ずっと……追い掛けているものがあった。
それはいつだって笑って待ていてくれた。
いつか……その傍らに存在出来る事を願っていた。

愛している、なんて陳腐な言葉では足りない。
大切、なんて在り来たりな価値では表せられない。

彼がいたから…この羽根は羽ばたく事を思い出せた。
彼が笑ってくれたから…生きる意味を教えられた。
彼が道を示してくれたから…前に進めた。

自分にとってそれは世界の全て。
自分を形作る根源。

…………それが消えた時の絶望を覚えている。
笑って泡沫となっても人の為にと……願える人。

もう子供の頃から決めていた。
彼の為に生きたい。彼を守るために強くなりたい。
………彼の願うままにこの命を賭ける事に、疑問なんてなかった。
幼いままの思いはただ…彼を見つめていた。

―――――――知りたくない事すら…気づけるほどに………………





禁域侵犯



 目を開ければ夕焼けが見えた。
 どこまでも広がる空が、鮮やかな赤に染まっている。
 それを見つめ、まだぼうっとしている頭を覚醒させようと大きく息を吸い込んだ。
 不意に、髪を引っ張られる。
 長い黒髪を視線で辿れば、無骨な指先が視界に入った。
 誰の手だろうかとその腕を見上げていけば、金の髪が視界に触れた。
 面白そうに笑い、その金はゆっくりと自分に近付く。
 …………再び視界が闇に包まれる。
 閉じた瞼を触れる熱い唇。受け止めても震える身体を隠せない。
 緊張して固まった背をからかうように男の指先が撫でた。
 それに非難しようと瞳を開ければ、眼前には眇められた深い色をたたえた男の瞳。
 息を飲み込んでそれに魅入れば、掠めるように唇を奪われる。
 ………かっと熱くなる頬を隠すように男から離れようと試みるけれど……背を抱き締めている男の腕がそれを阻んだ。
 クックッ……と。喉奥で笑う気配に顔を顰める。
 それさえ楽しげに受け止めて、男は再び顔を寄せる。
 顰めた眉を溶かすように舐めとって、小さく笑う。………意地悪げな顔ばかりする男の…不意に見せる寂しげで優しい笑みに高鳴る鼓動を知っている。
 息を吐き出して仕方なさそうに瞼を落とす。
 それを見つめる男の視線をはっきり感じる。きっとその口元は笑みの形を変えて…不安そうに表情を消している。
 ゆっくりと重なる唇。……強引な態度とは裏腹に 壊す事を恐れるような繊細な触れ方に苦笑する。
 重なる熱に鼓動がついていかない。震える指先で男に縋れば、舌先で唇を舐めとられる。戸惑うような逡巡のあと、小さく開かれた唇を男の唇が覆う。
 「………………んぅ…」
 深くなる口吻けに、喉の奥から掠れた音がもれる。
 それが自分の耳にも触れ…熱く身体が火照る。
 まだ慣れない行為に戸惑って怯えてばかりいて……恐れるようについ固く瞳を閉じる。
 微かな怯えを敏感に感じ取って、男は惜しむように唇をまた舐めてから離れた。
 少しだけ咳き込み、激しい動悸をおさめるように深く息を吸い込む。
 ……その背に男が触れ、縋るように頬を寄せて抱き着く。
 子供のような仕種に、赤い頬を隠す事も出来ず…振り返りその顔を覗く。
 「………アラシ?」
 震える唇で小さくその名を呼べば、頬をすり寄せて答える。
 ……まるで大形の犬のような男に小さく笑う。
 ポンとその髪を叩き、ぐしゃぐしゃとかき混ぜれば、男が指を絡めていた自分の髪を強くひかれる。
 逸らされた喉元を強く噛まれ、痛みに顔を顰めれば …満足したのか男は指を解いて顔を上げた。
 「いってぇな。噛むかぁ、普通?」
 非難がましく呟けば、シニカルな男の笑みに気押される。
 ……深い男の声に、ゾクリと背筋を這う感覚が附随する。
 「可愛いねぇ、シンちゃんは。意味もわかんないわけ?」
 からかう声に不思議そうに眉を寄せれば、呆気にとられた顔を返される。
 ………本気で解らない雰囲気の男に、アラシは深く息を吐く。
 通りでいままでそういう雰囲気を醸しても気付かないはずだ。一から覚え込ませるのもまた一興。そう喉の奥で囁き、アラシは口元に笑みを灯す。
 囁きの聞き取れなかったシンタローは きょとんとしたまま男を見つめたままだ。
 それでも今日は……この手を解いて帰そうと小さく息を吐き、 アラシは笑みをからかうそれに変えた。
 「……そろそろ門限か?」
 「あのね、その言い方やめろよ。しかたねぇだろ。俺には家族がいるんだから!」
 家で待っている息子夫婦と虎を思いだす。 ……夕飯だって作らなくてはいけないし、風呂の支度もする。
 まだまだ手のかかる年頃なのだから仕方ないと、拗ねたような顔で呟く男に思わず吹き出してしまう。………その年頃には大人顔負けに自立していた奴のいう台詞ではない。
 大笑いする男に不機嫌そうにむくれたシンタローの唇に再び触れて…男は立ち上がる。
 微かに朱の灯った顔を隠すように夕日に顔を向けたシンタローは、歩き始めた男の背を見つめる。その視線を知っているアラシは嬉しそうに笑う。………決してシンタローには解らないように。
 そして言葉を投げる。男を絡めて離さないために………
 「また、くるぜ?その時までには上達してろよ?」
 指先で自身の唇を辿り、眇めた瞳で挑発する。
 一気に茹で上がった男が喚き出す前に、アラシは地面を蹴って赤い空に舞った。
 …………背中に降り掛かる男の怒鳴り声に幼く笑いながら。

