空が漆黒に染まった、と思ったことがある。
さっきまで青空だったのにと不思議に思って目を擦る。
………よく見てみれば、それは君の髪だった。

長く長く、まるで罪を重ねた証のように、長く。

漆黒の髪が、翻る。
腕を伸ばして鷲掴んでも、きっとそれは色褪せもしない。
君が、自分で定めた罪。
………消えもしない。

刻んだこの腕がお前のせいじゃないと囁いても、消えない。
君が自分で………刻んだから。
そんなもの見つめないで。
捕らえたくて傷つけたのに、どうして君は自らを責めるの?

僕に思いをぶつけてよ。
そうしたら……もう苦しまないってわかっているくせに。

罪も穢れもその身ひとつで請け負って。
それでもなお恨むことを忘れる哀れな生き物。

だったらいっそ……この手で堕としてあげようか…………………?





宵闇の影



 背中の羽を風にのせて男は勢いよく空を駆けた。
 特に目的があった……というわけでこないけれど、空のパトロールはすでに日課だ。散歩も兼ねての気楽なものだが、時折救援を願う声に止められることもある。
 広いこの国の多くの部分はジャングルが蔓延っている。そうしたなかではどうしても孤立してしまう集落もあるし、早急な手助けを願えない状況下に陥る場合もある。
 …………けれど世界は平和を思い出した。
 もうしばらくの間は、誰もが癒される日々を過ごし、悼みに嘆かなくてはいけない事件も起きなくなるだろう。
 永遠に………とは言えないことだけれど…………………
 不意に湧き出た思考に顔を顰め、男は頭を振るう。それに追いつくことのできない長い髪が、空の上で舞いながら風に靡いた。
 視界の先にさえ広がった自分の髪を鬱陶しげに掻き揚げ、男は軽く息を落とした。
 …………感傷なんて、今更すぎる。
 わかっていてそれでも不意に湧いてしまうのは、最善ではない行動を己がしたという自覚があるからだ。
 若さ故の無謀なる暴走。……危険すら忘れてひた走った先にあるのは……闇だけだと年若い自分には気づけなかった。
 その先には人々の祝す言葉で満ちていると信じていたのに。
 現実はそんな甘くも優しくも出来ていない。突き付けられたそれを、噛み締めたってもう遅い。
 過去は過去。嘆いてなく自分でいたくないから、せめてもと生きた。誰かのために。
 そうしていつか朽ち果てたならきっと……少しくらいはこの身の罪も軽くなるのかもしれないと願って……………
 くだらないほどの利己的な考えに、今更ながらに虫酸が走るけれど。
 それでも必死だった。たとえようもないほどにただ……必死だった。
 生きることの困難さと、死ぬことの甘美な誘惑を覚えている。
 この身に刻まれている。
 それでも死は選ばなかった。………選べなかった。
 あの瞬きが…それすら許さないと囁いたから……………
 思い出したその顔に、僅かに顔を歪めようとしながらも………どこか笑んでいる自分に気づく。
 滑稽な仕草に苦笑し、眼下の大地でひと休みして頭を冷やそうと羽を大地へと誘導させた。
 ………本当は、多分この時に気づいていた。
 気づいていたけれど……気づかない振りをしたかったのかもしれない。
 木々を滑り抜け、大木の枝に腰を降ろそうと居心地の良さそうな位置を探したなら………そこで眠る人。
 金糸の髪を日に溶かし、紫闇の瞳を瞼で隠し…………精悍な面差しの男が健やかな寝息を零して緑に抱かれている。
 差し込む陽射しさえ、動きをとめる。そんな張り詰めた気配を有してやまない筈のその人は、けれど小鳥が近付き歌うほどの安らかさでそこにいた。
 驚きに、男の目が丸くなる。……無意識に気配を消して……起こさないようにとその傍らに近付いた。
 ………彼に近付いても、自分にとっていいことなんてなにもない。それくらい知っているけれど。
 それでもこうして眠る男を見ていると、そんなことさえ錯覚のような気がしてしまう。
 腕を組んだままの男の腕。……それが刻んだ自分への傷を忘れたわけではないけれど。
 不思議と……その腕を嫌ったことはなかった。憎いと思ったのも恨んだのも…………嫌ったのも、それは何も出来なかった自分自身に対してだけで、それを 導いたこの腕を厭った覚えはなかった。

