それは子供には見えなかった。
自分とたった4つしか違わないのだと知らされた時の衝撃を、いまも覚えている。
子供である事を拒否した子供。
大人になる事を望み、生き急いでいた子供。
その背を見つめ、伸ばした手は……誰にも気づかれはしなかった……………





逢魔の刻の語り部



 子供はあたりを見回した。
 ………初めての遠出で、すっかりはしゃぎ過ぎてしまったらしい。ここがどこなのかが全く判らない。
 小さな手の平で頑張って目の前の長い草を掻き分ける。
 瞬間走った痛みに子供の顔が歪んだ。手の平に滲む赤を見て、泣きそうになる。
 あっちこっち傷だらけなのだ。
 背中にあるまだ幼い羽根も、先程の空中散策で疲弊していて動かせないのに………
 もう大分日が傾いた。
 小さな自分の視線に合わすように太陽は語りかけてくる。
 ………夕暮れの時間、空は淡い色を消して濃く闇色を醸し出す。
 赤紫に色付いた空が笑う。
 この間姉に聞いた魔物の話を思い出し、子供は震えた。
 夕方と夜の調度真ん中の頃、空は扉になる。そしてそこから魔物たちが飛び交う。幼い子供を攫うために……
 思い出したその絵本の内容が克明に子供の頭の中に蘇る。
 おどろおどろしい挿し絵が頭から離れない。
 恐怖にかられ、子供は走り出す。
 むき出しの腕や頬に草があたっては微かな痛みが走った。
 そんなものにさえ、気づけない。ただ恐ろしさから逃げたくて走った子供には何も見えない。
 堅く瞑られた瞳は障害物への恐怖さえ忘れ、その機能を放棄していた。
 ―――――強い風が、吹く。
 まるで子供を攫う魔物の爪のように鋭い音と共に。
 やっと目を開けた子供の眼前に広がったのは岩場だった。
 すぐ後ろにある草原の草一本生えていない、静謐の岩場。
 そこに座っている、一人の子供。
 ………金の髪を風に遊ばせていた彼は、ゆっくりとこちらに振り返った。
 助かったと大きく息を吐いていた子供は笑顔で彼に近付こうとする。
 「くんじゃねーよ、ガキ。きったねーな」
 顔を歪ませ、その子供は冷たく言い放った。
 瞬間、子供の足が止まる。……本能で判ってしまう。彼の言葉を無視してしがみつけば、彼は遠慮せずに自分をそこらに投げ付けるだろう。
 がたがたと恐怖に震える。先程までの目に見えないなにかへのモノではない。眼前にいる子供がなにより怖くて、子供は再び背を向けて草原の中に隠れようとする。
 振り返った瞬間、子供はなにかにぶつかる。
 ………その暖かさに驚いたように瞬きを繰り替えした。
 そこにいたのは金の子供と同じほどの子供。
 背格好はほとんど変わらないのに……なんだろうか。この圧倒されるような柔らぎは。
 痛みも忘れていた傷が、疼く。疲れてボロボロの手足がその人にしがみつかせた。
 疲れていて、怖くて、混乱していて。子供にはもうなにがなんなのか判らない。
 ただ縋れると思ったその人に、必死になってその腕を伸ばした。
 声もなく泣いている幼い子供に、縋られた黒髪の子供は目を丸くする。
 「……どうした。こんなに傷だらけで」
 子供の背にある羽根を撫でながら囁きかければしがみつく力が強くなる。
 抱き上げて視線を同じほどにする。安心できるように穏やかに笑いかけ、子供はもう一人の子供の方へと歩み寄った。
 そんな二人をみて、座っていた金の髪の子供は面白くなさそうに顔を歪ませている。
 「………早かったな、シンちゃん。もう見つけてきたのかよ」
 互いに隠した獲物を探し出す。それが今日の修行内容だった。
 ……絶対に見つからないようにと、自分は海の中に捨てたというのに。
 そんな子供の言葉に苦笑を零し、シンタローは腰に括りつけていた麻袋から探し出した小さな石を取り出す。
 虹色に煌めくその石を器用に取り出して金の子供の方に投げると呟く。
 「風に手伝ってもらった。海を割るのに時間が掛かったが……」
 タイムリミットには間に合ったと囁く顔に疲労は見えない。
 ……………それが面白くない。
 海を割るなどという大技、大人だって大変なのだ。それをやってのけて余裕のある振りをする。
 笑っている顔を歪めたくて、子供はシンタローの腕の中で自分に怯えている子供の羽根を掴む。
 「………………っ!」
 引きつった子供の悲鳴が聞こえる。……正確にこの幼子は自分のことを感知している。
 このまま引き裂いてやろうかと一瞬暗い笑みが子供の頬に宿った。
 それを蹴散らす、清廉な風。
 「アラシ!この子が怯える。笑いかけるなら優しくしろ」
  ひどく真面目なシンタローの的の外れた声にアラシの目が点になる。
 …………なにをどうしたなら、この自分がガキに笑いかけようとすると思えるのだろうか。
 目に見えて震えているこの幼子の方が判っている。そう怒鳴ろうとシンタローを見上げた瞬間、息を飲み込む。
 逸らされない、きつく真直ぐな澄んだ瞳。
 ゾッとするほど幼気で歪みがない。……判っていて彼は自分に囁いたのだ。
 アラシの視線にひかれるように子供もまた、シンタローを見上げた。
 軽々と自分を持ち上げた彼は何一つ穢れない瞳で自分を見返した。
 ………なぜだろうか。この目は、無条件で信じられると思わせる。
 どんな理不尽な事があったとしても、彼だけは裏切らないと信じ込ませる絶対的なそれ。
