奇跡という言葉の意味を、初めて理解した。
これほどまでに清廉に存在出来るのかと、驚いた。
逃げるばかりの自分が恥ずかしくて、その深い包容力に甘えたくなくて。
……それでも無条件に与えられる優しさは心地よくて。
不意に伸ばしたくなる腕に驚いて……怯える。
自分はけして男の負担になってはいけない。
共に生活していることさえ、男の好意なのだから。
自分を傍に置いていいことなど1つもないのに、
それでも当たり前に差し伸べられた手の平に涙がでた。

だから、この手を伸ばしてはいけない。
だから、思いのままに触れてはいけない。

この穢れない優しき魂を、貶めてはいけない。
判っているのに……
――――それでも消し切れないこの視線の揺らめきを、どうしたらいいのだろうか……?





軌跡を辿る



  日に当たりながらゆっくりと水を浴びる。
 ……猫科の獣でありながら水浴びの好きな虎を、男は苦笑しながら見ていた。
 思う存分楽しんでから、虎は岸へと上がり身震いして毛皮についた水滴を飛ばす。
 それを見て取り、男は虎に声をかけた。
 「……水浴びはお終いか?タイガー」
 掛けた声に、びくりと虎の背がはねた。……奇妙な沈黙のあと、虎は微かな爆発音を響かせてその姿を変えた。
 人の形へと変わった虎は、小さな声で男に答える。
 「な、なんでパーパがここにいる?」
 間違えようのない、男の声に虎は心底驚いたのだ。
 今日は山を越えた村の土砂崩れを直すといっていたのだ。戦うこと以外は不器用な虎は留守番を頼まれていたのだから。
 それがまだ日も落ちていないのに、戻ってきている。
 ……驚くなという方が無理というものだろう。
 「ん?ああ、村の方の被害はあまりなかったからな。片づけと、明日物資が届いたら地盤を強化しにいくことになってる」
 虎の言葉の中の疑問に答え、男は持っていたタオルを投げかけた。
 まだ微かに青年の髪は濡れている。拭くことをあまり好まない青年は、男から渡されたタオルに顔をしかめる。
 それを見て取って、男は苦笑した。
 「ちゃんと習慣をつけろよ?ヒーローにもうつるだろ?」
 子供は大人の真似をしてしまうのだ。特に懐いているタイガーの行動は喜んで真似てしまう。
 だから嫌がるなと暗に囁けば、子供のような顔で青年は乱暴に髪を拭きはじめる。
 子供をたしなめるような感覚に込み上げる笑いを噛み殺し、シンタローはタイガーの髪を見つめる。
 張りのある、艶やかな髪。虎へとその姿を変えたなら、見愡れるほどになるだろうと思っていたのだが。
 初めて虎の形態を見た時を思い出し、シンタローは吹き出すのを必死になって我慢した。
 この青年の完全獣化があんな丸々とした愛らしいものだなど、誰が予想するのだろうか。
 けれどそれはあまりにこの青年らしいとも、思えるのだ。
 獣の中でも孤高を好む種であるタイガーは、それでもこの上もなく純粋で優しい。
 ……恐れさせるためでなく、傍にあるために。
 そう考えたなら、その姿はひどく青年にしっくりくる。
 込み上げる微笑ましさに、男はその腕を青年の髪に絡めた。
 そんな些細な行動に、青年はひどく驚いたように身体を固めた。
 微かに濡れた自分の髪を梳く指先に、跳ね上がる鼓動を自覚する。
 それに気づかない男は、楽しそうに笑っていた。……どんな者でもその腕に抱きとめることのできる、優しき自由人の笑み。
 それが少し切なくて、青年は男の手首に指を絡めた。……掴まれた腕を見つめ、男は不思議そうな視線を返す。
 「どうした………?」
 戸惑う青年の視線の揺れに気づき、男は深い音で囁いた。
 自分を抱き締める音に、青年は眉を寄せる。
 ……耐えられない。押さえられない。
 触れたくて仕方ない、存在。縋って抱き締めて……この思いを刻みたい。
 そう思っているのに。それさえ知らない無垢な瞳が苦しい。
 掴んだ腕を引き寄せれば、難無く膝を折ってこの腕の中におさまる。
 ……それは思いを知っているからではない。
 ただ怯えた自分が安心出来るよう気遣っているだけなのだ。
 知っている。だから、伸ばしたくはなかった腕。
 ――――それでも、もう止まれない。
 強く、その背を抱き締める。
 そうしたなら苦しそうな息遣いが耳に触れた。
 瞬間溢れた衝動は、きっと自覚していたもの。
 ……長い黒髪に指を絡め、無理矢理上を向かせる。
 有無をいわさず触れる、自分の意志しか伴わない口吻け。
 触れる柔らかさに、涙がでた。
 嫌悪、されるだろうか。
 拒絶、されるだろうか。
 どれほど後悔しようと……それでも伸ばしてしまった手は取り消すことは出来ない。
 返る答えに怯え、虎は男の肩に顔を埋めた。
 震えて揺れる髪を見つめ、男は寂しそうに瞬いた。
 ……なにを求められているのか、判らないほど子供ではない。
 この腕は切ないほど弱々しくて、出来るならその手を取りたい。
 それでもそれに答えられるか判らない。
 虎の背を緩く抱きとめながら、躊躇う唇は答えを出せない。
 切ない吐息を耳にしながら、虎はただ拒まないでくれればいいのだと……囁いた。
 その声さえ悲しくて、男は泣きそうに歪む瞳を青年に押し付けてその身体を抱き締めた―――――






キリリク3232HIT、タイガー×パーパです。
前回の『和らぎを包む』の前段階っぽくと思って書いてみましたv
なんか自爆した感じですが!
なんか書いてて気づいてしまいました。
……タイガー書くことにかなり抵抗を感じるようになってます。
やばい、作者と同じ症状出すようになってどうするんだ自分!!
でもやっぱりあまり書きたくないのかも、とか。
純粋なキャラだからなー。どこかで怒ってる自分がいます(苦笑) 一番好きな二人なのにままなりませんね。
書きまくればきっと克服するさー!

この小説はキリリクを下さった祐樹彬様に捧げますv