌がらせをする事を生き甲斐にする男だ。冷静な脳の一部がそんな事を思うが、現実には何の一助にもなりはしない。
 言葉を吐き出す為に開かれた唇を、這うように舌が忍び寄る。同時に、流れ込んできた生温くなった液体。…………喉に焼くような刺激を与える、アルコール。
 「………んっ…………、ふぁ……?」
 突然の火傷のような刺激に喉が酸素を求めて喘ぐ。が、そんな真似をしたところで相手が許す筈もない。
 息苦しさに抵抗しようと首を振るにも、しっかりと顎を固定されてしまった。慣れたその仕草に舌打ちをしたいが、そんな余裕もない。本気で酸欠になりそうだった。
 空いた腕で肩を押そうと、顎を掴む腕に爪を立てようと、その程度で退く筈もない相手だ。
 歪めた眉の下、紅玉がぼやけた金糸を見上げる。見える筈もないその髪の持ち主の笑みが垣間みれた気がして、溜息が漏れそうだった。
 ……………仕方なしに、与えられた液体の全てを飲み下し、解放を求める。結局、相手の思い通りにならなければ、この腕は解かれないのだ。
 数度喉が鳴り、口腔内の液体が無くなる。それを確認するように舌先が探り、満足したように離れた。
 ……おまけのように唇を舐めとった悪戯を、咎めるように睨んだ赤は湖面に浮いていて、紫闇を嬉しげに細めさせる事しかなかったけれど。
 「うまいだろ?」
 酒か口吻けか。どちらともとれる物言いをして金の髪はクツリと笑った。
 濡れた唇を拭い、顔を引き攣らせた男は、まだ人に覆い被さるように間近にいる相手の胸を押しながら、吐き出す息とともに苦々しい音を落とした。
 「最悪………………」
 何が楽しくてこんなにもごつい男に口吻けるのか。いくら嫌がる顔が好きだとは言え、自分自身まで気持ちの悪い思いをする意味があるのか、男には解らない。
 もっとも、そんな事を言い出せば、彼の思考回路自体、理解不能だ。昔からずっと、泣きそうな顔で偽悪的に嗤い、まるで嫌われる事こそが願いだというように残虐な真似をする。
 その癖、いつだって彼は自分が誰かを守るその時に、悔しげに顔を顰めて睨みつけるのだ。
 ……………傷、を。負う事を厭うかのように。
 思い、顰められた眉。俯いた眉間のシワに、ふわりと何か、あたたかなものが触れた。
 額をくすぐる髪先に、それが彼の唇だとやっと知れる程、それは柔らかな感触だった。
 「なんだ、足りないって?」
 それでもその唇が紡ぐ音は低く喉奥で嗤う捕食者の音。捕らえた獲物を引き裂く事を楽しみにする、厄介極まりない獣の声だ。
 目元を舐める唇を避けるように首を逸らせば、面白くなさそうに顰められる整った顔。折角の美丈夫も台無しだ。
 その見た目に騙されて言い寄る女も多くいるだろうに、この男はそれらを喜びもしないでつまらなそうに放り捨てる。そうして、もっと楽しい事を知っていると囁くように、自分のもとにやってくるのだ。
 こんな面白みのない男の身体に嫌がらせを施すよりも、美しくたおやかな女性に微笑みかける方が余程楽しいだろうし、彼自身にとってもプラスになるだろうに、そんな祈りは届いた試しがない。
 微かに飲み込んだ息で落としかけた溜め息を隠せば、そんな考えを読み取ったのか、ますます優美な金の眉が歪められる。
 瞬間に、男から醸された、微かな冷たさと縋るような痛み。
 「こ、らっ、悪ふざけは止め………っ」
 まずいと身体を震わせるよりも早く、拒む声が漏れる。同時に首を這う、相手の唇。そのまま噛み切られるのではないか、なんて。今更思いもしない。
 彼ならばそんな真似をするよりも、きっとその爪先で掻き切るか、心臓を抉るだろう。最後の最後まで、自分の顔を脳裏に刻む為、その牙は使わない。
 ………そうして、それらが実行出来たなら、閉ざされた目蓋に絶望を思うように項垂れるのだ。生きる意味を見失った赤子のように。
