手に入るものと入らないもの。
それくらい判る。それくらい割り切れる。

……………………そう信じていた…………

それでも欲しかった。餓えていた。望んでいた。願っていた。
枯渇した土が雨を祈るように、ただそれだけを見つめていた。

しなやかな腕がゆっくりと指し示す先にいるのは……自分ではなくて。
微笑む視線の先にたたずむのは……自分ではなくて。

鮮やかに際やかに思い知らされる。

それは自分のものではない。
この腕に収まる事はなく……この思いに気付かれる事すらない。
伸ばした指先には彼の髪の一筋すら掴む事は出来なくて。
…………潜めた眉に気付く者はなく、流れぬ…見えぬ涙さえ涸れ果てて…………………
蟠る喉が切ない吐息を零すのだ。

――――――――その宝玉をこの腕に……と…………………





土に還す事もなく



 見上げた空によく見知った男がいた。……瞬間声を掛けたのはもうくせのようなもので。
 特に他意はなかった……筈なのだ。
 「おーい、シンタロー!こっちだこっち!」
 大声で男の名を呼び、大きく手を振る。遥か上空にいた男はその音に気付いて辺りを見回していた。
 存在を主張する大きな腕の振りに苦笑を零しながら男は背の羽をゆっくり降下させていった。
 ………それに満足そうに地上で待っていた男は笑う。
 そして男が地に足をつけたところを見るとそのまままたゴロリと横になってしまう。
 呆気にとられたように男はそれを眺めた。
 「こんなところでなにしてんだ、リュウ」
 暫しの沈黙のあと、羽をしまい男は再び寝転がった無礼な男に呆れたように問いかけた。
 その口元は仕方ないという苦笑に彩られている。
 それを知っているのか知らないでか、寝転がった独眼の男は瞼さえ閉じても浮かべた笑みを崩しはしない。
 ………穏やかな声は男の性情の豊かさを示すように深い響きを秘めていた。
 「別になにもしてねぇよ。家にいると白龍のヤツとぶつかっからな」
 自嘲を多分に含む声音は、それでもどこか楽しげだ。
 結局は嫌いきっていない事が時折見せられるその笑みの深さに隠れていて、気付く事のできる男は幼子を見守るかのように瞳を眇めて男を見つめた。
 「……相変わらずだな」
 苦笑を零し男が囁く。それを受け止めた隻眼が瞬き、楽しげに細められる。
 それを受け止め、男も幼い笑みを浮かべた。出会った頃から変わらない、長い時を生きる龍人の英雄。
 彼から見れば自分も所詮は嬰児と同じなのだろう。けれどそんな感慨を微塵も見せない男はまっすぐにいまを生きる自分達に関わる。
 それがどれほどの痛みを抱える事になるかを……いままでの経験上知らないわけではないであろうに…………
 微かな寂寥を胸に秘め、それを消し去るように男は笑みを浮かべ囁いた。
 「そういえばこの間、たっちゃんと一緒にうちに来たぞ」
 つい先日のことを思い出し、何気ない世間話の一つと男は囁いた。
 …………見下ろした男の視線は意外そうに大きく見開かれていた。
 それに不思議そうに男は眉をあげる。
 別に悪い事でもないし……おかしな事でもないはずだ。
 タツはヒーローの親友で、白龍はタツの兄だ。
 英雄としての責務に忙しい兄に変わって末弟の面倒を見ているのはいつものことではないか。
 そう囁くような男の視線に隻眼はゆっくりと閉じられた。
 まるでその問い掛けに応えたくはないと呟くような仕種に男は軽く息を吐き出す。
 仲が悪いと噂される兄弟は、その実どこか似通っていて…そのくせ正反対で。………それ故の反発や憧れもあるのだ。
 だからこうしたやり取りは珍しくない。答えを持ち合わせていないのではなく、まだ長い時の中、付き合っていくための防波堤がきっとあるのだろうと…思うのだ。
