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その子が大きくなったなら。……この手から離そうと決めていた。
どんなにせがまれても、泣きつかれても。
一人の男として立ち上がれと、笑いかけると決めていた。
大切な大切な、この命すら投げ捨てて思える子供。
………愛しいその子との別れは、もうすぐそこに来ていた。
修証不二
まるで家を間違えたかと思えるほどに華やかに飾られた我が家を見上げ、男は苦笑した。
今日、男の子供が16になる。そのお祝に近隣からこぞってやってくる人々に、男は声を掛けながら笑いかけた。
「いよー、シンタロー!遅くなったな!」
頭上高くから聞こえた声に、男は顔を上げながら答えた。……よく見知った者の声。顔を見なくとも間違いはしない。
「バード!ヒーローの誕生祝いか?」
「まーな。……ほら、土産。お前もそれ好きだろ?」
袋一杯の木の実を見せながら、男は陽気に笑った。
いつもなら、満面の笑みが返ってくるのだ。子供のような大人の深い笑み。
……けれど差し出された果物を受け取りながら笑うシンタローの顔に、一瞬過る陰。
それに気付き、バードは眉を潜めた。
憂える理由を、自分も知っている。
拗ねて出てこない虎もまた、知っている。この男がなによりも心砕いて思っている子供と、今日から離れて暮らすつもりなのだ。
……誰に言われた訳でもない。まして子供はそんなこと、望んですらいない。
それでも男は決めていた。子供が一人生きられるようになるまでで、傍にある事はやめようと。
バカな男の厳しい一面を思い、バードは困ったように声をかける。
「……お前さ、無理するなよ?」
「……………?……なにがだ?」
全く分かっていない顔でそう答える男に、重症だとバードはため息を吐く。
切ない輝きを優しさで包んで、なにもないように笑う男。……その優しさ故にどれほどバカだと罵ったかしれない。
殴っても泣きついても意味がない。この魂はあまりに清廉で、何者の言葉も入り込む隙がないのだ。
それこそが人々を引き付ける輝きを形成していても、この心にかかる重みに代わりはない。
……微かに陰った日の光のせいか、男の顔色が悪く見える。
男の頬に手を寄せ、その顔を自分に見え易いよう動かしながらバードは少し責める声で尋ねた。
「……シンタロー、お前ちゃんと寝てるのか?」
まっすぐに目を覗けば、男の顔が逃げるように横を向く。
嘘をつく事が苦手な男は、言葉につまると視線を合わす事が出来ない。
判り易いその反応にため息を吐くと、元は長かった髪を撫でる。
男の癖に伸ばされ続けた髪は、子供を育てている間一度も切られる事はなかった。
硬い質感の髪はくすぐったい感触をバードの手の平に返す。
困ったような笑顔を浮かべるシンタローに、バードは目を細めて囁く。
「髪……本当に切ったんだな。こんなに短いのは……俺は戦争前しか知らねぇよ」
「それ位からだからな、伸ばしたのも。ヒーローを育てる事を決めた時から、ずっと思っていた事だ」
微かな憂いさえ見せて囁かれたバードの声に、男は申し訳なさそうに答えた。
突然出来た赤ん坊を見た男の驚きは今も記憶に新しい。
事情を話せばなにを考えているとさんざん叱りつけられた。……それでも自分が手放さない事を知れば、出来うる限りの助力を惜しまないでくれた。
……大切な親友は、自分の心に蔓延(はびこ)る痛みに気付いている。
赤子とともに重ねた年月を、いつか返さなくてはいけない。
この手から離れた時、この髪を切る。重く伸ばされた思いを断ち切らなくては、自分はいつまでも子供を一人の戦士と認められないから……
情けない話だが、そうしなくては踏ん切りがつかない。
顔を撫でるように優しく動くバードの手に笑みを零しながら、流れ出そうになる熱いその熱を男は嚥下した………
人々も帰り、騒がしかった家は嘘のように静かになった。
後片付けをするからとしっかりとした主婦へと成長したミイは気を利かせて男たちを外に出した。
……男はミイにすでに家を出る事を話していた。泣きそうな顔で、引き止められた。
けれど幼い頃にヒーローの元に嫁いだミイは、多くの事で男たちの意志の強さを見て来た。
自分では引き止められない事を知ると、せめてもの餞(はなむけ)にと色々と世話まで焼いてくれた。まるで子を送りだす母のようなミイに苦笑しながらその好意は辞退したけれど……
「パーパ……。なんでミイ、ヒーローたちに手伝いさせてくれなかったんだろー?」
不思議そうな声音が目の前を歩く父に向けられた。
いつも自分にも義父であるシンタローにもしっかり手伝いをするようにと言っていたミイだ。今日に限って申し出さえ断れるとは驚いて納得しかねている。
それが手にとるように判ってしまい、シンタローは苦笑して振り返った。
「まあ今日はお前が主役だからな。パーパもおまけで、だろ」
「そーかなー?」
きょとんとした顔は幼い頃から変わらない。
この手で抱き締めたなら、きっとその背にちょうどあうのだろう。冥界との戦いで垣間見た青年の姿まで成長した子供は、いつまでもその心を変える事なくシンタローを一番に思っている。
自分にあわせるように伸ばされた髪も、もう腰を越えている。
男は笑みを深くして息を吸い込んだ。
せっかくミイが心を砕いて作ってくれたこの機会だ。……ちゃんと伝えなければいけない。
「なあ、ヒーロー……」
囁けば、満面の笑顔が返ってくる。
