ふと見上げて、空が綺麗だった。
 それは戦争の頃をのぞけば当たり前にあるもので、さして自分には感慨深いものではない。
 それでもそれを綺麗だと、そう感じた自分の感情に首を捻る。
 自然物を美しいと思うほど殊勝な心は持ち合わせてはいない。他者にいわれるまでもなくそんなことは自覚していたし、そうであることを悲しんだこともない。
 瞼を落とし、陽光を浴びる。程よいその光はいま波立ちかけた精神を穏やかなものへと静める。
 おかしなことだ。そう思いつつ頬に当たる風とそよぐ芝生の短な葉先を感じてみれば、不意に脳裏に浮かんだ残像。
 青空を背に誰かに笑顔を捧げる幼い頃から知っている男。鮮やかな空に漆黒の長い髪が照り返されるように煌めいて見える。
 綺麗だ、と。
 確かに感じたその光景。
 「…………………」
 忌々しい記憶を思い出して舌打ちをする。
 自分の感情が何を引き金として動くかを知らないわけではない。そしてそうであるが故に忌々しさが募る。
 自分とは真逆の生き方しかできない潔く真っすぐな馬鹿な男。傷付きやすく脆いくせに自身の身など顧みずにその身を危険に晒し誰かを守ることを生き甲斐にする愚かしさ。
 それはどこまでも無防備に他者を受け入れ、それでもなお鮮やかに照る太陽を擁したこの空に良く似ていた。
 もう一度、男は瞼を持ち上げると空を見遣る。
 美しく澄んだ青い空には風に流される真っ白な雲が泳いでいる。強くもなく穏やかな陽光はどんな悪人さえも乞うたなら許し祝福を与える聖光にさえ、感じた。
 舌打ちを落とし、視線を背ける。
 こんな空、美しくもない。そう思いながら。
 大地に根ざし踏み付けられてもなお清らかにその頭を空へ向ける芝生に目を細める。
 …………自然が美しいなど、思わない。
 瞼を落とし闇色の中に思考を沈め、男は眉間に刻まれた皺を解くことなく全てを放棄するように眠りに陥っていった。
 あまりにも清らかであまりにも潔くあまりにも全てを受け入れる。その性根は鮮やかで誰もがその魂を求めて腕を伸ばすだろう。この空を、大地を美しいと思わぬ生き物はいないのだから。
 だからこそ、自然を賛美する心など携えるつもりはないのだ。
 自分がこの手で摘み取り壊したいのはたった一つの命。
 他の誰にも決して触れさせずに己にだけ灼熱の視線を向ければいい。

 その身代わりにこの世界を愛するなど、到底自分には出来ないことなのだから……………

 








