空を共に飛べる相手が欲しかった。
叔父が英雄で、その叔父に可愛がられている自分。
……自然と自分の後ろに叔父の影を見る周りの人間。
遊び相手さえ、いなかった。本当に楽しく遊べた相手がいないから。
寂しかった。悲しかった。
自分以外が原因で自分の望みは叶わない。
この背の翼は羽ばたく意味さえ忘れてしまった……
空に溶けて、なくなる翼など…なんの意味もない―――――。
空に溶ける
ぼんやりと、子供は空を見上げた。
雲のない空は一面の青。自分の背中にある翼と同じ色。
……けれどいつからだろうか。子供は空を飛ばなくなった。
飛ぶ事を拒むようになった。
それを憂える周りの大人たちから子供は泣きそうな顔で逃げてきた。
大きな杉の樹に寄りかかり、子供は飽きる事もなく空を見上げた。
不意に目から零れた涙さえ拭う事を忘れて………
どれほどそうしていただろうか。
なにもなかった空にいつの間にかいくつかの雲が現れた頃、子供は声を聞いた。
聞いた事のない声。……この辺りは子供の家の所有地だ。子供の知らない人間が入ってくるはずがない。
まだ幼い声は自分と大して年が変わらないように思える。
……興味を引かれ、子供は立ち上がった。
その背を押すように、追い風が子供に触れた…………
声をおっていけば、そこは開けた草原だった。そんな中一本だけその存在を主張する大きな椎木。
……大きくはない背が、必死になってその樹をよじ登っている。
猿のようにとまではいかないが、それでもその少年は上手によじ登っていった。
掴む枝も高い位置にしかない。そんな障害さえ関係ないのか、もう子供の位置から少年の姿は見えなかった。
呆気に取られてその生還を待っていれば、なにか鈍い音がした。
……頭を過るイヤな予感に、子供は椎木を見上げた。
樹の枝の折れる音。なにかが当たる音。……その振動に樹がざわめく。
あと少しでその音の原因が見える。子供は気を落ち着かせながら受け止められるか計算していた。
そんなに、体格のいい少年ではなかった。むしろまだ発展途上の細い身体。
遠くから見ただけなのでどこまでそれを信じていいか判らないが、子供はそうである事を祈る。
まだ幼い子供は屈強とは無縁だ。支える限界はすぐに臨界点に達する。
……一際大きな音と共に幼い肢体が樹から吐き出された。
「………………っ!」
激しい衝撃とともに子供の腕の中に少年が納まる。……もっとも、支え切れずに子供もろとも地面に崩れてしまったのだけれど。
下は土と草のクッションだったから、まだよかった。痛む身体にひどい傷はないと確認しながらまだ自分の上にのったままの少年に目を向ける。
脳震盪でも起こしているのか、まだ目をあけない。短く刈られた黒髪が肌に触れてくすぐったい。
……けれど、どれほど久し振りだろうか。こんなにも間近で他人を見るのは……。
まだその目を開けないで欲しい。なにも知らない閉じられた瞳が開かれた時に浮かぶ叔父への畏敬を見たくはなかった。
ゆっくりと震える睫毛。……祈るように起きるなと心で囁く。
それは叶いはしなかったけれど……
あげられた瞼から覗ける大きな瞳。あどけなさがまだ残っている黒曜石。
間怠(まだる)っこしいほどゆっくりと少年は上体を起こした。……そこで初めてその硝子の瞳に感情が灯る。
ペタペタと自分が乗っている地面と思っていたぬくもりに触れる。それが人の身体だとようやく理解し、少年の顔が見る見る青ざめた。
その様を見つめ、この少年もまた、怯えるのだろうと思った。自分が傷付いた時、人はまっ先に叔父の怒りを恐れる。そのあとなのだ。自分の傷の心配をするのは……。
目を閉じて、その様を見ないように子供は心掛けた。
……けれど、想像と全く違う声が耳に響く。
「おいお前、怪我は!?なんで避けねんだよ、あれだけ派手に音していただろ!?」
肩を掴んで顔を覗きこまれる。
それはただ自分を写す瞳。
他のなにも介入していない、純粋に子供を心配している声。
………視界が揺れた。
それが何故か判っていたけれど止められなかった。
子供は自分を見てくれる少年の胸に顔を埋める。
こぼれる雫が少年の服を濡らした。それを見て、少年は困ったように子供を抱き締める。