 それを認める男のまっすぐな瞳を瞼に感じ、眼帯の下蠢く事も忘れた瞳を軽く撫でる。
 両の眼でこの男を見つめる事は永遠にない。それを微かに寂しいと思う自分に苦笑を禁じえない。
 胸のうちに去来したそれを消すように男は立ったままの男に再び視線を向けた。
 …………ゆっくりと節の太い指先が音もなく持ち上げられ、男に立っていないで座れと示した。
 芝生に横になったままの男の伸ばす腕に従って隣に腰を下ろし、男はその隻眼を覗き込む。
 深い蒼緑をたたえた視線は優しく揺れる。それを受け止め、男は小さく息を飲み込んだ。
 時折この男はこういう底知れない瞳で自分を見つめる。深過ぎる感情に捕われそうで、つい身構えてしまう自分に何度苦笑を浮かべたか判らない。
 そして不意に気付く。……それはいつもこの男のすぐ下の弟の話題の時である事に……………
 なにが悪いわけでもなくて。………なにかがおかしいわけでもない。
 ただ判りきっている答えから目を逸らしているような妙な気分の悪さと、掴む事の出来ない幻影を見ているようなもどかしさがこの身の内を駆けるのだ。
 それは声を殺し喉を潰し……指先も…瞬きすら許さない強さで男を包み抱き締める。
 …………そう、それは優しい抱擁。決して強制ではないやわらかさで隻眼は男を搦め、痛み与える事はないと囁くように揺らめくのだ。
 判らない事しか残らないその視線の意味を……それでも知りたいというほど向こう見ずではない。
 けれど…………
 「どうかしたか……?」
 怯えるような瞬きを含んだ深い瞳は気にするなと囁くように揺れる。
 それがたとえようもないほど弱々しくて。それでもけして縋りはしないと囁く視線が切なくて。
 ……………男は惑う視線を包むようにその指先で隠し込んだ。
 ゆっくりと手の平に男の独眼が瞬く睫を知らせるように触れる。
 それを小さく息を飲み込んで受け止め、男は緩く笑みを浮かべると窘(たしな)めるような声音で囁いた。
 「………それは俺の台詞だろ……?」
 囁きに揺れる緑はゆっくりとさざ波を作り空に揺れをかえした。
 それはまるで男の声を天に捧げるほどに緩やかに優しい風だった……………
 受け止めた睫は固まり……静かに閉じられた。
 ………答える事に怯えるそれは、閉じられたまま。
 それを確認しようと指先を離そうとした男の手の平を……やんわりと掴み引き戻す節の太い指先。
 独眼の男の苦笑の口元が覗ける顔を小さく息を詰めて男は見つめた。
 …………声が、空に溶けるように紡がれる。
 「もっとも…だな」
 喉の奥に蟠る声は…男のものとは思えないほど頼り無げだった。なにに一体恐れを抱いているのか判らない。
 まるでこの指先こそを恐れていると囁くかのような掴む腕の強さに微かに眉を潜める。
 これは男の逃げ。……自分の言葉からの。視線からの。感情からの……………!
 判らずに戸惑っていた自分とは違う。この男はなにもかも分かっていて、その上で躱しているのだと分かってしまった。
 ………………………瞬間、沸き起こったいら立ちを押さえる術などなかったのだ……
 「…………!」
 指先が蠢き、剥がされる。……男の独眼を覆っていたぬくもりは熱い憤りと共にそれを暴く。
 男の隠したがっていた…気付かないよう包んでいたその思いを。
 何も知らない真直ぐな瞳はただ揺れる事も知らずに覆うもののなくなった潰れた瞳を睨む。逸らす事を許さないと雄弁に語るそれは見えないはずの瞳さえ射抜いて男を搦めとる。
 息を飲み込み……独眼は静かに頭を垂れるかのように閉じられた。
 「目をあけろ、リュウ」
 逸らされた視線が不快だと男は静かな声音で囁く。……まるでそれは乞うかのように小さい音。