それはもう、変わる事のない事実で………
「なんだ、パーパ!」
楽しそうにこの身体に抱き着く事が、もう子供は癖になっている。幼かった頃は子供を抱き上げ、この肩に乗せていた。
もうそれが出来ないほど、子供は大きくなり……背伸びをしなくても自分と視線さえ合うようになった。
近付いた頭を撫でながら、男はそれを伝える。
大切な大切な子供。けして傷つけたくなどないけれど……
……だからこそこの手を離し、その背を見つめなくてはいけない事実さえ痛いのだけれど。
その痛みさえ微笑みに変えて、男はまっすぐに子供を見つめた。
「実はな、俺はもうあの家に帰らない」
「……………え?」
言葉を飲み込み損ね、子供は不思議そうな顔をした。
顔が固まる。その気配が異常な緊張を伝えた。
それを溶かすようにシンタローは微笑みかけた。
……ヒーローが惜しみなく受けてきた溢れるようなその笑み。
ぎこちなく、ヒーローが笑う。
機会仕掛けの人形のような不自然さで作られた笑みに、瞳一杯の涙が幼さを引き立たせた。
もう、その目に視線を合わせるために屈む必要すらない。
笑みを深くし、シンタローはヒーローの痛みさえ抱え込むように言葉を紡いだ。
「お前はもう立派な大人だ。パーパの手は、必要無い」
優しい声音はそれでも決定を覆す事を厳しく禁じていた。
それを否定するように振られた顔から溢れた涙が、こぼれる。
言葉もなくヒーローは顔を振る。
認めたくないと……かける言葉もなく子供は訴えていた。
それを見つめ、男の目に憂いが映る。
……それでも告げなくてはいけない言葉は……確かに存在するのだ。
「お前が俺の息子である事に変わりはない。……ただお前と俺が、対等になるだけだ」
溢れる涙を困ったように拭き取り、男はその目を覗き込んだ。
いつだって必死になって自分を追い掛けていた子供。その目に映る自分がどれほどの男か知りはしないけれど………
それでもそれに見合う価値を持ち続けたいのだ。輝く子供の目には、いつだって毅然と立ち向かいたいではないか。
「パーパ…は、ヒーローの事………嫌いになったのかぁ?」
涙に混じった子供の、やっとこぼれた不安そうな声。
あり得るはずのないその不安に男は口元の笑みを苦笑へと変えた。
子供の頭を乱暴に撫でながら、鮮やかな笑みを浮かべる。
……男の手とともに、長い髪が揺れた。
「お前はいつだって俺の一番の息子だよ」
その答えに、不満などない。撫でられた頭に広がる温もりに、いつだって自分は包まれて育った。
今もこうして、挫けそうな心を、父の深い優しさが支えてくれている。
……この世で最も尊敬し、愛している男。
この手を離して歩まなくてはいけないのは、本当に辛いのだ。
それでも男の痛みが自分のそれと同じ事を知っている。これ以上の我が侭は男を深く傷つけてしまう。
子供は流れる涙を腕で拭い取った。
まだうまく笑えない。……それでも精一杯の笑みをつくって、答えたのだ。
「ヒーローもパーパが一番だ。でも、大好きなパーパと同じ所にいたいから………」
震える身体がもどかしい。熱くなる目頭も、掠れる声も、何もかもが煩わしい。
言葉の溢れるままに、ヒーローはシンタローに抱き着いた。
……幼い頃、この男の膝の上に乗るのが好きだった。
見上げればいつも、こぼれるような笑顔を注がれて、自分は生きた。……どれだけ愛されてきたか知っている。この腕の強さも優しさも全部、記憶している。
今度は自分がそれを返す番なのだ。
「だから、判った。パーパの好きにしても、いい。だけど………」
気付いてしまった。
この父が、本当には父ではないと知った時のショック。……そして微かな喜び。
……本当はずっと、愛していた。家族でも父でもなく、この世にたった一人の人間として。
気付かせたのは男の行動のせいだ。
いつまでも共にいたなら気付かなかった思い。
――――愛しさの本当の理由。
なにも知らない男は慈父の瞳を変わらず向けている。
それに可笑しそうに微笑みかける。
同じ思いを育てたはずの自分達は、途中から随分と形を変えてしまったらしい。
抱き締めている身体と、自分は同じほどになった。まわした腕は余る事なく相手を包む。
……子供はもう、子供ではない。一人の男として、人を愛す事さえできるのだ。
「ヒーローも諦めない。パーパを絶対に離さない……!」
思いに気付かせたのは男の行動。
…………それなら自分は多分、被害者でもあるのだから、これくらいの我が侭は、許されるだろう……?
驚きに見開かれた瞳は妙に幼くて、疎い自分の父に苦笑する。
ゆっくりと重なる唇を、男はそのまま受け止めた。
………触れた唇の熱さに、子供は目眩さえ覚える。歓喜に震える身体が可笑しくて仕方ない。
こんな簡単な事に今まで自分は気付かなかったのだ。
初めて触れるその唇に、子供は誓った。
けしてこの存在を手放しはしないと。
そして……必ず手に入れてみせると…………
『修証不二』は『行学一如』と似た意味らしいです。
学ぶ事と行う事は常に一緒、がその意味なので、修める事とそれを証とする事は2つのモノとなってはいけないみたいな感じかと……。よう知らんもの使ってスイマセン……
キリリク1222、ヒーロー(大人)×パーパです。
この二人は普通に書いてても甘くなる事が今回よく判りました(苦笑)
でもやっぱり書くならお子様なヒーローの方が簡単そうv
パーパにいっつも抱きかかえられているだろーなー。
それではこの作品はキリリクを下さった霧夜様に捧げます♪