 殺してくれと、願ったコトがあった。
 ………残酷なことを言っている自覚もなく、敵なのだからいいだろうと傲慢な態度で。
 そうしたなら、仲間を赤く染めたその腕は優しく自分の髪を梳いた。
 短い髪が指先からこぼれ落ちる微かな間、まるで愛しむように……………
 見上げれば、目を奪われるような秀麗な顔。……残虐ささえ隠し込んだそれに眉を寄せて困惑すれば、囁かれた言葉。
 『俺を殺しに来たら、殺してやるよ』
 意味なんか、判らない。
 けれど囁いた声に滲む寂寞は、しれたから。
 殺してくれとはもう……囁けなかった。
 零れた涙さえ優しく舐め取るその唇が、一体なにを願ったのかなんて知らないけれど……………

 あの時の…あるいは優しさというべき仕草が何故か、いまもよくは判らない。
 ただ自分を殺した腕も…優しく撫でてくれた腕も同一で。その不可思議さを確かめるように男は組まれたままの腕に指を添えた。
 しなやかな筋肉が窺える。自分と同等の力を有した、戦士の腕。
 この腕を嫌ったことはない。
 ………もしも憎めたなら……………
 「楽、だったのかな……?」
 殺したいとこの腕だけを追って、そうして殺されたならあるいは……………
 馬鹿馬鹿しいと添えていた指を引こうとした瞬間…男の腕が強く引き寄せられる。
 バランスを崩し、引かれた体勢のままに眠っていた男の腹に顔を埋めた状態の男の耳に、甘く囁かれる低い声音。
 「なんだシンちゃん…やっと憎む気になったか……………?」
 どこかあり得るわけのない夢想を願った声。
 首筋に落とされるその視線に鋭さと、全身から滲み出ている殺気。近くにいた鳥たちが驚いたように羽撃く音が耳を翳め、呆れたような溜め息は…男の腹に溶けて消えた。
 なにを馬鹿なことを言っているのかと身体から力を抜いて男に寄り掛かってみれば、つまらなそうに殺気が消えた。それに小さく笑い、男はとりあえずこの姿勢をなんとかしようとちらりと背後の主に視線を向ける。
 それに気づき、紫闇の瞳が楽しげに眇められた。その気配によからぬことを考えているのではと一瞬警戒するが、何故かあっさりと腕は解放された。
 ……解き放たれた腕に気づき、上体を持ち上げてみれば…思い直したように再び腕がのびる。
 そのまま引き寄せられれば当然身長に大差のない二人の視線は限り無く近付く。………傍迷惑なほどに。
 呼気さえも盗まれそうな接近に男の眉が顰められるが、ただそれは相手を喜ばせることしか出来なかったらしく、なお一層しっかりと腕で押さえられて身動きも出来なくなってしまう。
 「アラシ……この格好はどうかと思うぞ?」
  いくらなんでも人から見たら怪しい以外のなにものでもないと溜め息を落としてみれば、間近な唇が顳かみをくすぐるように口吻けた。
 悪ふざけは今に始まったことではないがともう一度息を落としてみれば…腕の力がより強まった。
 不思議そうに間近な瞳を覗いてみれば……どこか真摯な瞬きさえ秘めた意地悪な紫。
 不意に重なる。………あの日の、残酷でありながらも優しかった、狩人の瞳。
 深く深く底知れない闇の奥地、いたわるような思いさえも意固地に隠し込んだ……………
 不意に、気づく。
 殺そうとしながらも……殺す気のなかったこの腕。
 自分を生かしたいがために囁かれた虚言。
 ………憎むことも恨むことも人に向けないことを知っているが故に、その赤い腕は自分を屠らない術を知っていた。
 『憎んだなら、殺してあげる』
 それはもう、愛しんだ命の輝きではなくなるから、自分の手で屠ってあげる。