 けれど男にはなにより重くのしかかる旋律。伸ばしてはいけない指先が願うように微かに震えてしまうのだけれど………
 それを見つめ、長い黒髪を揺らす追いつめる男は小さく息を吐く。これが自分の我が侭だと……知ってはいる。……初め男の視線から逃げたのは自分。わからないからと覆い隠して囁いた。
 それでも分かっていて逃げている男が許せないのだ。
 …………自分に一体なにを隠すというのか。命すら共に賭して戦ってきた仲であるというのに………!!
 強い男の視線に……独眼は微かに震える。……微かなそれはなにかを必死に耐えているように見えるけれど………
 それを憐れんで逃がしてやるつもりなど……まったくないのだ。
 強く……男はその背を引き寄せた。……もういっそ視線が恐ろしいというなら見なくても構わない。
 潰れたその片目で、この心の内まで覗けばいいのだ。いまこんなにもこの男を抱きとめたいと思った不可思議な思いさえも………
 自分には判らない事ばかりだ。それでもこの男はその内の僅かでも知っていて、それを伝える事のできる唇は固く噛み締められて震えている。
 それを解けと囁く声音さえ意味はないけれど……それども小さな旋律が男の耳に緩やかに触れた。
 ………深く低い……掠れた神獣の底知れない響き。
 「……お前は気付かねぇでいいんだ。俺が…俺たち兄弟がなにを思っているかなんてよ…………」
 知らなくていい。自分や弟の持つ邪な願いも思いも。それはこの自由な翼をもぎ取り命すら削らせてしまう事だから。
 ただ……見つめてくれていればいい。馬鹿な自分達の幼いいがみ合いを。
 優しく穏やかな…幾霜月を越えてもなお鮮やかなその瞳で映してくれればいい。
 ………それ以上を願う事など出来ない身では、囁けない言葉のなんと多い事か。
 隠して無くした振りをして……それでもこの男は気付いてしまう。自分達が惹かれたその魂故に………
 だから……
 「気付くな…………」
 何も見ないでいいのだ。……何も願いたくはないから。
 馬鹿な弟を傷つける事も、この男を壊す事も…自分は願いたくはない。
 この背を抱きとめてくれた男の腕のあたたかさに、喉が詰まる。吐き出した息は糸より細く、空を駆ける雲を紡ぐ。
 掻き抱くようにその背を抱き締めて、いっそ抱き潰してしまいたい。……獲物を喰らう物思いにいつか負けはしないかと自身の身で脈打つ鼓動を潰してしまいたいけれど………
 何もいわずにただ男の囁きを包む指先は微かに力が込められる。
 ………それに救われる。相手の願うままにこの男は受け入れる力があるから。
 微かな笑みを口元に灯し、男は闇しか映さない瞳を揺らして静かに深く思いを沈める。
 この男の愚かしいほどの思いの深さが、悼む思いがずる賢く逃げる自分をいつか断罪する。
 それを……願っている。
 いつの日かきっと自分達は罪を犯す。一族が破ってはいけない命の継承故の掟を穢す。
 その時まっ先にこの胸の内にある血脈を途絶えさせるのは……この男であって欲しい。
 暗く澱んだ願いが成就する事はないのだろうけれど……それでもそれ以外にこの腕がこの男を手にする事はないと知っている。
 幼子を癒すような男の腕に包まれ、独眼は揺らめきを落とす。

 ―――――何も知らない男の背に、闇を覗く瞳から零れた涙が微かな軌跡を創った………






キリリク5000HIT、白龍&リュウパーパ争奪戦です。
ってこれに白龍は出ていない(汗) 私白龍書けないんです(遠い目)
物凄い難産でした。というか……白龍書く事はもうないと思っていたからともいいますが(オイ)
彼は動かないですねー。まったく。 なので申し訳ないですが、リュウたちの口から白龍を出してみましたv

この小説はキリリクを下さった美月様に捧げます。