 だから、命の危機に怯えはしない。が、それでもどうしようもなく震えるのは、どちらかといえばこの金の髪が抱えている寂しさにだ。
 「いいだろ、別に。俺が俺のものどうしようが」
 身勝手に囁いて、顎先を食む唇。そのまま口吻けようとする仕草を、頬を逸らして避ける。
 つまらなそうに鼻を鳴らした相手は、代わりのように晒された頬に口吻け、叱りつけるように耳を噛み付かれた。
 びくりと奮わせた肩に、男の笑い声が響いた。
 噛まれた部分が熱く疼いている。…………多分、血でも出ているのだろう。それを慰めるように舐めとるのも同一人物なのだから、タチが悪い。
 「大問題だ。お前のものになった記憶もない」
 深く吐き出した息とともに呟き、相手の肩を押しやった。今度はそれに大人しく従った身体は、それでも一定以上は離れず、相変わらず人を追いつめる獣のようにのしかかったままだ。
 背後に岩壁や木がなくてよかった。もしあったなら、本当に追いつめられて逃れようもうない状況だ。
 睨み据えた先、金のたてがみを風に揺らし、月を背負った獣が嗤う。
 喉奥で、瞳で、唇で。その身体全てを使って、己の弱さも望みも押し隠すように笑っていた。
 「なったじゃねぇか」
 さらさらと舞い落ちる月光と同じ色に染めた金の髪。紫闇が、揺れる。月明かりを灯して。
 微動たりともしない姿のまま、ただ唇が蠢いた。
 ………囁きが、降る。肌を染める月と同じように、しんしんと。ただ肌を這うように絡めとるように染め上げるように。
 「相討ち覚悟で俺に向かった」
 呟く唇がくつりと嗤った。
 紫闇が月明かりのように零れそうで、痛ましげに男は顔を顰めてしまう。それすら嘲るように嗤った唇は、相手の零す吐息を噛み切る事を願うように、背を逸らして近付いた。
 「一緒に逝く気だったじゃねぇか」
 ………逃げない唇に、歪んだ紫闇。息苦しそうに噛み締められたのは、黒髪の唇ではなく、金の髪の嘲笑。
 あの時、命を賭けて自分に向き合ったのは、この男だった。
 黒い髪を炎に揺らめかせ、切っ先鋭い眼差しに自分だけを映して。
 そうして事切れるその瞬間までを、自分とともに踊った。自分が触れた心臓を誰にも明け渡す事なく、その身を灰に帰して、二度と誰の為にもその腕を振るう事がないように、土に還した。
 それなのに、蘇った。否、蘇る以前にすら、この愚かな男は喪った肉体を離れて魂だけで自由を得て、仲間の為息子の為世界の為、また全てを散り散りに切り刻み惜しげもなく与えた。
 ………自分のものに、なった癖に。
 全てを賭けて向かってきて、自分と果てる事を許した癖に。
 たとえあの時、自分がその心臓を抉る事なく倒れたとしても、ともに灰となり肉体を捨てる覚悟を、した癖に…………………!
 苛立たしげに恐れない唇を見下ろし、噛み締めた唇のまま、ただ触れる口吻けを落とす。到底、嫌がらせにも意地悪にもなりはしない、怯える無垢な仕草で。
 「………アラシ」
 吐息よりも細く、男の名を呼んだ。月光にすら掻き消されそうな囁きだ。
 …………それでも確かにそれが伝わった事を、揺れた紫闇で男は知る。
 何事か呟こうとしたその唇を、けれど金の獣は拒むようにまた口吻けた。
 「…………抉った心臓ごと、あの時からお前は俺のモンなんだよ」
 だからそれ以上の言葉などいらないのだと、唸る喉奥のざわめきを隠しもしないで獣は呟く。
 そっと、捧げられた獣の指先。…………月に染まった指先が、青ざめるように見えた。
 …………瞬く間にすら消えそうな程、それは脆弱に見えた。自分と同等の力を有し、どれほどの卑劣さも躊躇わない指先が、そう見えたのだ。
 その意味を、咀嚼する。そうして、男は紅玉を隠すように目蓋を落とした。……が、月光は、淡い闇を暴くように注がれたままだ。
 陰は落ちない。代わりに、金の獣はかつては穴の空いた左胸に鼻先を寄せる。今はもうない抉られた傷跡を探すように、惑うような眼差しが胸元を這うのが男にも解った。
