始まりは奇怪極まりない縁。
誰も信じる事のない糸に導かれ、出会ったとしか言い様がない。
一人は赤子の姿を、もう一人は青年の姿を模して。

辿々しい腕が必死に伸ばされる。
自分しか頼る者を知らないのだと揺れる瞳。
お前は自由なのだと苦笑すれば寄せられる眉。

どれほどの言葉を捧げれば伝わるのだろうか。
己である事を誇ればいいのだと。
何一つ恥じる事なく生きるに相応しい姿を有しながら
畏れるように項垂れる背中。

お前は自由なのだと苦笑すれば寄せられる眉。

伸ばされるのは精悍でありながらも震えた腕。

………一体、どれほどの言葉を捧げれば………………





うずくまる卵



 空は青々とした姿をさらし、陽光は爽やかな風とともに舞い降りた。
 求めるように伸ばした腕は空を掴み、雲をとらえたような錯覚を覚える。
 それにゆったりと笑みを浮かべ、静かに腕を戻す。微かな音とともに芝生に還って来た腕には微風とともに揺れる毛先が触れた。少々固い、短いその髪は、それでも軽やかな仕草で風に舞いその斑(まだら) の色を混ぜるかのようだ。
 視線だけを向けてそれを確認し、浮かんだ笑みが深まった。蹲るように眠っているのは同居人の虎。その外貌からは想像が出来ないほどののんびりとした気性がようやく定着してきた、出会ってからの時間を数えるのにさほど苦を覚えない短な相手。
 それでも、その変化は劇的だった。
 自分が不馴れな育児に四苦八苦している間に見る間に変わっていく性情に息を飲んだ。赤子がミルクから離乳食へと移った頃にはもう出会った頃の面影もない。それは美しく清らかな変貌であり、自分としては好ましく迎えるべき変化。
 なにがきっかけかは解らないが、きっとその因の一つは自分と共通だろう事は解っている。
 自分が再び生きる事を誓えたように、いま腕で眠るこの赤子が標となるように暖かく道を示してくれたのだろうと、思う。
 それはとても誇らしかった。
 自分の全てを賭して育てようと、そう決めた赤子が他の誰かにとっても灯火となる。そんな夢見事のような事が現実に起こっているのだから。
 「………………」
 胸の内にぬくもりが広がるように浮かんだ笑みは穏やかで、風がそれを祝すようにやんわりと吹きかける。昼下がりの三人を包み込むように。
 微かな寝息とともにすり寄る小さな命を髪を梳き、微睡むままに瞼を落とす。
 間近には自分達を守るように控えている穏やかさを知った獰猛だったはずの虎。
 不思議な童話のようだ。面白みを噛み締めるように眠るその精悍な青年の硬質な髪を撫で、誘われるままに眠りに落ちていく。
 静かな寝息が響くのに時間はかからず、暫くするとそれを確認するようにゆっくりと持ち上げられた瞼。
 数度の瞬きを繰り返し、キョロキョロと辺りに視線を向ける。広々とした緑の絨毯とその先に見える森。広大といって差し障りのないこの場所を、けれど今は自分達三人だけが独占していた。まるで世界中に自分達しかいないような奇妙な錯覚さえ受けるほど静かな空間。
 ぽふっと、自分の頭に手を乗せてみる。
 短く硬質な髪はあまり手触りがいいとは言えない。けれど先ほど、自分と変わらぬその指先が撫でてくれた。
 不思議な、感覚だった。もうずっと……幼い頃に父親が与えてくれたぬくもり以外、そんな真似をした者はいなかった。
 牙を磨き爪を研ぎ、強さの証を立てる事だけが生きる意味だった頃、近付く全てが攻撃対象だったのだから無理もないのだろうけれど。
 ポンと、もう一度叩いてみる。柔らかく、出来るだけあの仕草に似るように。
 けれどそれは少し違う気がして首を捻る。見遣った手のひらは彼の手のひらと大差はない。むしろ自分の方が多少大きく、爪が鋭いくらいだ。決して劣っているわけではないし、力としても負ける気はしない。ほんの少し前の自分より、今の自分の方がよほど彼に近いと思うから。
 それが不思議で見上げるように間近な彼の顔を覗き見た。その胸元には赤子が蹲り、すよすよと健康的な寝息が聞こえた。それを守るように腕に抱き寄せ眠る姿はどこか現実感に欠けている気がした。
 恐る恐る……吐息を確認するように指先を伸ばす。口元の間近に寄った爪先にかかる呼吸にほっと胸を撫で下ろす。
 これがただの幻なのだと、そう言われても自分は違うと言い切れない。こんな風に自分を変える事の出来る存在が、確かな形で存在しているのだというその事実の方がよほど嘘のようだ。
 祈りなど持ってはいなかった。浅ましいほどの欲だけがあった。………否、それは欲とすら言えない愚劣なプライド。
 彼の拳は打ち砕いてくれた。彼の声は包み込んでくれた。
 粉砕し捨て置くのではなく、壊れた欠片を拾い集め、その修復どころか更なる飛躍を支えてくれた。
 奇跡などとうに信じてはいなかった自分に、奇跡を教えてくれた。自分に笑いかけた赤子と同じく無垢なる瞳で。
 「………パー…パ…………?」
 戸惑うように揺れた声で小さくその名を呼んでみる。決して起こさないように、ただその名を。
 舌先に転がしたその響きは随分慣れた気がする。それでもまだ口に出す瞬間躊躇いがあるのは、誰かを呼ぶというそんな当たり前の事にすら無縁だったせいだろう。
