子供のようなその視線に息を飲む。
あれほどに傷つけたのに。それでもその視線は穢れを孕まない。
震えもしない。
嘆きもしない。
…………男はもう、自らの道への答えを見つけていた。
なにも知らない無垢な視線。
悼むことで歪みこの腕に落ちてくると思っていた。
けれどいつだってこの男は立ち上がる。
自分の前に立ち塞がる。
だからこそ……その羽根をもぎ取ってどこにも逃れることのないように
地に縫い付けて閉じ込めたい。
自分を追い掛ける視線に気づかないほど鈍感ではなかった。
……それでも応えることが出来ないと思うから…知らない振りをする。
男から離れる素振りを見せたなら……その腕は残酷に世界を破壊する。
知っている。……赤に染まったこの男の狂気は自分から生まれた。
それでも……だからといって許せることではなかった。
哭くように笑って、男は赤い指先でその未来を指し示す。
暗き門に眉を潜めれば、その指は静かにこの胸に沈み……心臓を抉りとる。
…………動かない自分を見て無表情に泣く男が哀れで……
初めてそれは芽生えた。
動き始めたのは……どれほどの時を経てなのか
もう互いに覚えてなどいないけれど………
幽囚願望
湿地の多い風景の中、悠然と聳(そび)える岩場。
こじんまりとしたそこに横になり、男は流れる雲を見つめた。
地上には風はないが、上空ではかなりの風速なのか、瞬くうちに形を変えては流れていく白。
それを視界に入れながら、つまらなそうに息を吐くと瞼を落とした。
空に……いい記憶はない。
いつだって連想してしまうものがいるから……楽しくもない。
それに執着している自覚があるからこそ、なおいっそう際立ってこの胸を焦がし苛立たせる。
小さく舌打ちをし、男は上体を起こした。
軽く息を吐き苛立つ自分を誤魔化してみるが……無駄に近い。視線に険しさが宿る。
………いま、もし誰かが男に声をかけたなら、どんな理由も関係なくその首は地に落ちるだろう。
そんな剣呑な気配に気付いたのか、風が凍り付いた。
物音さえしない空間にたった一人男は蹲る。
その背に突然吹き掛ける……風。
上空より飛来したその気配に一瞬息を飲む。
考えていなかった。……それが現れることを。
ざわめく胸を押し殺し、男は固まったままの身体をぎこちなく揺らす。
それを見つめ……風は苦笑して男の名を囁いた………
「アラシ……? なんだ、随分驚いてんな」
何も含まない声は…優しく穏やかだった。
憎悪も嫌悪も……それは抱えてはいない。
ただ目の前にいる自分を認めている声。
…………その身にはもう残っていなくとも……抉り出した心臓を自分は覚えているのに。
決して後悔はしないけれど。それでも……消えることのない赤が
この目には焼き付いている。
声に振り返ろうとした身体は……けれど凍ったまま溶けはしなかった。
返そうとした軽口は……空気に溶けたまま音を形成しなかった。
それがどれだけ不審に映るかを……誰よりも一番自分が知っている。
早く振り返り、いつものように口元だけ笑って男を困らせればいい。
……たったそれだけ。幼い頃から繰り返してきたこと。
それでも動かない身体に愕然とする。
なぜだか……判るけれど判りたくない。息を飲み込み、アラシは努めて平静に戻ろうとする。が、無駄だと自身の身体の奥から嘲笑う声がする。
動かないアラシを見つめ、男は困ったように笑う。
…………判ってしまうのだ。彼がなぜ動けないかを。否。……何故自分を見れないのかを。
もう出会った頃からの事だから……本当にいまさら。それはあんまりにも当たり前過ぎて、確認すらしない。けれどそれは確実にこの男を蝕んでいるらしい。
小さく息を吐き、男はポンとアラシの背を叩く。
反応は返ってこない。………予想通りすぎて苦笑を零す。ポンポン……と、数度それを繰り返してから…男はアラシの背に寄り掛かるようにして座り込む。
丸まったアラシの背にいっぱい触れるように背を伸ばせば、目に眩しい光が注がれた。
それを受けて小さく震える心。………闇夜に包まれて
…光への道を探して苦しんでいた。
初め……それはこの男によって与えられた。
守ることの出来なかった自分の無力さに生きる意味を見失った。
そんな自分を救ってくれたのは光に包まれた赤ん坊。
生きる意味も、この命の価値も……その嬰児が与えてくれた。
そして再び訪れた闇。囚われこの身に毒を注がれ……愛し子に牙を剥く。
傷つけて生きることを願いたくはない。自己犠牲の精神など持ち合わせてはないけれど……それでもこの命一つで救われるものがあまりに多くて……その刃の下果てることを願った。
生きることでも死ぬことでも……人はあまりに多く傷つき……傷つける。長い黒髪を揺らし、男は吹き掛ける風に目を閉じる。
……命を…賭けることを厭うことはなかった。そうすることで覚悟が深まり守れるものが増えるから。
それでも…その思いが確実に誰かを傷つける。…………例えばこの背に隠れる金の髪を沈める男。
共に生き、いつかは良きパートナーとして英雄の名を
互いにいただくと思っていた。
けれどアラシはそれを拒んだ。
他人の為に生きる気はないと……怒れる瞳で自分に吐き捨てた。
知っている。……アラシは誰よりも他人の為に生きている。幼い頃からこの背だけを求めて腕を伸ばし……共にいようと笑いかけてくれたから。
けれどあまりに重く強い感情を恐れて自分は逃げた。
幼かった自分には激しい感情は凶器のように突き刺さるから。
彼はいつの間にか自分達から離反していた。けれどそれは違法ではない。
暗い瞳で呪うように力を振るうその姿は泣いているようだった。……胸が痛くて…傍にいれなかった。求められることに怯えて関わることを避けた。……愚かだったと思うけれど。
苦しそうに歪めた顔で……その金の髪を赤く染めて男はただひたむきに自分だけを願って生きていたのだ。
応えられなかった。生き方が違うと…誤解していたから。
………初めて知った。表情の消えた男の顔。流れない涙の代わりに血が溢れる。
彼と自分は一緒だったのだ。誰かの為に生きたがった子供。
けれど……余りに自分は父の影を追い求めて走り過ぎて傷つき過ぎて……子供の心に傷を負わせた。
愛しいものをその手で傷つける痛みに鈍感になるには……
もうそれを繰り返す以外ないではないか………?