 名前が一切出ていませんが分かると思います。私の書くストーリーでこれだけ屈折しているのはアラシか激くらいだ。
 そんなわけでアラパーでした。

05.11.27










 ふと見遣った先は鮮やかな金。
 息を飲んでその子供を見つめた。背格好も変わらない、それは同質の生き物。
 嬉しくて込み上げる感情をどう言い表せばいいかも解らなかった。その子供は大人たちの中にいながら畏縮することもなく堂々と振舞っていてなお喜びが募った。
 ずっと自分が変わっていることは知っていた。大人たちの中でこそ対等にもの言える、そんな風変わりな自分。いつしか笑うことも減り、ごく親しい幼なじみにくらいしか笑いかけることが出来なくなっていた。
 大人の前でなら動く感情。意識。それは不確か極まりない揺らめきだった。
 それでもそれだけが頼りで、父の修行の申し出にどれほどの苦痛や試練が待ち望むものであっても構わないのだと承諾するのに迷いはなかった。
 その先にまさか、こんな命が伴われるなんて思っても見なかったことだ。
 「父さん……あの子、ダレ?」
 瞬きを落としたなら消えてしまう幻影のような……自分の願望のような、そんなあやふやさを恐れて子供は父の偉大な手のひらをしっかりと握りしめて問いかけた。その視線はまっすぐに金の髪を持つ子供を捕らえながら。
 我が子の声に僅かながら歓喜の滲んでいることに気付き、珍しいと口元を綻ばせて父はその視線を追いかけた。子供のまっすぐな視線は同じほどの背丈しかない人物にだけ一身に注がれている。
 その対象を目に止め、ほんの微かに、男は眉を顰める。
 けれどそれを子供に気付かせることなく穏やかな低い声で答えた。
 「ああ……あれは海人界のアラシだな。今回の修行、お前はアラシとペアを組むことになるだろう」
 たった二人の子供だからと呟いた声の中の微かな悲哀には気付かず、子供は煌めく瞳を綻ばせるように笑んだ。
 …………珍しい、幼い笑みだった。
 息を飲み男は遣る瀬無く瞳を細める。わが子が感受性豊かであることは知っているが、そうであるが故に、早熟してしまった意識が同世代の他者の否定を恐れて花開くことがなくなった。
 今回の修行に連れてきたことも、大人たちに囲まれその中で子供である自分を許せるようにと思えばこそだった。
 決して朱に交われと、そう思ったわけではなく、まして子供である己を捨てさせたかったわけでもない。
 目を煌めかせ、初めて対当となれるであろう相手を見つけたことに喜びを露にする我が子を男は一抹の不安を持って見つめる。
 この目で確かめたわけではないのだからと敢えて口にはしなかったが、あの子供にまとわりつく噂はあまり褒められたものではなかった。幼いが故の残虐性や無慈悲なのか、それとも生来の性なのかは分からない。ただそうであるという事実だけであるならば、今のうちに修正を遂げなければ将来の禍根となるであろうことは明白だった。
 だから……今回の修行は、賭けでもある。
 一欠片の良心さえも見られないのであれば、…………その性根を修正することが不可能なのだと見極められれば、あの子供は二度と帰ることは出来まい。
 「……………………」
 遣る瀬無い考えに軽く首を振り、男もまた陽光を浴びた金の髪を見つめた。辺りには他に人影はなく、放ったらかしにされていることは容易く見て取れる。
 期待と祈りを込めた眼差しをまっすぐに向けている我が子の視線に気付いた相手が振り返る。あどけない、整った顔。
 綻ぶように笑う顔に目を瞬かせ、ほんの僅かに………笑みが落ちる。
 どうか、どうかと願ってしまう。
 この幼い指先しか持たぬ我が子が嘆きに崩れることのないように、と。
 最悪の結末がこの修行の最終日に見せつけられないように、と。
 願い、淡く男は笑う。
 今はまだ不器用に互いに歩み寄ろうとするその微笑ましい命を祝そうと思いながら。

 決断の日は、まだ、こない。

 




 7歳の修行のときの話です。
 一応これで抹殺されなかったのは自分で怪我させたパーパの看病したからです(笑)
 まあ多分、殺そうとしたら逆に殺すでしょうけどね、アラシは…………

 

