………傷付いた身体を抱き締める事に、どれだけの意味があるのか。

たかが死にかけの犬を助けるために、その身に攻撃を受ける少年が判らない。
助けたとしても、その犬は確実に死ぬというのに。
……救うその理由さえ、自分には理解出来ない。
幼い背を……自分が傷つけた背を見ながら、苛立たしさに唇を噛んだ。





傷の理由



 帰りついた子供に、父親はなにも言わなかった。
 事の経緯を話せばどうしたって自分の事がばれる。心の奥で気まずげに少年の言葉を待っていれば、ただ二人は視線をあわせるだけだった。
 言葉もなく、少年は頷き、その背を返して自室へと向かった。
 「え……?おい、シンタロー!?」
 驚き、子供はその背に声をかける。
 追い掛けようとした子供の肩を、少年の父親が止めた。
 「……………?」
 苛立たしげに、子供は男を見上げる。
 子供には判らない。……確かに深手ではないかもしれない。
 それでも少年は馬鹿みたいな理由で自分の放った攻撃をその身を盾に受け止めたのだ。
 傷が軽いものだとは思えなかった。労る言葉さえ与えない男を、子供は憎しむように睨み、その手を払い除けた。
 それに苦笑し、男は子供に笑いかける。
 ……深い…人を引き付ける笑み。
 「……アラシ、申し訳ないが、あの子の傷の手当てを」
 棚の上に置かれた救急箱を子供に手渡し、心配した色を讃えた瞳が子供の強い視線に絡む。
 少年がいなくなったとたんに見せるその優しさに、子供は戸惑う。
 愛しいならば、その心のままに抱き締めればいいではないか。
 男はそれを許される立場だというのに………
 その疑問が分かったのか、男は寂しそうに苦笑する。
 「あやつは…シンタローはわしに頼る事を嫌う。目がなにも聞くなと囁けば、もうわしは掛ける言葉が見つからんのだ」
 その手の中で眠る事すら躊躇う、人にばかり気を遣う少年。
 もっと我が侭に、その心のままにぶつかれればよかった。……切ない目はそう呟いているけれど。
 それでも子供には男の言葉の意味が判らない。
 見つからない言葉など、子供は知らない。
 無言のまま箱を受け取り、振り向きもしないでアラシは男の元を去る。
  勝手知ったる人の家、と言うものだ。子供は少年の向かった自室がこの広い家のどこにあるかよく知っている。
 ……切な気な目は、その子供の背をいつまでも見送っていた。


