一緒に遊べた頃が懐かしい。
同じものを見て
同じものを感じて
君の深さにただ感嘆ばかりで
嘆きも苦しみも知らなかった頃。

何も見ていなかった自分を

それでも君は許してくれますか?

問いかけたなら、君は………………





青い視界



 空は鮮やかな青色。風は優しく吹きかけ、いたわりを思わせる。
 ホッと息を吐くようにして背の翼に力を込めた。もう少し、早く飛ぼうかと思って。
 風を切って雲を縫い飛び交う。昔、よくやったものだ。定めたコースをどちらが早く回りきって戻ってこられるか。スピードだけであれば彼に負けない自負があったからこそ幾度となくそれを繰り返していた。
 彼がそんなことでは怒らないことを知っていて、決して他のことではかなわないから、その勝負だけ得意げに繰り返した子供の頃。
 彼は雄大だった。あの頃から、決して自分には届かない場所に佇んでいる人だった。
 それは決して忌避される存在ではなく、受け入れられてしかるべき人だ。それでも彼は甘やかな腕を求めず己を高めるための道を探すことを知った、ひとりの男だった。
 その背は小さく、自分と大差なかったのに、それでも彼は大人と同じように見えていた。それはひとえにその特性故だったのだろう。
 「……………」
 そう思いいたり、微かに顔が曇る。風を切るスピードが僅かながら鈍った。
 ずっと憧れていた。自分にはできない選択ばかりを選ぶことのできる人を。
 笑うことが不器用だったり、生真面目で失敗したり、そんなまっすぐさが自分には眩しかった。
 だから身勝手にも思ってしまっていた。それが壊れることはない、と。
 そんなはずはないのだと。
 微かな吐息は重々しい溜め息となって吐き出される。
 これから赴く先にいる人は、きっと事も無げに笑っているだろう。深く、慈悲に満ちた様子で。
 それは傷付き過ぎるほどに傷付いた末の達観のようだった。痛みを乗り越えたものだけが知っている静寂だった。悲しみを糧にできた、証だった。
 遣る瀬無いと思うにはあの頃は若すぎた。
 ただ自分の願う姿に戻ってほしくて縋った愚かさを思い出せば胃が痛む。そんな無情な幼なじみを、それでも彼は今も見捨てず迎え入れてくれるのだけれど。
 空の上、彼の住処がのぞいてきた。洞窟のような岩肌のそこに居着いていまでもう…何年目か。幾度自分の家に一緒に住めといっても聞き入れないのだから頑固というしかないけれど。どうせお互い独り住まいだったのだから気にする必要もあるまいと自分は思うが、彼は育てている赤子がいる限り、他者に迷惑をかけるわけにはいかないと考えているらしかった。
 そんな潔癖なところはあまりに彼らしい。適当に手を抜いて、など考えもしないのだろう。
 自分の好むそれを手折るのも気が引けて、結局はほとんど毎日あれこれ理由を付けては通いつめているが、おそらくはそこまでする自分の思いに彼は気付いてはいないだろう。
 それはそれでまた、仕方のないことなのかもしれない。
 誰だって、親友と思っていた同性の幼なじみが別の感情を抱えるなど思いもしないだろう。
 またそれで、自分はかまわないと思っても、いる。
 気付いてと、そう叫ぶことは彼を傷つける。
 自分の思うままであって欲しいのだと、そう詰るように求め続けた過去を知っているから。
 彼が最も傷付いたであろう時期さえ、自分はあまりに気軽に物事をとらえていた。すぐに笑ってくれる、なんて………あのときの彼にとってどれほどの重みだったか考えるのも身が竦む。
 過去の己への苦々しさを噛み締めながら、青年は青いその背の羽根を広げ、下降する。緩やかな風とのワルツの後、音もなく地上についた足先。ゆっくりと踏み締めるように草の上を移動してみれば、わずかにあたたかな感触がしみる。大地の、温度。
 それを確かに感じながら歩を進める。もうすぐそこに、ここまで赴いた目的の相手がいた。
 今日は天気がいい。風も柔らかく、心地よかった。
 だからだろうか。視線の先にいる彼は、健やかな寝息をかすかに響かせて眠っている。…………その腕の中には幼児を抱えたまま。
 這いながらではあるが動き回ることのできるその子けれど眠る彼から離れるわけでもなくうとうとと目蓋を落としていた。
 それは優しい光景。
 あの痛ましかった日、こんなものを自分が見つめることができるなんて想像もしなかった。
 ………否。壊れていく音さえ自分は気付いていなかったのだから、それは当たり前のことかもしれない。
 彼が背負っていた痛みを軽く見ていた自分は、多少時間がかかろうとすぐに戻ってくると気楽に考えていた、から。
 足下に眠る彼は穏やかな顔だ。………静けさを愛しむことのできる、自然に溶ける人。
 「…シンタロー………」
 小さく名を呼ぶ。気付かないでと祈りながら。
 健やかな寝息に乱れはなく、起きはしなかったことにホッと息を吐いて青年は彼の隣に腰を下ろした。
