幼いときに熱を出したよ。
でも、誰にも言えなかったんだ。
小さな背をピンと伸ばして、いつもと変わらない顔…していた。

怖かったんだ。誰かに甘えることが。
だって、早く大人になりたかったから。
……小さな腕も丸い頬もいらなかった。
もっともっと強くなりたかった。
自分の腕で、大切なものを守りたかった。

馬鹿みたいに幼い発想。
頼らないことこそが強さと勘違いしたその意固地さ。
伸ばされる腕に戸惑うばかりの不器用なガキ。

少しは俺も……大人になったかな…………?





手を翳す



 ――――――――――ピピッピピッピピッ

 機械音が響くとピョコンと虎の耳が立った。
 それを視界の端におさめ、男は自分の額を濡らすタオルを落とさないように起き上がりくわえていた体温計を虎に渡そうとする。
  瞬間、虎の顔が驚いたように歪んで微かな爆発音が響いた。
 衝撃が加わらないように気遣った不器用な指先が軽く男の胸元を押さえて再び布団に沈ませる。
 無骨な指はそのままに、金と黒の斑髪をした青年は心配そうに瞬きながら小さな声で断言する。
 「パーパ動いちゃ駄目」
 子供のような物言いだけれど、それが青年の精一杯であることを男は知っている。
 苦笑を落としてそれに従うように頷けば微かな笑みを浮かべて青年は男の手から体温計を貰い駆けていく。
 ……いつもより少し遠くに感じる台所からなにか声が聞こえる。小さな頃から傍にあった声が誰のものか解り、男は微睡む意識の底で微かな笑みを落とした。
 不思議……だった。
 いままで熱を出しても誰にも気づかせないでいられたのだ。
 それがもっとも鈍感そうな青年に見破られあっという間に全員に知られてしまった。
 心配そうな目を向けられるのがいやで大丈夫だと言おうとしたら………無理矢理布団に押し込められて見張りに虎まで残されてしう始末で。
 幼い頃を知っている友人がいるというのはこうした時の自分の対処の仕方を知られているということでもあって、あっさりと無茶をするなと念を押されてしまったための状況が妙にくすぐったい。
 仄かな笑みを零しながらも身体にまとわりつく倦怠感が消えるわけではなく、微かに咳を零して男は飲み物を探す。
 視界の中には置かれていない。……貰いにいったら青年が叱られてしまうだろうか………?
 一瞬逡巡するが、喉の渇きは堪え難くなってきたので仕方なさそうに男は上体を起こした。
 …………瞬間脳の中が揺れた気がした。
 「……………?」
 立ち上がってもいないのに襲った目眩に訝しそうに頭に手をやる。揺れる視界が不快で固く目を閉じるがなかなかそれは消えない。
 吐き気さえ加わりそうなそれに耐えていた時、ドアが開けられた。
 「…………………………なにをしている?」
 心底不思議そうな水晶色の髪をした青年が憮然と呟く。手に持たれたお盆の中で水が小さく揺れていた。
 気配で誰だかを確認した男は目を瞑ったまま声をかけた。
 ………いつもと変わらない、豊かな響きさえ滲ませて。
 「あ……クラーケンか?ちょっと喉乾いてな」
 顔をあげずに話しても不自然さが残る。………そんな当たり前の事にさえ意識のまわらない余裕のなさは珍しかった。
 意外そうにその姿を認めながら青年は片手で持っていたお盆の中からコップを取り男の俯いた頭に軽くあてた。
 その冷たい感触に望むものであることを知った男は緩慢に顔をあげた。
 …………瞬間、視界に入ってきたのは澄んだ水色ではなく瞬く金の髪。
 ヒクリと喉を鳴らした男を楽しげに見つめる男は青年からコップを受け取りぐったりとした男に声をかける。
 「ありゃまあ、シンちゃん随分色っぽくへたれてんな?」
 「………アラッチ……………。なんでお前が………」
 言いかけて男は口を噤む。……上司の護衛だと言い返されることは目に見えている。ちらりと青年に目を向けるがあまり状況を理解していないらしく二人を見守るだけだった。
 仕方なさそうに息を吐いて金の男の持つコップを受け取ろうと手を伸ばすと………何故かそれが遮られる。
 嫌な予感に青い顔を更に青ざめさせて男はにんまりと笑っている視線の先の男をかえりみる。……脳の奥の頭痛が更に激しくなった気がした。
 ………そんな男の反応に機嫌をよくした声が弾むように響いた。
 「水飲むのも辛いだろ? 口移ししてやるぜ………?」
 「慎んでお断りするッッッッッッ!!!」
 コップの中の水を口に含んだ男の顔が遠慮なしに近付いてくると慌てて手を突っぱねて抵抗する。
 そんな二人の攻防を見ながら青年はひとり首を捻っているだけで手出しをすることもなかった。
 助けろと視線で訴えようにも注意を他所に移した瞬間に最悪の状態に陥ることが予想でき、男は涙目になったまま涸れた喉で叫ぶこともできないでいた。
 ………すると響く………破壊音。