 爪先から覗ける唇は呼吸を繰り返すだけで特に著変はない。起こす事のなかった事実にゆるく息を吐き、それに付き従うように瞼を落とす。降り注ぐ陽光の色が瞼越しに与えられ、不可解な模様とともに視界は赤く広がった。
 それは決して冷たくはない赤。
 「あー」
 再び眠りに誘われはじめた虎の耳に、不意に触れたのはあどけなさの色濃い音だった。
 驚いたようにぱっと目を開けてみればきょとんと首を傾げたヒーローがぺたぺたと自分の寝床となっている床を叩いている。それはもちろん彼の胸であり、その刺激で起こすのではないかと一人わたわたと虎の腕が宙を彷徨う。
 赤子を諌めるにもどうすればよいかわからず、かといってこのままにして彼を起こすのも忍びないほど彼は気持ちよさそうに眠っている。
 「だ、だめだぞ、ヒーロー」
 いつもの癖で虎の姿をしているような仕草のまま顔を突き出し、困ったように声をかける。この年頃ではそんな音は聞き分けられないかもしれないとは思うが、それ以外の方法が解らなかった。
 邪魔なら払いのけてしまえばいいのかもしれない。けれどそうする事で傷つく赤子を見たくはない。まして彼を邪魔だなど、思う気もないのだ。
 あやすようにじゃれる対象を自分に向けられないかと四苦八苦する指先が赤子のふくよかな頬を撫でた。爪を立てないように慎重な仕草がくすぐったかったのか、楽しそうに赤子は声をあげる。
 彼の腹の上に座り込んでしまった姿に小さく息を落とし、この際起こさないように動きだけでも最小限に食い止められはしないかと思うが………自分にはそうした力量はないだろうことは想像に難くない。
 あやす事でも声や動きを与えて彼の眠りを害すだろう。いっそこのまま自分も横になってしまえば退屈した赤子はまた眠りに落ちるだろうか。
 ひらめきに近い考えに縋るように唐突にタイガーはぱたりと突っ伏した。驚いたように芝生が音を上げ、突然の動きに赤子は目を瞬かせた。
 沈黙が流れる。それは短いものではあったが、タイガーにはひどく長いものに感じられた。
 キョロキョロと辺りを窺った赤子は、一瞬だけいま自分のいる高所から下りようとする気配を見せたが、それを諦めたのかタイガーを真似たのか、ぱたりと彼の胸に再び顔を伏せる。
 ホッと息を落とし眠るまでを確認しようかとタイガーは芝生に頬を寄せながらも赤子を見上げた。
 瞼を落とした赤子は、けれどまだもぞもぞと動いている。寝付けないのかもしれないと思案するが、どうすればいいのかまでは解らなかった。
 不意にただ見ているということしかできなかったタイガーを助けるように、赤子を抱きしめていた腕が動いた。
 起こしてしまったのかとぎくりと体を強張らせ、赤子だけを見ていた視線を泳がせて彼の顔を映した。そこには未だ眠る姿があり、動く赤子を撫でる仕草が無意識のものなのだと気づいた。
 「………………」
 優しく…不安など与えないと祝するように無骨な指先が赤子の背を撫でている。気持ちよさそうに赤子は頬をすり寄せ、うとうとと眠るように見えた。
 じっと、それを見つめる。
 優しくたおやかとは言いがたい指先は、けれど何よりも慈愛を秘めて捧げられている。それに触れられたなら微睡みのなか何一つ心配事などなくなるような、そんな気が湧いてくるほどに。
 一瞬の、衝動。
 特に意識したわけではなかったが、それが羨ましいと感じたのは事実だった。
 自分の間近にあった彼の残るもう一本の腕に頬を寄せる。虎の姿の時のように鼻先を近付け、そのにおいを確かめればほっと胸をあたためるぬくもり。
 微かな逡巡のあと、芝生に抱きしめられたその指先に頬を寄せる。彼と大差ない歳の男がする仕草ではないが、赤子と同じく安心感を与えて欲しいと、どこかで願ってもいた。
 そしてそれを与えてくれるのは彼だけなのだという切迫した確信も。
 彼のにおいが鼻先を掠め、その体温が与えられる。どうしようもないほど、泣きたい気分になった。それは安堵に近く、迷子のなか見つけだされた子供が泣きわめく心境にほど近かった。
 それを味わっていたなら不意に小さな指先が視界を掠める。
 落ちそうなほどの体勢で、必死になって赤子がその丸い指先をこちらに伸ばしていた。どうやらここにも自分の好きな腕がある事に気づいたらしい。
 伸ばされる小さな腕に苦笑を漏らしながら、落ちないように頭を支えつつ、撫でた。
 そうして湧いたのは………ひどく深くあたたかな音。
 「ダメだぞ、ヒーロー。こっちは、タイガーのだ」
 先ほどとは少しだけ違う響きで同じ言葉を口にして、タイガーは笑んだ。
 こんな時間を自分が味わうなどとは思いもしなかったけれど……今はもう、これを手放した自分を想像も出来ない。
 片腕ずつを与えられながら、より近くへと丸まる。

 ……………それはうららかな昼下がりの、幸せな光景。








 キリリク11767HIT、ヒーローリクで虎パーのヒーローとタイガーのパーパ取り合いっこでした。
 ………想像通りに子供の母親争奪戦。

 うちのタイガーは子供大好きなので(それこそ私並に)ヒーローに強く出れなかったりするので、取りあいになるのかな〜と書く前に悩みました。
 取り合い……というより、半分ずっこですな。まあ仲のいい二人なので許してやって下さい。

 この小説はキリリクを下さった神月さんに捧げます。
 パーパ起きてなくてごめんなさい〜(汗)