追いつきたくて…必死で腕を伸ばした。
振り返ったその人の横にはいつだって凍る視線で自分を射すくめる影が佇んでいたけれど。
その腕に抱き締められるのが嬉しかった。
幼い笑みを自分には向けてくれることが嬉しかった。
子供だと馬鹿にしないで真摯に相手をしてくれることが嬉しかった。
ただ………嬉しかった………………
やっと世界に平和が戻ってきた。
犠牲となった男がその息子に手を引かれていつも通りの笑みをたたえて戻ってきたから。
ぼやける視界を拭って、青年は男に笑いかける。
それに気付き、男はにこりと幼い笑顔を浮かべた。
「………俺のいない間、ヒーロー達が世話になったらしいな。ありがとう、バード」
涙をたたえ、瞬いたなら落ちるだろう青年の顔を引き寄せ、男は自分の肩に顔を埋めさせる。
その体温が判るようにノ強く抱き着く青年に苦笑して、震える背を撫でる。
やっと帰ってこれた。
………いまそれをようやく実感できたと囁きながら……………
どこまでも青い空にポッカリと浮かんだ雲が悠々と泳いでいる。
その様を見上げていた、男は不意に視界を遮られる。
目を覆う大きな手の平の持ち主を知っているから慌てもしない。
「………どうかしたか、バード」
隣に座っていたはずの青年に囁けば、ゆっくりとその指は離れていく。
横になったままの男を憮然とした顔で見つめ、青年は男の首元に指を向ける。
その意図が判らなくて不思議そうな顔をすれば、青年は唇を引き結んだ。
「………バード?」
もう一度確認するように囁けば青年の顔が落ちてきて滅多に着ていない男の上着をはだけさせる。
………そしてその鬱血の痕を辿るように唇を滑らせた。
その仕種はどこか幼い。自分の気にいっていたものに気付かないうちに傷をつけられた怒りに近い。
そこ以外には痕のないことにほっと息を吐き、やっぱり手放さなければよかったと小さく呟く。
「無理いうなよ?」
軽い笑いを含んで男が囁くと、青年は眉を顰めて男に甘えるようにその胸に顔を埋めた。
………昨日、用があるのだと呼び出されて男は海人界にいった。誰が呼び寄せたかなど想像しなくたって決まりきっている。
その冷たい笑みを思い出し、青年は忌々しげに歯を噛み締めて低く呟く。
「シンタローは知らねぇわけじゃねえだろ。アラシがどういう奴か………」
その身を一度は殺されてノノそれでも変わらない2人の間にある見えない絆。
あまりにも複雑すぎる彼の心情はバードには理解出来ない。ただ判るのはノ彼が望んでいるのは男を貶め壊しノ二度と這い上がれないように深くその腕の中に取り込むこと。
自分とは対極にある願いを隠しもせずに男にぶつけ、せせら笑う。
破壊することを好むものを、自分もこの男も好むことはないのに。
………それでも男はなぜか彼だけは認め傍にあっても厭いはしない。
イヤなのだ。彼が男の傍に存在することが。
周到に情報を集め、アラシがシンタローに近付けないよう画策しても……結局はシンタロー自身が呆れたような顔をして招き入れてしまうのだ。
その度に勝ち誇った顔で自分を見る……彼の目。
青年の存在自体が邪魔なのだと囁く冷たさを含んだそれを知れば、やっと男は顔を潜めて彼を追い出してくれるけれど。
そんな一時しのぎでなくて、もう二度と近付けないで欲しいのだ。
噛み締めるような青年の囁きに男は小さく笑う。
判ってはいるのだ。この青年が自分を思う故に彼を好まないことも、自分を心配してくれることも。
それでも、アラシの歪みは自分から発生した。その負い目がこの身体を蝕んでいる。
………もっとも、それだけを理由にするには自分が彼に甘いことを知っているけれど。
誰も知らないから………………。
だから仕方ないのだ。
もう彼は自分以外に伸ばす腕を持っていない。………一度は殺すことで手に入れたと思っていた自分が、生きて誰かの傍にいることに苦しんでいる。
それを黙認出来るほど甘くはなくて、その視線に殺意を含ませれば傍にいることも許しはしないけれど。
それでも縋るように情けない震えた指先を知ってしまえば………拒めなくなる。
だから、青年の願いをいつも自分は有耶無耶に流してしまうのだ。
………………残酷だと判ってはいるけれど。
「知ってるさ。………でもお前は知らないこともある」
寂しげな瞬きを感じ、男は胸にのる青年の頭をゆるく抱き締める。
自分の背を一心に追い掛けてくれた子供。………その傍らに立ちたいのだと、恥も外聞もなく真直ぐにいってくれた。自分だけが生涯のただ一人の親友だと……優しい笑みで囁いてくれた。
それに疼く心はある。けれど、ダメなのだ。
あまりに幼い頃から追い掛けてきた子供を、自分は抱きとめてばかりいた。
思いの方向性は、それ故に歪んだのかもしれないから。
………怖いのだ。この子供まで彼のように壊してしまいそうで。
自分に寄せられる思いに少し臆病になっている。
小さく吐き出された青年の吐息を切なく受け止め、蠢く指先に憂いた瞳を閉じた。
どうしたなら、救えるのか判らない。
なぜこんなにも無力な自分を思うものがいるのだろうと自嘲を熱い吐息とともに吐き出す。
瞑られた瞳の先には歪んだ2人の残像が瞬いた……………
軽く息を吐き出し、男は着ることの多くなった上着を羽織る。
