ふと見上げてみれば鋭利な三日月。
吐息さえ凍えさせるような、そんな研ぎすました光。
夏の宵に凍えることはないと知りながら
それでも身震いが襲った。





宵闇の月



 目を瞬かせてそこに転がった人を見た。
 別段そこにいることを否定することはない。戦争中ではないし、今は各国どこに行くことだって自由だ。けれどあまりにも足下で寝転がっている人物は自国以外にいることが不釣り合いな、そんなイメージが色濃かった。
 「…………………」
 夕刻も過ぎ、程よく涼しくなったので空を飛ぶのではなく地面を歩き散歩していたのがあだになったのだろうか。一瞬そんなことを考えながら、小さく漏れた溜め息を掻き消すように瞼を落とす。
 そうしてもう一度目を開いてみて、現状が変わらないことを確認すると今度こそ長く深い溜め息を落とした。
 別にただそこで寝ているだけであれば気にかけずに進んでしまえばいいだろう。それは解っていた。
 けれど何となく彼の姿を目に止めたら足が吸い寄せられるように近付いてしまった。………足下で眠っている姿を見ていると普段邪険に扱っている分、無邪気な寝顔は少しだけ好感を抱かせるものだったのだ。
 金糸の髪が草原の薄い緑の中に蔓延るように散っていた。先ほどまで赤々と大地を染めていた太陽も影を潜め始めていて、今は彼のまとう金は微かに鈍く瞬くのみだ。落とされた睫毛は精悍な肌に影を落とし、健やかな寝息を薄い唇がこぼしている。
 こうしてただそこにいるという、それだけであったなら、どれほどいいだろう。
 不意にそんなことを考えて苦笑が唇を彩った。
 無茶というか無謀というか……彼は幼い了見で動き回ってしまうところがある。その大部分は自分に関わることで、それ故に幾度も命の危機にも晒されてきた。別段それを責める気はないし、事態が事態であれば容認せざるを得ないこともある。そうした殺伐とした時代を、自分も彼も生きてきたのだから。
 そう思う思考は少しだけ泥ついていて、辟易とする。彼が思うほど自分が美しい命でない自覚くらい、十分にあった。
 穢れているからこその、傷だ。自分が原因で幾人の友を失ったか解らない。戦争という一種独特の世界観の中であったとしても、それは許されざる出来事だ。
 幽かな憂いが体内を染めあげる。それに気づいたかのように空に架かる月が顔をのぞかせた。どうやら先ほどまでは雲に覆われていたようだが、そんなことにも気づかなかった。そう思ったなら、彼とは別のところで自分もまた、彼に捕われている事実を突き付けられている気がした。
 細い三日月はその切っ先が針のように見えた。もしも空を飛んでいたならそのまま月に羽を縫いとめられるような、そんな気がするほどだ。夢想とすらいえる考えに口元が困ったように笑んだ。苦笑というよりは、自嘲の笑みだ。幼子の昆虫採集でもあるまいし、無慈悲な手により命を奪われ剥製にされてピンで止められることは、さすがにないだろう。
 「………あー…アラシなら、やりかねないか、な……?」
 ふと月を見遣っていた視線に重なったその月明かりの髪を宿す足下の男を思い浮かべる。
 彼の執着は並外れていて、もしも彼より先に命を落とせばそれこそ剥製にでも凍り漬けでもして永久に保存されてしまいそうだ。それが悪いといえないところが、自分の矛盾なのだろうけれど。
 冴えた細い月を見上げながらそれに心臓を貫かれる瞬間が一瞬幻のように浮かんだ。
 逸らすことの出来ない視線がそれを見つめるには場違いなほどの真摯さで虚空を見つめる。
 いつかもしもこの身の鼓動が止まったら、この体は過去の日のように灰となるのだろうか。それともあの冴えた月のように凍えた肌をそのままに存在し続けるのか。
 解るわけはないけれど、そのどちらでもいっそ構わないと唇が笑みを象った。
 その笑みの真意を知るわけではないだろうけれど、不意に足下から、笑いを孕んだ音が舞い上がってきた。
