腕を伸ばせばそこにいる。
そんな事望めない事くらい知っていた。

壊したくて壊したくて壊したくて。

真直ぐなその目を貶めて傷つけて立ち上がれなくして。
……そうして自分のことだけ見ればいい。
泣き腫れた瞳で、嘆きだけを歌って。
か弱き愚者のように、救われる事を祈って縋ってみればいい。

甘く優しく溶かしてあげるから…………………





別離の束縛



  ふと見上げた空の先には一面の青と…それをたたえるような白い雲。
  眠りに戻りそうな意識の中、郷愁にも似た思いで腕を伸ばそうとする自分の意識に疑問も湧かない。
 さらり…と、金の髪がやわらかく風に舞いしなやかな腕がゆっくりと伸ばされる。それに気づいたかのように、間近から漏れた吐息。
 「……ん…」
 微かな………風の音よりもなお小さな音に蠢いていた腕は伸ばされる事を中途半端に止められる。空を見上げていた筈の紫闇はゆっくりと地上に戻り、己の隣へと注がれれば波打つ黒髪が頬を嬲る。
 ……………失念、というべきなのか。
 久し振りに会ったから、腕を伸ばしてみた。振払われると思っていたのにあっさり享受されて、抱き締めてみれば昼寝くらいなら付き合うと笑われて。
 どこか余裕を残すその顔が癪に触って、結局腕を離す事なくそのまま抱き締めて眠った。寝入ってしまえば……彼が自分を置いてどこかにいく事はないと知っていたから。
 馬鹿みたいなお人好しさ加減でこの腕の中に留まる。起きた時に誰もいない寂しさを知っている魂は、約束を違える事を望まずに多少の不利益さえ目を瞑って寄り添ってくれる。
 それは、誰にでも…なのだけれど…………………
 微かに噛み締めた歯の音が身の奥に響く。
 ずっと欲しかったものが、いま腕の中に鎮座している。
 一度は屠り確かに己のものにした。獲物の鮮血に塗れて崩れ落ちた肢体を見つめた記憶は新しい。その血はあたたかいと思っていた。舐め取れば甘く、動かなくなった身体はそれでも笑んでくれるのではと……思った。
 夢想も甚だしい。
 外気に触れた血液は凝固する。………鉄錆の味しか伝えるわけがない。心臓を貫かれた身体が…笑むわけがない。
 それでもそれを与えられたかったとでも本気で思っていたのか。幾度とない戦場でその身に浴びた赤がいくらでも知らしめていた現実の風景を忘れる事もない癖に。
 この魂だけは特別だとでも……思っていたのか。
 こうしてあの時も眠ったように横たわっていた。もしも全身を彩る血液がなかったならきっと誰も彼の鼓動が消えた事に気づかないほど、穏やかだった。
 どこかで信じていたのだろう自分の腕に貫かれ哀しみがないわけがないのに。……心優しいその魂が裏切りに傷つかないわけがないのに。
 全てを許すように閉ざされた瞼には一体なにが映っていたのか…………自分には知る由もない。
 見下ろしたいまだ幼い寝顔。同じだけの時間を生きながらもこの腕の人は無防備さが抜けきらない。
 それに、小さく笑う。
 子供と大人が逆転した生き方をしていると…いつだかに思った。
 自分が傍に寄り添っていた頃は、張り詰めた空気に肌が裂けるかと思った。眠るその時さえ解かれる事のない緊張。
 常に自分が見られている事を自覚した英雄の子供は、憔悴した顔を晒す事もなく毅然と立っていた。
 自分にさえそれを見せなくて、腹立たしくて幾度も幾度も泣けと脅迫じみた感情でせまったのに、不思議そうに見返す瞳のあどけなさに息を飲んだ。
 …………意識さえ、されていない感情。
 本人すら気づかないその歪みは、早熟というにはあまりに危うく子供を立ち上がらせた。責任と義務だけを覚えた瞳は他の一切を知らない至純のままに。
 危うい事を、知っていた。多分他の誰よりもそれに一番に気づいた。大人たちは精一杯の努力をしていると褒め讃えていたから。
 其れ故に笑む事も不器用になった哀れな供物。
 壊れ始めた歯車を自分は知っている。……壊してしまいたかった事も、覚えている。
 泣いて欲しかった。笑って欲しかった。感情をぶつけて欲しかった。自分のために生きる事を知らない哀れな命は、それでも必死にその腕を伸ばしてくれたから。
 引き寄せて、壊したかった。
 他の誰のことも考えられずに己を見つめるようにしたかった。………自分を刻み込んで、それ以外を思えなくしたかった。
 時折零される幼さを知っていたから、自分に与えて欲しかった。それでも声をかければ霧散するその幻に唇を噛んでも返されるのは戸惑った透明の瞳。………からっぽな、瞳だけ。
 「ずりぃ…よな………」
 そうして、なにもないその瞳に自分を埋めたくて伸ばし続けた腕は確かに抱き締められて……それでも自分とともには生きてくれない。
 優しく傍にいる癖に、屠られる事さえ恐れない癖に。
 ………それでも自分だけのものにはならない。
 腕の中で眠る癖に、時間がくれば他の人間の元に帰ってしまう。その全てを明け渡す事は出来ないと、確かにいってはいたけれど…………
 自分がそれで満足するわけがない事だって知っていて、その上での言葉だ。
 まるで破る事をこそ待っているかのように…………………
 一瞬わいた考えに、紫闇はどこか驚きに染められて見開かれる。
 狂っている自覚なんて、とうの昔に受け入れている。今更、狂っていない頃のことなんて思い出す事も出来ない。
