綺麗に伸ばされた背中。
たおやかというに相応しい腰肢。
………男を絡めとることのない高潔な視線故に、堕としたくなる。
嘲るように、侮蔑するように囁いてみれば、振り返った瞳。
ただ冷たく冴えた女の瞳。
それに写る感情は、おそらくは自分と同じ相手に向けられる。
飲み込んだ息。
………流れ落ちた汗。
喉が鳴る。喘ぐように。
それはおそらく、怯えという醜態。
塞いだ瞳の奥底に
ぼんやりと空を眺めていた。
呆れるほど高い空。ポッカリと浮かぶ雲すら手が届かない遠近感。寝転がった身には伸ばす腕すら躊躇われる。それでも求めるように伸ばされた細い指先は、その陽光に染められない白さで示された。
………手も届かない。
それはいつも思うこと。
実際、何故そこまでこだわるのかと自分でも思う。それでも、それ以外の相手を思うことも出来ない。
打ちのめされた背中を知っている。怯えて逃げたのは自分。何も出来ないのだと、ただ泣いただけの日。
立ち上がらせることも出来ず、目を覚まさせることも出来なかった。まして甘やかすこともできない自分の性情を悔やんでも今更だ。
過去は変わらず、それ故に現在も変化しない。変えられるのはこの先だけだと自分はちゃんと知っている。
それでもと思ってしまうのはきっと、いまだ諦めきれないともいえる惰性か。…………あるいは、断ち切れない悔やみ。
それはきっと、思い寄せる相手も同じであろうが、それでも意味合いはまるで違う。
くだらないと吐き出してしまえるほどにはいまの関係も気に入ってはいる。だからこそ、こうして笑っていられるのだ。………あの笑みを亡くしたかもしれないと絶望を知ったときに比べれば何一つ恐ろしくもない。
だから、か。
あの過去の日から……ずっと許せない存在がある。
それまで特に何も考えていなかった相手。いようがいまいが別に気にも止めない。その程度の、ただいるだけの子供。
それがたった一瞬で変化した。憎悪という醜い感情を自分に植えた金の髪。
自分を見ても認識も出来ない愛しい瞳を、きっとそれは知らない。壊したことをこそ、悦んでいる。
守りたかった。守れるなんて本気で信じはしていなかったけれど。それでも、思っていた。祈っていた。………願い続けていた。
自分の腕が彼を抱き締められるようにと。
それさえも破壊された。打ち砕かれた希望と、遣る瀬無さ。自分の存在のちっぽけさと何も出来ない歯痒さ。傷つけることを恐れて消えた項垂れた背。
涙すら………流れなかった。
それでも帰ってきた男の腕には自分が孕んだのと同じように子供が存在していた。………ショックだと、いうことすら烏滸がましい。
自分では出来なかったことを、どこの誰かも解らない相手が出来たのかと悔しくてぶつかってみても微笑まれた瞳の穏やかさに霧散した哀しみ。昔と変わらない……否、昔以上にやわらかく澄んだ視線に捕われることなどわかりきっていた。
開花された性情は喜ぶべきかもしれない。それでも、決してこんな過程を踏まなくてはいけない訳ではなかった。だから、いまもまだ許せない存在は確かに存在した。
…………だからこそ、近付いた影に顰められた眉はいつものこと。
視線すら険しく睨む視線に相手は楽しげに笑うのだから質が悪い。
「珍しいな、お前がこんな所にいるなんて」
「そっくりそのまま返すわ。なに人間界に堂々と来てんのよ」
自分に殴られるためかと揶揄するでもなく本気で囁いても視界におさめもしなかった相手の笑みが深まるだけであることは解っている。
………意固地なまでにアラシを軽くあしらえばあしらうだけ、どこまで抵抗出来るのかと楽しげに観察されていることもまた、知っている。もっとも、それでも一度として自分に手をあげたことがないのだからおもちゃにもなっていないのかもしれないが。
アマゾネスの思考を正確に把握しているらしいアラシはクツクツと喉奥で笑う。
どこまでも堕ちようとはしない女は、それなりに楽しい。ましてそれが自分と同じ相手に同じように思いを寄せているのであれば、それを追い落として奪取する快感は捨て難い。
自分も相手も互いにまける気などなく、まして譲る気など皆無だ。どこまでも刺々しい言葉と視線の応酬。心地いいまでの鋭さで晒される嫌悪と微かな羨望。………多分、本人に自覚はないのだろうけれど。
手に入れたいと、思っている。それは互いに共通だ。それを敢行出来る自分と、支えることを選んだ女。
立場は違えど思いは同じ。陥落させたのは、果たしてどちらか。はっきりと解っている答えに笑った唇は深まった。
……………力づくであったとしても決して拒めない魂を腕の中に閉じ込めた。それを、誰よりも見つめてきた女は確かに気づいている。もっとも、それを口にする訳もなく、責めることもない。
