眠らないで。
目を開けて。
そんな安らかな顔、見せないで。
朱に染まった情景。
溢れる赤とともに消え失せる肌の色。
そのコントラストの、背徳的な美しさ。
眠らないで。
目を開けて。
そんな安らかな顔、見せないで。
喉を切り裂き胸に腕を埋めて。
迸る赤に染まって朽ちたい願望。
穏やかすぎるその顔。
……………どうか、拒む視線で切り裂いて。
たゆたう生命(いのち)
ぼんやりと見上げた先には青い空。底抜けに深い海のような青は、けれどやはりどこか薄くも感じた。
生き返る……という奇跡を数度経験した身故か、妙にこういった当たり前の事に感慨深くなってしまう。年寄り臭いとしんみりした空気を嫌う幼なじみはそんな雰囲気を察する度に色々なところに連れ出してはくたくたになるまで返してくはくれないのだが。
別段……それほどひどい変化でもないと、思う。自分がこうしたものに心捕われるのは昔からだ。それが少しだけ強まっただけ。
それでも怖いのだと、その目は囁いていた。
自然に帰依するようにこの身すら風に溶かし空に還り消え失せる、そんな夢を見てしまうと。
あり得るわけもないとわかっていてもそんな幻想が消えないと泣く、幼く幼気な幼なじみ。
怯えている事を知っていたから、敢えて傍にいる事も、静かすぎる空間を嫌いあちらこちらに連れ出す事も拒みはしなかった。それは多少はこの身を疲れさせたり、目まぐるしさに頭痛を覚えさせる事はあったが、結局はその全ては美しい感情故の行動。厭う理由もなく受け入れる仕草が色濃い父性を帯びているのは確かだが、4歳の歳の差は少々そうした……決定的なまでの差異を生むのには十分過ぎた。
時折窘
たしな
める自分に悔しそうな仕草を返す事すらどこか幼く、遥か過去の日を思い出させるといったなら、きっと彼は顔を顰めるのだろうけれど。
遥か昔。ほんの少し前。………どちらとも言えないあやふやな景色の中で、ゆったりと瞼を落とす。
美しい青がゆったりとこのもに舞い降りる感覚に浸りながら………………
「………………」
別にどうと言う事もなく、それを探していたわけでもなかった。
むしろ……探したくなどなかった、と言うべきかもしれない。英雄たちが各地で彼を探しているここは知っていた。そして見つかった事も知っていたし、再び命を落とし……更なる奇跡で舞い戻った事もまた、知っている。
それら全てが絵空事ではなく確かな現実。赤く染まった大地すら忘れさせるように雄大な自然と同じように、冷たく固くなった四肢を忘れ果てたというように彼はぬくもりを灯し還ってきた、らしい。
まだこの目で見てはいない。見たくも、なかった。
さわさわと風が肌に触れては遠く…空の上へと舞い上がる。足下の芝生は思ったよりも長いのか、風とともに踊るように微かな音を晒しながら泳いでいた。
そんな中で横たわる人影。鬱陶しいと初め思い、どこかに捨てようかと考えた。そうして一歩近付き、足が止まる。
それは、見つけてはいけないモノだった。
見つかってはならないモノ、だった。
そうして……そのくせ何よりも自分の元に還ってこなくてはいけないモノでも………あった。
矛盾に矛盾を重ねた存在。どこか自分の中でねじ曲がってしまっている感覚の、根源。
それが決して悪いわけではない。解っていて、それでも全ての原因は確かにそれにあった。別段結果を拒む気もなければ厭ってもおらず、むしろ生きやすいのだから歓迎している。ただ……そこに付加されるべきモノを決して与えないからこそ、反発が生まれる事ももちろんあった。
足が竦むわけではない。
そんなことはありえない。
ただ地面が、風が、空が……拒んできた。
それ以上近付くなと警告するように、拒んで、きた。
まるで己の愛し子を抱きしめ、傷つける者を遠く離そうとするように、無防備に眠る人影を愛おしみ自分を拒んでいる。
そうして確信した足先は、そんな拒絶をものともしない傲慢さで進められる。
自然の報復如き、怖れるわけもなかった。そしてなにより、報復される謂われもなければ、されない自信も、あった。
愛し子に甘いそのモノたちが、愛し子が拒まない者を……まして心許す対象を、傷つける事などできないと、薄く笑う。嘲るかの如く。
近付く度に風が揺らめく。警鐘。同時に、懇願。
眠る命を侵すなと、願い乞う。
そんな弱々しい抵抗に殉じる謂われもない。止まる事なく極自然な仕草でその人の身体の上に己の影が覆うほどまで歩み寄った。風の音叉が悲鳴のようだ。
それらを流し、感覚を遮断してみれば目の前にはただその人が横たわっているだけになった。音はなく、動きもない。まるであの日の彼を見ているようだ。ただ赤く染まってはいないだけで。………なだらかなそのラインの上、何一つ凹凸はなくポッカリと空いた虚(うろ)のような穴すら消え失せただけで。
伸ばそうとした指先には微かな吐息すら触れはしない気が、する。それこそが正しいような、間違っているような不可解な感情。