 見下ろした彼は健康そうに日焼けした肌を惜し気もなくさらしている。日差しは相変わらず遠慮なく注いでいるのだから、起きた頃にはまたその色は濃くなっているかもしれない。
 その鮮やかな日光の色とは裏腹の、白い皮膚が目に入り、青年は怯えるように目をそらす。
 彼は強くて。あまりに雄大で一人立つことを知った男だったから。
 甘えることも逃げることもできず、まして死によって逃れるなどという愚かさは持ち合わせてはおらず。
 結果、何があっても生き延びる道を課した。……生々しい傷痕を己に切り刻むことで。
 視線だけで日焼けの肌の中、白く走るまだ馴染みきらない皮膚を見る。
 その傷の多さに息を飲む。決して致命傷とならず、後遺症も残さないように、それでも深く切り裂かれた、肉。卓越した戦士であるが故に彼はそうした機微を鮮やかに繰ることが出来たのだろう。事実、これだけの傷跡を抱えながら彼自身に不都合らしい動きは見当たらない。
 「………馬鹿、だよな」
 彼か、それとも自分かは解らないけれど。あるいはどちらもが、生きることが下手だと思う。
 へたくそすぎて気づかない。自分の足下に道はなく、いつの間にやら空を飛んでいることに。あるいは、交わっていたはずの道に気付かず通過してしまったり、する。
 大丈夫ではなかったことを己自身に隠して生きる彼と、大丈夫なはずだと信じ込みたかった自分。
 どっちがより愚かかなど、自分には決めることもできないけれど。
 あの頃よりも大分伸びた彼の髪を一房つまみ、梳く。さらりと落ちた黒髪には日差しが透けていた。
 こうしていま穏やかに彼を見つめることができ、彼は守る意味を知ってまた笑えるようになった。
 それを尊いと、そう思うことは逃げではないと思いたい。
 「本当に……馬鹿」
 そう思うことで、結局は許されたい。
 彼の傍にいてもいいと、彼に認められたい我が侭な子供のような感情。
 黒いその髪を梳き、詰めていた息を吐き出す。沈黙は渇きに似ていた。彼への、昔からずっと続いていた、渇き。
 縋ることはやめようと、そう思ったはずなのに。それでもこの腕はどうしようもないほど彼へとのびて、支えるため以上に、与えられたいと願っている愚かしさ。
 解っているから、告げることもできないままでいる想い。
 このさきもずっと……など、きっと不可能だろうけれど。それでもその瞬間までせめて傍にいたい。それは愚かな祈りと誠実な思いの挟間の感情。
 自分より僅かに長いその髪を梳く。頬に滑りかすかな影が落ちる。それをすくいとるようにまた触れれば、かすかにその睫毛が揺れる。
 呼気を静め、日差しが彼の目を痛めないようにと僅かに身をずらす。顔を覆うようにできた自分の影の中、睫毛は緩やかな弧を描くようにして開かれる。
 ぼんやりと見上げた眼差しは未だ夢現つ。覚醒しきっていない様子に小さく笑い、眠りを誘うかのようにその目に手をかざす。
 もう少し、このままで。僅かに痛む胃の奥の疼きを飲み込みながら、穏やかに眠るその寝顔をのぞいていたかった。自分の傍、安心できるという錯覚を僅かながらも受けたかった。
 手のひらに数度の瞬きを感じる。そうしてゆっくりと心得たかのように落とされた睫毛を感じ、かざした手を引き寄せた。
 日差しが再び彼を染めることはなかった。自分の作った影の中、彼は健やかな寝息をこぼしている。
 かすかな笑みさえ、浮かべて。
 泣き出したくなるような、衝動。…………それを押さえ込んで唇を噛む。
 自分が傍にいるから穏やかに眠れるわけではない。この世界が平和になったから、そうあれるのだ。
 言い聞かせながら、彼の顔をのぞく。規則正しい胸の上下運動。かすかに開かれた唇からの緩やかな呼気。
 痛むのは、過去の日の汚点故。
 そうだというのに、その唇は音をこぼすのだ。
 「…………………………」
 かすかな…夢の中の音のように、それでも確かに自分の名を。
 柔らかな笑みのまま、苦渋に満ちることもなく。柔らかく咲き誇るままの慈父の笑みはかすかな無邪気さをのぞかせ親しみを知らせてくれる。
 それが自分の思いへの答えというわけではないけれど。

 満ち足りゆく胸に、疼いた心。

 

 こぼれ落ちた水滴が彼の頬を穢さぬように、ゆっくりと離れる。
 かすかに差し込む日差しに、また、彼の睫毛が揺れた。
 開かれる瞳の先、求める答えが待つ予感に、目を瞑る。

 ………日差しのまろやかな甘みに、身が痺れる気が、した。







 リクでは暗めのシリアスでも二人が幸せ、ということでしたが。
 ………それはつまり普段どおりにシリアス書けばいいのかしら。私の中の基準ではシリアスであまり報われあっていないのはアラパーくらいなのですよ。あと激爆?

 一応虎が既に同居した後、ということでお考え下さい。
 そして鳥一方通行に見えて実は両思い。

05.3.3