05.12.3









 「なんだ、それ」
 突然の言葉にきょとんと目を瞬かせる。相手の指先が示しているのは自分の背中。
 何かおかしいものがあったかと思い首をひねる。今さら羽の生えていることを問いただれるわけもないだろう。彼は自分の羽が生まれた瞬間さえ知っているのだから。
 「どうかしたか?」
 いくら考えても答えが分からず、眉を寄せて不快感を示す相手に戸惑いをのせた目が解答を求めた。かすかな苦笑でさらされる音は柔らかく、おそらくどんな人間が聞いても安堵を覚える類いだろう。
 それに少し苛立ちながら相手は一歩前に足を踏み込み、乱暴な仕草で相手の背中を覆うような長い髪を掴んだ。
 「       」
 痛みに一瞬息を飲んでみれば、舌打ちとともにさらされた音。
 小さなそれは誰にも聞こえないほどの微かさ。もしかしたら自分にも聞かせる気がなかったのかもしれない。乱暴な指先の理由を思いながら、痛みに刻まれた眉間のしわが少しだけほころんで失せた。
 もうそれはずっと過去の遺物だ。今更といってしまえば多分それまでのこと。
 彼自身は知らなくとも自分の体は幾度も切り刻まれては朽ちている。それを繰り返してしまっている。
 だから、彼が過去に刻んだ傷跡もまた、それら新しい傷に抉られかすんでしまっていた。
 幾度生き返っても体が変わるわけではなかった。同じ体が同じ傷を携え再構築されるに過ぎない。だからこそ繰り返された再生は一見頑強なこの身を包む肌を痛ましいほどの古傷で覆わせていた。
 それを哀れむわけではない身勝手な眼前の男は忌々しそうに舌打ちをして、もう一度掴んだ髪を引き寄せるように力を込めた。襲った痛みに顔を顰めてみれば、幽かな愉悦の気配。
 それを見る度に思うのは何に怯えているというのだろうかという、感情。
 破壊を楽しむ仕草の中の、怯えて泣きわめく子供の瞳。狂気に浸りながら腕を伸ばしてと叫んでいる。
 つぅ…と、無骨な指が背中を辿る。微かに凹凸のある、傷を探るように。男の鋭い爪であれば切り裂くことも可能かと顔を顰めた。彼はそれくらい平然とやってのけるから。
 けれど思ったよりも柔らかな指の仕草は爪ではなく指の腹だけの感触だった。ただ傷を辿り確かめている。
 そうしてそれが腰椎を辿り終えた頃、間近にある男の唇が奇妙に歪んで音を紡いだ。
 「抉って…みようか?」
 愉悦を含んだ甘い音。
 同じ痛みではなくこの身に彼の所有の証を。…………命さえも自由にしたという、傷跡を。
 失うことを恐れながら、失うことでしか手に入らないことを知っている男は歪めた笑みで獲物の頬を舐めた。
 肌を辿る指は傷を負う。どの傷を侵そうかと楽しむように選んでいる。
 その肌を隠す髪を掴み、傷をさらさせ。そうして自身が与えた、命の所有を記した傷跡だけを赤く肌に染み込ませる。
 滴る血液が脈動を止めるときだけが、その命を腕に抱きとめた証。
 「もう一度、心臓を」
 「………バカ、だなぁ」
 囁く男の低い唸りに苦笑いをしてその腕を抱きとめる。
 壊す以外の手立てでもって自分を与えられないことを後ろめたくは思えない。それでも求める腕を拒めないのもまた、確かだ。
 縋るように傷を負う男の唇を享受し、幼子をあやすようにその金の髪を梳き撫でた。
 「お前にだって、殺されないっていってるだろ………」
 失うことで狂う男を知っているから、与えることを拒んで生きることを選ぶのだと、肌に突き立てられた爪の痛みと流れた熱い血潮に眉を顰めて、笑った。

 …………肌に埋められた男の眦(まなじり)の湿りには気付かない振りをしながら…………





 久しぶりにアラパーです。
 この二人はなんだかよく愛憎という言葉で括れるのかしら、という話を書きますが、別にそんなつもりもないのですよ。
 ただ絶対に手に入ることがない生き物が欲しいと思ったら剥製にでもして傍に置く以外手立てがないというだけで(暗いよ)
 一応これでもこの二人普通に両思いなんですよ。恋愛的な感情ではないので痛々しいだけで(そこが一番の問題だよ)