  乱暴にドアを開ければ、目的の少年はベッドの上に座っていた。
 ぼろぼろのシャツさえ脱いでいない。それに気付いてアラシは舌打ちをした。
 ベッドの上に箱を投げ、ぼかりとシンタローの頭を殴りつける。
 「…………………」
 一体なにをするのかと幼い目が見上げる。
 殴られた箇所をさするでもないシンタローの態度を不審に思い、アラシはそのまま手を下ろさずにその背に触れてみる。
 「……………………!」
 羽が触れるほど軽く触れた指先に、戦(おのの)く肌を感じる。
 息をつめてそれをやり過ごしているシンタローにアラシの目は大きく見開いた。
 ………血が出ていないから、それほどひどい怪我ではないと思った。
 自分に肩を貸せといわないから。手当てを望まないから。
 けれど…………
 「なんだ、この傷…………」
 声には恐ろしいほど覇気がなかった。
 青ざめる自分の肌を感じた。
 「………大した事はない」
 なにかを噛み締めるようなシンタローの声。生真面目なその無表情な顔。
 ……失念していた。なにかを庇う時。痛みを押さえる時。少年はいつだって感情の全てを隠して強がっていた。
 肌に食い込む小石は、背骨に程近い位置だった。
 もう少しずれたのなら、きっと少年は一生立つ事は出来なくなていた。
 それでも与えたかったのか。あんな死にかけた犬に、暖かな腕を………!
 「……………」
 自分に寄り掛かろうとしない。
 自分に助けを求めない。
 ……自分を必要としない。
 唐突に判った。……男の憂いの意味。
 届かないのだ、この少年には。自分達のどれほどの言葉も感情も。
 その全てに笑って答えながらも……この手も存在も必要ではない。
 たった一人で立つ事のできる、少年は一人の戦士(おとこ)なのだ。
 深い絶望に視界が暗くなった。
 ……気付かなかった、少年の心。
 この手にはけして入り込む事のない愛しい魂。
 見上げる瞳には何も映らない。
 アラシは強く唇を噛み締める。
 「アラシ………?どうした?どこか痛いのか…………?」
 心配している瞳の翳りに、なお一層アラシの中で渦巻くものはひどくなる。
 未だ手当てを受けていない、重傷の少年。
 その身を思う前に、他者を気遣うのか。
 すう…と、自分の中でなにかが変革する。
 褪めていく心のままに、アラシはシンタローの肩を掴む。
 「……………っ」
 傷に程近い位置を掴まれ、シンタローの顔が一瞬歪む。それさえすぐに隠され、少年は子供の変わらない表情を見つめた。
 哭きそうだと、思った。
 ……傷付いた事は知っていた。自分があの犬を助けた理由を囁いた時から、子供の心はどこか痛んだままだった。
 大切な友の傷は、ひどくシンタローには判り易い。
 ゆっくりと子供に抱き締められ、少年はその背を見遣る。……震えている身体は、ひどく幼い。
 慰めるようにその背を抱き締めれば、突然襲いくる激痛。
 ……子供は少年の背に廻した腕で、その肌に食い込んだ小石を抉りとっていた。
 「………っ」
 息をつめ、少年はなんの前触れもないその治療を甘受しようと必死になって子供の背にしがみついた。
 子供の背に、微かに血が滲む。……少年の力に負けた皮膚が裂け、僅かな血が流れた事を子供は知った。
 それを気にするでもなく、子供は片手だけで器用に箱を開け、その中から薬草と包帯を取り出して少年の背に巻き付ける。
 手荒な治療に甘んじながら、少年は子供の背に縋ったまま力なく息を吐き出す。
 荒い息が子供の耳に触れる。……少年の肩ごしに見える、赤く彩られた自分の手。
 アラシはゆっくりとシンタローの肩に腕を戻し、その身体をベットの上に落とした。
 先程までの痛みを覚えさせるような扱いとは違い、今度のそれはひどく丁重だ。
 痛みを微かにすら感じないアラシの手に、シンタローは淡く笑いかける。
 自分を気にかける人間の痛みは、堪え難いのだ。
 ……父親とさえうまくやり取りが出来ない。そんな不器用な自分の傍にいる子供は、シンタローには愛しい。
 その目に映る自分が悲し気で、シンタローは労るようにその頬を包む。
 「……お前の方が痛いって顔、してるぞ…………?」
 眉を顰めた子供の顔を包みながら、シンタローはことさら優しく微笑む。悲しむものの心さえ温めようというように………
 それを見て取り、アラシの顔が奇妙に歪む。
 嘲るような、哭くような笑み。
 それを見つめ、少年はなにか自分が間違えた事を知る。
 強くシンタローの肩を掴み、アラシは慟哭するような声で囁く。
 「俺は痛くねぇ……。お前がどんなに傷ついたって、痛くなんてねぇんだ……!」
 まるでそうなるように自身に呪いをかけるような子供の声。
 かけようとした言葉は、子供の荒々しい口に塞がれて形となる前に消える。
 ……激しい、子供のその名のままに全てを奪う口吻けは少年の心の奥深くに刻み込まれる。
 深いそれがなんといわれるものなのか、幼い少年は知らない。
 訳も判らぬまま自身の唇を子供の幼い唇に塞がれ、息も出来ない。
 なにを求めているのかわからない子供の貪欲な要求を、少年は目を閉じてただ受け止めた。
 ――――まるで捧げられた供物(くもつ)のようだ。
 閉じられたシンタローの瞼に、アラシは恭しく口吻ける。
 その優しい触れ方に、シンタローの目は開かれる。
 大きな少年の深淵の瞳に映るのは、泣き出しそうな子供の顔。
 ……否。その顔だけを見るのならば無表情という方が正しい。
 けれど少年の目には確かに見えたのだ。何もかもに絶望するかのような、幼い子供の泣き顔が。
 再び唇を寄せる子供に、その目を閉じて少年は受け入れる。
 子供は自分に対して確かに不安をもっている。
 それがなんなのか少年には判らない。
 ……何故だろうか。自分は愛すものを、何故守れないのだろう。
 その心さえ、守りたいのに。
 父親も、この子供も、大切なのに……。
 自分の事で思い煩ってなど欲しくない。その負担となりたくない。……それでも自分はあまりに不器用で、この思いの半分すら二人に返せない。
 寂しさに流れる涙を、子供はその唇で掬いとる。
 その涙を嚥下(えんか)しながら、子供はその魂に誓う。
 けして自分はシンタローが傷ついても苦しまない。
 ……なにも写さない瞳に愛されるより、自分を睨む目に憎まれたい。
 その傷を抉り続ける。そうしたなら、この魂に自分は刻み込まれるだろう。
 愛している。誰よりも。
 だからこの存在を視て欲しい。
 深く口吻ける度に蠢く、この背にある少年の腕。
 流れる涙に疼くこの心さえ埋めろと、子供は少年を抱き締めた。

 ――――深い憎しみの目で自分を見ろ。
  なにも写さない目に、ただ自分一人を写せ。
 ……深い慟哭の中、魂はただその存在を求める。
 切り刻むその心にアラシは哭きかける。
 この存在を知れと……――――――








キリリク1200、アラシ×パーパにござ〜い!
……なんかパーパって子供の頃の方が無表情ですよね?ね?
どうしたら今より幼く見えるか悩みました……
でも思ったより書き易かったです♪
アラシはなにか理由があってあの苛めっ子になった気がします。
まだ子供の内に深く誰かを愛したら、それに答えない相手に見てもらいたくて…自分を刻む方法を考えるかな〜と。
優しくしてあげた方が絶対イイと思うのですけどね!

しかし、これでは『泊まりに来た』というコンセプトクリアーしてないかしら……?
でもこのまま泣きつかれて二人とも勝手に寝ちゃいますけどね。
……同じベットで(笑)

多分二人はこの事件の前はそれなりに仲よかったと思います。
これを期に少し、ギクシャクして今の状態になっていってしまうかな〜と。
なんかちょっとアラシが可哀想かも……

この作品はキリリクを下さった霧夜様に捧げます♪