痛いと、いわない。……けれど傷付いている。
それが少年には見えたから。その傷が痛まないように優しく抱き締める。
子供の背にある青い翼に触れながら、不意に少年が囁いた。
「なあ……お前、もしかしてバードか?」
びくりと震える背がそれを肯定していた。
……大体のことは、この子供の叔父から聞いていた。
ここまで重症だとは思わなかったけれど。
けれどその傷は自分にも覚えのあるものだ。自分もまた、英雄の子供。周りの期待も視線も…時にはバード以上であったろう。
だから判った痛み。だから抱き締められる腕。
「………なんで……知ってる………………」
顔をあげる事も出来ないでいる、哀れな子供。
その後ろに見隠れする英雄の影に、身をゆだねてしまう事もできたのに。
……そうはせずに、立ち向かって傷付いた子供。その潔さに少年の口元が綻ぶ。
「俺はシンタロー。……知ってるだろ?」
英雄の子供として、自分もまた有名だ。
そして自分の父と子供の叔父は旧知の仲。どれほど厭ったとしてもこの名は耳に入るだろう。
驚いたように子供の顔が少年を見た。ようやくあげられた面に少年は笑いかける。
優しい、風のようにやわらかな微笑み。
それは何の打算もない、純粋な子供のための笑顔。
また零れる涙に溺れないように、バードはシンタローの腕を強く掴んだ。
「お前は……ッ自由人だろ!?なら羽で飛べば……!」
こんな危険な事はなかった。もしも自分がいなかったなら、この少年はどうなっていたのか。
……そう考えて、恐ろしさに身震いする。
せっかく見つけたのに。自分を認める瞳。何も含まない、子供に価値だけを知る目を。
失ったかもしれない。……それが怖くて子供は少年をなじった。
それを受け止めながら、不意に少年は真面目な顔をした。
「鳥人と違って人間は空を飛べない。……ただ自由人だけが守るためにそれを許された」
……囁きに幼さはなかった。
戒めるような、それは戦士の声。
子供は無意識に息を飲みこむ。引き込まれる。少年の意志に………
「だから俺は地を歩く事を忘れたくない。戦う時以外で、この羽は使いたくない」
まだ幼い少年。自分と4歳しか違わないと教えられた。
けれどこの差はなんなのだろうか……?
少年はもう自分の歩む道を知っていて、それに乗っ取って生きている。
……自分はただ拗ねていじけて…逃げていた。
「俺は人間だから、羽がなくても生きる事ができる。でも………」
囁きが、柔らかくなる。
ひたむきだった瞳に優しさが滲み、子供を包んだ。
大きくはない手の平が、子供の頭を撫でる。
「お前は違う。鳥人は飛ぶ事で道を知る。……空と同じ羽根なんて滅多にない」
だから子供が誰だか判った。
美しいその色は生まれたばかりの赤子の頃と変わりがなかったから。
この羽根を、少年はひどく気に入っていたから。
そんなシンタローの囁きにバードは唇を噛んでくぐもった声で呟く。
「…………こんな羽根、嫌いだ。空に溶けて飛べない…………」
零れる涙さえ誇り高い子供。
望むものを手に入れるために羽根を捧げる事を選んだ潔さは凄いと思う。
……けれどあまりに意固地で頑固だ。
その目を覗き込み、シンタローは輝きをのせた瞳で囁く。
「それ、スゲーことだろ?空に溶けたらお前は誰よりも早く飛べる。……空が、お前の羽根になる」
声は子供に届くか判らない。……それでも掴む腕の強さは確かだ。
子供が泣き終えたなら、空に行こうか。
………この蒼天を、子供とならただ飛んで生きるのも悪くはないと思えるから……
理恵様からリクエストを頂きましたバード×パーパです♪
まだ思いも自覚していない、出合い編のような感じですね。
……ってことはこれシリーズ化するのでしょうか?
大変なもの書いてしまった……
英雄の子供やその甥になると、やはり周りの目は違うのでしょうか。
そんなもの気にしないで生きられるかなーと思ってこんな感じにしました。
……実はこれ、タイガーバージョンもあるんですけど……(ドキドキ)
そうそう、シンタローが樹に登った理由は落ちてた雛を返すためです。
バードはその際シンタローが親鳥探してた声を聞いたんですね。