その人はいつも傍にいた。
 家が近くだったからか。
 同じ歳になる子供がいたからか。
 理由など何でも良かった。
 ……傍にいて、これほど安らげる人はいないと…思ったのだ。

 赤ん坊を不馴れな手付きで抱く男を見て、お節介と知りながらも声をかけたのは自分だった。
 あんまりにも情けない顔で、あんまりにも不器用な手が笑いを誘ったのも確かだ。
 知ったか顔の自分に気分を害すでもなく、その人は優しく笑った。
 ……それは大らかで懐の深い、空のような笑顔だった。
 その人が森の王者といわれるようになっても、この関係はかわらない。
 どこか遠慮するように気遣う様は見ていて滑稽な程だ。
 少し見上げるように自分を見るのが癖なのか、どこかしら幼さが漂っていてついつい意地悪をしたくなってしまう。
 それに気付いていないらしく、その態度が改善されたことはない。
 浮かぶ苦笑に、その男はきっと気付かない。

 ……それでも良かった。
 何でも良かった。
 ちっぽけだった自分の世界。
 この体に宿った魂を見ることなく逝った夫を思うだけだった日々。
 どれだけ、自分の子を悲しませていただろうか。
 大切なものがなんであるのか、思い出させてくれた人。
 その人と歩む日をただ望むだけで、幸せだったのだ。
 けれど………

 聞いてしまった、二人の話。
 聞く気などなかったのに立ち去れなかった。
 ……きっとどこかで自惚れていた。相手もまた自分とともに歩む気があると。
 彼の瞳に映るのは優しさだけだったというのに………
 どこか遠慮したような……その気配の意味を考えようともしなかった。
 やんわりと抱き締める気配は万人に向けられるものと同じ。
 それを知ろうともしなかった。
 だから……深く傷ついた。

 「なあお前………」
 巨大な鳥だった青年が、言いづらそうに言葉を切る。
 どこかはぐらかした方がいいか悩む声音だ。
 それを受け止めて、男は不思議そうに聞き返す。
 苦笑を浮かべた顔はどこか子供をたしなめる感があるけれど、それを消してしまうほど男の笑みは幼く無防備だ。どれほどその青年を信用しているかよく判るほどに………
 「なんだよさっきから。何度目だ、それ」
 「う……。いや、あのさ……」
 呆れたような相手の声に覚悟を決めたのか、美麗な青年はずっと言いたかったことを口にした。
 隠れた女は耳を澄ます。青年が自分と彼の仲を勘ぐっていることは知っていた。
 だから……それは多分、自分が聞きたかったこと。この口で囁けない……彼からいわれることをただ待っている言葉………
 「お前、もしかしてアマゾネスと一緒になるのか?」
 低く顰められた声は静かな音を紡ぐ。青年はいまだ女手を持たない男を心配していて……けれどなかなか一緒にはならない二人に親心のようなものがあった。
 一大決心の言葉にかえってきたのは、驚きの声だった。
 素頓狂な声に青年は耳を疑った。
 「は…はあぁ〜〜??なんでそうなるんだ?」
 「なんでって……お前らこのところよく一緒だし、森でも噂だぜ?」
 「暇人どもめ。全く、あいつが聞いたら気分を悪くするぞ」
 ジッと男を見る青年の目に、女への哀れみが滲む。
 ………ここまで鈍い男というのも珍しい。
 相手の好意に気付かないことも一種の罪と思える程だ。
 それとも……彼は知っていてそれでも気付かない振りをしているのだろうか…………
 自分が彼女に手を伸ばすことがないから……………
 そんな青年の思いを知ることのない男はただ穏やかに笑って囁く。
 「あいつは、俺がヒーローをどう扱っていいかわからなかった時…一番親身になってくれたからな」
 口元の笑みは優し気で、この上もなく暖かい。
 ……それはあるいは家族に対する無償のものと同じかも知れない程に。
 男の声音に痛む胸。……女は強く唇を噛んだ。
  知らなかったわけじゃない。気づける瞬間は数多くあったはずだ。
 それでも気付きたくなかった。共に……同じ時間を過ごし時を重ねればと…どこかで思っていたのかもしれない。
 そんな……女々しい考え付き従うような男でも……自分でもないことさえ忘れるほど幼い思いに捕われていた。
 それがこの上もなく悔しく……恥ずかしい。なにも見ていなかったのは男か自分か…………
 そんな女の考えを消し去るようにやわらかな低い声が降り掛かる。
 「女とか、そういうのじゃないな。あいつはもう、俺にとってそういうのを越えてる」
 「………そりゃのろけか?」
 呆れたような青年の声に、男は子供のような目を向けて笑った。
 青い空の写る、澄んだその瞳が女は好きだった。
 それさえ今は切ない。
 「……違うさ。あいつにはあいつの思うものがいるだろう。……俺は、ヒーローだけで手一杯な不器用な男だしな」
 「なんだ、ヒーローに母親に操立ててるのか?」
 それはもしかしたら、女に言い聞かせていたのかもしれない。
 隠れている女に気付き、二人でそう演じたのかも……しれない。
 けれどそんなことに意味はない。
 ただ意味あることは、この男はけして自分の手には入らないという事実だけ。
 流れる涙に霞む瞳に、男の綺麗な笑みが写る。
 塞ぐことのできない耳に染み込む、男の太い声。
 ……愛しく思っていたその声…………
 「………違うよ……」
 その言葉が本当かどうか分かることはない。
 けれど女は生まれて初めて見たこともない女への嫉妬を覚えた。
 この男の心を奪ったまま消えた、名すら明かされることのない女。
 それでもこの男にとって、その女が永遠なのだ。

 流れた涙とともに自分は決めた。
 都合のいい女にだけはならないと。
 とことん、その心の中に分け入って、他のどんな女とも違うと思わせる。
 それがせめてもの男への報復。
 ……そして、せめてもの思いの打ち明けなのだ……――――――。






なんともまた際物を。
なんとなーく、アマゾネスも心の奥では気に入ってるんじゃないかな
そんなこと考えてたら出来上がりました。
こんなこと考えてるの、私だけじゃないかな……
でもなかなか面白かった!!