06.2.14








 なんだかなぁと軽く息を吐く。
 見上げた空は快晴で、風も心地よく頬を撫でている。正直、昼寝日和でつい瞼が落ちそうになっていたことは事実だった。
 けれど、だからといって、今現在の状況を把握したならそんな真似も出来ない。
 自分の膝に頭を乗せたまま寝入っているらしい奇妙な幼なじみの金の髪が風に揺れる。その様を眺めながら込み上げた欠伸を噛み殺した。
 どう考えたって体を鍛え英雄という名を背負っている男の膝が心地いいわけがない。女の持つまろやかさを求めての行為であればこれほど不相応なものもそうはないだろう。
 けれど何故かこの幼なじみは昔からたまにそれを求める。はじめは何か罠でも仕掛けているのではと警戒もしたが、段々それに何も含まれてはいない、純然な願いであることが知れ、特に抵抗もしなくなった。
 珍しいことにそれに図に乗ることもなく、この男はこんな時ばかりしおらしく躊躇った指先で自分を引き寄せる。………いっそ、いつものように臓物を抉るような乱暴さで願えば拒絶もしやすいというのに。
 もう一度軽く息を吐き出し、男は視線を金の髪から空の青に移した。柔らかく色を塗ったように空はあたたかい風合いだった。それはまるで平和の証のような姿で、自然笑みがこぼれる。
 …………思えば、こんなのどかな日ばかりだ。この幼なじみがふらりと現れては膝を求めてくるのは。
 それ以上もそれ以外も求めることはなく、ただ眠るための場所を欲するように無骨な指が縋る。
 いつもいつも、そんなことがどれほど続いただろうか。ふとした時に気付いてしまった事実が今も自分をこの馬鹿らしい児戯を拒ませない理由だった。
 鮮やかな青空を見上げた視線を遣る瀬無く眇め、男は寝心地の悪いだろう自分の膝に眠る愚かな幼なじみの精悍な頬を見遣った。
 傷一つない、端正な顔だ。この男の性情を考えたならそれはどれほどの相手を無惨に地に沈めてきたのかが伺える。何一つ手抜かりなく、謗られることさえせせら笑って相手を貶め屠ったからこその、滑らかな肌。
 この男を恐れさせるものなどこの世には何一つないだろう。そう思わせるに十分の残虐さを携えていることを自分は知っていた。
 そしてそういった面を如実に示しても正当性を与えられる、都合のいい場所を彼は好んで歩んできた。それは別に罪悪感などという可愛らしいものではなく、面倒がより少ない場所を選んでいるに過ぎないことも知っている。
 そして、そういった場所以外を、きっとこの男は恐れているのだろう。
 恐れる必要のないはずのことを、何も恐れないはずのこの男は恐れているのだ。
 その理由など自分には掴めるはずもないけれど、馬鹿なこの幼なじみを見捨てるには、その稚(いとけな)い傷はあまりに不憫だった。
 軽く息を吐き、男は視界におさめていた金の紙を軽く梳き、眉間に皺を刻んで眠る幼なじみの落とされた瞼の上に手のひらを落とした。
 長閑さを求めて戦う自分と、長閑さを恐れて戦う彼と、溝は決して埋まりはしないだろう。そんな対極にいる自分達が、それでもこうして一緒にいることこそが奇妙な縁だとその唇が苦笑に染まる。
 もう少し………あと少しだけ注ぐ日が傾くまではこのままでいよう。そう吹きかけた風に言い訳するように思い、目を瞑った男は微かな欠伸を口元にこぼして、眠る幼なじみに日陰を与えるように首を落とした。

 それはとても穏やかであたたかな、他愛無い一日の一コマ。





 お互いにまるで逆のものを望んでいる幼なじみ。まあ元々視点が違うのだからその辺りは仕方がないかと思いますがね。

 しかしうちのパーパはアラシに甘いですよね………。私の中での年下への対応に近い甘さだよ。一回懐に入れた庇護対象を甘やかさずにいようとするのにとても努力がいるのですよ、私は。

