ずっと……その傍らにいた。
変わらずにずっといるのだと思っていた。
けれど違った。彼はあまりにも意固地に守ることも思い他者の為に自身を傷つける。
いっそ愚かしいほどの自己犠牲。……自己愛が歪んだが故の対象愛にしか自分には見えない。
それを突き付けて貶めて。
あの大らかな微笑みを歪ませてこの腕に搦め取る。
………それを望むことのどこが罪だというのだろうか……?





沈まぬ月



 腕の中に堕ちた羽根を見つめ、男は息を吐く。
 まっすぐに自分を見上げる視線に疑いも何もありはしない。
 ただ不思議そうな瞳は瞬き、起きたいのだと訴えているだけだった。
 同じだけ生きて、同じように修行をして。
 ……それでも全く逆に生きる自分達はまるで鏡のように滑稽だ。
 自嘲げな笑みを灯した男に腕の中にいる男はようやく不振そうに顔を顰めて声をあげる。
 「……アラシ?どうかしたのか?」
 労るでもなく囁かれる声。男が自分に心配されることを厭っていることを知っているから、けしてその素振りを見せない。
 けれどそれさえ看破している男にはこの上もなくか逆心を煽る一言となることを彼は知らない。
 身を深め、アラシは男に顔を近付けた。
 触れるギリギリの所で低い声が囁く。
 …………互いの吐息さえ絡む距離にあっても、男の視線に揺らめきは生じない。
「 なあシンちゃん。自分が女みたいに扱われたら……どう思う………?」
 殊更深く身に染み込むように、残虐な音を潜ませて囁く声にシンタローは呆れたように息を吐く。
 間近な男の顔は焦点がぼやけてはっきりとは見ることは出来ない。……それでも大体予想出来る。
 いつもと同じく、自分を困らせ苛める為に吐く言葉は…作った笑顔の下で寂しそうに囁かれるから。
 馬鹿な男は…驚くことにこういう真似をよくする。男としたって体格のいい自分が女の代わりになれるはずがないと知っているが…その瞳に時折灯る切実な輝きに息を飲んでしまう。
 そんなことで流されるほど甘くはないけれど…縋るようにきつく締め付ける腕を剥がせなくなる効力は充分にあった。
 どうやってこの状況を流せばいいかわからなくなり、シンタローは目を閉じた。
 ……それを見て、アラシは言い様のない怒りを覚える。この男はいまの状況を、結局は判っていないのだ。
 まるで当たり前のように無防備に瞳を閉ざし、どう扱われるかを理解しているはずがない。もし理解しているのなら、そんな真似はしない。……自分がどういった目でこの男を見ているか知っているのなら…………
 あとほんの少し、風に揺れるように近付いただけでも重なるほど…接近しているのだ。
  瞼に覆われた視線はいまはない。それでも見つめられている錯覚を受ける。……自分をからめる視線を厭うように瞼の上から手を置き、その唇に触れようとする。
 瞬間風の鳴き声がアラシの鼓膜に響く。
 後ろ手で飛来したなにかを掴み、間近な唇へ触れることを諦めて上体を起こす。余裕のある笑みを顔にのせ、何一つ悔しくはないと囁くような瞬きを見せる。
 それを見たシンタローは軽く息を吐き、圧迫感の強かった体勢から解放されたというように静かに息を吸い込んだ。……アラシの手の中から数枚の青い羽根が舞った。
 そんな2人を見つめ、空にいたその人は忌々しそうな表情のまま地に降り立った。
 鮮やかな青の翼が優雅に舞って閉じる様を見、自然と零れるシンタローの笑みにアラシは面白くなさそうな光を視線にのせて割って入ってきた邪魔者を睨む。
 挑戦的な視線を受け、視線を険しくした青年に、シンタローは何事もなかったかのように声を掛けた。
 「よう、バード。なにか用か?」
 明るい声はあからさまにこの雰囲気を否定する。……判っていて、この男はこういう態度を取るのではないかと時折疑いたくなる。……自分達は幼い頃からよく一触即発の状態を作り上げるけれど、いつだってこの男のいつも通りの顔に流されて忘れてしまうのだから。
 けれど結局…自分達はこの男のその笑顔に囁かれたなら、言葉を返さずにはいられないのだからどうしようもない。
  「……用もなにも、今日はお前人王に呼ばれていたんだろ?なにこんなとこで道草喰ってんだよ」
 呆れたような囁きに微量のからかいを込めてたしなめるバードに、きょとんとした視線が返される。
 まるで言葉の意味を掴んでいないシンタローの様子にバードは訝しげな視線を浮かべた。
 「………シンタロー?」
 「………………………今日、だったか?親父に呼ばれていたの」
 恐る恐る聞き返される声に、バードは呆れたように頷いた。目に見えて男の顔が蒼白になる。
 それを見ながら、今日はもうシンタローにちょっかいを掛けても相手をしてもらえないことをアラシは悟る。
 軽い溜息を吐き、アラシは冷や汗を浮かべているシンタローの長い黒髪に指を搦めた。
 それに気付き、シンタローが顔を向けると…頬になにかぬくもりが掠める。
 「じゃーな、シンちゃん。……続きはまた今度やってやるよ」
 ニッと、男の色香を強く匂わせた笑みを浮かべてアラシは目を見開いたシンタローの鼻先にもう一度唇を寄せ、からかうような可愛い口吻けを残すとバードに勝ち誇った笑みを送る。
 それに戦慄くバードの怒鳴り声が出るより早く、アラシは地を蹴り空へと飛び上がった。
 「あんの海人〜!!わざわざ人の目の前で……!」
 消えたアラシの背を睨みながらバードは忌々しげに呟く。それを見ながらシンタローは男に口吻けられた箇所を拭いながら苦笑した。
 男は、確かにこうした悪ふざけをよくするけれど…本当に自分になにかしようとはしない。
 青年は甘いというけれど、それはあの不安そうな瞳を間近で見たことがないからだ。……小さな苦笑に気付いたバードは顔を顰めて男に近付いた。
 「……お前ね…。あいつの前で気を抜くなっていつもいってるだろ?」
 常に日に晒された男の肌に異常はないとほっと息を吐き、青年はゆるく男の首に腕をからめる。……こうしてそのぬくもりに触れるのは幼い頃からの癖だった。
 触れることで安心出来る青年の背を軽く叩き、男は困ったように呟いた。
 「いや、久し振りに用事がないから昼寝してたんだが。……起きたらいきなりあの体勢だった」
 無防備な顔で無防備な言葉を吐く。……それでも彼は貶められることがない。
 それは純粋故ではない。何者にもむけられる博愛的な情の深さが伸ばす指を躊躇わせるのだ。
 だからきっと自分がこの腕を絡められないように…あの男も本当には彼を手に入れることはない。
 それでも不安になるのだから仕方ないではないか…………
 軽い溜息を首元で受け、男は眇めた瞳で幼馴染みを見つめる。小さかった彼はその年齢差を埋めようと躍起になって追い掛けてきた。そこに附随する思いを否定はしないけれど、それでもどうしたって自分にはまだこの青年は幼い思いに彩られているように見える。
 だから殊更明るい声を掛け、笑顔を向ける。……その内に巣食う不安に流されるなと囁くように。
  「でもサンキューな。親父との約束、明日だと勘違いしてた。急いでいかねーと……」
 俯いた顔を手で包み、顔を上げさせて視線を搦めていえば青年は落ち込んだ顔を微かに朱に染めて見返す。
 にっこりと微笑んで、シンタローはバードの頭を軽く撫でた。
 「……ああ、もし暇だったらヒーローとみいちゃんとタイガーのことよろしくな。できるだけ早く帰るって伝えておいてくれ」
 雄々しい羽根を翻し、空に舞おうとしながら男は青年に思い出した頼みごとを囁く。
 ………苦笑した青年がそれをけして違えないことを知っているから、男は満面の笑みを送って空に溶けた。
 絶対に適うわけないと小さく呟いた青年の自嘲に気付く風すらなかったけれど。
 それでも…この胸を熱くさせ満たすのは男の言葉と笑みなのだと青年は軽く息を吐き出した。

