約束なんてする間柄じゃない。
我が侭を甘受してもらえるような間柄でさえ、ない。
それでも伸ばされる御手を知っている。
穢そうか。
壊そうか。
冷たい瞳で囁いても苦笑する気配。
本気になどとっていない瞳。
………多分きっと、まだ知らないのだ。
壊してでも手に入れたい欲求を。
そしてそれを本気で完遂出来る希有な存在がいることを。
涙に濡れてそれを知る日が来たなら、澄んだ瞳に残る汚濁は自分だけのもの?
ゾクゾクする独占欲さえ知らない、哀れな生け贄。
差し伸べられた手の甲に口吻けて、壊すその日を夢見る。
………自分だけのモノになればいいのに……………………
世界の中心
一生懸命頑張った毎日。何も見ないといってもいいくらい、熱中していた。
強くなりたかった。父の背中に追いつきたかった。
雄々しいその肩の隣に立ちたかった。戦士の瞳に認めてもらいたかった。
……………ただそれだけで、掬いとることさえ忘れていた。
ふと隣を見やれば眠る子供。4歳の年の差は大きくて、いまだあどけなさは自分以上に色濃く残っている。
綺麗な青い翼をしんなりと眠らせ、閉ざされた瞳さえ端正な面の上、滑るように月光が流れる。
更に隣を見やればやわらかな波を彷佛させる綺麗な黒髪。優美な眉の下の利発な瞳は閉ざされたまま、ただ静かな呼吸の音だけが愛らしい唇からこぼれる。
バードもアマゾネスも優しい幼馴染み。何年間も音信不通だった自分を忘れずに待っていてくれた。まだ小さな自分達が、それでも相手を忘れずに待っていられることの重さを知らないわけじゃない。
それでも、いま気にかかる相手。
月明かりが肌を染める感覚すら鬱陶しい、思考の断絶。
………ずっと、傍にいた相手。日の下でも月の下でも、たった2人っきりの子供の修行仲間。………大人に混じれるだけの実力を有している証のそれは、名誉なのかとぼやいていた父の背中を思い出す。
淋しくないわけじゃなかった。でもそれらを飲み込んでしまえるくらい、自分は強かった。あるいは、意固地だった。
だからたったひとり立ち上がることを一度だって疑問に思ったこともないし、嫌だと思ったこともない。傷ついて構わなかった。いっそ傷ついた方がよかった。
そうして得た傷が、自分を強くするだろうと思っていたから。
つい……と、自分の額に指を滑らせる。それほど深くはない傷痕が、少しだけ指先に引き連れた感触を残した。痕にはならないだろうと心配そうに診てくれた医者を思い出すが、そんなこと気にもかけていなかった。
多分これは、マーキング。
…………あるいは、証、か。
忘れるなと、修行の終ったその日につけられた痕。騒然としたあたりを切り取ったように静かだった当事者の筈の自分達。ただ射竦めるように注がれた視線だけが脳裏を占める。
小さく小さく息を吐き、少しだけ申し訳なさそうに歪められた眉が自分を包むように眠る2人にむけられた。優しい優しい小さな友人。きっと自分を傷つけることも、困らせることもない。痛みを刻むような真似、する筈もない人たち。
それらを置いて、それでも飛ぼうかと思う自分は薄情なのか。
どうしても、気にかかってしまう。………いつだって鋭く自分を睨み付ける紫闇が、周りが言うほど凶暴に自分には思えなかったから。
ただ一心に自分に向けられたそれは、泣きそうだと思った。
気づけと喚いている赤子のようだと、幼い自分ですら思うのに。どうして大人たちはそれを危険だと囁くだけで怯えるその腕をとろうとはしないのか。
自分は怖いとも思わなかった。だから、傍にいた。笑いかければ歪む眉。汚いものを見るような罵る視線で、それでも縋る懇願の瞬き。
…………離れない、金の煌きと紫闇の揺らめき。
健やかな寝息に包まれて安穏としていることを許されている癖にと、どこかで自分が呆れている。わざわざ何故危険とわかっている領域に足を向けるのかと。
理由なんて誰にも解らない。ただ、いまこうして自分が包まれている安らぎを、きっと彼は知らないでいるのだろうから。
せめてそれを思う人間がいることくらい、知って欲しいと思ってしまった。ひどく独り善がりな身勝手さで。
「…………ごめん…」
忘れずに待っていてくれた子供達。変わらない優しさと親しみのまま差し伸べてくれた腕。
大好きで、手放したいなんて思いもしない。それでも……………………
噛み締めるように息を詰め、シンタローは窓辺に足をかけた。羽は、もういつだって作りだすことができる。この夜空を駆けることは造作のないこと。
音もなく開け放たれた窓の先、微かな風が頬を掠めて髪を揺らす。
短い揺らめきのあと、それは確かな質量を持った風と化し、窓辺の影は消えた。………残ったのは月明かりの下、揺れるカーテンに包まれた窓と、眠る2人の子供だけ。
消えたぬくもりを慕うようにシーツを手繰る、切ない小さな御手だけ………………………
見上げた空には満月。否、まだ満月には足りないのか、微かに欠けた月。
髪を弄ぶ風すら鬱陶しい感触に辟易と息を吐く。
ようやく終った面倒臭い修行。やっと自由になったのに、鬱屈とした自分の思考。
理由はあまりに明らかで、認めることすら不愉快だ。
解放された自分。…………そして、解放しなくてはならなくなった腕。