その道を選ばせたのは自分だった。
……それに気付かず男を責めて…更に傷つけた。
自身の無知に恥じ入った。魂だけがこの男の本当を見つめたあの時から……芽生えるものがあった。それを伝えにきただけなのに。
……………くすりと、男は笑う。
怯えた子供のように背を丸め、金の髪を隠すように顔を伏せて。
この男は自分に向けられるだろう憎悪に怯えている。
それを願った振りをして…それでも愛されることを祈った馬鹿な子供。
素直に伸ばすことの出来なくなったその腕を……それでも認められるようになった自分が嬉しいと思う。
笑みの気配に固まっていた身体が少しだけ溶ける。
小さな吐息に気付き、男はその背に頬をのせた。微かにはねた身体を隠すように、ゆっくりと揺れる金。
たっぷりと時間をかけて振り返ってきた男の顔には、
いつものような張り付いた意地悪げな笑み。
それに含み笑いを返し、男は囁きかける。
「なあアラシ。なんで俺がここにわざわざ来たと思う?」
「は?……そうだな」
突然の男の言葉にアラシは訝しげに眉を潜め…すぐにその頬にシニカルな笑みを浮かべて男の耳元に息を吹き掛けながら応えた。……熱いその息にびくりと男の身体が跳ねる。
「俺に会いたくなったとか?シンちゃんの親友だしなぁ……?」
深く沈む声に隠されるどこか懇願にも似た響き。
……男はそんな風に隠しこんだ形でしか本心を覗かせない。
それに笑い…シンタローは小さく頷く。
「…………………」
にっこりと笑った男の顔をみて、アラシの表情が固まる。
反発してこない…穏やかな笑み。欲しくて……ずっと手を伸ばし続けて……弾かれたはずなのに。
誰にも渡したくなくて…傷つけたくなくて。苦しませるくらいならと…この腕で安息を与えた存在。
理解されることはないと…知っていた。
自分と男ではあまりに思い方が違うから。それでも構わないと……思っていた。
暗い欲望であったって構わない。この澄んだ瞳を歪ませて
…自分を見て欲しかった。
眇められた優しい瞳に映る…困ったような自分の顔。
それは瞬き、緩やかな旋律と共に近付いた。
「……まあ、半分正解だな。会って…伝えたかった」
囁きと共に掠めただけのぬくもり。
………触れることは永遠にないと思っていた熱さ。
カッと全身の血液が沸騰する感覚にアラシはぎょっとする。……紅潮する頬を見せるのを厭い、乱暴な仕種で男の顔を自身の肩に沈めた。
それに気付いているだろう男の含み笑いにばつの悪い顔を零す。
ずっと……触れたかった肢体。壊したかった身体。手に入らないならいっそ消したかった。誰かに傷をつけられるなら自分で壊してしまいたかった。
歪んでいると思っていたけれど……それでもこの身体を地に沈め赤に埋もれさせた時に気付いてしまった。
亡くせば……自分も共に消えてしまう。生きる意味を他者に見い出したシンタローと、結局自分は同じ。
………男がいるから生きる意味があるのだと……思い知らされた。
「………まったく、大概趣味が悪ぃな……」
喉の奥で笑い、男は掠れた声で囁く。
それを受け止め、シンタローは小さく笑う。
顎を辿る指先の意図に気付き、男が厭わないようにゆっくりと瞼を閉じて従った。
降り注ぐ熱の奔流に溺れないようにその背に爪を立て…男の腕に縋る。
静かに注ぐ陽射しが、優しく二人を包む。
………それは初めての逢瀬。
キリリク7800HIT、アラシ×パーパです!
今回は両思いを目指してみましたv
殺したことをどう捕らえるかなーということで。今回は書いてみました。
シンタローのような生き方はきっとこの先も
いっぱい傷を負うだろーなーと思うので。
アラシのような愛し方をするなら……
殺すことで安らがせる優しさもあるのかなと。
傷を負うことを厭わない人を好きになった場合、やっぱり辛いなー。
守りたいと思っても、守られてくれないし…
なにより傷つくことに価値があるんだものね、その人にとっては。
生きる上で…守る上で傷つくことに誇りを持っている人を
閉じ込められないから、そのせいで歪んでいくのかな。
……ちょっと可哀想なアラシ。でも今回は
幸せに終わったからよしとしてね!
この小説はキリリクを下さった深山茜様に捧げます♪
幸せそうな二人……いかがでしょうか?