 それはきっと関わる全ての人間が知っている事実。そして誰よりも感じ取っているのはいまこの腕で眠る…………………
 微かな寝息。しなやかな力を内包した肢体を彩る長い黒髪。回された男の腕を拒まずに、それでも縋らない潔癖さで存在するたった一人の人。
 ゆっくりと……アラシの無骨な指先が眠る頬を撫でる。愛しげなその仕草に微笑む唇から漏れるのは吐息。
 頬から頤に滑り、ゆっくりと喉元を覆えば長い睫が揺れる。瞬くような仕草を繰り返し、差し込む陽射しから守る覆い被さったその影に視線を向けて小さく笑んだ。
 「…………どうした………?」
 掠れた音を零し、それでも微笑む唇。
 苦しげに寄せられた眉を不思議そうに眺めれば、苦笑するかのように眠れる人は頬を撫でてくれた。
 その腕をゆっくりと辿って眺めてみる。
 何故、伸ばされた腕に寄り添う腕があるのだろうか…………?
 か細いとはいえないその首を、それでも雄々しい指先が捕らえているのは……何故?
 無意識の願望。……否。いつだって思う、それは祈りにも近い欲望。
 この世の全てからの隔絶。自分だけを見つめる瞳と意識。
 他のどんなものも介入出来ないそれが得られる瞬間がいつかを、この身体は知っている。
 屠るその瞬間だけは自分だけを思ってくれる。自分だけを見つめてくれる。…………そんな時しか、独占は出来ない。
 愛しむものの多過ぎる人は、たったひとつしか望まない人間の思いなんて、わからない。
 ………………それでもその寂寞と絶望だけは感じ取るというのか。
 遣る瀬無く噛み締めた唇のままに、ゆっくりと喉元を覆ったその指先は離れていく。
 「……殺されてェのかよ」
 掠れた声を、零す事なんてないと思っていた。それを恐れていない事も知っていたし、むしろ願われている事も知っていた。
 世界は平和になって、みんなは幸せを思い出して安穏に浸っている。
 ………だから、ずっと見向きもしなかった幼い魂を癒したくなった。逃げ続けて怯え続けて……真っ向から彼を見たのは多分、殺されたその時だけだったから。
 憎まれても仕方ないのに、時折優しいその腕に甘えてしまう。
 殺されたいとか、殺したいとか。そんな殺伐とした事を願う性格ではないし、願ってやる気もない。それでももし彼がそれを敢行したいというのなら…抵抗はしないだろうとも思うのだ。
 「初めに逃げたのは俺だからな。お前にどうこうは言えない」
 「……同情………?」
 声に含まれる苦笑に、金の髪が揺れる。面差しさえ溶かす逆光さえものともしない、低く昏(くら)い音。
 馬鹿な思い違いをしているらしいその髪に指を絡め、願うように引き寄せる。抵抗さえなく、崩れるように落ちた身体が自分を敷き伏せているのだから、苦笑も起きる。
  「同情に命かけてやるほど馬鹿でもお人好しでもないけどな」
 抱き寄せて、金の髪を優しく梳いてみれば身体の緊張がなくなる。幼い頃のままの仕草なのに、そんなものだけが彼を解放する事が少し切ない。
 ずっと、どれほど長い時間を彼は息を詰めて生きたのか。自由気ままを振る舞いながら、渦巻く感情の全てを押し込めて。
 それを植えたのは自分で…それでもその事を彼は責めもしない。馬鹿にしたような口調や無慈悲な笑みで、いくらでも自分を困らせるし苦しめる癖に……己に振り掛けた災厄で自分を責めた事だけはなかった。
  …………いっそ憎しみで屠られたなら、こんなにも切なくはなかったのに。
 「でも我が侭言っていいんなら…生きたい」
 死んでのち蘇る。そんな夢物語が確かにこの身には降り掛かったから。
 死ぬ前には考えられなかった事も、もしかしたらできるかもしれない。そんな風に夢想してしまう。
 このちっぽけな腕が、血に塗れて哭く男を抱きとめられるかもしれないなんて………たいした驕りだけれど。
 「生きてぇなら、俺に近付くな」
 知っている癖にと、間近な喉元を冷めた視線で見つめる。いまこの瞬間でさえ、牙を突き立てれば殺せる。わかっていて抱き寄せているとでもいうのかと嘲れば…………その腕の力が強まった。
 微かに……震えた音。
 恐れではなく、怯えでもない。
 そして……そのどちらでもある音。
 「一緒が……いいんだが…………」
 幼い頃には拒んでおいて今更、虫のいい話。それでも思う。……この手をとって欲しいと。
 優しかった金の髪を、狂わせたのが自分なら………その手綱はやっぱり自分のもの。
 他の誰にも譲りたくなんかない、から。
 喉に当たる呼気が痛い。………拒まれれば、このまま喰われるのか。赤く染まって……またあの日の悪夢を紫闇に映させてしまうのだろうか。
 緩やかに吐き出された祈りの吐息は、静かに詰められる。
 …………喉に立てられた、牙。屠られる予感の中、それでも静寂の支配する空間。
 噛み切られると思った瞬間に離れた唇は、静かに面をあげて自分が敷き伏せたその人の顔を覗き込んだ。………狂おしく、求める色とともに。
 「意味…わかってんのかねぇ………?」
 ゆっくりと拒むだけの時間を与えて近付く端正な顔。残酷な事ばかり囁く癖に、初めて触れる唇はひどくあたたかい。
 触れただけで離れたそれに返答を求められている事を知り、紅潮した頬を隠すように視線を逸らして………小さな音が紡がれる。
 「……………馬鹿にすんな…」
 微かに震えた腕が、それでも背中に回される。
 ゆったりと笑んだその面に魅入られた瞳は瞬く間もなく唇を奪われる。