自分だけが傍にいられた世界の中で、困ったように眉を顰めることを癖にした子供。同じだけの時間を一緒に生きていながら、自分とはまるで違う輝きを秘めた瞳。
鬱蒼しいほど意固地で真面目で、ただ一心に高みだけを願っている不器用さを幾度嘲笑ったかしれない。それでも嘲笑と侮蔑で埋まるはずだった視線は焦がれるように注がれる。
きっと、相手はそれを知っている。だからどれほど手荒く扱っても離れはしなかった。
言葉としてでもなく、確かな確信もないのだろうけれど、それでも人を思うことを生まれながらに組み込まれた魂はほんの僅かな綻びからそれを感知してしまう。
結果振り払えない腕と、自身に重ねられる傷を増やすだけであろうに、それでも笑っている鈍臭さ。
守りたいなんて思わない。むしろ壊してしまいたかった。
自分を見つめている癖に、見つめていない。注がれる視線の全ては戸惑いと慈愛だけで、向けた感情を拒みきれないが故に晒されているだけのやわらかな御手。
だから離れてしまえばきっと彼は自分を忘れる。覚えていても、近付きたいとは思わないだろう。苦しいと、わかっているのだから。
こうして空に浮かぶ月を眺めていれば添えられた気配がいまはない。ほんの数日前には確かにあったはずなのに。……………追い縋って傍にいてなんて、言えるわけもなく。ましてそれを本当に望んでいるのかと問われれば言葉に迷うのに。
それでも無機質に見上げた空の暗さはいままでとは違ってひどく澱んで見える。ひとり見上げたというそれだけの感傷だと、思いたくもない。
一人が不安なんてことはなく、あれが傍にいればいいなんてことも、ない。
それなのに揺れた気配に息を飲む。
……………あり得るはずが、ない。
自分から近付いてくるはずがない。
傷つくことをきっと知っている。自分の指先が優しく扱うことなどないと、わかっているはずなのに。
それでもそれは確かにいま思っていたはずの気配。手放し、失ったはずの。
どうしてと問うことさえ愚かな空白の間。…………揺れた風の軌道と同じく近付いた足音すら希薄な相手の匂いが鼻をくすぐる。
「やっと見つけた。もうちょっとわかりやすい所にいろよな」
呆れたような苦笑と、どこか親しみを込めた囁き。鼓膜を震わせたそれは幻聴ではない確かな質量。
………………ままごとなど、きらいだ。
噛み締めそうになった唇を蠢かし、どこか酷薄な笑みを浮かべる。まるで嘲笑うように。
それを視界に入れたはずの相手は、けれど軽やかに縁で隣に腰をおろした。
鋭く射抜く視線すら躱し、いまだ丸みの抜けない指先が楽しそうに空を指差した。
………………爪先を淡く染めた月明かりを眺めながら細められた視界は、何故か。
「月見ていたら、お前のコト思い出してな。元気だったか……も変か?」
ほんの数日会っていないだけなのにと吹き出すように破顔した顔を眺めればふんわりとあたたまる。それが温度だったか身体だったか……あるいは心なんて綺麗なものだったのか。解るわけもないけれど、伝わる気配。
ままごと遊びのような世界で生きられる、自分と同じ腕を持った子供。傷つくこともなく、傷つけることもない甘い菓子のような生活が可能なのに。
それでもそれらを置き去りにして、ここにきたのか。
ちっぽけな月が寂しがっているかもしれないなんて、愚かしい想像だけのために。
馬鹿だと、思う。どこか冷めた感情が牙を剥くほどに。
…………………それでも小さく欠伸を噛み殺して寄り添った肩がアツイ。
壊すことは簡単で、きっと守るよりもずっと自分には向いた仕草。だからコレもまた、いつかは壊すおもちゃなのかもしれない。
気に入れば気に入るほど、他の誰にも見せたくなくて自分の手で壊す。少しだけ狂った自分の愛しさという感情。わかっているのは自分だけか。………このぬくもりもなのか。
確定などできるわけもないけれど、肩に埋まった額が身体を蝕む。心さえ、捕らえる。
……たった2人きりの世界で、他にはただ月が覗いているだけのちっぽけな楽園。
そんな箱庭のような自分の腕の中、戯れるように舞い降りた光。
閉じ込めて、吹き消してしまいたい。腕の中から飛び立たないように。
それでも無防備に眠る姿に溶けた気配が滲む。………視界が揺れた気がして、慌てて子供は瞼を落とした。
壊すことはいつでもできる。好きなときに。だから、いまはまだ見逃していようと言い訳のように囁きながら。
たった2人ぼっちの小さな世界。
正邪の見極めすらも不確かな箱庭。
…………寄り添いあうことが互いのためかも解らない微妙な絆の先、待ち受けるものなど互いに知らない。
だからいまはただ寄り添って。
たった2人ぼっちの世界を守るように…………………………
キリリク70000HIT!!! アラパーでお泊まり会でした。
…………むしろお泊まり会を蹴ってアラシのもとにいった優しいパーパ。
まだどちらもが自分の感情をいまいち把握出来ていない中での話です。
抱いた感情を好感というにはあまりに微妙な間柄。優しさとかいたわりとかを示せる性格じゃないからね(笑)
でも独りぼっちだった世界に誰かが踏み込んだ。それだけを自覚したから、多分アラシの執着は深いのでしょう。
他の全てを天秤にかけてしまえるくらいに。
この小説はキリリクを下さった新奴里妃さんに捧げますv
久し振りに綺麗な数字の申告でしたv ありがとうございます〜v