脆弱で価値もない。

この指1本で消滅させることのできる命。

だから自由にさせていた。
いつどんな時でも自分の意志のままにできるから。

ほんの少し力を込めたならその姿さえ保てない。
そんな囚われの身で、なにができるというのか。
…………酷薄に笑めば睨み付ける視線。

脆弱で価値もない。

それは確かなのに。
それでもそのとき身の内を駆けたなにかが忘れられない。
なにかを為せるならば成してみせればいい。

決してこの呪縛から逃れることなど出来はしないのだから……………





契りの果て



 目の前でのた打つように苦痛を味わっている身体を眺める。
 ………こうなることくらい、言っておいた筈だった。
 その身に魔王の目を植え付けられ、なおかつ安定期にすら達していない身で………魔層圏内にいれば力の暴走は当然のこと。
 それでも自分の思うがままにこの駒は走った。逃げる道とて残しておいてやったのに、自ら駆けた。
 何故かなど問うことすら愚かしい。ただただ己の子を思い走っていった。
 くだらない情というもの。この目には色褪せて映る脆いもの。…………認められたいが故に囁いた言葉を粉砕するためにあるもの。
 そんなもののためにいま苦しんでいる足下の存在の愚鈍な思考回路は理解できない。
 長いその髪を鷲掴み、引き寄せる。だらりと下げられた腕の端々が僅かな奇形を伺わせる。暴力的に髪を引き寄せられていながら、それに対しての苦痛など物ともしない痛みに身を浸らせている男は呻き声すらあげない。
 「……楽になりたいか?」
 楽しみさえ思わせるほど響く声は甘い。
 間近な黒い肌を一瞥し、掠れている画像を否定するようにシンタローは歯を噛み締める。
 ………こんな得体の知れないなにかに屈するつもりはないのだ。守るために生きると決めたその時から、破壊のために力を使いはしないと誓った。
 決して、思い通りになどしてやらない。
 そう憤慨さえ込めて睨んだ焦点すらあわない視線はまっすぐにバラクーダへと注がれる。それに薄らと笑み、引き寄せた面をより近付ける。
 「もう奇形が始まっているな。……時間の問題だろう………?」
 苦しみの果てに変化するか、いまその苦痛を手放して変化するか。大差などないそれをそれでも拒むのか。
 喉奥で笑い、バラクーダは揶揄するように盛り上がった腕の筋肉に指を滑らせる。………遺伝子レベルの変化は微かな刺激すらも激痛と化してシンタローを苛む。
 息を飲み、目を見開かせる。……考えてみるといままでこれほど長く間近で誰かの苦痛を観賞することはなかった。
 思った以上に愉悦を与えるそれに笑みが暗く残虐に変化する。
 「賭けを……するか?」
 思い付いた児戯。それはあまりにも甘美なものに思える、どこか狂った言葉。
 雑音にしか聞こえはしないだろう自分の声を、それでも相手が理解していることはわかっている。体中を微細な針で貫かれる以上に細かく深く痛みを感じていながら、それでも辺り一面に張り巡らされている男の神経。それに対しては少々感嘆しているのだ。
 だからこそ思い付いた。………どこまでこの存在が狂わずに生き長らえることができるか……………
 歪んだ視線の先には残像としてすら残っていないのだろう己の姿。
 生理的な涙を浮かべた暗闇と同じ色を讃えた生っ粋の瞳に舌を這わせれば、驚きに染められた。それは行為に対してではない驚き。
 画像を結ぶことなど到底出来なかった先程までが嘘のように景色がはっきりと見えた。
 眼前には、いま初めてまみえるいつもの声の主。………この身を狂わせた誰か。
 思ったよりも端正な顔に走った傷痕に顔を顰めてみれば、己を嫌悪していると受け止めたらしい相手が楽しげに笑った。
 そしてそのまま笑みを象った唇が近付く。逸らすことの出来ない視線のままに注がれた口吻け。
 息苦しいそれに意識を奪われそうになる。ただでさえ苦痛によって意識を保つことが困難だというのに、追い討ちをかける所行に苛立たしく唇に噛み付く。
 ………僅かに滲んだ赤さえも気に止めていないのか、痛みを覚えた素振りすら見せずに離れた唇は楽しげに語った。
 どこか澱んだ、寂しげな音。
 「随分元気になったな」
 「………気分は最悪だがな」
 呟いて、自分で驚く。
 …………痺れたような喉さえも通る。声を出すことなど出来なかった先程までが嘘のような変化。
 訝しげに眼前の人を睨めば、深まった愉悦の笑み。なんとはなしに、理解した答えに顔を顰めた。
 それにさえ気づいていながら近付いた面が囁きかける。…………肌に染み渡らせるように低く甘く。