 「………シンちゃん、その位置じゃ、丸見えだぜ……?」
 「…………っ?! おまっ、起きて………っ!」
 響いた卑猥な意味を孕む声にぎょっとして立っていた男は一歩後ずさる。それについていくことの出来なかった長い黒髪が揺れ、月明かりに照らされて鮮やかな艶を落とした。
 「無防備極まりなく気配も殺さないで近付きゃ、嫌でも起きるだろーが」
 くつくつと喉奥で笑いながら起き上がった男が楽しそうに呟き、揶揄するように眼前の膝を撫で上げた。
 悪寒を呼ぶ仕草に不快を示すように睨みつけ、軽やかにその指先を叩くと忠告ともからかいともつかない言葉に従うように男は座り込んだ。
 逃げずにそこの留まった男を意外そうに見遣り、金糸の髪を風に遊ばせながら眠りの色を欠片も残さない瞳が思い出したように問いかけた。
 「で? 俺がどうしたって?」
 「………は?」
 唐突な質問にきょとんと不思議そうな目を向けた男の漆黒の髪を指先で手繰り寄せ、食むような真似をしつつ、言葉を付け足した。
 「俺ならしかねねぇって、なに?」
 細めた視線には楽しそうな無邪気さが煌めいている。こうして穏やかな時間であれば、たいした悪さもしないことは、昔から変わらないことだった。だからこそ自分は彼への警戒心が時折薄いと注意を受けるが、それはピックアップされる悪事以外にも多く自分達が接点を持って生きてきたからに他ならない。
 それを知らないからこそ周りからは自分が一方的な被害者で、彼が残虐な加害者に見えてしまうのだろう。弁解もしない潔さは、こうした場合、不利にしかならない。もっともそうした評価を楽しんでいる節もあるのだから周りの目はある種、正しいのかもしれないけれど。
 洩れた苦笑を月明かりに染め、ふわりと、男は軽やかな笑みを唇に灯す。
 そうして、からかいを孕む音で、囁いた。
 「今日の月はお前みたいだなってだけだ」
 謎掛けのような言葉を楽しそうに告げ、男は困惑に顔を顰めた相手を見遣る仕草で空を仰ぎ見た。
 鮮やか満月とは違う、細く手折れそうな、そんな三日月。けれどそれは月の剣といわれる異名のままにレイピアのように鋭く心臓を穿つだろう。
 隠喩に気づかないままの相手を微笑みで迎え、男はぽんとその額を赤子をあやすように添えて撫でた。時折こぼす彼の子供扱いにむっと顰めた眉を深めるが、それでも心地よい体温に変わりはなく、その笑みもまた、腹立たしいほどに心を捉えるのだから厄介な代物だ。
 微かな吐息を月影に隠すように落とし、男は自分の額から指を滑らせ髪を梳くその指先をとらえ、引き寄せた。
 さして驚いた様子もなくしんなりと近付いた影を抱きとめ、掠めるように吐息を重ねれば、細やかな月の瞬きが静々と自分達を包む感覚が湧く。
 不可解なその感覚に視線を空へ向けかけると、まるでそれがどうしてかを知っているかのように抱きとめられた男は笑い、月華に染まるように頤を上げてその灯火を面全てに受け止めた。

 そのまま月に染まり行くような漆黒の髪を微かに顰めた瞳で見つめ、男は縫い留めるように口吻ける。

 地に縫い付けられたまま空を見上げ、月か男かも朧になりながら、指先はただその月明かりを求めるように金糸の髪を撫でた。








 微妙に長くなってしまって申し訳ありません………!
 久しぶりに二人を書いたらなんだか別人のような(汗) 原作読んで出直したい気分です。

 今回のパーパは少し倒錯的……というか、捕われることを拒めない感じにしてみました。
 そのせいか女々しい感じがして仕方ないです。もっとずっとパーパはかっこいいのですが!でも結局父性の強さ故に子供のようなアラシを憎みきれず見放せず、な感じで。
 結局いつもアラシはパーパに我が儘を許してもらっている、そんな関係です(笑)

 駄文投稿で申し訳ありませんでしたー!

05.7