 吸い込まれるように子供はその小さな手を子供の頬に伸ばし、珍しいおもちゃに触れるように動かした。
 ペタペタという音さえ聞こえそうな触り方に苦笑しながらシンタローは子供に囁きかけた。
 「………俺はシンタロー。あいつはアラシ。お前の名前は?」
 「………んっと、バード」
 思い出すように呟いた名前に子供達の目が見開かれる。
 青い羽根のバード。それは鳥人界英雄の可愛がっている甥として有名だ。
 二人は顔を見合わせ、しばし逡巡する。
 ………結局軽いため息と共にシンタローが頷いた。
 それを不思議そうにバードは見上げる。
 「バード、誰とここまで来たんだ?」
 「……………?わかんない。飛んでたらここ来たんだ」
 「シンちゃん、こんなバカ捨ててさっさと帰ろうぜ」
 バードの答えに即アラシが応え、シンタローの肩を掴んで呟いた。
 本気の声に、バードが怯える。それを感じ、シンタローはその背を抱き締め直した。
 「そうもいかない。俺はこの子を父さんに預けてくる」
 「はあ!?こっからだと寝床とまるで逆だぞ?どうやって帰ってくる気だ」
 本気でいっているシンタローに、慌てたようにアラシが叫ぶ。ついいまさっきまで、シンタローは自分の意地悪で不可能極まりない課題と化した探し物をし終えたばかりだ。……体力的に余裕などあるはずがない。
 そんなアラシの驚きをよそに、シンタローは至極当然のことのように不思議そうに応える。
 「………?飛んで帰ってくるが?」
 大変だとか、無茶だとか。
 そういった言葉の一切がこの子供には無意味だ。それをよく理解しているけれど、まだ時折アラシはシンタローに怒鳴りつけたくなる瞬間がある。
 その全てを飲み込み、アラシは複雑に笑う。
  ………心配なんて、してやらない。どんな小さな命にも向けられる優しさなど、自分には判らない。
 そのせいでこの子供が傷付くのなら、むしろこの手で壊してやりたいくらいだ。
 だから疼く痛みも気にしない。うまく笑えているか不安だったけれど、アラシはそのまま顔を逸らして背を向けた。
 「……じゃあ勝手にしな。俺は迎えにいかねぇからな」
 最初から期待などされていないし、そんな事望む子供でもないけれど。
 それでも囁いてしまうのは、そうして欲しいから。……気づかれる事はないだろうけれど。
 「ああ、悪いな。先に帰ってくれて構わない」
 穏やかな笑みと共に語られる当たり前の言葉。
 それに唇を噛み締め、アラシはその場から飛び立った。
 その背を見送りながら立ち尽くすシンタローに、不思議そうな声がかけられる。
 「ねえ、なんでいまのにいちゃん泣いてたの?」
 「……………わかるのか?」
 バードの瞬きにシンタローが複雑な笑みを零す。
 彼が憎まれ口を叩くのはいつだって泣きたい時。そしてその原因はいつも自分。
 気づかない振りをし続けるべきかすら判らないけれど、いまはこれ以外の態度がとれない。
 言葉に頷くバードの頭を、シンタローは優しく撫でる。
 泣きそうなシンタローの顔を覗き込み、バードはその首に抱き着いた。
 痛みを癒そうとするぬくもりに、子供は微笑む。……不器用なその笑みに胸が締め付けられる。
 「あいつ……悪いヤツじゃねぇんだ…………」
 どこかで少し、歯車が狂ったけれど。
 それでも自分には優しい友だった。幼い子供に縋りながら囁き、子供は零れそうな涙を飲み込んだ。
 子供の痛みをなくしたくて、バードはただ頷いた。
 たとえ間違っていてもいい。ただこのぬくもりが震えている事が悲しかった。
 怖くない…と、震える声でバードが囁けばシンタローは微かに顔をあげて笑った。
 真直ぐな瞳は揺れていて、この子供は自分が守ろうと……決めた。
 自分よりも大きくて、自分よりも強くて。
  …………不安で怯えていた自分を癒してくれた子供を。
 その心が壊れないように。まっすぐであれるように。
 いつも一番に彼に答えよう。
 ―――――お前は正しいと、囁く事で力になれるくらい。
 それくらいの力は手に入れてみせるから。
 あと少し、ほんの少しだけ。待っていて欲しい。
 そうしたなら自分は追い掛けるから。
 この小さな腕を精一杯伸ばして、この雄大な背を包めるように、頑張るから。
 肩にもまわらない小さな腕を恨みながら、バードは子供と額を合わせたただ静かな風の囁きに耳を澄ませていた……………

 自分よりも金の子供よりも。
 …………誰よりも強い子供。
 子供らしくない子供は、不意にその内側を覗かせた。
 守りたい。支えになりたい。……誰よりも傷付き易い魂の内側。
 だからこの腕が太く大きくなるまで、少しだけ待っていて。
 せめてその背の見える所で…………






キリリクHIT、バード&パーパの出会い話ですv
前に書いた事あるヤツみたいにならないようにと必死になってたら、なんかアラシがやたらとでばりました…………
………………なぜ?
今回の年齢設定はバード3歳パーパたちは7歳です。だからもう修行中v
4歳離れているとさすがに子供の頃はかなりの差になるんですよね。
……特にこの頃は発達的に1つ違うだけでまったく出来る事が違うし。
その上まだまだ素直な時期なのでバードっぽくないですねー。
シンタローとアラシはらしいのになー………(あくまで私の中で)

この小説はキリリクを下さったれいこ様に捧げます。
バード……余り書いてなくて申し訳ないです。