膝を折り、彼の腹辺りにしゃがみ込んで芝生に絡まる長い黒髪に指を通す。さして抵抗もなく梳くことの出来る、手入れなどしてはいないだろうそれ。
ぱらぱらと指先からこぼれ落ちる黒を眺め、次いで、その顔を覗き込むように彼の顔の両端に腕をつく。
微かだが寝息が聞こえた。それに安堵ともつかないぬくもりが腹の底で灯り、不愉快げに顔を顰めた。彼が事切れ自分だけのモノになった事実を覆されたにもかかわらず、それに対して安堵するなど、気分のいいものではなかった。
「………オイ」
不愉快さをそのままのせた声で、呟く。けれどそれはほんの僅かではあったが、掠れていた。
起きる事を恐れているようですらあり、逆に起きる事を強制するようでも、あった。
頬を包む彼の髪に指を差し込み、その頬を包む。直に触れる事を躊躇ったのか、ぬくもりを感じる事を拒んだのかは解らなかった。
小さく頭を振って、彼は触れて来た指先から離れるように逆を向く。
そうして小さく震えた睫毛がゆったりと、開かれた。
その様を時間軸を狂わせたかのようにスローモーションで見つめていた視線に気づく事はなく、数度瞬きを繰り返してぼんやりと自分の顔にかかっている影を視線で追っていく。
おそらくは予想はしていたのだろう。瞳に映った対象を見ても驚きは微塵もなかった。
見上げた視線には拒絶もなく、ただ悠然と広がる青だけを見つめているような透明さがあった。
顔を顰め、少しだけ強くその髪を掴む。引き攣れるようなその感覚に視線は定まり、確かに男を映した。
そして微かな息を落とし、淡く……消えゆく雪に似た小ささで、笑った。
「久しぶりだな、アラシ」
ずっと……幼なじみの鳥に連れまわされる間ですら、彼は意図的に海人界は避けていた。おそらく再び彼と自分がまみえるのを好まなかったのだろう。
返答は返さないだろう事は解っていたので不粋に見つめるだけの男に向けた視線を再び瞼の底に落とし、微かな音で呟いた。
「まだ眠いんだ。悪いが、遊べないぞ」
幾度も生き返り、同じままなわけでもない。鍛錬を怠ったという点も含め、大分体力が落ちていた。連日連れまわす幼なじみにそれをいう事も出来ず、大分疲労が色濃くなっていた。もう少し、こうして自然の中で休めていないと動く気力が湧かないとぼんやりと呟けば忌々しげに歪んだ唇。
抵抗どころか、嫌悪の欠片すら浮かびはしない透明さ。
本当に……この目に自分が映っているのかすら怪しい。あるいは、映ったとしても残されているかすら、疑わしい。
触れていた髪から指先を離し直にその頬に触れる。微かに体温が高かった。眠りに落ちようとしているの明白で、それを引き延ばすようのにその額に口吻ける。
それでも動かない意志にむっと眉を顰め、額にかかる前髪を掻き上げ、その生え際にも唇を落とし、頬を寄せる。無視できないほどの間近さの中、落とされた瞼は開かれない。
のんびりと上げられた腕の緩慢な動きを眺めていれば、それはポンと男の肩を叩いた。
そしてあやすようにそれを数度続け、ゆったりとした伸びやかな音を捧げた。
「お前も……寝ておけ。目の下のそれ、くまだろう………?」
どこかからかう響きすら内包した柔らかき音色は子守唄のようにたゆたった。
図星を指され顔を顰めた事すら落とされた瞼の底で眠る瞳は看破しているのだろう。ゆったりとした笑みに視線を逸らし、つまらなそうに息を落とした。
なにも見ていないとか、残されていないとか、そんな事はあまりに小さい事過ぎてくだらなくさえ思える。この存在はもっと奥深いところのものをあっさりと見分け、腕を伸ばす術を持ってしまっている。
それ故に傷つき命絶える事すら厭わない。自己犠牲と言うべきなのかすら怪しい、そう生きる以外の道を覚えていない不器用さ。
そんなものに思い煩いなんになるのか。それならばもっとずっと単純な事を手にしてしまえばいいと、金糸に包まれた紫闇の瞳を隠し、男は唇を歪めるように笑った。………微かな自嘲を示すように。
この手に触れ、この肌で感じ、この耳に響く寝息を。
極当たり前に傍にいる事を当然に思う命が前にあるのなら、それにとことんつけ込んでいればいい。
……………また再び、その身を赤に染めるその日まで。
久しぶりにアラパーでした。
ちょっとセンチメンタル。
何故か私が書くとどんな話もそこはかとなく寂しさを内包しているような気がしてならない。まあ同時にそれを溶かす存在もいる、と言うのを書き込んでいるつもりですが。
パーパを前にしたアラシってどうも子供の癇癪を彷佛させて仕方ないようです。たま〜に大人らしいと思えばちょっと歪んだ人物像。
でも会いたいけど会いたくない、そんな感情の揺らめきを、それでも自分の胆力だけでねじ伏せようとする辺りは可愛いな、と思います。
唯一無二、がパーパで幸せか不幸せかは彼も知らない気はしますけどね。
どこまでも平等な人を唯一と定めるのは結構辛い事だから。