 久し振りに赴く父の住む城を見上げ、男は軽く息を吐く。
 身体の大きくなった王に合わせて作られた城は見上げるだけで首が痛くなるほど壮大だ。
 見慣れた城の中を歩いていても見咎めるものはいない。軽く息を吐いてシンタローは王の控える部屋の前にくる。
 …………重々しいドアが開かれ、目の前に王座に座った父が見える。その目の前まで歩み寄り、男は膝をついて頭(こうべ)を垂れた。
 「………遅くなって申し訳ありません。なに用でしょうか」
 形式どおりの言葉を囁けば、椅子から立ち上がる気配がする。………それにまたシンタローは息を吐き出す。
 伸ばされた指先に乗れと囁く瞳に苦笑して、仕方なさそうに一部屋くらいありそうな大きさの手の平の上に飛ぶ。
 ゆっくりと振動がないように気遣われた動きで2人の視線が重なる場所までそのゴンドラは動く。
 瞬く大きな瞳には憂う光が滲んでいた。……片腕のなくなった王は軽く息を吐いて眉間の皺を深めた。
 大切な大切な息子。その優しさ故の愚かさを責め…心に傷を負わせた。親としてのぬくもりを与えることなど稀だった自分が、そんなことを言えるものかと幾度自身を責めたかしれない。
 それでも、子供は慕ってくれた。あなたのようになりたいのだ…と。その追い掛ける姿勢全てで囁き後ろに控えていたから。
  その生き様が哀しかった。他者の為に生きようとするが故に負う痛みの多さを自分も知っている。自分もただの親に成り下がったと自嘲げに笑い、困ったように見上げる子供に声をかける。
 「お前のことだ。日にちを勘違いしたか…迷ったのだろう?」
 「……………この家に帰ってくるのに迷うほどひどくねぇよ」
 からかう響きにシンタローは憮然とした顔で言い返す。微かに頬が熱い。……どうしたって自分の方が不利に決まっているのだ。生まれた時から自分を見守ってきた人を相手にするのだから………
 拗ねたようないい方に、人王の頬が緩む。……昔は、こんなやり取りさえなかった。
 互いに不器用すぎるほど真面目で真直ぐで。対等であろうと願い過ぎて余裕など欠片もなかった。
 いくつかの戦いといくつかの死別によって……少しずつ深かった互いの間の溝が取り払われる感覚にくすぐったくて顔を顰めてしまう。
 それはもう、お互い様で…苦笑を浮かべ、そっくりな親子は小さな声で互いのことを語り始める。
 ………まるで過去の時間を巻き戻すかのように。
 そんな2人を見つめ、ドアの所に控えていた訪問客は楽しげに眉を上げた。
 不器用な親子体面は、知らないものが見ればまるで逢瀬と睦言だ。
 それを切り上げさせるのは少々忍びないが…余り面白い構図でもないのは確かで。
 青年はドアに括りつけられたベルを強く鳴らした。
 響いた音に、2人の視線が同時に青年にむけられる。
 片手を挙げてそれに応え、シニカルに笑う青年に2人は声をかけた。
 「リュウ、どうかしたのか?」
 「あれ?今日なんか用事あったか?」
 王と英雄の声は重なり、血の絆の片鱗を伺わせる。
 それに苦笑し、リュウは人王の手の平から降りてきた男に声を掛けた。
 「いや…今日はシンタローに用があってな。人王、少々御子息をお借りします」
 見上げた先にいる王は少しだけ寂しそうに笑い、頷く。彼が断るはずのないことを知っていながら確認をする自分も意地が悪いかと思いながらも…これくらいは許されると勝手に納得する。
 親子であったって、流れる雰囲気に疼く思いがあったなら…仕方ないだろうと思うから。
  リュウは頭を下げてまだよく状況を理解していない男の腕を引いて部屋をあとにした。
 最後に見上げた父の顔の切なそうな笑みにシンタローは顔を顰める。
 「あ……!親父、また今度ヒーローと来るからな!」
 咄嗟になにをいえば喜ぶか判らなくて、シンタローは反故に近い今日の約束の代わりを取り付け、小さく笑って去っていった。
 それを見送る人王の口元に灯る穏やかな笑みを見ることは出来なかったけれど。