 ……手放さない事を約される、儀式とさえ言えない補完の思い。






というわけで久し振りにまともなアラパーです!
なんつうか…傷つけあってそれでも立てている人はスゴイと思いますが歯痒いですねー。

傍にいたら殺したい。なんていうのはちょっと素晴らしい歪み具合ですね。
でもアラシの殺意ってどっちかというと「俺を見ろ」と泣いている感じがするので。
………だめだ、私アラシがどうしても子供みたいで可愛い………(オイ)
不器用で大切にする方法もわからなくて、だけどこちらを見て欲しくてつい乱暴を。
そんな子供。
…………まあちゃんと話して「キミのこと好きだよ」って伝えれば結構落ち着くんですけどね。必ず一回は自分から声をかけて見てるよって教えてあげたりね。
なんで今回のパーパはとにかく受容の人。………いつもだとか言わないで下さい。
どんな感情でも愛しいと思っている。一緒にいたいと思っている。………寂しい人に生半可な優しさは意味ないので。
でも結構厭世的な人ね…パーパ………。殺されても仕方ないかな、とかちょっとは思っている辺りが。
まあ一緒に生きたいと伝えられる限りは一緒にいられる事でしょう。きっと。

この作品はアラパー同盟宛てで!
………こんな作品でいいんですかね……はたして…………………