 「気づいたようだな。俺の魔力を注げば、一時的には意識を保てるだろう?」
 「…………………だから?」
 わかっていて、それでも解答させる気であることはわかりきっていた。ぐだぐだとなにか言われるよりは、さっさと簡潔な言葉で条件を示された方がマシだと吐き捨てる音が告げる。
 逸らされた視線の中に走る羞恥。理解していないわけではないらしい反応に喉奥で笑う声は口をつく。睨むようなその目を向ける腕を動かすことすら出来ない相手を地に伏せさせる。……もっとも、掴んでいた髪を離すというたったそれだけで十分なことなのだけれど。
 どさりと重い音を立てて落ちた肢体に乗せられた表情が苦悶に歪んだ。衝撃に走った激痛は想像も出来ないものだろうことはわかっている。打ち振った首についていけなかった長い髪が乱雑に顔に張り付いた。
 優しささえ垣間見える指遣いで顔に張り付いた髪を梳いてみせれば奇妙なものを見る視線が注がれる。痛みなど物の数ではない嫌悪感。そしてなによりも己とは違う生き物を内包せざるを得ない過程で、それでも誰かを思い駆けた奇妙な生き物。
 己こそが異質であることを知らないそれは、不可解なものを見る視線を晒したまま覆い被さる男を見上げた。
 「お前が拒むまで、与えてやろう。………どこまで耐えられる? 可愛いお前の息子のために…………」
 たとえその身全てを捧げても一時意識を保てるその程度でしかない。ましてそれが自由を確約するものですらない。確かな言葉を何一つ与えはしない卑怯な賭けのルール。
 それでも身の上を滑る指先と唇を詰めた息だけで甘受する。…………甘受せざるを得ない。
 憎悪とか嫌悪とか……そういった感情など飽きるほどとっくに抱いた。
 それでも覚えている。
 自分の天敵に武器を与えるために思案した結果を、それでも覆す選択を与えた。………己の身が可愛ければ止めればいいと示した甘く恐ろしい指先。
 まるでそれを願っているような所作に眉を顰めた。その目は空恐ろしいほど冷たい癖に、どこか狂おしいほどなにかを求めている。
 …………知っている。たった一度だけ、垣間見た。それは今回の戦いの発端となった青年の憤り。
 父を憎み父を恨み。……そしてそれ以上に愛したが故に、歪んだ結末。
 自分にはそうした思いをぶつけやすいのか。まるで縋るように腕を伸ばされる。………打ちのめせばいいというように……………
 そうして絶望を覚えさせ、破滅へと導いて欲しいと願うような視線。狂うための最後の一押しをと、願われる。
 …………決して、そんなことしてやりはしないけれど。
 喰らいたいなら喰らえばいい。
 そんなものに屈するほどやわな命を携えてはいないのだから。…………ほんの一時であっても構わない。己の意志で動くことができればなにかが出来るだろうから。
 傷を植えるにはあまりに優しい指先が、恐れるように緩やかに肌を彷徨う。怯えているのがどちらかなど、明らか過ぎて問う気にもならない。
 ゆっくりと痛みが消える。…………吐息が狂いはじめるのと同時に。
 迫った選択肢はいつだって2つに1つ。
 己の身を犠牲に。あるいは、他者を見限れ。
 ……………そして迷うことなくその瞳は己を差し出す。
 しなやかな肌に顰められた蠱毒の蠢き。癒す術が同じ血を汲む自分の魔力であることはよく知っている。賭けの結果を知っていて強制する。どれほどの意味があるのかも考える気の起きない愚かな行為。
 それでも吐き出させてみたい。身勝手で傲慢な命乞いの声。
 …………そうしたなら、狂った自分を否定などせずにいられる。

 歪んだ視界の中には黒い肌。
 消えはしない残像とともに注がれる口吻け。
 罪を犯したことを悔いはしない。ただ……この上もなく悲しいだけ。

 もしも父がほんの少しでもこの命を灯していたならば。
 ………あるいは違う結果が導かれたのか。

 考えることさえ詮無き過去。

 閉じられた瞼の先には何も映されはしない。
 ………肌を染めるその髪と瞳と同じ闇色。







うーむ、バラクーダ×パーパ………
見事なくらいの1発ネタだね。続きを考えるのも大変な感じだよ。
というか……バラクーダとパーパの繋がりってヒーローを介してだからね………
どうしてもどんな感情を抱くか、という想定が難しいキャラです。

まあ最大の理由は多分私があまり好んでいなかったせいだろうけどね!(爆)

しかしバラクーダ……自分の罪と同じことクラーケンにさせたのか。
あの忠実っぷりは贖罪も込みだったのかね。