 誰からも愛される魂を宿した子供。
 ……それは親としてどれほど誇らしいか判らない。
 けれどいつだって疼くのだ。哀しいほど優しさを深める生き方をする息子。
 どれほど厳しく接そうと歪まない魂。
 痛みを負ったならこの家は帰る場所。遠慮などしないで帰ってくればいい。
 他の誰よりもまっ先に駆け付けて欲しい。

 いまさらながらの親と子の関係に、浮かぶ苦笑は絶えないけれど。
  それでも互いの存在は計りしれないから………
 …………潰さぬように抱き締める。空に浮かんだまま落ちることを忘れた月を…………






キリリク7300HIT、パーパ総受け→アラシ・バード・人王・リュウです。
この人たち…さり気なく繋がり薄くて関わらせるのに苦労しました(苦笑)
そしてリュウ。……ごめん。キミはおおとりで攫っていっておきながらそのあとが何も思い付かなかったよ………
疲れましたよー。………考えてみると、総受系の話、増えてますね。
いや、私、苦手なんですけどね(笑) だって、感情を動かせるわけにいかないし……
かといって切なくするのばっかでマンネリ化していくのもイヤだし。
………でもいい加減ネタないですね。この作品もう完結してしまっていて新しい刺激もないですし(寂)

この小説はキリリクを下さった深山茜様に捧げます。
リュウがほとんど出てなくてごめんなさい。これが今回精一杯だったです(涙)