 ――――――ガチャンッ! ドンッぐちゃ………グツグツグツ………………

  それに一瞬アラシの意識が向けられ、シンタローはどうにかその腕から逃れようと身体を捻るが……あまり意味はなかった。
 音のなくなった台所に興味を失ったらしい男の腕が再び伸ばされかけた瞬間、勢いよく寝室のドアが開かれた。
 「おいこらセクハラサド親父!なにおっさんにからんでんのさ!」
 かわいらしい高い声がひどく横柄で聞こえの悪い言葉をあっさりと響かせる。一瞬その言葉の意味を取り損ねた二人は呆気に取られるように来訪者を見遣った。
 動きの止まった二人を引き離し、少年はアラシの持つコップをシンタローに渡して抱えていた虎を自分の隣に座らせた。
 ………見事なその手腕に感謝の言葉を言うのも忘れて男は水の喉に染み渡らせた。
 それを確認しながら闖入者は立ったままの青年に乱暴な声をかけた。
 「大体クラーケン、あんたなにぼさっと見てるわけ?」
 「…………………なにがだ花人」
 「この状況見たらとりあえず邪魔してやろうとか思わないのかって聞いてんだよバーカ」
 「……………? 何故だ。看病していたんだろ?」
 心底不思議そうな青年の言葉に一瞬室内の空気が凍った。
 冗談ではなく………本気の言葉。
 考えてみれば誰かを見舞ったことなどあろう筈のない青年には看病がどういったことをするものなのかも知らなくて当たり前だった。
 男はすぐ傍にいた無礼な男の金の髪を思いっきり叩き、反省を促すように睨み付ける。………なにも知らない子どもに間違った知識を植えるようなものだ。今後の青年の生活に関わることを歪めるのは許さないと初めて本気で怒っている視線を見せた男に圧倒されるようにアラシは息を詰めて視線を逸らす。
 それを確認してからシンタローはクラーケンに視線を向けて苦笑をのぼらせたまま声をかけた。
  「クラーケン、アラシのは間違いだからな。他の奴のを見ておけよ?」
 「そうそう。……というわけで早速実戦ね。ほらお前も手伝えよ」
 男の言葉に乗るように少年が青年にタオルを放り投げた。
 きょとんとそれを凝視したまま動かない青年をしり目に少年は男の布団をはいで汗の浮かぶ身体に自分の持つタオルを滑らせた。
 少年の隣に座っていた虎はそれを確認すると暴れないようにと男の腕に寄り掛かる。
 「ってサクラ!? それっくらい自分でやるって…………!」
 「コラ女男! そりゃ俺がやろうと…………!」
 「うっさいな! 毒刺すよ!?」
 三人三様の言葉を聞きながら青年はとりあえず少年の真似をするように男の顔にタオルを落とす。………強過ぎる力に眉を寄せた男の顔が目に入り青年の腕が止まってしまった。
  「バーカ。俺みたいに上手にできないわけ? 俺なんて看護婦の格好だって似合っちゃうんだからv」
 「…………それは似合わんでもいいんだが……。あのなクラーケン、もっと力抜いていいぞ? ポンポンって軽く叩いて拭くくらいの方が痛くないから」
 方法を教えながら実験台も甘受した男の髪をつまらなそうに金の髪はすねながら弄ぶ。別に強行してもいいけれど、なんだかんだいってこの青年を上に仰ぐことに不満はないのだ。
 どこか楽しげに不器用な腕を動かす上司に免じて手出しすることを我慢しているアラシにシンタローは誉めるようにその指を絡めた。