 でもそうでないなら……殺してなんかやらない。
 なにがあっても生き抜けばいい。愚かな涙に濡れて、自分の血に塗れて。
 それでも立ち上がるのなら……殺してなんかやらない。
 ……………優しく残虐な瞳が、囁く。
 それを視界におさめ……焼きつけるように瞼を落とした男は、仕方なさそうに笑んだ。
 憎めるはずが、ない。怨めるはずが……………
 自分を一心に思って、其れ故に落とされた甘くも非道な言葉。
 そこに込められた思いを垣間見て、切り捨てられるわけもない。
 「お前……本当に馬鹿だな」
 気づくかも判らないのに。………その思いにさえ、厭わしいと唾を吐きかけられるかもしれないのに。
 それでも一体どれほど長い間、抱え続けたというのか。
 こんな馬鹿な自分のために……………
 自分を殺したその腕のなか、男は緩やかに力を抜く。
 …………信頼、なんてしない。できる筈もないから。
 それでもこの腕はもう自分の心臓を掴み出すことは出来ない。
 間近で笑んだ男の笑みに、気づいたらしいことを金の髪は悟る。………気づけと、願ったわけではないけれど………
 それでもこれが、自分の腕以外に傷付けられることは嫌だった。………自分自身の意志で傷つくことさえ、厭わしかった。
 だから死にたければ自分を少しでも憎めばいい。そうして見えたなら、必ず殺してあげるから。
 他の腕に殺されることも、自らを殺めることも許さない。
 懇願するように、呪いを囁いた。
 ………受理されるなんて、思いもしなかったけれど。
 愚かしいのは一体どちらか。そんなこと判るわけもないけれど。
 「………馬鹿はお前だろ? この状況で、意味、判ってるのか?」
 悪戯な唇が意地悪く笑みを象る。
 訝しげな視線はまったく含んだ意味に気づかないから。
 ………それを知ってはいても、止まるわけもない。
 もう一度顳かみに口吻けて、男はそのまま唇を頬に滑らせた。
 「へ…………?」
 髪先や掌、時折顳かみ。………その程度は、幼い頃からじゃれるようにされていたけれど。
 口吻けにも似た位置には、されたことはない。
 ………………唇は、止まらない。
 「ちょ……っと、ま…………っ」
 驚いたような微かな声さえも飲み込ませ、落とされた熱い唇に男は困惑げに瞼を落とした。
 熱く熱く溶かす熱。
 …………優しく優しく包む腕。
 容赦なんかしないくせに、必ずこの腕はいたわりを覗かせるから。
 拒めるはずが……ない。

 

 深く探る口吻けに身を震わせながら、男の腕は金糸の髪を抱くように捧げられた……………






すっごく久し振りだな……アラパー。
でもこの二人書くの好きです。ちょっと痛い雰囲気であってもどっちも耐えられるからv(オイ)
ついでにいうと結構恥ずかしいくらいバカップルな気もするんですよね……こいつら。
いや、うん。
………すごいなー(遠い目)

久し振りに書いた二人で久し振りにまともにキスシーン。
なまってますねーふふふふ。 ……………冬休み中に気づいたよ………。私退化していたらしく、文章の書き方が中学の頃(書きはじめ)に戻ってる〜(涙)
そう。私は書き初めの頃から心理描写だらけにしちゃって、キャラの動きがまったく判らないという決定的な欠点があるのです!(オイ)
戻るな自分! 進化しろ、どうせなら!!!!
つうわけでして。
勘を取り戻そうぜ!という感じに心理描写以外を多く取り入れるようにしています。

………まだまだ先は長いといわないで(泣)