 不意に風が自分を呼んだ。
 ………それを感じてアラシはもう紫に姿を変えている空から眼下の森を見た。
 一面の緑の中、違和感ともいえる殺意。
 心地よいその戦慄の気配に笑みを上らせ、男はゆっくりと空を蹴る。
 降り立つ先に佇んでいるだろう青き羽根を思い描きながら……………

 思った通りにそこに立っている青年。
 玲瓏な瞳は凍てつくように鋭く光っている。
 青に彩られ、氷の支配を受けたように青年は男を睨む。
 それに喉の奥で笑い、アラシは面白そうに笑う。
 「なにか用かねぇ、鳥人」
 「………バードだ」
 考えれば互いに名乗った事のない事実を思い出す。
 ……それでも自分達に共通する人物が確実に互いを教えているけれど。
 その面影が思考にかぶり、青年は小さく舌打ちをする。
 ………それを見て、アラシは笑みに残虐さを秘めた。
 獲物を狩る獣の視線に青年の視線が深まる。
 気を抜いたならこの喉に牙を立てられる予感。
 厄介な事に男は実力だけは軽く青年を凌駕している。
 微かに浮かぶ冷や汗を風に流し、青年は男との対峙に怯まない視線を向ける。
 微かに笑う音が響く。
 それは男の喉の奥から響く。訝しげに 眉を潜めれば……男の気配が消えた。
 目を見開いてその残像を追おうとすれば……喉に冷たい感触が走った。
 鋭い爪の気配。……動いたなら切り裂かれる状況に喉を鳴らす事も出来ない。
 捕らえた…固まった獲物に冷たい息で囁きながら男は問いかけた。
 「………お前もシンタローに狂った質か」
 男の問いに噛み締められた青年の唇が雄弁に語っていた。
 ………認めないと……その視線が囁く。たとえ彼がこの男を選んだとしても認めない…と。
 ずっと憧れていたのだ。彼に認められる事だけを願っていた。
  あの……戦いの時。彼の命の灯火が消えた瞬間…………絶望に世界が闇に彩られた。
 たとえどれほど離れていたって、わかった。
 たとえ自分の命が危機に晒されていたって、気づけた。
 それほどに彼は自分の中に取り込まれた存在だったから。
 ………奪ったのはこの男。彼の心臓を貫き……鼓動の全てを独占した。
 生きる事が出来たのは彼が……その魂が自分に宿ったからだ。
 そうでなければこんな身体、この世に残す気はなかった。
 彼が生きていたから……この身体に価値があった。彼だけが全てだった。
 それなのに……生き返り、自分達の元に還ってきた彼が、この男のモノになるなんて思わなかった。
 ―――――重なる影を見た瞬間の感覚を忘れはしない。
 凍てついた世界に、ただ男だけが鮮やかに色付いた。
 ……憎しみ故に…強く。
 張り詰める青年の殺気に男は薄く笑う。
 ………殺すのは容易い。自分よりも下のこの青年の首を落とすなど、いまこの瞬間にだって出来る。
 それに罪悪感はない。まして彼が泣くなどという理由は 留まる理由どころか青年を消す理由にさえなる。
 突き刺さる青年の気配。…薄くその頬を辿る河。
  それを舐めとり、男は酷薄な笑みを落とす。
 この優越感に勝る快楽が…あるのだろうか…………?
 同じように幼い頃から彼を追い掛け、彼に気に掛けられ…いつだって抱き締められていた青年。
 温床に包まれていた青年に宿るその思いは男には心地いい。
  彼を手に入れたのだと…克明に知らしめるから。
 喉の奥で嬉しげに笑い、男は青年の喉に埋めていた指先を解いた。
 ………突き刺さっていた指がなくなり、僅かに血が流れる。
 指先に宿る赤を舐め、男は青年に笑いかける。
 「…………なら、俺を殺しにきな。でなけりゃシンタローは手に入らねぇぜ?」
 決して出来るわけのない事を囁く。………彼に傾斜している青年が、 彼の愛するものを殺す事など出来ない。
 ――――ただ自分の身に走る愉悦の為だけに……
 その玲瓏な視線を向ければいい。
 幼い頃から彼を独占していた青年に……それくらいの報復は許されるだろうから。
 噛み締める唇が赤く彩られるのを眺めながら、 男は勝ち誇った笑みをたたえる。

 …………残酷な月が…青年の羽根に枷をはめる。
 飛べない鳥は、羽ばたく者に思い馳せ…その指を向けるけれど。
 冷酷な足がそれを踏みにじる。

 彼がその指に気付くまで…決して近付けない。
 睨む先に佇む巨大な壁に、青年は固く歯を噛み締めた…………








キリリク8600HIT、幽囚願望の続きですv
………暗い。なんでしょう、この後半の暗さは。
初めは甘すぎて吐き気するくらいなのに………。
この話の続きでバードを出すと暗くなるなーとは思ったんですが。
だって……アラシ、バードのこと嫌ってそうだから。
小さい頃一番一緒にいて欲しくて気付いて欲しかったのに、 シンタローはバードの面倒見るのに必死でアラシの事 見てなかっただろうから。
………だからかなり壊れてます。
おかしいな、シンタローと別れたトコでは子供っぽくて可愛いvとか思ったのに??
あ、でもこの狂い方、子供っぽいか………。独占欲の歪みですね。

この小説はキリリクを下さった深山茜様に捧げます。
………消化不良起こさせる話ですいません………。