06.3.30









 草原を駆ける音が聞こえた。それは獣の駆ける音だった。
 丘の上から首を巡らせてみると眼下に広がる草原で、ちょうど獣同士の食事風景が広がっていた。肉食獣は所々に露出している岩の合間を駆け巡りながら草食動物を追いつめる。日常的に見かける食物連鎖の風景だ。
 さして物珍しくもない光景につまらなそうに視線を逸らし、また子供は丘の上で体を横たえた。
 空は明るく澄んでいた。美しい空の下には争いはないなどという綺麗ごとは、獣の間には無意味なことなのだろう。生きるために必要なエネルギーを殺戮という手段でしか手に入らない種族がいるのだから。
 甲高く鳴く断末魔が聞こえた。次いで聞きたくもないというのに肉を裂き咀嚼する音も。
 不快なものを耳にしなければいけない場所で寝るのに嫌気がさし、子供は立ち上がると場所を移動した。どこに行こうと多少なりとも同じ光景が見られるが、少しでもましな場所に行きたかった。
 気怠い午後の陽光は眠りよりも怠惰な無気力を呼ぶ。それを追い払いたいと思うほど意欲的でもない子供は、欠伸を噛み殺しながら手ごろな場所を脳裏に浮かべた。
 どうせすぐに見つかるのだろうし、探しにくる相手も分かっている。わざわざ自分から明かす気もないが、あまりに分かりづらい場所にいると夜に自分が相手を探しにいかなくてはいけなくなる。………彼の方向音痴っぷりは、あまりにも有名だった。
 脳裏に浮かんだ、自分と同い年の子供の顔に失笑する。何もかもが自分と正反対の相手は、その外貌を彩る色彩すらも真逆だった。他愛無いことを思い出しながら子供は軽く肩をまわし、首を捻る。
 自分も彼も有能だった。大人たちから与えられる課題はあっという間にこなしてしまう。戦士としての実力であればもう大人たちの中でも上位に食い込めるだろう。最強などとはいえないが、それでも並大抵の相手では自分達にかなわないことを自分は知っている。
 だから、つまらなかった。
 ここにくれば楽しめると思っていたのに、全てがつまらない。自分の前を立ちふさがるものはなく、容易く捩じ伏せげるものばかりなど、何の意味もない。
 欠伸を口から漏らし、子供は木の合間を抜け出た。その先には滝があり、ちょうど昼寝をするのに手ごろな岩がゴロゴロしていた。
 滝の姿が見えると思ったとき、視線の先には滝ではなく人影があった。シルエットは子供のものだった。何かを抱えているのか、その両手は胸元の添えられていた。
 「アラシ、やっと見つけた」
 自分が来たことを気配で察したのだろう、相手は首だけを振り返らせて困ったような笑顔でいった。
 それを見ながら苦々しそうに顔を顰める。………子供の体のあちらこちらに擦り傷があった。何があったのかと問うのはまるで心配でもしているようで柄でもない。けれどこの子供に関わることは全て把握したいという独占欲もまた、子供の中にはあった。
 その二つに挟まれながら無言で子供に近付くと、相手の腕の中で何か動くものの気配がした。
 それがんであるかに気付き、不快そうに顔を顰めると、相手は罰の悪い顔で俯いた。自分が考えたことが伝わったのだろう、その表情は翳りがあった。
 「………お前、助けてどうすんだよ」
 その手の中には子供の腕にも抱えられる程度の子鹿がいた。今は眠っているのかその目は閉ざされていたが息は確かにあった。
 どうせ捕食者から強奪したのだろうと、その偽善を罵るように目つきを鋭くしてみれば、子供はその視線から手に抱く子鹿を庇うように己の肩で隠した。
 「親は……食い殺されたから、せめて………」
 「それが自然の掟ってもんだろ。食われりゃ死ぬけど、食わなけりゃ死んじまう奴だっていんじゃねぇか」
 弱者だけを守ることを強者を死滅させることと同義だと冷たくいってみれば、子供は不器用に笑った。
 それは……悲哀とか同情とか、そんな言葉を当てはめることの難しい、笑い方だった。
 「いっただろ……? 親は、食い殺されたよ」
 強者の生命を守ることは弱者を見殺すことでもあったのだと、伏せた睫毛が静かに告げる。
 全てを救えないからこそ、せめて救える命をその手に取ったと。告げる声は少しだけ震えているように聞こえた。もっともその睫毛に湿りはなかったが。
 「………………」
 それでもきっと、この愚かな子供は理解しているのだろう。いつか救ったはずの命を同じように見殺さなければいけない時がくることを。
 全てを救える手など、この世には存在しないのだ。食物連鎖が存在する限りそれは絶対の事実だ。
 だからこそ割り切ってしまえばいいというのに、いつまでたっても途絶える命に慣れない子供は、その度に悲しんでばかりだ。
 面白くなさそうに顔を顰めた子供は、相手の手に抱かれた子鹿を落とすようにその手を引き寄せた。唐突な動きについていけず、眠っていた子鹿は地に落ち、驚いたように立ち上がると逃げ出した。
 追いかけるかと思い掴む腕に力を込めたが、ただ子供は小さなその毛皮が見えなくなるまで見つめていた。
 そして、その腕を掴む子供は、ただ遠くに消え行く獣を見つめるその横顔を見つめていた。

 

 全てが自分と正反対の、自分と同じだけの力を持つ、馬鹿で愚かで……けれど目を離すこともできない、この子供を……………




 修業時代の話でした。
 アラパーは子供の頃の方が素直な感じに書けて気が楽です(笑) 大人になった後だと歪み過ぎだよ………

06.4.16