 それが少し、痛い。………甦った肉体は、それ以前の傷などひとつも残す事はなく、どれ程注意深く探そうと見つかる筈がないのだ。
 それでもそれを求めるように、さらりと金の髪が舞った。
 「………っ、アラシっ」
 心臓が跳ねる感触とともに、男は閉ざした目蓋を慌てて開いた。見下ろした先、肌をうねる金糸。………傷跡を見出だそうとするように肌を辿る獣の舌先。
 まるで心臓をそのまま食みたがるように、それは性懲りもなく鼓動に口吻けてきた。
 「もう、傷なんてない、だろうっ?!」
 慌てて叫び、蠢く金糸を鷲掴むように両手で押さえ込む。それすら気に留めず、胸に埋められたままの唇が低く這うように囁いた。
 「………あるだろ。お前の中に」
 たとえ皮膚に残されていなくても、その心臓に。あるいは、刻まれた記憶の中に。消える事なく色鮮やかに、愛したこの世界との隔絶が刻まれた筈だ。
 どこだと迷い子のようにそれをねだる声音に、男は途方に暮れたように眉を垂らした。
 「傷、じゃない。間違うな、アラシ」
 囁く声は、ほんの微か、揺れていた。
 この身に穿たれたものは、傷ではなかった。どれほどそれに嘆き悲しむ人がいても、自分にとって、それは傷ではない。
 己の意思のまま、命果てるまで生きた証だ。獣の嘆きすら足蹴にして、頑迷なまでに生きた証にしか過ぎないのだ。
 「傷じゃない。お前が囚われてどうするんだ」
 その腕を赤く染めたのは自分の心臓だけれど、それによってこの男を捕らえたいなど、思ってはいない。
 幼い頃からいっそ一途に自分ばかりに伸ばされた腕の意味を、ようやっと知ったというのに。命を賭けて向き合う事で解放される筈のそれは、真逆に作用し、今もまだこの金の獣を雁字搦めに捕らえたままだ。
 そんなもの、幻想なのに。………彼が思う程自分は清らかでも美しくもなく、痛ましく生きる程殊勝でもない。
 それ、なのに。
 「違うだろ、シンタロー」
 クツリと笑う唇が囁く。逃げないでと、願うように。
 肌を奮わす呼気とともに落ちる懇願の声。そうとは知らず彩られる、男の耳にだけ聞き分けられる音色。
 見上げる獣の紫闇は、美しく月を浮かべている。ゆらり揺れる、仄かな満月。
 「あれは傷で、お前はそれを抱えてんだ」
 まるでそう暗示をかけるようにゆっくりと、心臓の鼓動に頬を寄せ、細めた紫闇は嗤うように弧を描く。
 「アラシ」
 「忘れたなら、また刻んでやろうか……………?」
 窘めようとする男の声を遮るように、流れる漆黒を指に絡め、引き寄せた。月に染まり色を変えたように艶を見せる黒は、綺麗に月光を纏っていた。
 食むようにそれを口吻けて舐めとった。月の味など欠片もしない髪先は、それでも甘く舌を融かす。
 「………阿呆」
 大型の獣のように懐いて、最早どうする事も出来ない過去を引き合いに、この腕に堕ちろとねだる図体ばかり大きな子供。
 ………かつては隣に立ち、ともに世界を守るため生きるのだと、手を取り合うと信じて笑い合った子供。
 きっと、道を違わせたのは自分だろう。何も解らず立ち尽くすその子に、………自分の見つめるモノが解らないと顔を歪めるその子に、説明も与えずに首を振るだけだった浅はかさ。
 与えていれば、あるいは知らしめられたかもしれないのに。解る筈だと決めつけて、差し出すべき腕を怠った。その結果が、この痛ましさか。
 「俺はもう、命投げ出すような真似、したかないんだよ」
 溜め息のように囁いて、揺れる紫闇を慰めるように金の髪を梳いた。
 楽しげに細められた瞳が、瞬く。それを喜んでいるのだと感じる自分も、あるいは既に囚われているのかもしれない。
 それとも先程飲まされた酒の作用か。………どちらであれ、痛むものに変わりはないけれど。