いっそ呆気無いほどの無反応。
つまらないと視線を向けてみれば………圧倒された怒気。
…………怒気というにはあまりに強いそれは、いっそ殺意であったとしても誰も疑いはしない。もっとも自分以外の誰にも気づかせなかったのだからこの女の存在は計りしれない。
「別に? ……誰に会いに来たかくらい、知ってんだろ?」
自分の目的など誰よりも熟知しているはずだ。そしてそれを阻みたいといつだって思っている。
………もっとも、阻まれたからといって諦めるほど潔くもないが。
嘲るように囁いた戯言に注がれるのは真性の瞳。自分にそれを向けることのできる人間など、この世にたった2人。
この手に落とした希有なる命と、それを加護するように寄り添っていた添え星だけ。
いっそ心地いい。ただ自分だけを認識する視線。………決して自分にすり寄ることのない命たち。
1つは哀しみを見限れなくて、伸ばした腕を甘受した。1つは………今も尚清々しいほどの嫌悪でもって斬りつけてくる。
愉悦を、知っているのだろうか。これを手にしたら他など確かに価値も見出せない。
アラシの言葉に真直ぐに向けられた視線。ゾッとするほど澄んだそれは空すらも吸い込む深さで感情を包み隠している。
微かな風が吹き掛け、金の髪を揺らした。それを追い掛けるように揺れたやわらかなウェーブを描いた黒髪はそれでも突き刺す視線を隠すことはなかった。
「それを確認して、なにが言いたいのかしら…………?」
ふんわりと笑んだ妖艶な女。
……………そのくせ伸ばす腕さえも躊躇わせるほどのいと高き視線。
高潔さなどせせら笑える身に、それでもそうだと思わせるほどの潔癖さ。
自分の追い掛け続けた背と同じものを追い掛け続け、自分とはまるで逆の道を選んだ女は、きっとあまりに男に似ていたのだろう。
それ故に、獲得したものもまるで逆だ。求めた答えと同等のモノが返ってくる訳はないと知っていながらも、この女に与えられたものもまた、自分は欲しかった。
だからか。
嘲るように囁きながら、どこかで与えられることを求めている。男からは得られることのないそれを、同じ魂を宿した女に願っているのか。
くだらないと互いに言える間柄で、それでも切り離せないのは其れ故か。
………もっとも、女にしてみれば迷惑な話以外のなにものでもないのだろうけれど。
「別に。お前の悔しがる顔が見たかっただけかねぇ?」
からかうような親しみを込めた声は、けれどやはり意地悪に染めあげられている。過去から聞き続けたそれに顰められた眉はどこか冷たい。
決して、甘やかしたりはしない。それはたった一人のために用意された御手。わかっている。それを伸ばされるべき存在を囲っているのは自分だ。
だからこそ女の視線に容赦など含まれる訳がない。
ゆったりと浮かんだ笑み。それもまた、独占欲か。
この世にたった二つ、決して堕ちることのない廉潔な命は、けれどもっとも穢れを孕んだ自分に確かに繋がっている。…………執着して、いる。
それがどんな感情故かなどたいした意味はない。
ただ、離れることも出来ない事実だけが重要な証。
浮かんだ笑みを睨む視線すら険しく、受け流せない濁流をどうにか押さえ込んでいる苦しげな眉に喉奥で笑う。
…………それでも視線に捕われる。逸らすことのない、真直ぐな瞳。恐れも怯えもなく、決定的なまでの実力の差すらそれを揺らがせることのない信念というに相応しい煌めき。
風に揺れる水面にも似た黒髪を眺めながら、身に走るは確かな歓び。
決してそれは堕ちることのない果実。
たわわにみのりながらももぎ取られることを潔しとしない孤高の実。
それはたった一人のために甘く実った果実。
安らがせるために、愛しむために。
………たった一人が気づかなければ、そのまま朽ちることすら嘆かない清艶さ。
この身にそれは注がれはしない。
けれどその実の芳匂は、確かに自分さえも包むのだ。
あらゆる感情を使って自分を責めるためだけに……………………
暗いな………まあ当然か、この2人じゃ!(オイ)
アマゾネスとアラシで〜す。というか、微妙にカップリングらしくありながら違うというか。
お互い同じ相手が好きで。相手のコト憎んで構わないはずなのに気になる。
感情としては限り無く執着に近いけど、嫌悪と侮蔑を孕んでいて自分でも何故かが解らない。
難しい微妙さです。いっそ綺麗に憎しみだけならあっさりしていてよかったのかもしれないけれど。
アラシはパーパに似た面に切り捨てきれないなにかを探しているし。
………まあアマゾネスはどんな感情を持っていたとしてもその全部を嫌悪と侮蔑というオブラートに包んでアラシに気づかせませんけどね!