 それに機嫌をよくした男が口を開く瞬間……再びドアが開かれる。
 …………………いい香りというべきか悩む匂いに包まれた鳥を先頭に…………………
 「ちょっとシンタロー!? あんたの家じゃお粥に鳥をぶち込むわけ!?」
 「アマゾネス!?ってそれは………バード!? なにやってんだお前っ」
 「ああ、そいつならタイガーいじめてたから麻酔刺して煮込んでおいたよ。栄養にはならないだろうけどね!」
 「サクラ!?」
 目を回すようにクルクルと顔を動かして叫んでいた男は本格的に頭痛に襲われたようにぐったりと項垂れた。
 その背を青年の姿に戻った虎が撫でながら事の経緯を簡単に口にした。
 「………タイガー体温計渡したら、熱上がってるって煮込まれそうになった」
 「………………そこにサクラが来たわけか」
 事情はわかっても結局現状は変わらない。
 メンバーを一通り見回して………まだまともに料理出来そうなのは自分だと判断するとシンタローは立ち上がろうと腕に力を入れた。
 それを察知し、女が持っていた鳥を男に投げかけて再びドアに向かっていく。
 白目を向いた青い鳥をどうにか受け止め、男は背を向けた女に声をかけた。
 「アマゾネス?」
 「……仕方ないから食事くらい作ってあげるわよ。もうすぐミイちゃんとヒーローくんが果物を持ってくるしね」
 艶やかな笑みを返し、母の顔を覗かせた女は流れる髪をまとめて台所へと向かった。
 その背を見送りながら、青年が思い出したように男に顔を向けて楽しげな笑みを浮かべると悪戯を囁くように呟いた。
 「そういえばリュウもキリー攫ってからくるっていってたよ。卵酒用のお酒も持ってくるってさ。………おっさん果報者じゃんv」
 幾人もの人が、風邪だというだけで訪れてくれる。
 この自分さえ世話を焼いてやっているのだから、これ以上の幸せはないだろうと胸を晒せて自慢げにいう少年の頭を撫で、男はやわらかく微笑んだ。
 ………囁かれた感謝の言葉に少年の頬が赤く染まる。
 まっすぐに伝えられる好意はあまりにも温かくて、一瞬振り回された気のした少年は不貞腐れたように虎のシッポを引っ張って照れ隠しのように乱暴な言葉を囁く。
 不器用な青年は初めての看病に不思議そうに目を瞬かせながら男の肌を清め、やることのない金の男はつまらなそうに長い黒髪を編む。
 台所からはリズム感よく流れる包丁の音。
  優しさに包まれた男は、苦しいはずの息さえ忘れて傍らに座る虎に寄り掛かる。

 ……………幼い頃には突っぱねていた優しさが、いまこんなにも支えとなることに感謝しながら……………








久し振りに書いたヒーローです。……スゴイ、結構キャラ出せた……!
ちなみに今回はクラーケン&サクラにパーパの看病させてみよう!と思ってました。
サクラはね……看護婦の格好までしてやってくれそうな気がしたんだけど。クラーケン……知らないよな……絶対に。
というわけでパーパが教えてあげることになりましたとさ。ちゃんちゃん。
………うちのアラシ、クラーケンには甘いわね…………………

というわけでまゆらさん。1000HITおめでとうございました!
こんな物体ですがお納め下さると嬉しいですv(^^)