それを着ている意味を問われれば沈黙しか返せないけれど、馬鹿なことをしているとは思うのだ。
何故………と。誰か他人が問いかけたなら自分はなんと答えるのだろうか。
空は紺色に染まり、瞬く星から孤立した三日月が静かに地上を見下ろしている。
その微かな光を浴び、男は水浴びのできる泉までやっと辿り着く。
………身体にかかる負担を思い出し、少し紅潮する頬を隠すように冷たい水を顔にかけた。
臆面もなく求める視線を躱せなくて、この身体を抱く青年を拒めなくなった。滅多にそれを求めてこないことだけが救いだけれど、結局は彼に浅はかな希望を与えるだけだと皮肉げに男は笑う。
湖面に映る月。
それに腕を伸ばし掬いとったとしても………月は再び泡沫の中に没してしまう。
……………それと同じだと……誰も気付かない。
この心に触れないで欲しい。2人の深い感情に耐えられるほど……自分は大らかではない。
そんな勘違いをしないで欲しい………
視野の狭まった2人には残酷な言葉だと知っているから、囁きはしないけれど。
ぴちゃり………と。水に身体を浸せば玲瓏な感覚が蘇る。
彼ら2人の思いに気付く前の自分。なにも知らず、ただ無知であることをひけらかしていた自分。
そんな切ない物思いを知られたくなくて、抑圧する。………誰にも気付かせないのは自分のプライド。
冷えた身体と思考にほっと息を吐き、男は岸へと歩く。
そこの佇む影を見つけ、男は顔を顰めた。………薄い月明かりの下、金の髪が微かに光る。
気配を殺してそこに立っていた男に、ぶっきらぼうな声が降り掛かる。
「………男の水浴びなんか見て楽しいか、アラシ?」
男の声を聞き、微かに笑う気配がする。………イヤな予感が涌くそれに身震いするのを耐え、男はすぐに服を身につけた。
上着の袖に腕を通す瞬間、その腕は強く引っ張られた。
間近になったアラシの気配にシンタローは居心地悪そうに身体を捻る。そんな小さな抵抗を簡単に封じ、アラシはまだ身につけていない上着の下の肌の数カ所に指を滑らせる。
その意味を知っているから、男は気付かれないように息を吐く。
微かな明かりの下、数カ所の鬱血。自分がつけたものではないことは明白で、アラシの顔の笑みが深まる。
「シンちゃんってば、まーたあのガキに抱かれたのか」
からかう声の中に潜む余裕のなさを、気づけてしまう。………気付かれていることに気付かないアラシにそれを囁くことは躊躇われ、シンタローはただ小さく頷く。
アラシは引き寄せた身体を抱く腕に力をこめる。瞬間瞳に宿る殺気に怯えることもない。
初めは自分の愚かさにむけられていると思い甘受した。戦うことでしか触れ合えないことを嘆いていたから、この命を賭けて戦った。
けれどそれは少し違うことを知った。………殺気は正確には自分を通り越している。
その後ろに見える誰かへの殺意。強いその感情は対象を求めて爆発したがっている。………それでもかなり彼は落ち着いたのだ。
昔は目に止まる全てを破壊しなくては収まらない、そんな病的なものだったのだから。
バードを殺さずにいられる。それだけでも十分だと思わなくてはいけない。
顔から表情を消し、内で自分と戦っている男を見つめ、シンタローは間近な顔に触れる。
ただぬくもりを欲しがって自分の傍らにいた子供。
………気づけなくて、随分と長い間待たせてしまった。
前しか見つめていなかった残酷な自分。振り返る時、幼い子供しか見ていなかった愚かな自分。
ただ隣にひっそりと、自分だけを見つめて立ち尽くす少年に気付かなかった。
「……悪い………」
どちらにもあまりに自分は多大な影響を与えてしまって。………どちらにも応えられない。
それでも与えられるものはあるのだと2人は縋るから。
残酷なことを……している。
許されることを乞う気はないけれど、それでもこの男を傷つけるのは自分ただ一人で。
それが……苦しい。締め付けられる胸を溶かすように熱い口吻けを与えられても、消えはしない。
しんなりと力の抜けた身体に指を滑らせて、傷を負ってもなおこの腕を拒まない男を見つめる。
自分やあの鳥の思いほど厄介なものはない。求めるだけ求めても、何一つその対象に安らぎを与えられないのだから。
その全てを理解して、それでも笑う男の滑稽さを紛らわすように強く喉に噛み付く。
………微かに滲んだ赤を舐めとって、溢れそうな涙を男は飲み込んだ。
この腕に搦めて、この視線に溺れさせて。
……………高みにある者を貶める。
その羽根をもぎ、四肢を縫い付けて。
………………逃れられない苦痛と快楽を与える。
いっそ壊れてしまえば手に入るのに。
……壊れることがないから、惹かれる。
厄介な者に見初められたなと、金の髪は小さく囁いた………………
キリリク7500HIT、アラシ&バード?パーパですv
なんか素敵に暗い話になってしまいました…………
なんかこの2人でパーパ取り合うと……とっても哀しいことになることが判りました。
どちらも昔からの知り合いで…どっちもパーパのことしか見てなくて。
その片方を選べって……無理です。我が家のパーパには。
この小説はキリリクを下さったれいこ様へ捧げます!
すみません。素晴らしくれいこ様の望むものと掛け離れている気がします………。