 まるでそれすら読み取ったように、男は笑った。月を纏ったまま、漆黒を食むように指に絡めた毛先に噛み付く。
 「それでもお前はもう、俺のモンだ」
 ……………ぽつり落ちた、それは小さな呪詛。
 「他の誰にも殺させねぇし、虐めさせねぇ」
 ただ一人に焦がれるように、それ以外を求めないように、そうして、それがこの手に堕ちるように。
 「お前を虐めんのも、殺すのも、俺だ」
 初めりから終わりまで、その感情の高ぶりに関与するのは自分一人でいいのだと、男は笑う。
 泣き出しそうな紫闇に顰められた男の眉。髪を梳く指先が頬を撫で、仕方がなさそうに重ねられた額。ほんの微かな熱が、甘く響く鼓動を教えるようで、惚けたように緩んだ拳から、捕らえた男の髪がするりと流れて逃げた。
 それを視線で追う。………こうやって、いつだって知らぬ内に、この男は消えるだろう。自分がどれほど強く捕らえ、逃さぬように牙を立てようとも。
 「せめてその中に優しくするとかいたわるも入れりゃいいってのに」
 呆れたような男の溜め息と呟き。唇にそれを感じる程の至近距離。………きっと、いたわりを乗せているだろう紅玉は、ぼやけた焦点には映らなかった。
 「俺が?お前を?………あり得ねぇな」
 優しさもいたわりも、この命を捕らえる事などない。慈しみ深く平等な王者を捕らえるのは、嘆きと憤りと憎悪が一番確実だ。
 それを与えれば自分を追いかけ、永遠に忘れぬままに苦しみ抜いてその命を与えてくれる。その方がずっと、いい。
 ………誰もに与えられるだけのものなんて、欲しい筈がないと暗く笑んだ唇を、見える筈もない相手は、それでも解っているように小さな吐息で受け入れた。
 「解ってるよ。ったく、お前の性格の悪さは一生変わらないな」
 「シンちゃんも何回死んでも変わらねぇじゃねぇか」
 融けたままの額をずらし、ぺろりと悪戯に鼻先を舐めとる。微かに肩を揺らしただけで咎めなかった唇に、そっと囁きながら吐息を重ねた。
 「相変わらず、俺の大嫌いなまんまだぜ」
 脳裏に蘇る、変わらない小さな背中を思う。
 誰かの為にならば身を投げ出して、傷も厭わず守りに走る。
 どこまでも愚かでどこまでも愛しい、馬鹿な子供の背中。
 「………他人なんざ蹴落として生きりゃいいのによ」
 呟き、そっと男の肩が押された。黒髪を肌に散らすように巻き込んだそれは、抵抗をしようと思えば容易いだろう力だった。
 それでも躊躇いに顔を顰めながらも、黒髪は月明かりの下に舞い、重力に従い地に落ち、地面を彩った。
 戸惑いに染まった紅玉が揺れながら空を見上げる。
 ………同時に落ちた月。
 名を呼ぼうとした唇は吐息ごと奪われ塞がれた。
 乱暴で傲慢で我が儘な口吻け。身勝手に蹂躙する舌先は、それでも必死に何かを探し求めている。
 闇夜の中の鮮やかな色彩が、息苦しさに歪む視界で瞬いた。
 朧な眼差しの中、仄かな月がすりよる。

 何が、欲しいのか。

 ………何を、探しているのか。

 

 解りそうで解らないまま、そっと紅玉は月を孕んだまま閉ざされた。

 

 泣けない愚かさも。
 嘘で塗り固めた祈りも。

 

 全て飲み込むから、慟哭をひた隠し笑うな、と。

 溺れる月を慈しむように、抱き締めた……………








 何年ぶりだと言いたくなる自由人小説。
 でも相も変わらず余裕ないアラシと受容傾向強いパーパでした。うん、人間って書くもの変わらないんだね。
 今回はイメージ曲付きで。どちらかというとパーパよりなイメージかな。
 そして、過去小説読んでいても思いましたが。
 …………なんでアラパーはカップリング色が強くなるんだろうか………。なんつーか、うん、現状書いているジャンル達ではあり得ないんですが。
 逆転裁判なんてキスすら出来ずに右往左往していたのになぁ(遠い目)

 そんな懐かし小説ですが、暇つぶしにでもなれば幸い。

11.6.19